第九話「風になる」
「はぁ・・・はぁ・・・・」
荒い呼吸音。
時折その間に軽い呻き声が混じる。
身体が熱い。
私達は、最も大通りに近い窓際の席、そのテーブルの下に潜り込んだ。
赤く染まったお互いの身体が、その狭い空間でひしめき合う。
体中を、汗なのか、それとも海の血液なのか、分からないものが滝のように流れ落ちる。
木枠の窓から午後の強い光が零れ落ちる。
私達は、テーブルの下でお互いに顔を見つめあった。
聖の顔は、どす黒い赤。
所々拭われ、元の白っぽい肌が浮き出ている。
唇は激しく震え、目には大粒の涙が今にも溢れそうだ。
「い・・・」
聖がくぐもった声でそう発音した。
「一緒に・・」
私は頷きながら、彼女が言わんとしたであろう言葉を繋げた。
私達はもう一度頷き合うと、テーブルの両脇から恐る恐る、体を乗り出した。
もう一度だけ互いに目を合わせると、私達はのっそりと、顔だけを窓の外へ向けた。
無音。
何の音もない外の空間。
私達の目には、さっきまで目の前にいた一組の男女と、あの不気味なピエロ「クロム・ネフュー」が、激しく動き回る光景が映し出された。
戦い。
それは明らかな戦い。
何をしてるのかは分からない。
八神のような男と、桜のような女が、それぞれ片手に大きな鎌と、大きな盾を携えて、ピエロの周りを飛んだり跳ねたり。
時折消えたり、そしてまた現れたりを繰り返す。
ピエロは二人の動きに合わせて、ついさっき海を貫いたばかりのあの触手にも似た牙を
時に早く、時にゆっくりと動かしている。
その様は、まるで飛び回るハエを振り払う、牛の尻尾のようだ。
無音で、私達からはまるで何をしているのかは分からない。
しかし、これだけはすぐに理解できた。
弄ばれている。
まるで相手になっていない。
二人は、激しく動き回ってはいるが、クロム・ネフューの数メートル周りからそれ以上近付く事はなかった。
五月蝿いハエを、軽く振り払っているだけ。
そんな光景だった。
「あっ!!」
私が状況を整理しようとし始めた瞬間だった。
聖が声を上げた。
捕まった!!
二人の体が、空中で触手に絡めとられる。
その瞬間前、私の目にはクロムの姿が一瞬消えたように見えた。
瞬間で、二人の死角に入り込み、カメレオンがハエを掴まえるかの如き素早さで絡めとったのだ。
私がそう考えた瞬間だった。
「う!!!!」
私達は同時に息を漏らした。
八神、桜。
二人の鎧を纏った身体が、私達のいる窓の方に猛スピードで接近してきたのだ。
速かった。
ガシャーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!
テーブルの上に頭を伏せた。
割れたガラスが雨のように降り注ぐ。
頭上を、何かの塊がすごい勢いで通り過ぎていくのを感じた。
何かが壊れる音。割れる音。崩れ落ちる音。
様々な音が混ざり合い、私の耳を刺激する。
しばらくして、音が収まり始める。
最後に缶のような軽い金属音が店内に響き、そしてその一連の破壊音は店内から去っていった。
それを聞き届け、私は恐る恐る頭を上げた。
凄まじい砂煙が店内を覆いつくしていた。
先ほどまで、綺麗に整理されていた店内は見る影もなく、ひっくり返されたように荒れ果てていた。
そこには、鎧を着た男女が折り重なった格好で、元はオシャレなインテリアだった廃材に埋もれ倒れこんでいた。
「あはははははは!!!!!!!!!!!!!!」
!!!!
私達は条件反射のように、その声に反応した。
二人の頭が当たりそうな距離で、私達はもう一度外側へと振り向いた。
「ははっはははっははっはは〜!!!!!!」
「だめだね。全然。そんなんで僕に勝てるとおもってるのかい!!???」
クロム・ネフューだ。
奴が、笑っている。
笑いながら喋っている。
「空間を使った勝負を僕に?嫌だなぁ。」
私達は硬直した。
「そう思わないか?」
「要ちゃん、聖ちゃん」
奴は、私達を見ていた。
何が起こったのか分からない。
いや、認識は出来る。
でも、頭がついていかない。
理解できない。
何が起こっているのか、私は把握する事が出来ない。
が、それでもクロム・ネフューは私達に話しかける。
「ふふふ。。。。全く、最初から隠れていれば、こんな痛い思いしなくてすんだのにねぇ。ホント、馬鹿だよねぇ〜。
僕の力はもう前から知ってるのに。何でかかってくるかなぁ?」
クロム・ネフューは、楽しそうに、そして実に雄弁に語る。
「本当に馬鹿だよ。三人とも。
その点、聖ちゃんは賢いね。すぐに隠れたもんね。要ちゃんも、ちょっと遅かったけど、偉かったね」
私は息を呑んだ。
何を言っている?何が言いたい?
先だ。
その先だ。
その先が重要なんだ。
奴は、私達を殺すとはっきり言った。
その奴が、なぜ私達を褒める?
何が言いたい?
私は、クロム・ネフューの言葉に全神経を集中させた。
「偉い、偉い」
クロム・ネフューは笑っている。
「でもね」
来た!!
私は軽く硬直した。
鼓動が高鳴る。
「嫌いだよ。そーゆーの」
鋭く、凍りついたナイフみたいに、奴の言葉は私の脳幹を貫いた。
絶望。
死。
私は直感していた。
奴が言葉に出す前に。
でも、覚悟は出来なかった。
なぜ?
なぜ私は今、死に直面しているの?
そんなの、不条理でしょ?
目が覚めて、いきなり人が消えてて、不安で、寂しくて、でも聖と再会して。
これからどうしようか考え始めたのに、そしたらこれだ。
なぜ、初めて出会ったあいつは、私達を殺そうとしているの?
何で?
私には分からないよ。
おかしいよ、こんなの。
絶対におかしいよ。
へたり込んでいた私は、お尻から腿にかけて生暖かくなるのを感じた。
「やっぱり・・・・」
クロム・ネフューが囁く。
「殺す」
瞬間だった。
私のそばを、風が通り過ぎた。
いや、何かが通り過ぎた。
これからは、私の目の前で起こった事だけを伝えたいと思う。
私には、それしか出来ないから。
風は、私のすぐとなりで起こると、次の瞬間には店の窓を飛び越えると、クロム・ネフューの方へ向かって、一直線に疾走っていく。
旋風が巻き起こる。
風が一歩一歩、地面を踏みしめる度に、その足跡には小さな旋風が巻き起こる。
クロム・ネフューが、風に向かって一本の牙を伸ばす。
それでも、風は空気の壁を突き破り、前へ前へと突き進む。
一秒後。
風と牙が大通りの路肩で出会う。
風は、胸元を支点に、クルリと真横に足を跳ね上げた。
軽く、鮮やかに回転すると、次の瞬間には、触手の上を、一秒前となんら変わりない速度で疾走る風の姿があった。
クロム・ネフューが何かを言った。
聞き取れない。
風は、グングンとクロム・ネフューとの間合いを詰めていく。
牙が、私の目前まで届いた後、先端を翻せて、元来た方向へと再び伸びて行く。
しかし、遅かった。
風と牙では瞬発力が違った。
クロム・ネフューが風を牙の上から叩き落そうと、他の牙を伸ばそうとした瞬間だった。
ごっ!!!!
鈍い音がこだまする。
スピードを全く緩めず、全体重をかけ、全力で振り抜いた。
聖の足が、クロム・ネフューの顔面を、真正面から蹴り上げた。
続く
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