【侍邸 玖】 夢成
―――中は想像以上に酷い状況だった。
粗方片づけられた後なんだろうが、それでも分かってしまう。ここで恐らく戦争が遭った事が。
「……夢成、」
「分かってる。……こりゃ、魅織が正解だったみたいだな」
刻条が深刻そうな(言ってもいつもと変わらぬ無表情だが)声音で呟いたのにそう応じ、俺は屋敷に向かって歩を進めた。……嫌な臭いだ。この鉄錆の臭いだけは、いつまで経っても慣れるモンじゃない。
裏側の方へ回って行った魅織・ヒー坊と反対に、俺と刻条は庭の方へ回り込んでいた。すぐに屋敷の中には入らず、まずは周囲の状況を把握してから、という意見を尊重する事に決定したのだ。朝陽の射す庭の草葉の陰には、数える気にもなれない死体の山が築かれていた。
「断花の屋敷をブッ飛ばす位の武装してった方が良くない?」と言い出したのは勿論魅織だ。ヒー坊の話によれば、あいつDVDセットが破壊されたとかでメチャクチャ気が立ってるらしいじゃないか。触らぬ神に祟り無しを実行する事を瞬間決断した。
魅織の意見によって、俺とヒー坊は拳銃を携行し、魅織に至っては戦争しに行くみたいな武装で固めていたが……どうやらその論理に狂いは無かったらしい。この惨状から言って、本当に戦争を起こす位の戦力で武装して来た方が良かったと今更後悔している。
庭を警戒中にそれは起こった。
―――何かが倒れる音。砂利を滑るような音が続き、最後には重たい物が壁のような硬い物に衝突する音が響いてきた。
俺と刻条が身構えた瞬間、―――まるで白昼夢のようにそれは起こった。
数十メートル離れた場所に、それはいた。綺麗に整った着物を着こなした大和撫子が、悠然と歩いていたのだ。その瞬間は、断花屋敷の住人だと認識したのだが―――それも次の瞬間危うくなる。
石灯籠が倒れていた。その近くには一人の少年。生まれ立ての小鹿のような覚束無い足取りで立ち上がろうとしている。そこへ大和撫子が歩み寄り、無造作にその頭を鷲掴み、
―――俺は少年の姿を見失った。
何が起こったのか、すぐには理解できなかった。マジメに奇術かと疑ったが、それもすぐに分かる事になる。
少年が消えた刹那、そこから更に数十メートル離れた場所に設置してあった石灯籠が打ち倒された。そこに、消えた少年が倒れていた。……いや、厳密には倒れながら転がっていた。
その時にやっと悟る事ができた。少年は女性の手で消えたんじゃない、高速で女性に投げられたんだ、と。
「―――ガ、ァ……ッ」
少年が呻きながら起き上がろうと必死にもがいている姿を捉え、俺はようやく我に返る事ができた。
彼が恐らく柊坂だろう。例えそうじゃなくても、このまま見殺しになんてできるはずが無かった。俺は拳銃を片手で構え、大和撫子に怒声を張り上げた。
「おい! そこの君、そこから動くな!」
女性がこちらに向き直り、―――背筋が粟立つのを感じずにいられなかった。
ただただ穏やかな微笑を湛える女性には、一切の感情が無い。本当に、何も考えずに今の事をやってのけたのだと悟る。柊坂は何の感情も関係なく、ただ投げ飛ばされたのだ、と。
女性はゆっくりと歩み寄―――刹那、俺は咄嗟に顔を右斜め下に動かした。ち―――ッ、と擦過音が耳元で弾け、頬が切れる感触が走る。眼前で大和撫子が無造作に拳を突き出している光景が飛び込んでくる。
どんな速度だ―――思いながらも、数歩後退し、拳銃で女性の足元に狙いを付け―――躊躇わずに発砲。乾いた音が鳴り、女性の足首に赤い色が弾ける。
「……」
衝撃を感じて足が一瞬だけ震えた―――反応はそれだけで、女性は全く意に介さず俺へ視線を向け続ける。
……痛みを感じないのか?
麻酔でも掛かってるとしか考えられない。俺は歩み寄ろうとする女性に向かって二発目を放った。次は左の太腿。最悪、これで出血多量で動けなくなっても仕方ないとさえ考えていた、―――が。
銃弾を受け尚、女性はその足を何の苦痛も無く動かし―――俺へと歩み寄る。その一歩が桁違いの早さで、俺が眼を見開いているにも拘らず、刹那的に距離が殺されていた。眼前に女性が出現し―――
―――その間に小さな細い足が割り込んだ。
がッ―――と大和撫子の顔面に蹴りを喰い込ませたのは刻条だった。跳び蹴りの威力は凄まじかったらしく、後退こそしなかったが足だけが平面移動し、大和撫子が僅かに俺から距離を離した。そこに刻条が割り込む。
「……夢成、は……彼、を」
刻条が言わんとする事を悟り、俺は頷きもせずに少年―――柊坂へと駆ける。あの大和撫子を刻条一人に任せておくのはあまりに気が引けたが、刻条なら何とかしてくれるとも、心のどこかでは思っていた。
石灯籠の傍で蹲っている少年に駆け寄ると、少年は俺を見上げて怪訝な眼差しを向けた。
「何であんたが……?」
「―――俺を知ってるのか?」
俺は初対面のはずだ。なのに、彼は俺の事を知ってるような眼差しを向けた。
……どこかで逢っただろうか。……記憶に無い。
「まぁいい、それよりだ。君が―――柊坂流天くん、だな?」
「……だったらどうだってんだ? まさか、あんたも参加者か?」
「―――君を助けに来た」
少年―――柊坂がさっきよりも眉間に皺を寄せる。
「俺を……? 意味が分からねェぞ、何で俺を助ける?」
「所長……棺藤さんの遺言だ。君を守れ、―――と」
「棺藤……」柊坂がどこか思案気な表情で俯き、「……罪滅ぼし、ってか……」
下らねェ、とポツリと零し、柊坂は俺を再び見上げた。その顔には、もう苦痛に歪む色はあまり浮かんでいなかった。
「―――去れ。ここはあんたみてェなフツーの人間が立ち入っていい場所じゃねェ」
「見りゃ分かる、ンな事は。……でもな、俺だって譲れないモンくらい在る。棺藤さんの遺言なんだ、死んでも守る」
本心からの言葉だった。棺藤探偵事務所の所員として、これだけは絶対に守りきるつもりだった。これを守れなかったら俺は―――もう、棺藤さんに合わせる顔が無い。
柊坂は苛立ちを隠そうともせずに顔を顰め、まだ若干痛むのか、ゆっくりと立ち上がる。後頭部からの出血は止まっているようだった。
「……あんた、そう簡単に死ぬとかほざくなよ、おい」
低く唸るような声音で、柊坂が呟く。怒気を孕んだそれは、俺に殺意を放っていた。
「テメェが生きなきゃな、死んだ奴が残したモンが、まるで意味無くなっちまうだろうがよ!」
怒鳴られても、動じる事は無かった。……ただ、何故そこまでこの少年は生き死にに拘っているんだろう、という気持ちが生じた。この位の男の子が考える事じゃない。まさにそんな思考の産物だった。
「……何でもいい、君を守れればそれでいいんだ。君がどんな悪人だろうと、殺人者だろうと、例え君が拒もうと、それは一切関知しない。俺は、君を守る。―――それだけだ」
返す宣言も重くのしかかるように告げてやると、柊坂は舌打ちして頭をガリガリと掻き毟った。とても居心地が悪いように見える。
「……クソ、わーったよ、勝手にしろクソッタレがッ。……なら、あいつをブッ殺すぞ。あいつを殺さない限り、俺が助かる見込みは無い」
「―――了解だ」
俺が拳銃を構えるよりも早く、柊坂は拳銃を発砲していた。おい、おまえがどうしてそんな物を―――?
ガンガン、と銃声が何発も轟き、銃弾のほとんどは外れたが、数発が大和撫子の体に吸い込まれていく。胸、胴、そして――頭。側頭部にクリティカルヒットした時点で、俺は自分の拳銃は意味を成さなかったな―――と悟った。
そしてそれは、―――大きな間違いだと、即座に気づく。
側頭部に銃弾を受けた彼女だが、反応は頭が揺れた程度で、構わず刻条の拳を受けつつ、動いていた。刻条の胴を薙ぐ蹴りが炸裂し、刻条の体が遥か上空を舞う。
「―――刻条!」
俺は咄嗟に拳銃を構え直し、大和撫子に向かって五発立て続けに銃弾を放った。全て頭部に炸裂する。内一発は眼球を抉ったはずだ。
隣で柊坂が驚いたような眼差しを俺に向けてきた。俺は一瞬だけ眼を逸らして、
「射撃には自信が在るんだよ。五十メートル離れてても、空き缶を当てる自信が在る」
「……そりゃすげェな。日本じゃなくて外国に渡りゃいいのに」
「俺は母国が気に入ってんだ!」
言いながら、俺は刻条に駆け寄っていた。あんな馬鹿力の蹴りを喰らって無事なはずが無い。すぐに手当てしなければ―――
そう思った、その時だ。視線を外しかけた大和撫子が視界に納まる。―――どうして平然と動いているんだ?
頭部に合計六発もの弾丸を受けた彼女は、しかし一切の負傷が無いかのように、こちらへ歩み寄って来る……!
隣の柊坂も息を呑んでいるようだった。緊張で顔が強張っているのが分かる。
「こりゃ……本気で化物だな、おい……!」
柊坂の呟きを聴きながらも、俺は即座に銃口を彼女に向け直していた。照準はすぐに合わせられる。発砲―――全弾撃ち尽くすつもりで放った弾丸は、必然のように全弾頭部へと吸い込まれていく。普通の人間ならば、この時点で頭部がグチャグチャの肉塊状態だろう。眼も当てられないに違いない、の、だが。
彼女は、平然と受け止めていた。
恐ろしいまでに澄んだ眼差しをこちらに向け、ゆっくりと――という表現で、実際は刹那的に――距離を殺してくる。
そこに、柊坂が割り込んできた。
「逃げろ―――ゅッ!」叫んだ声が、途中で水音に変わった。
柊坂の姿が消える。刹那に映った映像を頼りにするなら、柊坂は顔面を殴られた。次の瞬間には、十メートル近く離れた石灯籠が破壊される音が聴こえて、俺は更に戦慄する。
あまりに常軌を逸した女に、俺は腰が抜けそうになっていた。
彼女と、本当に勝負になるのか? 彼女は、本当に人間が殺せる存在なのか? 彼女は、本当に人間に分類できる存在なのか!?
あんなの、存在として間違ってる。
殺せる、殺せないって問題じゃない。常識的に、彼女には敵わないんだ。
勝負にすらならない。こんなの、一方的搾取じゃないか。俺は、完全に狩られる側に立たされた脆弱な兎に過ぎないぞ……!
化物が、俺に向く。刹那、俺はそこに明確な『死』を意識した。
殺される。何もできずに、俺はここで死ぬ。終わってしまう。
頭が壊れそうに暴れ出す。狂ったように警告を出す心臓も、最早意味を成さないものに変わる。意識が白熱して遠くなっていく。
純然たる恐怖は、人を完全に破壊し尽くしていく。俺は、息をする事すら忘れて、ただただ美しい女を眺めていた。
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