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これはひどい短編集。

たとえばこんな元ヒロイン

作者:笹の葉粟餅
異世界転生と言えば、
『居眠り運転の自動車に轢かれるか、社畜生活の果てに過労死するか、神の不手際で死んでしまうか、全く予想外の事故で亡くなった主人公が、突然得たチート能力をあっさりと使いこなして俺Tueeeeeeして、生身の女とセックスどころかお付き合いもしたことないのがモロわかりな童貞の妄想詰め込んだハーレム作った後は、ひたすらダラダラ主人公マンセーのパワーインフレ少年マンガ展開』
や、
『現代日本の平均的な教育の質が高いのは分かるけれど、それを差し引いても異常に高い政治・経済・商業・農業の知識を持った転生悪役令嬢を冤罪で陥れ、数あるパーティの中でも主に卒業パーティで断罪と追放を狙って失敗して、頭の悪さが半端ない恋愛脳の転生ヒロイン(糖質)と、転生ヒロイン(糖質)に感化されて知能指数ストップ安のド低能に成り下がった、イタさフルスロットルのやっすい攻略対象者の逆ハー集団ざまぁブーメランクリティカルヒット』
がテンプレと言うかデフォルトと言うか、まあ、一種の様式美となっていますが。
わたくしこと春日かすが芽生めい、享年二十六才。
発酵食品と発酵菌ちゃんたちを心から愛する某農大院生の農業系女子は、このたび、食品加工会社勤務の友人(十年以上の長期発酵熟成型お超腐人)が、
「プロデューサー出てこい首の上に乗っかったの入ったスッカスカの西瓜爆散させてやんよー」
と座りきった眼で微笑しながら、それでも元は取る! と気力だけで全ルートを制覇した乙女ゲーム、『ロマンティック☆プリンセス〜剣と魔法の絶対恋愛物語〜』のヒロインに転生しました。
住んでいた街と両親、正直ちょっとそれはどうなの、とツッコミを入れざるを得ないトンデモどピンク髪をした自分の名前が、ゴールデンゲートブリッジのワイヤーどころか軌道エレベーターの支柱並みの神経を誇る友人をして、ことあるごとに、
「ヒロインが生理的に無理無理無理無理無理MURYYYYY!!!!」
とメールで叫ばせたヒロインと一致していたので気が付いたのですが、気が付いた瞬間、それは見事なorzのポーズをキメました。
あの瞬間の私は、土下座師を越えていたと思います。
世界のアイドル○ッドプールさん並みの不死身メンタルがあそこまで言うくらいだから、ヒロインって相当アレなんだろうな、とか思っていましたが、そんな「生理的に無理」とまで言われるヒロインに転生とか、一体どんな嫌がらせですか。
責任者出てこい耳の穴から手を突っ込んでシュールストレミングスムージー(キビヤック・ホンオフェ・カロライナリーパー入り)流し込んでやる、と思ったものの、なっちゃったものは仕方ありません。
自覚した時は地の底にめり込むほどに落ち込みましたが、ヒロインに中の人が入ったなら、それはもうヒロインではない別の存在です。
ゲームの通りに生きなくてもいいんだ! と悟りを得て、乙女ゲームは存在自体を投げ捨てるもの! して、色々と割り切ってから十余年。
今は、狭いながらも居心地抜群の山間の小さな我が家で、母方の祖父母――ちなみに祖父は大○秀二似、祖母は北○谷江似のジブリ系素敵おじいとおばあでした――と、どう見ても比率がダイアウルフ99:犬1と、遠近法が仕事しない父母長男次男三男長女嫁婿孫の牧羊犬大家族、肉も乳も美味しい牛、繊細で上質な羊毛が取れて肉も乳も美味しい羊、毛と肉はそれなりでも乳の美味しい山羊、肉も卵も大変美味しい鶏たちと一緒に、まったりのんびり生活しています。
何故こうなったのか。
それは、今を去ること十年前、私が八歳の時に、父が流行り病で亡くなったことから始まります。
父の葬儀から埋葬、遺産整理までを一人で切り盛りし、全て片付いて疲れた体を休めようとしたところに、喪? 何それ美味しいの? と言わんばかりにケバい化粧とケバいドレスの母が現れました。
春日芽生の友人情報によれば、母はもともと貴族の愛人で、避妊に失敗して腹が目立つようなことになってもいいようにと、お抱え商人の従業員である父と、偽装結婚したのだそうです。
父を選んだのも、面倒な親族がいなくて、偽装結婚にも託卵にも文句ひとつ言えないヘタレと見込んでのことだとか。
戸籍上は父との子でも、遺伝上は母が愛人をしている貴族との子である私の養育は、その遺伝上の父が、お抱え商人を経由して派遣してくれた乳母兼女中が一手に引き受けていました。
三、四歳くらいまでは、乳母兼女中を母だと思っていたほど、私と母との接触は薄いものでしたが、仮に接触があってもストレスにしかならなかったと思うので、今では逆によかったと思っています。
その乳母兼女中も、私が六歳になると元の仕事である貴族の女中に戻り、以後は私が家事一切を取り仕切ることになりました。
幸い、春日芽生から引き継いだ掃除、洗濯、料理といった基本的な家事スキルと、乳母兼女中から教えてもらった生活魔法があったのでどうにかなりましたけど、日本なら児童虐待で逮捕待ったなしの案件ですよね、これ。
都の法衣貴族の屋敷に愛人として上がれるようになったから一緒に来なさい、本当のお父さんと暮らせるのよ嬉しいでしょ、と嬉々としてはしゃぐ姿にドン引きした私は、疲れた体に鞭打って、その日のうちに辺境に向かう行商の馬車の荷台に忍び込み、十日をかけて母方の祖父母のもとに落ち延びました。
母にとって戸籍上の夫である父の死は、徹底的にどうでもいい他人事で、私の存在も、貴族の家に上がり込むのに必要な道具でしかなかったことも含めて、ここまで来ることになった諸事情を説明すると、祖父母は膝から崩れました。
地味でも堅実な相手と結婚したと聞き、ようやく行状を改めたのだと、頭の中身と下半身がヘリウムよりも軽い母に悩まされ通しだった祖父母は安堵したのでしょうが、本質の部分は全く改まっていなかった訳ですから、膝の一つや二つ崩れても無理はないと思います。
残酷な現実に打ちのめされた祖父母でしたが、私が母の性質をこれっぽっちも、それこそ塩基ひとつ分も受け継いでいないと知ると、快く家に置いてくれました。
それからずっと、この辺境の山間にある祖父母の家で、晴耕晴牧雨牧時々雨読のスローライフを心の底からエンジョイしています。
土いじりも家畜の世話も、楽しくて仕方ありません。
牧羊犬一家をモフるのも大変楽しいのですが、気を抜くと魂が抜けかけるので、迂闊にモフれないんですよね。
かくして私は祖父母のもとに居着くことになったのですが、以来、祖父のチーズ作りに失敗の二文字は現れなくなりました。
作るたびに味は深まり、今や王都の美食家に、同じ目方の黄金を積んでも惜しくない、とまで言わせる隠れた逸品となった祖父のチーズですが、祖父は周囲の評判などどこ吹く風で、小麦や野菜の種、衣服などを買うため店に売る以外は、家で食べるぶんを除き、数少ない友人に惜しげもなく分けています。
まあ、その友人に分けたぶんも、うちでは育てていない野菜やベーコン、ハム、ソーセージなんかになって返ってくるんですけどね。
今日の朝食のテーブルにのぼる、料理上手な祖母が絶妙な半熟加減で仕上げたベーコンエッグの、ちょっと厚めに切り分けたベーコンも、そうやっていただいたもののひとつです。
ベーコン自体の油でじっくりと焼き上げた、中はジューシー、外はこんがりの厚切りベーコンと、ベーコンの旨味にも負けない卵のマリアージュは、毎朝続いても飽きません。
そんな奇跡のマリアージュを生み出す卵も、裏庭で放し飼いにしている元気鶏の、産みたて新鮮健康卵です。
たまーに、卵やひよこ狙いで忍び込んできたイタチやテンを返り討ちにしています。
サラダに入っているプリーツレタスとニンジン、トマト、間引きしたラディッシュのスプラウト、インゲンの野菜類も、菜園から採ってきたばかりのものなので、鮮度が違います。
そこに祖母お手製のライ麦パン、ほんのり甘い搾りたての濃厚牛乳、新鮮抜群できたて新鮮バター、祖父が丹精込めて作った熟成チーズ、溢れんばかりの私の愛情を受けて育ったブリリアント乳酸菌ちゃんが醸すヨーグルト・四種のベリーのコンポート添えが加われば、王侯貴族だって真似のできない、贅沢極まる朝餐の完成です。
ゴ○ドアの谷の歌ではありませんが、自然と共に生き、自然の恵みを食す生活とか、最高の贅沢だと思うんですけどね。
え? 卵と牛乳の殺菌ですか?
……ふっふっふ、よくぞ聞いてくださいました。
実は私、転生した際、膨大な魔力と『食魔法』という、すんばらしいチート能力を獲得していたんです。
消毒用エタノールや次亜塩素酸ナトリウム、低温殺菌用設備が存在しなくても、乳酸菌ちゃん、麹菌ちゃん、酵母菌ちゃん、納豆菌ちゃん、酢酸菌ちゃんといった、いわゆる善玉菌と呼ばれる発酵のヒロインたち以外の、食中毒や腐敗の原因になるサルモネラ菌やノロウイルス、病原性大腸菌、バクテリアなどの悪玉菌限定で、ヒャッハーと消毒してくれる「滅菌」がありますから、卵かけご飯も安心して食べられます。
お米がないのがつくづく残念でなりません。
その他にも、食品害虫に衛生害虫、肉や魚の寄生虫を滅尽滅相ォ! の「殺虫」、熟成させることでより味わい深く美味しくなる食品を、短時間で最良の熟成状態に仕上げる「熟成」、食品であればどんなものでも最良の状態で、いつまでも保存できる「保存」、ヨーグルトや味噌、醤油、酒からパン生地まで、発酵のヒロイン最高の醸しを実現させる「発酵」、発酵と熟成に最適な条件を揃えた環境を結界内に作り出す「結界」、春日芽生が育てた発酵のヒロインたちと、各種の酵素という食品加工の強い味方をこちらの世界に召喚する「召喚」なんてものもあります。
さらに、傷みやすい果実や葉もの野菜もきれいに収穫できる「収穫」、食品の泥や汚れ、小さな虫をきれいさっぱり洗い流す「洗浄」、ナトリウムを含む物質を塩化ナトリウムに変える「製塩」、でんぷんから直接砂糖を作る「製糖」、時間も火力も自由自在の「オーブン」、とろ火から中華の大火力まで何でもありの「直火」、遠赤外線でこうかはばつぐんの「炭火」、どんな食材も完璧に蒸し上げる「スチーム」、冷蔵庫の野菜室程度から冷凍倉庫まで冷たさ色々の「冷却」、冷・温・熱、チップの材質まで変幻自在の「燻製」、イカの一夜干しからフリーズドライまで手広く作れる「乾燥」、紙より薄くカペリーニより細くもお手軽簡単の「スライサー」、混ぜる・潰す・泡立てる・すり下ろすと用途に合わせて使い分けられる「ブレンダー」、油も果汁も何でも搾れる「スクィーザー」等々、圧倒的ではないか我が軍は、と銀河ボイスで言いたくなるものばかりです。
でも、味や盛り付けのセンスは本人次第なので、ここが壊滅的だとどうしようもないんですけどね。
それはさておいて、朝の牧場仕事を終えた一家三人全員が揃ったところで、朝食の時間です。
今朝のチーズは山羊乳のチーズなので、牛乳のチーズほどはとろけませんが、火であぶればそれなりの柔らかさになります。
そんな山羊乳チーズを「炭火」であぶり、遠赤外線でとろんとペースト状になったのを、バターを塗ってベーコンエッグのベーコンをのせたパンの上から更にオンするのが、最近のお気に入りです。
ずっしり重く、ちょっともっちり目のライ麦パンのかすかな酸味が、ベーコンとチーズのこってり感と絡まると、これがもうたまらない美味しさです。
これに粗挽きの黒コショウがあったら最高だと思います。
ちょっとくどいかな、と思ったら、山の中に自生している、生では酸っぱすぎて食べられない柑橘類の果汁とベリーのビネガーを合わせ、砂糖少々とおろし玉ねぎ、みじん切りのフレシュハーブを加えて軽く寝かせたドレッシングで和えたサラダを一口食べれば、なんということでしょう、口の中がすっきりさっぱりするではありませんか。
これを繰り返すと、いくらでも食べられそうで怖いんですけどね。
柔らかい酸味が爽やかな、マイルドで癖のないヨーグルトと、ベリーそのものを味わうため、最小限の砂糖でさっと煮込んだコンポートのハーモニーを堪能し、〆のハーブティでお口すっきり気分はまったりしながら、家畜の様子や今日の予定について話しをするまでが、我が家の朝食の作法です。
ハーブティーのポットが空になったら、生活魔法で食器を洗浄・乾燥し、祖母と一緒に羊毛を梳いて糸に紡いだり、祖父と一緒に家畜の様子を見に行ったりするのですが、今日は三カ月に一度の、麓の町にチーズを売りに行く日なので、その準備に取りかかります。
馬はいませんが、祖父のチーズと祖母の毛糸もの、私のベリージャムとコンポート、お昼のお弁当くらいしか積荷のない荷車なら、牧羊犬一家の長男次男が余裕で牽いてくれます。
帰りには、大きな袋入りのライ麦粉や小麦粉(ただし全粒粉)、岩塩の塊、服用の布地といった、山では手に入らないものを積みこみますが、あの長男次男なら、半トンどころか1トンくらいでも余裕なんじゃないかと思います。
二カ月の子犬が成犬のシバより大きいんですよ? 長男次男なんか馬ですよ馬。
手仕事好きな祖母は、家で編み物でもしている方がいいわ、と、長男次男を除いた牧羊犬一家と留守番ですが、十歳の時から頑固で無口な祖父の代わりに会話担当をしている私は、町に下ります。
納屋から荷車を引き出し、熟成小屋から運び出したマンチェゴ風の羊乳チーズと、ヴァランセ風の山羊乳チーズ、ラクレット風とエメンタール風、カマンベール風、スティルトン風の牛乳チーズを箱に収め、祖母の編んだ毛糸の靴下や肩掛け、ひざ掛けの包みと、ベリーのジャムとコンポートの瓶詰、朝のうちに祖母が作っておいてくれたお弁当と、冷たい果実水の瓶を詰めた籐籠を荷車に配置します。ちなみに、ジャムとコンポート、果実水の瓶とお弁当の包みには、「滅菌」と「保存」を付与しているから安心安全ですし、果実水の瓶は、もうひとつ「冷却」も付与してあるので、山の湧水の心地よい冷たさがいつまでも続くスグレモノなので、何かと重宝しています。
荷物の積み込みが済んだら、次はお出かけ前の身支度です。
普段は全体的に茶色っぽくて、全体的に地味なジ○リマダム仕様ですが、よそ行きの時は、洗いこまれた柔らかな風合いの白いリネンで仕立てたブラウスと、深いプラム色に染め、祖母に教わりながら細かい刺繍を施したウールのロングスカートと胴衣ボディス、ブラウスより太い繊維を使った、アスパラガスグリーンのリネンのエプロンを合わせてディアンドルっぽくまとめて、○ィズニーの村娘風に仕上げます。
胴衣はボタン留めですが、よそいきでも実用を重視しているので、引っかかったりほどけたりしかねない紐は、選択肢にありません。
靴下は、草木染の淡い緑と白の極細毛糸で編んだ、ラトビアのミトンパターンの雪と花柄が可愛いおしゃれ靴下をチョイスします。
おしゃれ靴下ですけど、五本指は譲れませんでした。
靴だけは、普段使いの、牧羊犬一家の孫犬が狩ってきた、猪っぽい謎の動物の革を靴底に使った、モカシン風のぺったんこ靴ですが、冬を前に潰した山羊の革を町の職人に持ち込んで作ってもらったオーダーメイドで、甲の部分にちょっと可愛めの北欧モチーフ刺繍を入れてあります。
靴底の厚さは五ミリくらいなんですが、ビブラムソールの登山靴ばりに滑りにくく、上空十メートル以上から卵を落としても割れない衝撃吸収材並みのクッション性が優れているので、控えめに言っても最高の履き心地です。
そんな素晴らしい靴底を提供してくれた謎の動物ですが、肉も脂も臭くて食べられたものじゃありませんでしたが、肉と骨からは上等な膠、脂はラードの作り方と同じ方法で処理すると、革製品のお手入れに適したワックスができました。
ちなみに、祖父母の靴も同じ仕立てです。
かつては上空一万メートルからでも判別できそうだった、目に突き刺さる#ff007fのどピンク髪は、十歳を過ぎた頃からピンクみが薄れだし、十八歳の今では、銀河の妖精さながらの淡いピンクブロンドになりました。
どうにか許容できる色合いまで落ち着いた、腰までの長さの髪には、ローズピンクとサマーグリーンのリボンを編み込んで、緩いけれど崩れにくい、○ィズニープリンセス風ゆるふわアレンジ三つ編みに結いあげます。
こうしてめかしこんだところで、荷車と一緒に町へと続く山道をのんびりと下り、のどかで平穏な小さい町の、顔なじみの商店にチーズその他を卸し、足りなくなったものや足りなくなりそうなものを買い揃えてから、町の広場の隅っこでお弁当を食べ、またのんびりと山道を上って帰るだけなんですけどね。
準備ができたので、留守番の祖母と牧羊犬一家に見送られ、祖父と牧羊犬一家の長男次男の二人と二匹と一緒に、山道を延々と下りてたどり着いたのは、スイスやドイツの山麓のにありそうな、典型的な田舎町です。
町の名前は知りませんが、知らなくてもどうにかなっているので、特に問題はないでしょう。
町の入り口で、顔見知りの守衛のお爺さんに、籠に入れておいた朝の残りのバターを、挨拶がてら手渡して、広場に面したいつもの商店を目指しますが、普段は静かな町が、どういう訳だか今日は老若男女があちこちで輪になって、何やら話し込んでいるので、妙に空気がざわざわしています。
「どうしたんでしょうね、おじい。何かあったんでしょうか」
「町の話じゃ、わしらにゃ関係ねえ」
「それもそうですね。あ、鉄床かなとこ屋のおじさんだ。おじさーん! 鉄床屋のおじさーん! チーズ持ってきましたよー!」
チーズと祖母の毛糸製品、私のベリージャムとコンポートを卸している鉄床屋のご主人に呼びかける。
専門店には負けますが、「とりあえず」ならここで間に合う鉄床屋は、いわばコンビニ感覚の何でも屋です。
営業時間は十時四時ですけどね。
「おや、東の風山の嬢ちゃん。爺さんは相変わらず不愛想だけど、嬢ちゃんは今日も別嬪さんだねえ」
たっぷりとした腹回りのせいで、本来のサイズよりも小さく見える前掛けをした鉄床屋のご主人は、人のよさそうな赤ら顔に笑みを浮かべて歩み寄ると、商品のチェックを始めました。
人はいいですけど、商品を見る目は厳しいんですよね、このご主人。
「うん、どれもいい品だねえ。チーズは都から買い付けに来ている人がいるから、前の時より高値で買わせてもらうよ。毛糸はいつもと同じ値段だけど、瓶詰の人気が出たから、前よりちょっと高く買わせてもらおうかな。前の時の瓶はそこにあるから、持っていっておくれ。それで、全部で大銀三十だけど、これでいいかね?」
そう言って、ご主人が前掛けのポケットから出した三十枚の大銀を、祖父がきちんと枚数を確認したのを見届けてから、牧羊犬兄弟の首輪につけたポーチに十五枚ずつに分けて入れたら、お店で回収してもらっているジャムとコンフィチュールの空き瓶を数え、前回分が回収されているのを確認し、籠に収めます。
その横で、祖父が友人に分けるぶんを除いたチーズと、祖母の毛糸製品、私のジャムとコンフィチュールを、店の小僧さんが一所懸命店に運び込んでいきますが、祖父のチーズが入荷したのを見るが早いか、井戸端会議のマダム方が会議を一時中断し、ささっと店先に集まってきました。
そう言えば、三カ月前はご主人ひとりで店を切りまわしていましたけど、ここ三カ月の間に新しく雇ったんでしょうか。
「ところで小僧さん、何だか町がざわざわしていますけど、何かあったんですか?」
チーズ以外のものを店先に並べていた、十二、三歳くらいの、鄙には稀な、という表現がぴったりの上品な顔立ちの小僧さんに聞くと、
「今日こちらにいらしたお姉さんはご存じないですよね。板絵が届いたのは一昨日のことなんですけど、皆さん、都の大騒動の話で持ち切りなんです」
そう、はきはきとした丁寧な口調で答えてくれました。
ちなみにこの板絵というのは、A0サイズとA3サイズの薄く漆喰を塗った薄板を二枚一組にして、A0に絵、A3に文章を記し、大きな事件やの災害の情報を地方に知らせる、月刊のタブロイド新聞みたいなものです。
新聞とは、町や村で暇そうにしている役人さんが、広場でA0の板絵を見せながら、A3の板絵の内容を読み上げる点が違いますけど。
もっとも、都からこの町に何かが届くのは、最速で一カ月ですから、実際の事件が起きたのは、どんなに早くて一カ月前、遅ければ二カ月近く前になると予想されます。
さて、一体何が起きたんでしょう。
深刻さが感じられないので、大きな自然災害や他国との紛争といった、暗くて重たい話ではないとは思いますけど。
「大騒動?」
「ええ、そうです。ぼくも、詳しいことは知りませんが、何でも都にある貴族様の学校で、侯爵様か伯爵様のお嬢様が、何かよくないことをして、婚約者の王子様に国から追い出されそうになったんだそうです」
「……それは大変ですね。それで、それからどうなったんです?」
「それが、そのお嬢様がしたよくないことというのが、婚約者の王子様に取り入った別のお嬢様のでっちあげで、王子様と王子様の取り巻きが、揃って騙されていたそうなんです」
「それはまた、人を見る目がない王子様ですね」
「ぼくもそう思いますけど、王子様たちを騙したっていう嬢様が、ものすごく人を騙すのが上手だったのかもしれませんし」
「それもそうですね」
「それで、王子様と王子様の取り巻きと、みんなを騙していたお嬢様は家を追い出されて、うんと厳しい修道院に入れられることになったそうですが、国を追い出されかけた方のお嬢様は、騙された王子様のお兄さんのお妃様になって、ゆくゆくはこの国のお妃様になるかもしれないって言っていました」
「それはまた、大変なことがあったみたいですね。でも、都から離れた東の風山に住んでいる私には、雲の上のお話に聞こえます」
ため息交じりに私がそう言うと、くりっと大きく、甘やかなミルクチョコレート色の目をしばたかせた小僧さんは、上品さの中に愛嬌を添える、ちょっと大きめの口を綻ばせ、
「そうですよね。ぼくもそう思います」
そう、ふんわりとした笑顔を作りましたが。
……何ですか、この可愛さ。
男の娘とはまた違う、男の子だとわかっているし、男の子にしか見えないのに、男の子とは思えないこの可愛さは一体何なんですか。
ロリショタペドリョナの鬼畜性癖四重苦じゃなくても、うっかりよからぬ方向に転んでしまいそうで、お姉さんとても心配です。
こんなに可愛い小僧さんは、危ない人がわんさといる都なんかに行っちゃいけないと思います。
これはもう、町を挙げて保護するべきではないでしょうか。
「……あ、旦那さんが呼んでいるので、失礼します。それじゃあ、またいらしてくださいね」
荒くなりかけた私の鼻息に恐れをなした、とは思いたくないですが、小僧さんはぺこりと頭を下げ、目の色よりちょっと濃い、緩くカールしたふわっふわのスイートチョコレート色の髪をなびかせ、鉄床屋の中へ小走りで入っていきました。
それにしても、与り知らないところでヒロインなり代わりと悪役令嬢転生のテンプレが進行して、攻略対象者とヒロインざまあのオチが付いたみたいですが、ヒロインなり代わり転生者さんも、悪役令嬢転生者さんも、凄いバイタリティですね。
ネクロ毛布さんもびっくりですよ。
そこに痺れますが憧れません。
そんな風に感慨にひたっていると、
「買い物があるなら済ませちまえ」
小銀を八枚、祖父から渡されました。
小銀は、牧羊犬兄弟の首輪の物入れにしまった三十枚の大銀とは違う、大銀の下の通貨なので、小僧さんと話している間に、鉄床屋で祖母から頼まれた買い物をして崩したのでしょう。
私のジャムとコンポートを売った分としては、妥当なものだと思います。
数も量もそう多くないですしね。
この八枚で何を買いましょうか。
とりあえず、手芸店を兼ねた仕立て屋で、刺繍糸と予備のボタン、あと服地を見てこようと思いますが、全部買っても、八枚どころか一枚で済んでしまうんじゃないでしょうか。
残りは箪笥貯金に回すとしましょう。
このブラウスの生地を買ったお金も、箪笥貯金から出してますからね。
「ありがとう、おじい。仕立て屋さんを見てきますから、用が済んだらお昼にしましょう」
エプロンのポケットに小銀をしまい、仕立て屋に向かいます。
たとえ都でどんな騒ぎがあろうとも、ヒバリ囀りカタツムリ這うこの町と、私の愛する山の牧場はこともないのですから。
■元ヒロイン
正史である乙女ゲームでは、数多のプレーヤーに「吐き気を催すクソビッチ」と言わしめ、サラマンダーより早いビッチと並び称されたクソビッチだが、中の人がインしたことで、山間の牧場で酪農生活にどっぷりのT○KI○系農業女子に変貌を遂げた。
反射炉は作らないけど、カミツキガメなら捕獲して調理するかもしれない程度にはアクティブ。
脱サラならぬ脱ヒロインして髪色まで変わった。
食魔法で味○素練成ができないかなあ、とか思っているが、多分頑張ればできるだろうけど、その前にまずは米だと思う。

■新ヒロイン
娘が行方不明になったことに慌てふためいた元ヒロインの母がスラムから連れてきて、年と背格好、髪と目の色が元ヒロインと同じだったので娘に仕立て上げた。
ヒロインが元ヒロインとなったことで、改造ツールで呼び出せる没シナリオ「ふたりのヒロイン」ルートに入ったため、主役ヒロイン交代が起きたと思われる。
正規の没ヒロインは、「何でこっちを没にしたし」と言われるほど、まっとうで健気なちゃんとした女の子だったが、恋愛脳の糖質が中の人としてインしたことで致命的なバグが発生した。
転生悪役令嬢ものにおける転生ヒロインの王道テンプレをフルスロットルで突っ走り、一瞬の輝きを残して消えた流れ星。
多分修道院に入って一年くらいしたら、病死ってことで消されてる。

■悪役令嬢
中の人入り転生悪役令嬢。
同じく王道テンプレを突き進み、最終的には国母になると思われる。
勝ち組と言えなくもないけれど、内政チートも場合によっては周辺諸国との政治的バランスを危うくする諸刃の剣なので、その自覚の有無が明暗を分ける。
君は、生き延びることができるか。

■おじい&おばあ
T○KI○系の上位互換、いわゆるAKI○系老夫婦。
とにかく渋いベスト夫婦オブザイヤーなので、会話がなくても通じ合う。
そこはかとなく漂うジ○リテイストが、「絶対おいしい」感を醸し出す根っからの農業人。
道の駅で生産者の写真入りで農作物を売ったら、売り上げナンバーワンは確実。

■牧羊犬一家
犬犬詐欺。お前らのような犬がいるか。
モフリストをヘブン状態にする魔性も毛皮を纏った美犬揃いなので、作者的には元ヒロインが妬ましくてたまらない。
多分ムツゴ○ウさんクラスじゃなきゃ勝てない。

■ショタ小僧さん
天使。
正史には登場しないけど、没シナリオの進め方によっては登場しないこともある美ショタ。
攻略対象者の異母弟で、女装して登場するとか分類はイロモノ枠だけど、美ショタは性別美ショタだから大丈夫だ問題ない。
登場した段階で、異母兄の家に小間使いとして潜り込み、異母兄一家の晩餐に致死量オーバーの猛毒ぶっこんで一家全員37564確定なので、開発からは名探偵しにがみと呼ばれていた。
でも天使。

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