第六話「未知なるもの」
そう。
明らかに浮いていた。
目の錯覚なんかじゃない。
それは浮いていたのだ。
そいつは、ピエロだった。
三歳児程度の背丈で、しかしそれとは比べ物にならないほど身体が肥大していた。
膨れ上がった顔には目も口もなく、大きく、真っ赤な団子みたいな鼻が真ん中に乗っているだけだった。
そして、本来右目がある場所には黄色い星。
腹は大きく突き出し。黒いベルトが深々と食い込んでいる。
手足も短く、それとは不釣合いな、先の丸い大きな靴。
全身を包み込むピンクと水色のストライプのボディスーツ。
何より不気味だったのは、
ベルトの上に大きく開いた裂け目。
そこには無数の大きな棘がならんでいた。
それは、牙。
あれは、口だ。
私は戦慄していた。
何故かは分からない。
だけど、
そいつを見て、明らかに恐怖を覚えている自分を自覚出来たのだ。
「うざいんだよ。お前ら」
声が聞こえた。
あどけない子供の様な声。
その声が、いったいどこから聞こえたのか、私には分からなかった。
「ちょこまかとさぁ。殺しちゃうぞ」
もう一度同じ声が聞こえる。
そして私は気がついた。
あれだ。
あいつが喋ったんだ。
あの、浮いているピエロみたいなやつが。
先ほどとはうって変わった声。
私はその声にさらに恐怖した。
何て声で話すのだ。
さっきまで聞こえていた裂けるような声のほうがまだマシだった。
今の声は、この声は。
そう。
一言で言えば、「訳の分からない恐怖感」。
あれは一体なんなのだ?
何故あんな声で、殺すなどと言える?
純真無垢な子供の声。
その中にはひとかけらの悪意も感じられない。
子供が、せっかく積み上げた積み木をなぎ倒すのと同じように。
遊び飽きたおもちゃを投げ捨てるように。
それはそんな声だ。
それは、日常に、何事もないかのように死が転がっているものと捉える者の口調にすら聞こえる。
少なくとも私にはそう聞こえた。
そして、私にはそれを受け入れる準備は何もなかった。
「クロム・ネフュー。貴様・・・」
海のような男がそう漏らした。
クロム・ネフュー。
それが、あの存在の名なのだ。
私はそう理解した。
「あれ?いたんだ。ははは、忘れてたよ。ごめんごめん」
クロム・ネフューと呼ばれたそれは、海らしき人物に向かって嘲るように吐き捨てた。
完全に興味のない表現。
嫌味や皮肉でもなんでもない。
その子供じみた声は、言葉の意味通りのニュアンスを私に伝えた。
「ふざけるな!」
桜らしき女が怒鳴りながら立ち上がる。
今にも倒れそうに、その足は震えが支配していた。
「大丈夫か?ジュノー」
八神らしき方が、その女の体を支えつつゆっくりと立ち上がる。
「だまれハデス!私は戦士だ。情けは無用だ」
ジュノーと呼ばれた桜っぽい女が、ハデスという名の八神の手を振りほどいた。
やはり私達の知っている仲間達とは別人。
出で立ちのみならず、言動や行動がすでに違っていた。
「クロム・ネフュー!まだ我らは死んではおらぬぞ!」
ジュノーが叫んだ。
だが、その声にはもう力がない。
「さて、要ちゃんに聖ちゃんだったかな。ようこそ僕の世界(夢幻空間)へ」
私の体は小さく跳ね上がった。
一瞬、集中を鎧の奴らに逸らせていた。
その隙間に突然入り込まれたのだ。
「そんなに驚くことないよ。可哀想に。震えているじゃないか」
子供の声は単調にそう告げる。
それは子供の声。
思いやりなどない、空っぽの声。
ただ言った。
そんな風に聞こえる。
「ひどいなぁ。僕はこんな声だけど、これでも中身は君らの何十倍も生きているんだよ。ま、空っぽなのは本当だったけど」
私はさらに戦慄した。
何だ?何を言ったんだ?
今の言葉は、まるで私の感想に答えたみたいな形じゃないか。
「そうだね。君が感じた事は、僕にとっては少し不本意な事だったからね」
私はとっさに自分の口を押さえた。
聖が怪訝そうな目で私を見つめている。
私は、聖に目で訴えた。
私、今喋っていた?
聖にその意思は伝わっていない。
聖は更に怪訝そうな、そして不安そのものといった視線を私に送っていた。
「喋ってないよ」
私は思い切り振り向いた。
クロム・ネフュー。
私の心を読んだ。
「君だけのじゃない。聖ちゃんのも分かる」
そう言いながら、クロム・ネフューの体はこちらへと動き始めた。
「聖ちゃん。とても不安だね。混乱している。何を言ってるか分からないもの」
声と共に、突き出た腹に開く裂け目が大きく動いた。
笑っている。
「でも、これだけは分かるね。八神君、助けて。聖を助けて。かい?」
隣で聖の体が小刻みに震え始める。
「あれ?禁句だったかな?」
腹の裂け目はさらに大きな笑いの動きをする。
「貴様!いい加減にしろ!!」
突然、海っぽい男が声を張り上げた。
「聞く耳を持つな!あれが奴の作戦だ!!惑わされるぞ!!」
ジュノーも続いて声を上げた。
顔が私達の方を向いている。
私、いや、聖に言っているのだ。
「おい」
クロム・ネフューの前進が動きが止まった。
「誰がお前らに発言を許可した?」
その声からは何の感情も感じ取れない。
無機質な、子供の声だ。
「だまれ!貴様、この二人をどうする気だ!?」
「まずいぞ」
ハデスが、海みたいな男を止めた時にはもう遅かった。
「質問に質問で返していいと学校で教わったのか?質問しているのはこの僕だ!!」
クロム・ネフューの腹の裂け目が蠢いたと思った瞬間、
無数の牙が膨れ上がり、一直線にこちらへ伸びてきたのだ。
それも凄まじいスピードで。
ものすごい轟音と突風。
白い残像が私達の目の前を通りすぎる。
さくっ!
小さな音が私の耳に届く。
気がついた時には、海らしき男の身体は真っ白く光り輝く牙の群れによって、天高くつるし上げられていた。
私の頬に雫が垂れた。
それを拭った私の手は、真っ赤に染まっていた。
海のような男の身体は、無数の牙に貫かれ、空中にただ漂っているだけだった。
続く!!!
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