【来 終】 千友
……秋晴れの空の下、ボクは穏やかな風を受けて、目的地へと向かっていた。
途中で立ち寄った花屋で買った花束を両手で抱えながら、黙々と足を進める。
車道が一車線の在る歩道を歩いていると、―――不意にクラクションが響いた。
驚いて視線を巡らせると、白いセダンに乗った夢成さんが片手を振っていた。思わず微笑が漏れて、花束を抱えて駆け寄る。
「―――乗ってくか?」
サングラスを掛けた夢成さんが、親指で後部座席を指差して尋ねた。ボクはそれに返答せず、構わず助手席に乗り込む。
「じゃ、れっつごー!」
「……随分とふてぶてしくなりやがったな、おい」
「えへへぇ♪ でも、夢成さんも随分と男前になったね?」
「コラ。年上をからかうモンじゃねえぞ」
ぴんっ、と額を小突かれて、ボクは更に微笑を零す。
夢成さんは車を発進させ、しばらく車内は無言に包まれていた。
「……アレから七年、か」ポツリと夢成さんが零した。
「……うん。もう、七年になるんだよ……」
ボクもシンミリと返して、それきり車内は沈黙が支配した。
―――あの事件から、今日で七年もの月日が経過していた。色んな事が在り過ぎた、あのたった数日の出来事を、今でも鮮明に思い出せる……
……あの時は、本当に死んでもおかしくない事ばかりが起こった。ボク自身、今も生きているのが不思議な位だ。
「……そんな顔すんなよ、千友ちゃん。……今頃、音澄さんも棺藤さんも、きっと許してくれてるさ」
励ますように、夢成さんが口を開いた。
それが何を意味しているのかは、言わなくても分かっていた。
……ボクはあの日、殺人を犯した。
憎くて憎くて仕方なかった人を、この手で……殺害した。
もちろんそれは犯罪で、許されない事だ。……なのに、ボクが逮捕される事は、無かった。
でも、完全に何の罪も被らなかった訳じゃない。一応、傷害の罪で裁判所にも出廷したが……結局、有罪にはならず、服役する事もまた、無かった。これと言った罰を受ける事も無く、ボクは再び世間に戻ってくる事ができた。
そこにどんな思惑が在ったのか、ボク自身は、知る由も無い事なんだけど……檻瀬さんが手を回したのは自明の理だし、何より事務所の皆が頑張ってくれたのは言うまでも無い。
感謝してもしきれない気持ちで一杯だったけど、それよりも辛い事が在り過ぎて、立ち直る事は絶望的に思えた。
友人が、三人も死んだ。
ボクが警察署に出頭した頃、息を吹き返した狂木十式に、トモが殺害されたと聴かされた時、ボクは意味が分からず何度も聴き返した。そして、更にそれに続く悍ましい内容に、ボクは本気で気を失いかけた。
死体こそ見つからなかったものの、キルトと流天くんの死亡も追って説明を受けた。何でも、致死量に達する血液が流れ出ていて、とてもじゃないが生きている可能性は無いと言う。だが、死体がそこに無いのは不思議だった。警察の見解では、誰かが死体を持ち去った可能性が在るらしいが、誰がそんな事をするんだろう? ボクには皆目見当が付かない。
あと、もちろん狂木十式も死亡が確認された。恐らく、トモを殺害した後に力尽きたようで、ボクが与えた銃創以外の外傷は確認できなかったそうだ。……それでもボクが有罪にならなかったのは、どこかで巧みに何かが仕組まれていたからだと思う。
そしてトモの死亡が確認された際、その死因が近くに落ちていた特殊警棒で殴られた事に因るモノだと判明し、その時点でようやく七年前の撲殺魔が狂木十式だと分かった、という事だ。
ともあれ、事件はそこで終息を迎えた。異常なまでに死傷者を出した羽月高等学校襲撃事件から始まり、飛島組本家内乱、断花屋敷爆破事件、そして……撲殺魔の最期。たった三日の間に起こった様々な事件は、ようやく幕を下ろしたのだった。
……ともあれボクは復讐を果たし、晴れて自由の身になったのだが、とてもじゃないが素直に喜べる状態じゃなかった。何より、棺藤さんの死がボクの胸を痛ませた。やっとこれから再び仲好くなれるはずだった、そんな時に唐突に別れを告げられたんだ。遣る瀬無いどころか、どうしようもない消失感で、しばらく何も口にできなかった位だ。
それに、復讐自体、パパがどう思ってるのか、ボクには分からない。……きっと、怒ってると思う。パパの事だ、死んでしまった自分なんかのために人を殺すなんて愚かし過ぎる、って怒鳴ってると思う。……でも、優しいパパの事だ、最後にはボクを抱き締めて、よく頑張った、って認めてくれると思う……
今頃、天国で棺藤さんを叱りつけてるだろうな、って想像するとフッと笑みが零れてしまう。僕の娘になんて事をさせるんだ! 済まないねぇ、オトさん。でも、私はよくやったって褒めてやりたいですよ。……なーんて。
「……何一人で笑ってんの?」
あまりに自分の想像が面白くてクスクス笑っていると、夢成さんが怪訝そうに顔を覗き込んできた。目の前に夢成さんの顔が在って驚き、すぐにその顔に手を当てて押し退ける。
「夢成さん、前っ! 前を見て!」
「わーったよ、分かったから顔を叩くな。鼻が潰れるっ」
ポカポカ叩いて運転に押し戻すと、そっとため息を零す。……もぅ、ちょっとは意識してよ、ボクの事も。
広大な広場の一角に、そのスペースは設けられていた。
七年前のあの大事件の際に作られた慰霊碑と、数多くの墓石は、今も綺麗に立ち並んでいて、毎日誰かが来てるんだろう、いつも整理整頓されている。
ボクは慰霊碑の前に花束の一部を捧げて、黙祷した。
隣で夢成さんは余った花束を肩に載せ、感慨深そうに慰霊碑を見上げていた。
……あの事件で亡くなった方は百人を下らないとされている。厳密な数が分からないのは、断花屋敷に放置されていた死体のほとんどが白骨化しており、その数がとてもじゃないが数えきれないんだそうだ。今でも白骨化した死体が見つかってるそうで、当分あの辺には近寄りたくない。
眼を開けて、夢成さんを振り返ると、夢成さんは嘆息混じりに肩を竦めて、ボクのために道を開けてくれた。
「―――そだ。ねぇねぇ夢成さん。魅織さんって今、何してるの?」
目的地へ向かって歩きながら、後ろに振り返って、夢成さんの顔を下から覗き込んだ。
夢成さんは「ん?」と一瞬何を言われたか分からない顔をして、すぐに苦笑を刷いた。
「何も変わってねーよ。今も事務してるぜ? ―――アニソン聴きながら」
「あはは……じゃあ刻条さんは?」
「そう簡単に変わると思うか? 今は保険会社調査中。……背はいつになったら伸びんのかねー、と魅織と言い合う位に全く変わらん」
「それは酷いよー。刻条さんは、小さい方がボクはいいと思うなっ。……それとも、夢成さんは背の高い女の人が好みなの?」
夢成さんよりも背の低いボクじゃ、やっぱり意識されないのかなぁ、と思って尋ねると、何故か夢成さんはしかめっ面。
「……そりゃ、魅織か刻条か選べって言ってんのか?」
「え? や、そういう訳じゃ……」
「―――もし二人以外でもってんなら、俺は迷わず千友ちゃんを選ぶぞ」
そう言ってはにかみ笑いを浮かべる夢成さん。
……え、それって……?
期待に胸を膨らませつつ、ボクはもう一人聴いていない人がいるのを思い出して、慌てて問いを再開した。
「ヒーさんは? ヒーさん、まだ辞めてないよね……?」
「何だそのまるでヒー坊が辞めたいのに辞めさせられないような状況下に置かれているような物言いは」
「ボクそんな風に言った……?」疑問を感じずにはいられない。
「元気だよ。……正直、あの時に辞表を叩きつけられるんじゃないかと、皆して思ってたんだが……あいつ、中々タフネスでな」
何でも、あの後ヒーさん、更に仕事にのめり込んだみたいで、とてもじゃないけど辞める気ねェな、と夢成さんも苦笑するしかなかったそうだ。元気そうで何よりだ、と思う反面、本当に大丈夫なのかな、と心配にも思う。
夢成さんも頷きながら応じた。
「確かにな。あいつも若ェし、今ならまだ引き返す事だってできるんだろうけど……」
「けど?」
「―――一度この事務所の良さを知っちまったら、もう二度と戻れねェか・も・な」
にや、としたり顔で笑みを浮かべる夢成さんに、ボクは思わず噴き出していた。
「あははっ、違いないよっ。……ボクも、もう戻れないな〜」
「ははは……ん? 先客、か?」
夢成さんの不思議そうな声を聴きながら、ボクもその子を視界に納めていた。
幼稚園児位の女の子が、お墓の前で手を合わせて座っていた。柔らかそうな髪は垂らしていて、背中の中程まで伸びている。服装も地味めの、大人しそうな色合いで、あまり目立つような雰囲気じゃなかった。
その小さな子の隣までやってくると、女の子はボク達に気づいたようで、ぴょこんっと立ち上がって、可愛らしくお辞儀をした。
「こんにちはっ」
「こんにちは。……えっと、貴女もお参りに来てくれたの?」
女の子はボクの顔を覗き込んで、「うんっ」と太陽のようにはにかんだ。
可愛らしい―――本当に美少女、と呼べるような整った顔立ちで、愛らしさに、どこかやんちゃっぽさが混在していて、雰囲気はボーイッシュな感じもしている。背中越しに見ると大人しそうな趣が在ったが、いざ話してみると寧ろ元気っぽさの方が先立つ、そんな女の子だった。
どこか懐かしさを感じさせる―――誰かを連想するような、そんな独特の空気を持っていた。
だが……一体誰の娘さんだろう? と思わず考え込んでしまう。
「おねえちゃんたちも、この人のおまいりにきたのっ?」
女の子が無邪気に尋ねてくる。『この人』とは、恐らくお墓の下に眠っている人の事だろう。
ボクはニコッと微笑みながら、「そうだよ」と返した。
女の子はそんなボクに愛らしく笑みながら、再びお辞儀をした。
「ありがとう、おねえちゃん! わたしのお母さんとお父さんもきっと喜ぶと思うっ」
「そう? えっと……この人とお母さん達って、どんな関係なの?」
女の子は「うんとね、」と悩む素振りを見せてから、ニパッとはにかんで、
「お母さんもお父さんも、『しんゆう』って言ってた!」
「親友……?」
「あっ! ごめんなさい、おねえちゃん! わたし、もういかなきゃ!」
もう一度深くお辞儀をして、「ばいばい、おねえちゃんっ」と言って手を振り、走り去ってしまった。
ボクはそれを半ば茫然と見送って、ようやく我に返る。
「行っちゃった……」
「知り合いの娘さんか?」
夢成さんが隣から顔を出してくる。ボクは小首を傾げた。
「ううん、ボクの知らない娘だったよ。……でも、誰かに似てるような……」
「確かに、あの危なっかしい感じは、俺も覚えが在るような……」
二人してうんうん考えていると、唐突に何か思い浮かんで、……その考えを打ち消した。
「まさか、ね……」
でも、と思う。
お墓は、識沢智―――トモのものだ。
七年前、トモの葬儀を行う時、ボクは驚いた。彼女には、親戚が一切存在しないし、親族と呼べる人は弟しかいなかったのだ。だから、葬儀は弟さんだけで行った。
つまり、今の娘さんは確実にトモの親類じゃない。
では一体……そこで不意に浮かんだ事も、すぐに打ち消した。幾らなんでも、それはあり得ないと思った。……確かに、雰囲気は似てるものが在ったけど……
トモに呼び出されて行ったあの時には確実に死んでいたんだ、考える必要が無い位に、それは、もう…………
花束を添えて、再び黙祷を捧げる。
パパのお墓の前で、ボクは静かに眼を瞑る。
……パパのお墓には、棺藤さんの遺骨も一緒に納骨されていた。棺藤さんもトモと同様に、親戚や家族が誰もいなくて、遺骨の引き取り手がいなかったので、ボクが貰い手になりたいと立候補し、……パパと同じ所に眠ってもらう事にしたのだ。
これで、パパもきっと寂しくないと思う。あれだけ仲が好かったんだもん、きっと天国でも楽しくやってくれてると思う。棺藤さんも、どうにかパパに許してもらえればいいな、とか考えてしまう。きっとあの二人の事だ、すぐに仲直りして次の日にはまた二人一緒に笑い合ってるよね。
……パパ、棺藤さん。ボクは一生懸命生きるから、ずっと見守っててね? もう二度と、パパや棺藤さんみたいな被害者を出さないように、ボクにできる事を精一杯頑張るから、パパも棺藤さんも心配しないで安らかに……
眼を開けると、夢成さんが感傷に耽った眼差しで、墓石を見つめていた。
儚げで、寂しげで……見ていて、こっちが胸を締めつけられそうな顔をしている夢成さんを見て、思わずボクは声を掛けた。
「パパも棺藤さんも、きっと夢成さんには感謝してると思うよ」
ボクの声に反応して、意識をこっちに向けてきた夢成さんは、どこか澄んだ表情をして、小さく息を吐いた。
それが何故だか落ち込んだ感じに見えて、ボクは更に言葉を重ねてしまう。
「そ、それにきっと怒ってないよ、二人とも。夢成さんは頼りになるし、それに―――」
「―――や、違うんだ。俺は今日、音澄さんと棺藤さんに許してもらおうと思ってさ」
歯切れ悪く、夢成さんは鼻の頭をポリポリと掻いて、そんな事を呟いた。
許してもらう? やっぱり……助けられなかった事を、かな?
ボクは励ますように拳を固め、声に力を込めて言葉を返した。
「大丈夫だよ! 二人とも、絶対に許してくれるに決まってるよ!」
夢成さんは苦笑を浮かべた。それは寂しげじゃなくて―――ボクにはどこか嬉しそうに映った。
何か意を決したように息を吸い込んで、夢成さんはボクをまじまじと見つめてきた。
「え? な、なに、夢成さん……?」
夢成さんは急にボクに身を寄せると、―――肩を抱き締めて、お墓に向き直った。
「音澄さん、棺藤さん。無礼を承知でお願いします。千友ちゃんを―――俺に下さい!」
言って―――夢成さんは、ボクの顔を覗き込んだ。真摯な眼差しに、思わずキョトンとしてしまう。それから少しずつ、彼が何を言ったか理解していって……
「……音澄さんと棺藤さん、許してくれそうか?」
「えっ? えっえっえっ……えぇっ!?」
「それとも……やっぱり許してくれないかな……」
ちょっと残念そうに、でも悪戯っぽく笑む夢成さんは卑怯だ。
ボクは顔が赤らむのを自覚しながらも、何とか夢成さんから視線を外さずに、真っ直ぐに告げた。
「―――大丈夫だよっ。……二人とも、絶対に許してくれるに、決まってるよっ」
それはとある秋晴れの空の下。
幕を下ろした物語は、こうして再び幕を開けようとしていた―――
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