第二十七話「決戦ラウンド2」
私は必死に立ち上がった。
両腕が使えない。
肘から先の感覚がない。
一瞬だけ目をやった。
左腕から、見慣れない、赤白い何かが突き出ているのが見えた。
無視して立ち上がった。
階段に一歩踏み出す。
目が回る。
踏み外した。
私の身体はくず折れ、階段を滑り落ちた。
踊り場の壁にぶつかった。
それでもすぐに立ち上がった。
今度は手すりに乗っかった。
そのまま滑り降りる。
うまくいった。
私の身体は、うまく赤絨毯に着地した。
いける。
私はその要領で、更に階段を降りていった。
段々と、頭が元に戻っていった。
視界が鮮明になり、回転もスムーズになる。
破壊神はまだ追いついてこない。
大丈夫。
早く、もっと早く。
私は両腕を使わず、時にはお尻で、時にはお腹で手すりを滑った。
やられていたのは腕だけらしい。
足は全く大丈夫。
身体も、頭も。
私の両腕は砕け、骨が皮膚を突き破っていた。
でも、不思議と痛みはなかった。
それどころではないから。
頭上から、轟音が響いてきた。
破壊神だ。
私を追う音。
恐らく、奴は階段を下っているのではなく、破壊しながら降りているのだ。
頭は段々と冴えを取り戻し・・・ただけではない。
冴えは更に鋭さを増す。
アドレナリンが体中を駆け巡る。
(クロム!クロム!!)
これが本当の声だったら、私は未だかつてないくらいの大声で怒鳴り散らしているだろう。
(クロム!!!)
(なんだ、うるさいな)
(クロム!今から八神君の身体を誘導するから!)
(なんだい、クロムって)
(クロム・ネフューなんてまどろっこしい!クロムで充分よ!)
(どこに誘導するんだい?)
(20階の大広間よ!あと二階降りれば着く!)
(また急だな。二十階か。分かった)
すぐに声が聞こえなくなった。
私は21階の踊り場に足を着いた。
「っふあ!?」
すぐ上。
天井を、破壊神が砕き割った。
追いつかれた!!
30階で喰らったのとは比べ物にはならないほどの衝撃波が私を襲った。
そりゃそうだ。
声も出やしない。
私は再び無残にも吹き飛ばされた・・・・・はずだった。
目の前に、壁がなければ。
私の身体は壁に打ち付けられた挙句、巻き起こる衝撃波に押さえつけられ、ピクリとも動かせないままへばりついていた。
衝撃波が止み、私はだらしなく床に這いつくばった。
あと一歩。
もう一歩で計画の場所だったのに。
畜生・・・。
血。
血が水に混じると、とても広がる。
口内に血が混じると、まるで大量に出血したように錯覚する。
それは、よだれに血が混じっているからだ。
そして、血の臭いもまた広がる。
破壊神の壊した天井、床には、無数の水道管が張り巡らされていたのだ。
その何本かが裂け、派手に水を撒き散らしていた。
私の身体も、溜まっていく水に浸され、既にずぶ濡れだった。
そして、身体の下敷きになった腕も、その水に体温を奪われていた。
私の血が水に溶け、階下へと伝っていくのが見えた。
この幸運に感謝しなくては。
不自然な血が、私の居場所をクロム・ネフューに伝えるはずだ。
血と体温を水に奪われ、私の意識は朦朧とし始めていた。
クロム・ネフュー。
どうか気付いて。
そして私は一つの事実に気付いた。
このホテルの絨毯は赤い。
笑った。
もうダメ、私は死ぬ。
なんだかよく分からない。
けど無性に可笑しくて、私は笑ってしまった。
体中が軋んで、笑うたびに激痛が走った。
だけど、笑わざるにはいられなかった。
よく気がついた。
さすが。
「いぎぎ・・・・」
破壊神が、歯軋りの音を立てた。
その身体には、白く硬質な牙によって固く締め付けられていたのだ。
「ったく。何をしてるのかと思えば」
「く・・・・をム」
私の声は、もはや発音になっていなかった。
クロム・ネフューは階下から例の牙とも触手とも言えないものを無数に伸ばし、破壊神の身体をガッチリと絡めとっていたのだ。
「バカか、君は。破壊神相手に本当に逃げ切れると思っていたのか?」
そう言うと、クロム・ネフューは破壊神の身体を思い切り引き寄せた。
「があぁぁ!!」
そのまま背後の大広間に、放り捨てた。
扉を派手に破り、破壊神は広間の中央まで飛ばされていったが、ヒラリと空中で体勢を立て直すと、見事に床に着地をした。
「さて、こっからが本番だ。と、言いたいが・・・・」
クロムが私に振り向いた。
「取り引き、まだ続行?」
足の指すら動かせない私に向かって、クロムがそう囁いた。
「もち・・・・ろ・・・・ん」
私は出来る限りの笑みを浮かべ、そう囁き返してやった。
「ははは」
そう笑うと、クロムは私から顔を背けた。
「ま、取り引きどころの話しじゃないな。僕も気を引き締めなくちゃ。君はしばらくそこで寝ときな。全て終わらせてやる」
そう言うと、クロムの身体は一瞬で掻き消えた。
思った時には、広間内に轟音が響き始めていた。
私は、両手を付かずにゆっくりと立ち上がった。
上手くいった。
両腕は、相変わらずピクリとも動く気配はなかった。
だが、それ以外は全てが良好だった。
天井からの衝撃波。
危うく直撃を喰らうところだった。
だが、運のいいことに。
本当に運のいいことに、私はその衝撃波の死角的なスポットに入り込んでいたらしいのだ。
確かに壁には叩きつけられた。
が、その実ソフトに押し付けられていただけに過ぎなかったのだ。
天井が抜けた衝撃で、クロムは階段で異変が起きたことに気が付くだろう。
そこで敢えて、身動きのとれない振りをした。
多分、私が動けないと思えば、クロムはいい気になって好きなように振舞うだろう。
破壊神とも、自分の好きなようにやりあうだろう。
そして異界だか異空だかに送ろうとするだろう。
あそこまで強力な相手を、そう簡単に異界だか異空だかに送れるのか?
そこ。
狙いはそこだ。
多分、そんな簡単にはいかないはずなんだ。
じゃなければ、展望台でとっくにやってるはず。
やるなら、充分に弱らせてからだろう。
そして、私が動けないと思っていれば、奴は周囲に注意も払わなくなるだろう。
そこを一気にかっさらう。
それまで、私は傍観者に徹する。
そして少しでも体力を回復しなければ。
私はゆっくりと階段を降りた。
大広間では、激しい攻防が行われていた。
正直、私には理解不能な世界だ。
とりあえず、見たままに実況してみよう。
クロムが触手を伸ばす。
破壊神がそれを掴む。
触手が力なく垂れ下がった。
クロムの姿は消えていた。
クロムが破壊神の死角に現れた。
破壊神が手に持った触手を引きちぎった。
クロムの触手が生えていた辺りから、何かの液体が噴き出した。
クロムが再び消えた。
破壊神が触手を口に入れ、噛み砕いた。
そして口から吹き出した。
猛スピードで空を切ると、急旋回して明後日の方へと飛んでいった。
ある場所まで来た時、宙が歪み、そこからクロムが現れた。
牙の破片が顔面に突き刺さっていた。
クロムはその牙を慌てて抜き取ると、腹部の口に放り込んだ。
途端に、クロムの胴が大きく膨れ上がった。
まるでゲップのように、黒煙を吐き出した。
そのゲップと同時だった。
破壊神の背を、真っ黒い牙が貫いていた。
そしてゲップは空中で大きな獣の姿に変わり、破壊神へと襲い掛かった。
背を貫かれたままの破壊神。
獣が眼前に迫った。
瞬間、破壊神が吼えた。
私はその場にしゃがみ込んだ。
両腕が使えないから、耳も塞げない。
両肩の間に頭を挟み込んだ。
破壊神の咆哮により、このフロアにあったガラスというガラスが全て弾け飛んだ。
花瓶も、窓も、装飾の鏡も。
獣があっという間に跡形もなく消え失せた。
よく分からない。
本当に不可解な戦闘だ。
何が起きたのかも理解できない。
こりゃ、迂闊に近付くのは命取りだ。
私は広間に足を踏み入れることなく、真っ直ぐその向かいの部屋に入った。
そこは、パーティー用の給仕室だった。
瓶に入ったお酒やら、ジュースやらと、食器類が置いてある部屋。
そして、こういう場所にはあるはずだ。
私は明らかに食器用ではない、木製の戸棚の扉を開いた。
ビンゴ。
木製の箱を取り出した。
緑の十字マーク。
開けると、包帯や赤チンみたいな消毒液が一通り揃っていた。
私は、消毒液とガーゼ、包帯を取り出し、給仕用の小さなシンクへと移動した。
その後、手近にあった大きな気のスプーンを取り出した。
サラダビュッフェなんかで置いてある、あれである。
「ふー」
私は大きく息を吐き出した。
シンクの隙間に手を挟み込み、足をゆっくりとシンクにかけた。
歯を食いしばって、思い切り引っ張った。
「っー!!!」
体中から汗が吹き出た。
半端ない激痛。
それでも引っ張り続けた。
鈍い音がした。
次の瞬間、白く見えていた骨が、皮膚の中へと引き込まれた。
私はその場に突っ伏した。
体中で呼吸をした。
汗はシンクに水溜りを作るほど流れ出ていた。
痛みの余韻が、まだ腕を支配している。
私はもう片方の腕をシンクの隙間に突っ込むと、もう一度足に力を込めた。
「うううううう・・・・」
また鈍い音が全身を走った。
そしてまた同じように、シンクに突っ伏した。
全てが左腕のリピート。
全身から力が抜けてしまった。
骨の飛び出した隙間に消毒液を流し込むとその上からガーゼを押し当てた。
沁みる。
それでも、さっきの骨折を戻した時よりは万倍もマシな痛みだ。
その上から木製のスプーンをあてがうと、包帯でグルグル巻きにしてきつく結んでやった。
口でする作業は実に疲れる。
これで騙し騙しは動かせるだろう。
妙な疲労感を引きずって、私は冷蔵庫のそばへと近付き、中からオレンジジュースの瓶を取り出した。
栓が開けられない。
私は必死に栓にかじりついた。
数分の格闘の末、オレンジジュースは私の乾ききった喉を潤してくれた。
いきなり冷たい飲み物を飲んで、お腹を下さないだろうか。
固定された両腕を見下ろして、私は少し不安になった。
続く
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