【結殺 弐】 キルト
流天が逃げ去った後にやって来た彼女は、私の話を聴いて驚いていたけど、すぐに柔らかな、聖母のような微笑を浮かべて、
『そっかぁ♪ キルトも、好きな人ができちゃったんだねぇ♪ おめでとう、キルト♪』
でも、その笑みはどこか儚げで。
どこか―――嘲弄が混ざっていたみたいだった。
私は訊いた。―――どうして流天は逃げたんだろう。やっぱり、私の事が嫌いなのか?
トモは笑っていた。心底おかしそうに、ケラケラと可愛げの在る笑声を漏らして。
『そりゃ、いきなりそんな事すれば流天くんだって驚いちゃうよ。……まぁ? 他の子なら喜んでキルトにむしゃぶりついちゃうかもだけど? ……流天くんなら、我儘を言ってやる位が丁度いいよ♪ 他は、何もしなくていいかにゃ〜☆ ただ、その気持ちを伝えるだけで、流天くんはとっても嬉しがると思うよ♪ あ、それに偶には甘やかしてやるのもいいかも♪ 流天くん、多分そういうのに全然免疫無いから♪』
的確なアドバイスをくれるのが、トモの良い所だ。私は、トモのそういう所がとても好きだった。
――でも、彼女もそうなんだ。彼女も――生き残るためには、殺さなければならない。
『……それとさっ、ありがとねキルト♪ あたしなんかを生かしておいてくれて。―――約束、ちゃんと守ってくれて』
トモは柔らかく笑んで、私を見つめた。
約束。一番初めに、このゲームが始まって間も無く交わした契り。それは……
『あたしを最後まで生かす代わりに、最後にキルトの手で殺してほしい、って言ったの、ちゃんと守ってくれて、あたしはすっごく嬉しいよっ、キルト♪』
友達だから―――とか、秘密を共有した仲だからとか、今なら何だって後付けで理由を言える。所詮、理由なんてそんなモノに過ぎない。
それでも私は、トモの言う事を聴きたいと感じて、その約束を契った。トモは、最後まで狙わない。でも、ゲームの最後になったら、トモは―――私の手で、殺す。
トモは、……このゲームでは恐らく最弱の位置に立ってる人物だ。何せ彼女の〈縛魂〉は―――人を、一切殺せない。
勝てる訳が無かった。殺し合いのゲームで、殺し合う事が叶わぬ者は、どうやったって生き残る事ができるはずが無い。仮に最後まで生き残ったとしても、もう一方の人間に殺されて終わりだ。どの道、最後まで一人も殺さずにゲームが終了するなど、不可能だ。どれだけ逃げ回って生き延びても、最後の最後で確実に一人だけは、その手で殺害せねばならない。
……まぁ、相手が自殺するなら、話は別だろうけど。
トモはニコニコと立ち去ろうとして、何か思い出したように再び私に視線を向けてきた。
『―――あ、そうだキルト。最後の一人、見つけたら連絡するね? あたしじゃ殺せないから……キルトなら、殺せるよねっ? そいつはね―――』
そう言って、トモはいなくなった。
……皆、私が生き残るために、死んでいく。それは避けられない現実。止めようの無い現象。
「……流天」
その頭を、柔らかく撫でる。震えた流天は、必死に声を殺していた。……泣いても、いいのに。私は、全然構わないのに。
私は、おまえに死んでもらいたくない。おまえは……おまえだけだ、私の事をそこまで気に掛けてくれた奴は。何度と無く、私を助けに来てくれたのは。……どれも、私のためじゃないと分かっていても、そう錯覚するじゃないか。例え、おまえが私の命じゃなくて、自分の命のために尽くしてくれたのだとしても、私にとってそれがおまえの全てだったんだ。
おまえは、私に縛られるべきじゃない。私はおまえを縛りつけたいけど、……これ以上すれば、結局未来は変わらない。おまえは死に、私だけが生き残る。
―――そんな現実は、糞喰らえだった。
私は、……流天、おまえを生かす。今まで私を救ってきたおまえにだからこそ、できる事だ。最後になったけど、私の恩返しだと思って……一度で良いから、おまえに報いたい。
「……大丈夫だ、流天。だから……泣くな」
「っ。……泣いて、ねェ……っ」
「私は、ここにいるから……」
ぽんぽん、と背中を摩ってやる。流天はまだ何か言いたそうだったけど、無視してあやし続ける。
しばらくそんな時間が過ぎ、……流天が体を離していった。
―――お別れなんだと、瞬時に悟った。
「……済まねェ、格好悪ぃトコ見せちまった……」
「……別に。……可愛かったぞ?」
「ッ」
真っ赤になって何か叫びかけた流天だったが、すぐに俯いてゴニョゴニョと何か呟き始める。……まるで子供だな、とか思った。
「……じゃあ、流天。私からも……お願いをして、いいか?」
意地悪な顔をして、そう尋ねかけると、流天は疑り深そうにそろりと顔を持ち上げる。
「……何だよ? あんまムチャ言うと―――」
「―――今日だけは、……何も言わずに、隣にいてくれ」
吐露した本心は、どこか温かかった。自分の気持ちが柔らかく流れ出していく感覚に、私はちょっとした安らぎさえも覚えていた。
流天は一瞬キョトンとした顔をしたが、徐々(じょじょ)に顔を赤く染めていき―――ようやくぎこちなく頷いた。
「ま、まぁ、それ位なら……」
「……ありがとう」
久し振りに、穏やかな微笑を浮かべられた気がした。……久し振り? ……もしかしたら、初めてかも知れない。こんなに気分が晴れやかなのは、本当に……感じた事が、無かったかも知れない。
流天は動揺したように挙動不審だったが、それすらも可愛く映る。……やっぱり、と気づく。私は、彼の事がそんなに好きなんだな、と。
……取り立てて何かをする訳じゃなくて、ただ何と無く一緒にいる時間は、あっと言う間に過ぎ去っていった。
夜を迎え、深夜を過ぎ、やがては黎明へと近づいた頃、私はスカートのポケットが震えている事に気づいて、眼を覚ました。
携帯電話を取り出すと、液晶画面には『トモ』の二文字。……とうとう、その時がやってきたのだと、悟った。
隣で本当に安心しきった顔で眠る流天の額にキスをすると、部屋を出る。玄関から出て、歩きながら電話に出る。
『―――彼が待ってるよ〜』
トモの、いつもの惚けた声に、私は「うん」と短く返す。
場所を教えてもらい、別段急ぐでもなく、そこへ向かった。これで……このゲームは終わる。……違うな。
私が、終わるんだ。
夜が明けて間も無い頃。
朝霧が辺りに薄っすらと立ち込める、広い敷地を有した広場の真ん中に。
彼は―――いた。
「……待たせたな。……狂木、十式」
「……」
白衣を身に纏った、私よりも年上に見える青年。両の手を白衣のポケットに突っ込んだまま直立不動の姿勢で、私を禍々(まがまが)しい双眸で睨み据える。その表情は虚ろと言うか……考えが読めない、無表情に近い貌だった。
狂木は私の存在を認めたのか、ゆっくりと右手をポケットから抜き去る。手には、ワンタッチナイフが握り込まれている。
「逢魔殺人……《殺》を継ぎし者、か。且つ、内には〈極運〉を備えし〈極運持〉。……人鬼の最高傑作と謳われるおまえと殺し合えるという事は、俺も〈極運〉の恩恵が得られたか?」
「―――奴を、知ってるのか?」
思わず尋ねていた。まさか、奴の名前が出てくるとは思っていなかった。
驚きを隠せない私を尻目に、狂木は一切の感情を表に出さず、淡々と応じる。
「……俺は《狂》を継ぎし者。且つ、〈縛魂〉から解放された〈逸脱者〉。……おまえと同じで、奴に世話になった者の一人だ」
「……私と同じ、か」
言って、自嘲的な笑みが浮かんでくる。
ならば―――殺してもいい相手じゃないか。
特殊警棒を抜き放ち、一息で伸ばしきる。腕を垂らすように構え、狂木を見定める。
一方、狂木もワンタッチナイフを抜いてはいたが、同じく構えは無いに等しい。ただ、私を見据えて動かない。
朝霧に霞む視界で、狂木が一歩―――踏み出す。
「……〈謀略将〉―――識沢智を、何故、生かしている?」
不意打ち気味に発せられた声に、私は眉根を寄せる。
トモを生かす理由? ……そんなものは、無い。
「何故、じゃない。約束したから、殺してないだけ。……最後には、私の手で殺す」
「……奴の怖さを知らないようだな。奴は―――識沢智は、このゲームの優勝者候補の一人だぞ」
「……馬鹿な事言うな。トモは、人を殺せない〈縛魂〉を―――」
「知ってる。奴は人を殺せない。……だが、それは然して重要な事柄じゃない事に気づけ。……確かに、このゲームは殺し合いが主目的だ。だが、本質を忘れるな。このゲームは、最後の一人になるまで生き残れば優勝なんだ。別に、無理に殺し合う必要は無い」
……意味が分からない。最後の一人になるためには、相手を殺す以外に手は無いじゃないか。なのに……無理に殺し合う必要が無いとはどういう事だ?
「―――それこそが奴が〈謀略将〉の名を冠する所以だ。……まぁ、おまえには分からんか。……最後に奴を残すのは気が進まないが、致し方ない。先におまえを―――殺す」
言って、小走りで駆けて来る狂木。
始まったんだと、悟った。
終わりへの道が、今、築かれる―――!
―――ぃんッ、と鋼が搗ち合う音が弾け、ナイフと特殊警棒が衝撃に震える。
一度重なり合った得物同士、衝撃を殺せずに跳ね上げさせると、すぐさま攻撃へ転じるために再度振り下ろされる。私は右上から叩き下ろし、狂木は斜め下から振り上げる。
―――凄まじい衝撃が腕を貫く。思わず一歩退き、狂木を見据えながら距離を取る。
……力は、それ程でもない。……はずだった。狂木の身体を見ても、どう考えても筋肉は大して無いように見える。いや、恐らく鍛えていまい。その細い腕や華奢な体つきを見ても明らかだ。
なのに、この衝撃。……あの断花の斬撃に匹敵する程の威力は、一体どこから生じているのか。
距離を離して観察していると、狂木が急ぐ風でもなく、自然な足取りで歩み寄って来る。ワンタッチナイフは垂らした手に提げられた状態になっていた。
「……流石に〈限越侍〉を潰しただけの事はあるようだな。……だが、いい加減気づかないと―――即死だぞ」
ゆっくりと近づいて来ていたが、すぐに距離は縮まり、狂木の射程圏に接する―――私は透かさず特殊警棒を振り上げ、その頭蓋を―――
―――擦過音。
風の抜ける音が、意識の遥か遠くで、微かに流れた。
朝霧が、更に霞む。白熱する思考は、やがてそれへと意識を傾ける。
眼前に狂木が立っていた。何の感情も浮かぶ事が無い、冷たい爬虫類のような顔には、今も何の表情も浮かんではいなかった。ただただ冷淡に、私を睨み据えていた。
その更に下―――視界を下げていくと、ようやくそれに行き当たる。
―――心臓に、ナイフが突き立っていた。
「―――――ぁ」
服が、徐々に赤黒く染まっていく。ナイフを伝って狂木の腕にまで鮮血が伸びていく。
急激な視野狭窄を感じ、次に吐き気を催す程の息苦しさを覚え、足腰から力が霧散していった。
力無く狂木に凭れかかり、荒い息遣いで、私は彼を思い出そうと必死に思考を巡らした。
必死に、必死に。……浮かんでくるのは、地獄のような強運の日々だけ。
もしかしたら―――始まるかも知れなかった幸せな世界が訪れる事は、……無くなった。
「……ごめん……っ、るて、ん…………」
ずるり、と狂木の体を滑り、……その場に倒れ込む。
……結局、私にできる恩返しは……無かった。在ったかも知れないけど、私はもうそれをする事が……永遠に、失せる。
ただ、頭の中は穏やかだった。死を受け入れていたのかと言えばそうじゃないと思う。未練は在ったし、死ぬのはどこかで怖いとずっと感じていた。
でも、それ以上に―――これで終われる、やっと解放される、という気持ちの方が何倍も強かった。
「……心配するな、〈極運持〉。奴は―――〈進行役〉は、道連れにはならない。……今のおまえに理解できるとは思えないが、最後に快く逝け。……俺は〈逸脱者〉だ、おまえ達の呪いは一切作用しない。俺に〈縛魂〉は一切通じないからな」
……知ってる。知ってるから……私は、おまえに一対一を望んだんだ。
こうでもしなきゃ、あいつは私に縛られっ放しだ。……私はそれでも良かったけれど、あいつの事を考えれば、そして、私の意志もそれを拒んだ。
本当に何の柵も無い状態で私は……あいつに、私を好きになってほしかったから。
……もしできる事なら……もう一度、あいつと……逢い、……た、かっ……た…………
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