第30章:ナツメとヒイラギ
「ナツメは、ヒイラギのことが大嫌いだったんだ」
ユキヒトが軽く放った言葉は、オレにとって信じがたいものだった。
ナツメがオレを嫌っていたって?
そんなこと、あるはずがない。一年前、オレがジンに連れて来られた時、誰もオレに話しかけなかった。誰もオレに興味を抱かなかった。
だが、ナツメだけはオレに話しかけてくれた。一緒にいてくれた。
親友のナツメが、オレを大嫌いだったはずがない。
そうだろ、ナツメ?
オレはナツメの顔を見た。ナツメの顔は、苦渋に満ちていた。
何で否定してくれないんだ?
否定しろよ。ユキヒトに「そんなわけない」って、一喝してやれよ。
なあ、ナツメ。
何で黙ってるんだ?
「僕は今、ヒイラギ君を殺したいと思っている。でもね、ナツメは一年前からずっと君を殺したかったんだよ。実際に、君を殺そうとしたことも、何度かあるんだ。・・・まあ、アスカに気づかれてさりげなく失敗させられたようだけど」
ユキヒトの言葉が、左耳を通して、直接心に響いてくる。
「何故ナツメが君を殺したいか、知りたいかい? ナツメにとって、君は『排除されるべき人間』なんだよ。ナツメにとって、大切なものは自分だけなんだ。あと、組とかジンのことも君よりは大切だったっぽいけど。ナツメにとって、自分の生活を、価値観を狂わす人間はいらないんだ。むしろ、消えて欲しい存在なんだよ。だから、君を殺そうとしたのさ」
頭が痛い。クラクラしてきた。オレはしゃがんだまま、両手を頭にやる。頭を抱えた、って言った方が自然かもしれないな。
―君の事を殺そうとしていたんだ
―ナツメにとって、君は「消えて欲しい存在」なんだよ――
頭の中で、ユキヒトの言葉がリピートされる。
ユキヒトの言葉は嘘だ。オレに、心理的な圧力を、かけたいだけなんだ。
ナツメがオレを殺そうとしてた? どこからそんな憶測が出てくるんだ?
オレがナツメにとって、消えて欲しい存在だって? そんなはずないだろ。
オレ達は仲間なんだから。親友、なんだから。
「―本当に、そうなんですか・・・?」
萩原の、怒りに震える声が聞こえた。
オレがそっと顔を上げると、萩原は立ち上がっていた。その華奢な体を、怒りで震わせながら。
萩原?
「本当に、あなたはヒイラギ君のことを殺そうとしていたんですかっ・・・!?」
振り絞るように出された、萩原の怒りの大声。
その声には、さすがのユキヒトも驚いていた。
ヤクザたちも目を剥いて、萩原を見ていた。
オレだってそうだ。
全員が驚く中、ナツメは静かな声で言った。
「ああ、君の言うとおりだ。俺は、彼を―ヒイラギを殺そうとした。何度もね」
聞きたくなかった。
頭が割れるように痛んだ。ズキズキする。
やはりそうなんだな、ナツメ。
結局、ユキヒトの言葉は正しかったんだ。
オレはナツメにとって、殺したいほど、消えて欲しい存在だったんだ。
親友も仲間も、関係ない。
オレは、ナツメに裏切られたんだ・・・・・・。
バタン!
その時、倉庫の扉が勢いよく開いた。
倉庫内にいた全員の顔に、緊張が走る。
「そこまでだよ、ユキヒト」
「アスカ・・・」
ユキヒトの整った顔が、歪んだ。
倉庫に入ってきたのは、アスカだった。
「誰であろうと、これ以上ヒイラギを傷つけることは、この俺が許さないよ」
いつだって変わらない、アスカの鋭い目。
コイツだけは、何があっても変わらない。そんな気がした。
アスカがオレを見た。途端に、アスカの表情は舌打ちと共に歪んだ。どうやら、オレは随分とひどい顔をしているらしい。
ゆっくりと、アスカはこちらに歩み寄ってきた。ユキヒトがさっと拳銃をアスカに向ける。アスカはぴたりと立ち止まり、肩をすくめながら、ユキヒトに言った。
「ユキヒト。その物騒な物を捨ててくれないか」
「断るよ、アスカ」
「なんで」
「僕にはやるべき事がある。それまでは、君達にやられるわけにはいかないんだ」
やるべき事、というのは真央さんのことなんだろうか・・・。それとも、オレを殺すこと?
オレは回転のしない頭でぼうっと考えた。
正直、何も考えたくない。
「その点なら心配ないよ。俺は、君達に危害を加えるつもりはないから。彼等と話したら、すぐにココから一緒に立ち去るよ。君達がヒイラギ達に手を出さない限り、ね」
「・・・分からない」
若干の沈黙の後、ユキヒトはポツリとつぶやいた。
「どうしてそんなに、君は彼等を大切にする? 雪花組の偽りだらけの友情ごっこに、どうして君はついていけるんだ? 雪花組に、君が求めているものがあるとは思えない」
ユキヒトの真剣な顔に、アスカは肩をすくめて言った。
「君は、前もそんなことを言っていたね。―教えてあげるよ。俺が、雪花組にいるのは、彼等に人を思う気持ちがあるからさ」
「人を思う、気持ち?」
戸惑うユキヒトに、アスカはうなずいた。
「ああ、そうさ。彼等を見ていると、人って温かいと思うよ。他人を信じてもいいかもしれない、そう思えるぬくもりが、彼等にはあるんだ。だから、俺は雪花組を離れない。それに、組長だの副長だのに、なるつもりもないんだ」
アスカの言葉に、ユキヒトはしばらくの間、黙っていた。
やがて、フッと微笑むと、彼は銃を床に放り投げた。
ヤクザたちがどよめいた。
「組長、どうしてっ」
「僕はもう、ヒイラギ君を殺すつもりはない。昔話も面倒だから、アスカに任せるよ。とっとと、あの3人を連れて、真実とやらを暴きに行ってくれ」
ヤクザたちのどよめきが、さらに大きくなった。
その中でも、リーダー格らしき男がユキヒトに問う。
「どういうことですか、組長! あのガキを殺すためにココへ来たんじゃないですか! それなのに」
「気が変わったんだよ」
そう言って、ユキヒトは仲間達にきれいな笑みを見せた。
「この事件には、僕みたいなヤツが便乗しちゃいけないって、気づいたんだ」
「・・・え?」
「それに、確かにヒイラギ君やナツメを傷つけたって、僕には何の得にもならないしね」
「組長・・・」
「アスカ、今の話、最高に良かったよ。できれば、もっと早く聞きたかったけど。僕も、コウガも、真央も、どうやら間違っていたようだ。君達の好きなようにすれば良いさ」
「ありがとう、ユキヒト」
ユキヒトに礼を言い、アスカはオレ達の方へ近づいた。
「ヒイラギ」
優しげな声と共に、オレの頭にアスカの手が置かれた。
オレが顔を上げると、アスカがオレの顔を覗きこんでいた。
「大丈夫かい?」
「アスカ・・・、オレっ」
その時、アスカが微笑んだ。
大丈夫。全部分かってるよ。
そう言ってくれているようだった。
それだけで、涙が出そうになる。
どうしてオレは、アスカの前だとこんなに素直になれるんだ?
どうして、こんなにガキになるんだろう。
アスカの笑みは、奈落の底に落ちたオレの心を、現実まで引き上げた。
「アスカさん、私・・・」
「由美ちゃん。よく、ナツメに対してあんなに怒ってくれたね。嬉しかった」
萩原の言葉をさえぎって、アスカはそう言った。
萩原の怒りを知っているって事は、随分前から扉の前にいたってわけか。
当の萩原は、両手の拳を握り締めながら言った。
「・・・だって、頭に来たから。ヒイラギ君は、この人のこと、友達・・・親友だと思ってるのに、ヒイラギ君を殺そうとするなんてっ。ヒイラギ君を裏切ったって事じゃないですか。・・・そんなの、ヒイラギ君がかわいそうだよっ・・・」
「萩原・・・」
オレはそっと彼女の肩に手を置いた。
嬉しかった。萩原が、そこまでオレのことを考えてくれるなんて、思ってもみなかったから。
人の優しさとぬくもり。萩原は、それをきちんと知っている人間だ。
「ありがとう、萩原」
オレは感謝の気持ちをこめて、そう言った。
「さて、目が覚めたかい、ナツメ」
声の調子をガラリと変え、アスカはナツメに向かって言った。
ナツメは弱く微笑んで言った。
「ああ。その女の子の言葉と、ユキヒトの改心で、目が覚めたよ」
「ならよし」
「よし、じゃないですよ」
トゲのある萩原の声。オレも同感。
すると、アスカが苦笑しながら言った。
「2人とも。たとえ、ナツメが昔、ヒイラギを殺そうとしたとしても、その気持ちが今も変わらないとは限らないよ」
「え?」
「だから、今のナツメは、ヒイラギを大切に思っているってこと。昔、忌み嫌って殺そうとした分、強い友情を築こうとしたってわけ。そうだよな、ナツメ」
オレはナツメを見た。ナツメも、しっかりとオレを見て言った。
「ああ、そうだ。確かに、俺は一年前、ヒイラギを殺そうとしてたさ。でも、今は違う。―ヒイラギ、君の事は、ジンと同じくらい大切に思っている。君は、俺の大切な、親友だよ」
大切な、親友。
本当に?
「・・・信じていいのか?」
すがる様に尋ねると、しっかりと、ナツメはうなずいてくれた。
「信じてほしい」
「・・・っ」
オレは嬉しくて嬉しくて、その場にしゃがみこんだ。
さすがに、ユキヒト達や萩原には、涙を見られたくないからな。
一年前、ナツメはオレを忌み嫌い、殺そうとしていた。彼にとって、オレは消えて欲しい存在だった。
理由はどうであれ、オレはナツメに裏切られていた。
その事実は、オレの心に深く刻み込まれている。
だが、今はそうじゃないんだ。
ナツメにとって、オレは嫌いな存在なんかじゃない。
もっと大切な、親友なんだ・・・。
ポンポン、と頭を叩かれた。
オレが顔を上げると、アスカの笑みがあった。
「良かったね、ヒイラギ」
「・・・ああ」
オレも、この倉庫に来てから初めてかもしれない、心からの笑みを浮かべた。
立ち上がって、服の袖で両まぶたをこすった。
「さ、行こうか」
アスカの言葉に、オレは戸惑った。
「行くって・・・どこに?」
「ジンのところさ。コウガに会いたいだろう?」
コウガ。その名前には、気が引き締まる。今は身内同士でもめている場合じゃないんだ。
一年前のこと、もっと詳しく聞きたいが、しょうがない。
全てが終わった後、今度はナツメの口から聞こう。
「行くよ」
アスカを先頭に、オレ達4人は入り口へと向かった。
「いってら〜♪」
ユキヒトがひらひらと手を振る。返すヤツは誰もいなかったが。
アスカの足が、倉庫から出ようとしたときだった。
「・・・このまま行かしてたまるかよ!!」
「あ、オイ待て!」
ヤクザたちの声がして、オレはすばやく振り返った。
二十歳くらいの若い青年が飛び出し、床に転がった拳銃を拾い、萩原に向かって、引き金を引こうとした。
「危ない!」
オレは、そばにいた萩原を、横へ突き飛ばした。
「「ヒイラギ!」」
ナツメとアスカの声がオレの耳に入った瞬間、オレの左肩を銃弾が貫いた。
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