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彩の国
作:ゆうじん



其の四


 闇色の空に満天の星が輝きだす頃。
 虫の音一つ無い沈黙が重く、深い。
 静寂を一人、鼻唄混じりに歩く男がいた。
 その風貌は一言にして妖艶。
 銀の髪は妖しく光り、目元を細めて人好きしそうな笑顔を浮かべている。
 纏った白い羽織には『天帝』直属であることを示す『籠目』があしらわれている。
 この男の名を、天帝直属八柱艮はっちゅううしとら幸挫こうざ』という。

 幸挫は相も変わらず笑顔を浮かべる。
 傲慢、欺瞞、卑俗、醜悪、如何なる万象よりも悪意に満ちた微笑み。
 漂う死臭を撒き散らしながら、『死神』は闇の中を歩くのだった。


 虫の音一つ無い沈黙の中を。



 世の中にこれほど理不尽なことも無いだろう。
 八橋は美味しそうに夕餉を頂く二人を見て思った。
「はい、あーんっ」
「あーん……うん、おいしい。花纏はいいお嫁さんになれるよ」
「えへー、ほんと?」 花纏は喜びからなのか感激からなのか、それともその両方か。体を打ち震わせている。
 一方、僕は寒さのあまり打ち震えている。
 この家で一番寒い土間に正座させられて約二時間。心も体も凍えてしまった。
 つまみ食いという大罪を犯したがために……

 結局、許しは頂けず、花纏の目を盗んで不亜さんがくれたオニギリだけでその晩は眠りについた。


 娘と少年が眠りについたのを確認して男は起き上がった。
 久々に感じる巨大な殺気に少しばかり懐かしさを覚えたが、体の萎縮に自らの老いを感じた。
「実戦を離れすぎたかな?」
男は苦笑しながら呟いた。
扉をくぐり、夜宵の世界に踏み入れる。
「それを知って、抗うのか?」
男と対する青年が皮肉っぽく笑った。
「そんなに殺気を向けられたら安眠妨害だよ」
男も笑ってみせる。
 それは青年のような闇を含まない純然な笑み。
「夜は短い。僕は明日のために寝なきゃいけないんだ。早めに済ませようか」
男は呟く。青年に一歩近付く。鈍った体に鞭を入れ、はぜるように飛びかかった。
「安心しろ。あんたに明日は無い」

  不亜が愛刀『緋女』を振り下ろした先に幸挫の姿は無かった。
 単純な跳躍による回避行動。しかし、その速度は認識できない。
 通常の人間なら。
 不亜は真上、天頂より傾いた満月を見つめる。
 幸挫がそこにいた。
幸挫は変わらず笑顔のままで、それは戦いの最中だと考慮せずとも不気味だ。
 幸挫の手にはいつの間にか数個の鉄球が握られていた。
「いけ」
 幸挫の言葉と同時に鉄球が放たれる。風を斬る轟音、刹那、不亜に襲いかかる。
 対する不亜はそれを避けることもせず、ただ黙視している。彼にとってはそれだけで十分だった。
 放れた鉄球は空中で停止する。
 それを見て幸挫は口を三日月型に歪める。
「流石。腕は落ちてないな。名前を呼ばずに『神獣』を使いやがった」
 驚いた口調だがその表情からはあまり驚いている様子は伺えない。
 幸挫のいう『神獣』とは、この世界に生きる者がただ一人の例外を除いて使用することができる能力を指す。
 『荒御霊』『和御霊』と分類され、個々に異なる能力を有するが、その能力の大きさに比例し扱いが難しくなるため、一般的には『名前』で能力を限定して使用するのだ。
 しかし、不亜はそれを必要としなかった。自身を完全に制御する技術と経験を持ってして可能となる。
 これが不亜の力だ。

 不亜は空中に停滞する鉄球に浮力を加える。
徐々に、徐々に、加速するそれは威力を増し、自由落下を始めた幸挫に差し迫る。
 重力に逆らう鉄球と重力に従う幸挫。二つが接触した瞬間、不亜は勝利を確信した。
「ぐはぁっ!」
肉を穿つ音が響く。
幸挫の腹部に衝突した鉄球は次の瞬間には浮力を失い、持主と共に落下した。
「…………」
終わった。不亜は安堵の息を洩らす。
正直な所、勝てる見込みはなかった。
既に戦線を離れて久しい不亜と現役の彼の間には埋められないブランクがある。
だからこそ、最初の一撃。カウンターに狙いを定めた。 不意打ちなら自分に分がある。
かつての部下である青年のことはよく知っていたから――

「いてぇ……」
不満を口にしながら幸挫は立ち上がった。
不亜が驚愕した瞬間に一撃を叩き込む。
「がぁっ!?」
防御ができなかった。
当たり前だ。
攻撃が見えない。

地に伏す不亜に幸挫が絶望を紡ぐ。
「不亜さん、あんたが知ってる俺はもういない。今の俺は、『八柱艮』だ」
「な……八柱?」
幸挫が笑う。今まで一番下卑た、醜く歪んだ快楽。
「これが俺の神獣『糾骨鬼』だ」
途端、大気が軋む。今ここに在るべきでないせれの訪れに悲鳴をあげているかのように。
風が止んだ。
腐臭を撒き散らし、不亜を喰い殺さんと睨み付ける死『神』。
――糾骨鬼――
 その姿を認識したと同時、不亜の意識は混沌の中に沈んだ。














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