第四話「目覚め」
青。
青だった。
灰色、黒。
額縁の中に納まる青。
それが「空」だと気がつくのには、しばらくの時間が必要だった。
雲ひとつない晴天。
高く、抜けるような、澄みきった空。
青を切り取る額縁は、そびえるビル街の群れ。
私は、硬いアスファルトに寝転びながら、それを眺めていた。
身体が痛い。
しばらくして、私にそんな感覚達が目覚めてきたのを感じた。
ここはどこだ?
頭はまだ動かない。
脳裏に甦るのは、私を励ましてくれた八神の優しさ。
それだけだった。
眠い。
私は、もう一度だけ目を瞑りたかった。
視線の先にある額縁の中、高い、高い場所に一羽の鳶が迷い込んできた。
空。
「空・・・・だ」
私は呟いていた。
声は出る。
そう意識できた。
そう意識した途端、私の頭は急速に回転を始めた。
空・ビル・鳶。
ここは・・・・・・
外
だ。
「えっ!?」
私は上半身だけ跳ね起きた。
まだまだ鈍い五感を最大限に活用し、私は状況の把握だけを最優先に辺りの様子を探った。
目の前には長く走る、二車線の大通り。
私はそのうち、右側の車線に座っていた。
すぐ先の交差点では、青信号が点灯している。
視界の隅にかすかに映る植え込み。
中央分離帯だ。
少し遠くに見える並木。
歩道。
その脇にそびえるビルの群れは、眼前の道路見守るように遥か先まで連なっていた。
私はここを知っていた。
「駅前通り?」
雨海市の中心街。
神原区の中央を南北に縦断する、主要な幹線道路で、雨海市で最も交通量の多い道だ。
丘の麓と港の間に位置する雨海駅前から始まり、界政高校の前を通り丘の頂上に達する。
そのまま私の住む住宅街を通って丘を下り、そのまま国道と合流する。
私が眠っていた場所は、そんな通りの本当に中心地。
駅前から500m程進んだ、企業や飲食店が最も集中する、日中最も人が往来するようなところだったのだ。
「嘘!?」
私は飛び上がった。
ここは車道の本当に真ん中なのだから。
「うわわ・・!ひ、ひかれる」
慌てながら歩道まで移動を試みる。
なんだか身体が浮ついて、うまく歩くことができない。
ふらふらと蛇行を繰り返す。
「うえっ!」
何歩か進んだところで私はバランスを崩し、私は再びアスファルトへと倒れこんだ。
頭だけは覚醒したものの、私の身体はまるでその命令を受け付けなかった。
やばい
それだけが脳裏に繰り返される。
さっき信号は青だった。
今は車が来ていないみたいだが、いつばかみたいな猛スピードで突っ込んでくるか分からない。
私は本気で焦っていた。
何とか立ち上がって歩道へ避難しなくては。
焦りたつ気持ちとは裏腹に、身体はまだ眠りの中にいるようだった。
やばい!
私はもう一度目だけで辺りの状況を確認した。
車道に車はまだない。
まだいける!
私は再び身体に力をいれる。
今度は多少だが、動けるらしい。
ゆっくり立ち上がると、よろけながら歩道を目指した。
「はぁ・・・はぁ・・・」
何とか歩道までたどりつく。
肩で息をしながら街頭の柱に手をつき、何とかかんとか生き延びた事を自覚できた。
「まじでやばかったし・・・・」
心臓に手を当てる。
鼓動は早く、私の身体中を血潮がかけめぐっているのが分かった。
そのまましばらく私はその姿勢を保っていた。
ようやくドキドキが止まり始めた頃、少しだけ周りにも注意を払えるだけの余裕が出始めた。
さっきまで私がいた場所、車道の上に目をやった。
まだ、そこに車が走ってくる様子はない。
信号は、今黄色になったところだった。
歩道には、通行人の姿はない。
「よかった〜」
ちょうどタイミングが良かったらしい。
普段なら土曜のこの時間、確かに歩道に人はまばらだ。
ここから少し駅側へ下ると、デパートやらショップやらと、休日は人がごった返す街に様変わりするのだが、ここらまで来ると落ち着きが生まれる。
が、その分駅へ向かう車はこの道へと集まってくるのだから。
「ふぅ・・・」
一息つく。
そこで気がついた。
普段車道の脇には違法に駐車してある車がずらーっと並んでいるものだ。
確かに人は少ないが、大通りなりの人口密度はあるはずだ。
それがなかったのだ。
一台の車もない。
誰ひとりとして人もいない。
辺りは、風の作り出す音以外は全くの無音。
静まり返っていた。
異様だった。
無意識に私はスカートの左ポケットから携帯を取り出した。
好きなブランドのロゴをジャケットにはめ込んだ、お気に入りの二つ折り携帯。
ワンタッチで画面を開く。
電波がない。
圏外だ。
「うそぉ〜。今月ちゃんと振り込んだじゃん。なんだよ・・・・ん!?」
そこで気がついた。
携帯は月曜の午前を示していた。
「二日間も・・・?寝ていた・・・・?」
それは、あの体育館にいた日から、二日後の月曜の日付だったのだ。
路上。しかも車道に二日間!?
おかしい。絶対おかしい。
きっと携帯がぶっ壊れてるんだ。
電波ないし。
絶対に何かおかしいんだ。
そうだ、これは夢だっ!
きっと夢よっ!
路上で二日間寝て過ごしたという夢なのだ。
じゃないとこの状況は説明つかないだろうが・・・!
私はもうそう確信していた。
ええ、確信しましたとも。
やっぱね〜、夢なんですよ。
夢ってのは、深層心理のイメージなんですよ。
イメージが脳内でヴィジュアル化されてみるのが夢という事なんですよ。
ええ。
私はイメージが乏しいんですね。
想像力がないんですよ。
だからなんですね。
街のイメージはあるんですよ。
街は。
でも、街だけなんですよ。
人とかねー、車とかねー、音とかねー、
そういうのは難しいんですよねー。
人はねー、たくさん居すぎて細かく想像できないし。
車はあんま興味ないから、あってもなくても同じだし。
音はねー、これもたくさんありすぎるからねー・・・
ひょぉぉぉぉーーー
スカートの裾が風にたなびく。
あっ。
風はね、イメージ出来るんですよ。
自然なものですからねぇ。
ひょおぉぉぉぉーーーー!
「あいたっ!」
さっきより少し強い風に飛ばされてきたらしい。
木屑みたいなのが私の頬に直撃した。
痛い。
小さい木屑だったが、なんかひりひりする。
私は歩きだした。
とりあえず、歩こう。
どこに行こうか・・・・
あんま考えてない。
でも、なんとなく行く方向は決まっていたような気がする。
無人のオフィス街。
普段は何故かFMラジオが大音量で流れている証券会社の電光掲示板。
ビルの谷間、やたらと店内放送の激しい薬局。
がなりたてる正義を掲げた街宣車。
こう改めて考えると、オフィス街とはいえ街には色んな音があふれている。
人の歩く音。車のエンジン音。信号の警告音。
普段、無意識に囲まれている音。
それがない街。
気持ち悪かった。
長く緩やかな坂を上り続ける。
いつもなら、この時間は超満員の牛丼屋チェーン店。
数百メートルに渡って横断がないため、利用者の絶えない歩道橋。
誰も居ない街。
私は歩き続ける。
向かう先は学校。
確かに私はそこにいた。
明後日から文化祭で、バンドの練習してて、
聖がいて、桜がいて、海がいて、
八神がいた。
海に怒られて、落ち込んで。
八神が慰めてくれて・・・
あそこに戻ろう。
もし携帯が壊れてないなら、今日は文化祭の当日だ。
きっと皆いる。
皆、文化祭にいるはずだ。
街に人が居ないのは、きっとそのせいだ。
ポタリ・・・
私は足を止めた。
雫が、私の足元を濡らした。
ポタ、ポタ、ポタ・・・
そんなはずないのは分かってる。
きっと誰もいない。
どうしたらいい?
ここはどこなの?
何で誰もいない?
あの日、雷に打たれて、気がついたら道路に寝ていて、
起きたら誰もいなくて・・・
ここは・・・・
きっと天国。
私は、きっと死んだんだ。
きっとそうだ。
だから誰もいないんだ。
ポタ・・ポタ・・・・
止めどなくこぼれる涙。
誰も居ない街。
私の心は張り裂けそうだった。
どうしていいか分からない。
私はその場にしゃがみ込んだ。
嗚咽が止まらない。
息が詰まる。
死んでいても、こういう時は苦しいもんなんだ・・・
ちょっと面白かった。
また風の音が聞こえた。
ビルの谷間を吹き抜ける音。
鋭く甲高い風の音。
私はしばしその音に耳を奪われていた。
「・・・・・・・・」
タタタ・・・
私は顔を上げた。
タタタタタ・・・
音が段々と大きくなる。
すぐ目の前の路地からだ。
足音。
小走りの走る足音。
「人?」
人がいる?
私の身体は緊張に固まる。
人がいた?
やっぱりここは私の街なんだ。
たまたまタイミングで人がいなかっただけなんだ。
人がいるんだ。
でも、誰だろう。
この足音は、きっと私と出くわすだろう。
私にでくわすこの足音の主は誰なんだろう。
緊張が私を支配する。
私の脳裏に浮かんだのは、
「見つけた・・・」
あの声だった。
足音がさらに近づく。
次第に大きく、はっきりと私の耳に届いてくる。
私は立ち上がった。
足音は今、路地を抜けようとしているところ。
無意識に身構えていた。
タタ!!
足音が路地の出口に差し掛かった瞬間、それはクルリと向きをかえ、
私の方へと向かってきた。
ガスっ!!!!!
飛び出してきた黒い影。
私はすぐに避けようと体重を移動させる。
緊張のためか、反応が鈍った。
よろける私。
影の方も、私を避けようとしているらしい。
が、あちらもバランスを崩している。
影は、私の身体を思い切り跳ね飛ばした。
「うぐぅっ!」
「かはっ!」
再び路面に倒れこむ私の耳に、無理矢理に息を吐かされた時の音が聞こえてきた。
肺が押し付けられ、息が吐き出される音。
一緒に漏れ出る声。
この声は・・・
「いっ、た〜!!!」
私は瞬時に顔を上げた。
影は、胸の辺りを押さえていたが、すぐに私に目を落とした。
視線が絡む。
「聖!?」
「要!?」
続く
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