第二十五話「決戦ラウンド1」
無機質な音を立て、エレベーターの扉がゆっくりと開いた。
永遠に時が止まればいい。
それでも、そんな気持ちにはお構いなしに扉は開いた。
強烈な突風が扉の隙間からなだれ込んだ。
私の身体は無力にも突風に跳ね飛ばされた。
ガラス張りのエレベーターの内壁に叩きつけられる。
まるでこのまま真っ逆さまに落ちていくのではという錯覚に襲われた。
私は扉の外を凝視した。
私はすぐにはその光景を理解できなかった。
夢魔クロム・ネフューだ。
戦っている。
例の触手を伸ばす。
以前、聖とやりあった時とは比べものにならないスピード。
クロム・ネフューの身体が浮いた。
触手に引っ張られ、ロケットみたいに跳びあがる。
そして床に叩きつけられた。
立ち上がれずにいるところを、思い切り踏みつけにされる。
床にひびが走る。
轟音と共に床が抜けた。
クロム・ネフューを踏みつけた相手と共に、そのまま階下へと消えていった。
明らかに押されていた。
あのクロム・ネフューが、苦戦を強いられている。
私はゆっくりとエレベーターの外に出た。
辺りは、彼らの交戦の影響で、荒廃しきっていた。
床も壁も亀裂が入り、激しく破壊され、展望台に付き物の売店や洗面所は見るも無残だった。
瓦礫がいたるところに散乱し、戦いの激しさと、どれだけの力を持った者同士の戦いなのかという事を物語っていた。
階下からは未だに轟音が響き、その度に地上250メートルの展望台は大きく揺れた。
その戦闘のスケールに、私は圧倒されていた。
私はゆっくりと、クロム・ネフューを踏みつけた者の姿を思い浮かべていた。
それは丁度人間の大人、男性と同じほどの大きさだった。
上半身裸で、ところどころ破れたデニムを身につけているだけ。
しかし人間とは違う。
真っ白な髪が激しく逆立ち、襟足から同じような毛が首筋、肩と背中、そして胸板までを覆っていた。
左目から頬、胸板、しかも心臓の真上と、腹部には梵字にも似た奇妙な紋様。
なにより人間との相違点は、尾てい骨あたりから、真っ白な尾が生えていた。
八本の尾が。
あれはなんだ?
分からない。
分かっているのは唯一つ。
奴があの夢魔クロム・ネフューを圧倒しているのだ。
私は気が遠くなった。
(破壊・・・壊す・・・・壊す・・・・総てを壊す・・・・壊す・・・・壊す・・・・)
圧倒的な破壊衝動。
そこはありとあらゆる感情で埋め尽くされていた。
憎悪も、憤怒も、狂気も。
限りなく感情に溢れ、破壊を求めている。
あまりに邪悪で、混沌として。
私はその場で立ったまま嘔吐した。
あまりにも激しいその衝動に、私の心は耐え切れなかった。
頭がはち切れそうで、いてもたってもいられなかった。
何なんだ、このあまりにも真っ黒な思考は。
なぜ、ここまで破壊のみを求められる。
なぜ、ここまで無造作に破壊を求められる。
私は考えたくなかった。
もう何も感じたくなかった。
聞きたくなかった。
でも、この流れ込む思考を止められない。
濁流が強すぎて、扉を閉められない。
このままじゃ、私の頭は直にダメになってしまう。
その時、私は物理的な感触を感じた。
頭がはじけた。
私は意識を取り戻し、後ろを振り返った。
「要」
私は、私の肩に置かれた手に視線を落とした。
浅黒く、筋張った大きな手。
私は視線を上げた。
「海・・・・」
私は無意識に彼の名を口にしていた。
海はにっこりと微笑んだ。
「要ちゃん」
海の後ろから、もうひとつ見知った顔。
「桜・・・・」
私の意識が徐々に鮮明さを取り戻していくのが分かった。
「海君!桜ちゃん!」
私は思わず声を上げた。
そして急いで彼らの出で立ちに目をやった。
パーカーにデニムの海。
桜は大きなVネックのワンピにスパッツ。
あの日、あの時の二人。
白や赤の甲冑は影も形もなく、私が知っている正真正銘の二人だった。
「要・・・」
海が口を開いた。
「俺たちは何もしてやれないみたいだ。すまない」
「え・・・?」
私は聞き返した。
「ごめんね、もう時間がないみたい」
今度は桜が言った。
「なにを・・・」
私が口を開いたその時だ。
「頑張って、要ちゃん」
「無事に帰って来い」
二人の身体が徐々に薄くなっていった。
「え?え?ふたりとも・・・」
私は海の腕を掴んだ。
私の手の中で、海の手は更に薄くなり、すぐに消えうせた。
私は呆然と、その場に立ち尽くした。
私の意識が薄れれば、また先ほどの破壊衝動に精神を蝕まれてしまっただろう。
だが、私の手に残った海の体温が、私に自我を保たせていた。
再び轟音が響いた。
私は振り返った。
爆風が私を襲う。
私は顔を覆いながら、マイクを握り締めた。
体温が下がる。
爆風が止んだ。
私は顔を上げた。
「ちっ。とんだ誤算だ」
クロム・ネフューだ。
広い展望台の中心近く。
瓦礫と化した売店の中に、奴が浮いていた。
その姿は戦闘の影響で、既にボロボロだった。
「くそ。今の力でも、なんとか制御できるかと思ったのに。このままじゃ・・・」
奴はひとり呟き続けていた。
私には全く気付いている様子はなかった。
私は意を決して声を上げた。
「クロム・ネフュー!」
クロム・ネフューの身体が脈を打った。
私を振り返る。
「なんだ、君か」
その口調には嘲りが混じっていた。
「今、君に構っている暇はないんだ。いい子だから邪魔にならない場所で大人しくしててくれるか?」
「クロム・ネフュー。一体ここで何をしてるの?何があったの?」
「うるさいな。言ったろう?構ってる暇はない」
クロム・ネフューが私に背を向けた。
私は走った。
飛び上がり、クロム・ネフューの背に向かってショーテルを突き立てた。
鋭い音が展望台中に響いた。
私のショーテルは、クロム・ネフューの足元にあった大きなコンクリート片をスッパリと切り裂いていた。
「今のはわざとはずした。次はないよ」
私はクロム・ネフューの背に向かって囁いた。
クロム・ネフューがゆっくりと振り向いた。
「速いな。いつの間にそんなに強くなった?」
私はクロム・ネフューの正面で、背を伸ばして奴を見下ろした。
奴も私のすぐ目の前で、地に足をつけて私を見上げた。
「いいだろう。少しだけお話ししてあげよう」
「当然」
「ここで何があったのか。だったね」
「そう」
「簡潔に言おう。破壊神が復活した」
「さっきの・・・」
「そう。さっきの白い猿が破壊神ハヌマーン」
「八神君は?」
「いない」
「・・・・・・」
「僕は八神君の精神体を彼の肉体に戻した。そして彼の精神は洗浄され、純粋な破壊神が生まれる。・・・・はずだった」
「はず?」
「そう。はず、だ。破壊神とは本来、破壊だけを求める。そこには破壊以外の何もない。破壊の為の破壊だけ。それがどうだ?君もあの感情を味わっただろう?」
「・・・・・」
「なんだ、あの感情の渦は。あれでは純粋な破壊は埋めない。そしてなにより・・・」
「あんたの自由にならない」
「・・・・そうだ。僕はあの純白の破壊衝動だけの存在に入り込み、その力だけを手にするつもりだった。しかし、奴は空っぽではなかった。あそこまで不純物の混じった存在には入り込めない。しかも奴はこの僕に襲い掛かってきたんだ」
「いい気味だわ」
「なんとでも」
「なぜそんな予定外が?」
「・・・知るか」
「何?今の間は」
「するどいね。でも教えてやんない」
「言いたくなければいいわ。私の心の中を読んでみて」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「ふっ。そういう事もあるかもね」
「私はこの可能性に賭けてみる。邪魔はしないでね」
「それは分からない。これから僕は奴をこの夢幻空間から締め出す。それが邪魔にあたらなければいいけど」
「邪魔でしょ。ちょっと待っててよ」
「断る。じゃあ僕は急ぐから」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
そう言ってクロム・ネフューは私の前から消えていった。
「おっと、一つだけヒントをやろう。奴は今、とりあえず破壊を求めている。このタワーを壊す事に夢中らしい。じゃ、頑張りな」
クロム・ネフューの声だけが展望台にこだました。
私はすぐに階段に向かって駆け出した。
タワーは段々と揺れが大きくなっている。
展望台の階段からは、ホテルの最上層へと繋がっている。
破壊神ハヌマーンが一体このタワーのどこにいるのか、皆目検討がつかない。
だけど、探すしかない。
爆音と揺れだけを頼りに、クロム・ネフューよりも先に探し出す。
クロム・ネフューも私同様、ハヌマーンの意識に触れた経験がある以上、心の声で探し出すような行為は避けるだろう。
その点では、私とイーブン。
とにかく早く探さなきゃ。
私は階段を全速力で駆け下りていった。
轟音はかなり下層から響いてくる気がする。
急げ。
私は走る。
およそ20階程下った頃だろう。
音が近くなった。
私はその階から、フロアを検索することにした。
エンジ色の毛足の長い絨毯の廊下。
木目調の扉がいくつも並んでいる。
私は聞き耳を立てながら、廊下を駆けていった。
扉をいくつ通り過ぎた頃だったろう。
わたしは3015号室の前を通り過ぎた。
直後だった。
爆音と共に、背後の扉が破裂した。
私は反射的に止まろうとしたが、自分の勢いと爆風によって私はその場に突っ伏した。
急いで上半身を持ち上げると、目いっぱい振り返った。
私の目に飛び込んできたのは、白い猿。
私はそれを始めて間近で目撃した。
先ほどは遠めだったし、短い時間しか見れなかったから分からなかった。
でも、今はよく見える。
「やっぱり」
私は確信した。
ハヌマーンが吼えた。
私は咄嗟に耳を覆った。
何て大きな声だ。
衝撃で室内のガラス窓が砕けるのが見えた。
耳をふさいでいなければ、鼓膜がぶっ飛んでいたところだ。
ハヌマーンはゆっくりと周囲を見回すと、おもむろに両腕を振り上げる。
その腕が、絨毯の床に衝突した瞬間だった。
衝撃波。
一瞬で足場は瓦礫と化し、吹き飛んだ。
まるで爆弾だ。
私の身体はその衝撃波で軽々とふっ飛ばされた。
ありえない威力だ。
私の身体はまるで風に舞う紙くずみたいに、何メートルも何メートルも先に飛ばされていった。
こんな経験初めてだ。
生まれて初めて、人間はこんなに飛ぶことがあるんだと知った。
この異常な世界に来てからも、何度か身体の自由が利かなくなるくらいに飛ばされたことがあった。
でも、それでも、ここまで飛ぶことはないだろう。
戦争を題材にした映画を観たことがあるだろうか。
爆撃機から投下された爆弾を近くで受けたシーンなんかで、こんなことが起きていた。
それは全部フィクションで、CG映像の作り出した虚像だと思っていた。
私はついに赤い絨毯の上に着地した。
それから、何度も何度も転がった。
私は面食らっていた。
なんだ、これ。
ありえないわ。
これが神か。
今まで存在すら信じていなかったものの力。
せっかく出会えたのに、これじゃあ何もしようがない。
私は破壊神の顔を思い出していた。
白い毛、紋様。
だがあの顔は紛れもなく、
「八神君」
私は壁に背中をつけ、逆さになったままの姿勢で足の間から廊下を眺めて思案した。
続く
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