第26章;ナツメの決断
開け放たれた窓から、風が吹き込んでくる。
少し、肌寒く感じる。
俺は立ち上がって、窓を閉めた。
そして、ベッドに横たわるミナミを見る。
その瞳が開く様子はない。
「ごめんね、ミナミ」
何度、この言葉を口にしたことか。
毎日、10回は言ってる気がする。
何回言っても、許されるものじゃない。
ミナミの事故は、俺のせいだ。
俺が、弱かったから。
現実を受け止めようとはせず、逃げたから。
だから、ミナミを巻き込んでしまったんだ。
ミナミは、きっと俺のことを、本気で好きでいてくれたんだろう。
だからこそ、俺の「恋人」でいてくれたんだ。
自分の気持ちよりも、俺のことを尊重してくれた。
だけど、俺はそんなに強くなかった。俺は、自分が一番大切だったんだ。
失ってから分かる、大切なもの。
俺は今、痛感している。
病院を出た俺を、冷たい風が容赦なく出迎える。
もう、夕暮れだ。
ふと、ヒイラギのことを思い出す。ジンに話しかける彼は、捨てられた子犬みたいな目をしてたな。
俺は、ヒイラギが憎くてたまらない。しかし、その憎しみと同じくらい、強い友情を持っているのも事実だ。
俺には家族の記憶がない、と、ヒイラギにカミングアウトしたのは、つい最近のことだ。
何で彼に言ってしまったのかは分からないが、何となく言いたくなった。
それだけ、俺が成長したって事か。
俺には確かに、両親の記憶がない。覚えていることと言えば、苗字くらいだ。
なぜか知らないが、自分の名前だけは覚えていた。
それ以外は、まったく覚えていない。兄弟がいたのか、両親はどんな人だったのか、そして、両親の前で、自分はいったいどんな人間だったのか。
知りたいけど、知るのが怖い。きっと俺は、良い人間ではなかっただろうから。
今だってそうだ。俺は、弱い。そして、馬鹿だ。
一年前、ヒイラギと初めて出会った時、俺は全身に電流が駆け巡った。
ジンが、ガキを拾ってきた。それだけでも、組の人間はヒイラギを嫌った。彼の態度の悪さ、素人とは思えないほど、ケンカ慣れしており、その辺のヤクザなんかより、ケンカは数倍強かった。アスカにも「面白い奴」と言わせる始末。その、彼を取り巻く全ての要素が、組の人間にヒイラギを憎ませ、嫌わせた。
俺も、かつてはその一人だった。
今だから分かる。
俺は怖かったんだ。ヒイラギが、俺の何かを壊しそうで。
彼と一緒にいると、記憶が戻りそうな気がした。当時の俺は、組長として、雪花組にいることが、一番の心の支えとなっていた。その地位を、生活を、生きる意味を、失いたくはなかった。
彼を組に引き入れたら、俺は後戻りができなくなる。この場所を失う。
記憶が、戻ってしまう。
何故か、俺はそう思った。そして、それを恐れた。
何かが変わるのが怖かったんだ。
記憶なんか戻らなく良かった。このまま、親友と一緒にヤクザとして生きれれば良い。そう思った。
ヒイラギを雪花組に入れないように、俺はジンを説得しようとした。だが、なかなか彼は、首を縦に振ってくれない。だから、俺はヒイラギを疑うようなことを言ってしまった。
そして、そのせいで、俺は一番の親友を失いかけてしまった。
なんで、あんなことを言ってしまったんだろう。
まったく、自己嫌悪の連続だ。
そんな思いで、俺は繁華街をだら〜っと歩いていた。
歩いていると、沢山の人々とすれ違う。
いつの間にか、俺の足は、ミナミの事故現場で止まっていた。
その道路を、普通に誰もが渡っていく。
急ぎ足の人々の流れに逆らい、俺は一人立ち止まっていた。
この場所に立って、改めて思う。
俺は、どうしようもない馬鹿だ。
アスカに助けられた日から、俺は何も成長していない。
成長した振りをしていただけだ。
本当は、ジンよりも、アスカよりも、そしてヒイラギよりも、俺はガキだ。
そんなことを考えて、自分に嘲笑する。
今更、気づいたって遅いのに。
すべてが、もう遅い。
一番の親友も、仲間も、恋人も、家族も。
俺は自分から突き放してしまったんだ。
俺はそばの電柱にもたれかかった。
ジン、アスカ、ミナミ、そしてヒイラギ。
全てが終わったとき、彼等は俺を許してくれるだろうか。
ミナミが意識を取り戻し、ひき逃げ事故の真相、そして俺が犯した罪の真実を、すべてを知ったとき、ジンは、アスカは、ヒイラギは、俺を許してくれるだろうか。
分かっている。あいつ等3人に、許して欲しいなんて身の程知らずだと。
自分のやった事を振り返れば、彼等に嫌われて当然だ。
もう、何があっても、俺達は仲良し3人組には戻れないんだ。
俺と、ジンと、ヒイラギで、好き勝手暴れていた、あの頃には。
それでも、誰かが俺を許してくれるのならば。
俺はもう逃げない。しっかりと現実と向き合おう。
俺はそう思っている。
さて、いつまでもここで、たそがれているわけにはいかない。
俺が、目の前の横断歩道を渡ろうとした、そのときだった。
ピリリリリッ。
俺の携帯が、着信を告げた。
慌てて取り出し、画面を見ると「アスカ」と表示されていた。
アスカがいったい何のようだ?
俺は首をかしげながら、通話ボタンを押した。
「はい」
「あ、ナツメ? 俺だけど」
「何か用?」
「結末を見せてあげようと思って」
「は?」
結末? 何の? 俺は眉をひそめた。
「君に汚名返上のチャンスをあげようと思ってさ」
「え」
「今から俺が言う場所に、即効行くんだ。そこで現実をしっかりと見つめるんだね」
「アスカ・・・」
アスカの声は、若干のトゲが含まれていた。その口調から、俺はアスカが予想以上に真実を知っていることに気づく。
アスカは、早口で、とある場所の名を言った。
ここから、歩いてすぐの所だ。
俺の記憶では、確かそこは・・・。
「じゃ、早く行くんだよ、ナツメ」
これ以上俺に軽蔑されたくないならね―そう言って、アスカは強引に電話を切った。
一体あいつは俺に何をさせたいんだ?
さっぱり、俺には分からなかった。
だが、不思議と、行かなければならないという気がした。
俺は目の前の歩道を渡らず、きびすを返して歩き始めた。頭の中で、先ほどアスカが言っていた場所までの地図を描く。大丈夫。歩いていける距離だ。
そこへ行って何が待っているのかは知らないが、俺は、しっかりと現実を見つめようと思う。
そして、もしそこに、彼等がいるならば、
俺は、全てを告白しよう。
もう、現実から目をそらしたりしない。
止まったままの時間。それを動かす術を、
俺はもう知っている。 |