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THE MARVELOUS APES
作:比奈



第二十四話「絶望セレナーデ」


私はまた涙した。
ひとり、自分の愚かさを呪った。
ガラス張りのエレベーターの隅、膝を抱え私は嗚咽を隠さずに泣いた。
「私は自分勝手で、ずるくて、卑怯で・・・」
声にならなかった。
そう何度も呟いたが、実際に洩れ出た声は、掠れ、歪み、ただの喘ぎに近かった。

だが、私はエレベーターに乗ってしまった。
一階から大展望台までの直通エレベーターは、人々をものの60秒で地上250メートルの大パノラマへといざなってくれる。
私に与えられた時間もたったの60秒だけだった。
もうじき扉は無情にも開くだろう。
私はこの時間が永遠に続けばいいと思った。
自分のバカさ加減にあきれ果てていたかった。
それほどの過ちを、私は犯したのだ。



私達の目の前に、無数の小さな膨らみが現れた。
それはみるみるうちに形を変え、人間ほどの大きさまで肥大すると、ついには人間そのものの形に化した。
それは、いや、それらは私達が映画やテレビで一度は目にした事のある怪物、ゾンビという存在に変化した。
「うげぇ」
聖が呟いた。
全身が腐ってただれ落ち、髪も眼も歯も、全てが朽ち果て無くなっている。
ゾンよりもさらに腐敗が進行した、おどろおどろしい物体は、私達の前にゆうに数十は存在していた。
「ヒハハハハ!どうだこれ!俺様の兵隊は!」
ゾンは吹き抜けの二階のガラス塀の上でギターをかき鳴らした。
「イッチの兵隊なんざ目じゃねーぜ!あんな影とは格がちげぇ!なんせこいつらは全てが実体、本物の生身なんだからな!まっ、ちったぁ腐ってるが」
影?
ゾンは今、イッチの兵隊は影と言った?
私は考えた。
イッチの使った鎧の兵隊は、確かに中身のないがらんどうの影だった。
だが・・・
「てめぇらもこいつらの性能はご存知だろうが。一体じゃあてめぇらに手も足も出なかったが、今はどうだ?この数を相手に出来るか?」

「あいつ、何言ってんだ?」
聖が怪訝そうな顔つきで、私の方へと視線を向けた。
私は、私の推理が半ば正しい事を悟り、口を開いた。
「多分、前回の戦いの中に混じっていた。って事だと思う」
「・・・・・」
聖は間を空けて言った。
「外でやりあった、タフな鎧の事?」
「恐らく・・・」
私は応えた。
聖には及ばないものの、そこそこの戦闘力を備えた兵隊。
少なくとも、瞬殺は出来なかった。
そんな相手が目の前にゴロゴロ転がっている。

そして、もう一つの意味にも気付いた。

「多分、あいつはあの場にいた・・・」
「・・・・・」
聖も、私と同じ事を考えたのだろう。
みるみるうちに、顔色が変わる。
「まさか、あいつが・・・」

「そう。八神を連れ去った、影」

聖の顔がますます紅潮していく。
前歯が音を立てる。
「あんにゃろう・・・」
聖は呟いた。


「おら、どうした!!そっちがこねぇんなら、こっちから行くぞ!」
ゾンは高らかに声を上げた。
そして、ゾンビたちは一斉に駆け出した。
はっきり言う。
こんなんゾンビじゃねぇ。
ゾンビってのは、とろくて単純な動きしか出来ないような、そーゆーもんじゃないの!?
それがどうだ?
あいつら、私達めがけて走ってやがる。
しかもけっこうなスピードで。
私はすぐにポケットからマイクを取り出すと、ギュッと握り締めた。
急激に体温が下がった。
形成されたショーテルは、今までにないくらいに冷たい輝きを放っているように見えた。
頭にきてるのは、聖だけじゃないって事だ。

ゾンビの群れは、私達のすぐ目の前に迫っていた。
本気で速い。
聖の目の前に迫った一体がいた。
私がその姿を目視した時、それは既にただの肉塊に成り果てていた。
聖の細長い右足が、ゾンビの顔面を捕らえ、そして打ち砕いた。
その足は真っ直ぐ、頭上のゾンを指し示していた。
ゾンの表情がニヤリと崩れた。
聖は言葉なき言葉を投げかけ、ゾンはそれに受けて立った。
「いいねぇ。だが、はっきり言っててめぇらは俺の相手じゃねぇ」
ゾンが言い放った。
ゾンビの一体が、聖に襲い掛かった。
聖は左足の軸を力強く回し、そのままそいつの延髄めがけて足を振り下ろす。
いわゆるブラジリアンキックと言うやつだ。
その一撃がゾンビを捕らえた瞬間だった。
聖の姿が消えた。
私は何が起きたのか認識出来なかった。
一瞬の空白。
それが仇になった。
私は自分の身体が浮き上がるのを感じた。
同時に脇腹に鈍い痛みが走るのも感じた。
私の身体はものの見事に吹っ飛んだ。
そして、何が起きたのか悟った。

ゾンビの一体の胸部から伸びた影が、私の身体に突き刺さったのだ。

「ひゃーっはー!」
ゾンの高笑いが耳につく。
私はタワー入り口の大きなガラス製の自動ドアに叩きつけられた。
そしてそのままくず折れた。
気付くと、すぐそばに聖がいた。
口から血が垂れていた。
私は戦慄した。
聖は顔面にさっきの一撃を喰らったんだ。
聖が顔面に打撃を喰らうなんて、クロム・ネフュー戦以来初めてじゃないのか?
聖の腫れた頬を見て、私は恐怖を感じた。
そんな馬鹿なことが起こるなんて。

「どうだ!?俺様の実力はよぉ!!」
再びギターをかき鳴らし、ゾンは叫ぶ。
「てめぇら、クロム・ネフュー様の邪魔をしに来たんだろうが、はっきり言う。もうここからどこにも行けねぇぞ。てめぇらはここでくたばって腐っていくだけだ!」
「げほ・・」
聖が口の端を拭いながら膝を付くのが見えた。
どうやら大したダメージはないらしい。
「舐めんなよ、この煮こごり野郎が。誰がここから動けないって!?」
聖が咆哮した。
心臓が跳ね上がった。
聖の怒鳴り声なんて初めて聞いた。
私の身体は本気ですくみあがった。
「おうおう、威勢がいいな。さすがクロム・ネフュー様が直々に相手をしたくなった程の女だ。一味違うわけだ」
ゾンは自分のただれた腕で、自らの口を拭った。
まるで涎でも拭うような動作で。
「ひはは、マジで美味そうな女だぜ。だが、てめぇはボスの獲物だからな。俺様はここでは足止めするだけよ。だが、そうだな・・・」
今度は頭をぽりぽり掻き、なにやら思案しているようだ。
骨がむき出しになった指先が、頭部を往復する度に、抜け落ちた髪や肉片がこぼれていくのが見える。
「一個サービスだ。何でてめぇらが俺に勝てねぇか、何で俺様がこんなにつえぇのか、教えてやるぜ」
聖が声を上げようとした。
が、私は彼女の肩を押さえた。
私を振り返る聖。
私は首を振った。
少しでも敵の情報は欲しい。
それに、私にも彼女にも、ダメージを癒す時間が必要だった。
「てめぇらが先にやりあったドラクラ、イッチ、ウルフィー、そして俺様ゾン、四人の使い魔ってのはだな、クロム・ネフュー様の力の一部なんだよ。均等にお力を頂戴し、そして更にそれぞれドラクラが直情的な面を、イッチが理性的な面を、ウルフィーが残忍な面を司っている。それぞれ各自が頂いた力を己の能力の何に活かすかを決め、戦闘スタイルを形作る。ドラクラは剣技に全てを注ぎ、イッチは魔術、中でも炎や氷なんかの攻撃的な魔術に、ウルフィーは単純な身体能力に特化した。それぞれ、司る面が大きく影響したスタイルになったわけだ。そしてこの俺様は、クロム・ネフュー様の狡猾な面を司っている。
狡猾ってのは、戦闘においては最強だ。意味が分かるか?最も勝利に拘り、勝つために手段を選ばないからだ」
私は聞きながら納得した。
勝利への拘り。
つまり、奴は自分の力のほとんどを、兵隊のゾンビと遠隔操作の伸びる影に費やしている。
しかもゾンビと影をリンクさせ、先ほどのような多重の同時攻撃を仕掛けてきている。
イッチとウルフィーのような別人格じゃないから、連携ミスもない。
なら、奴を潰す方法はひとつだ。
「ひはは。これで俺様の弱点にも気付いたか?俺は他の連中と違って、自分自身の強化に力は使っちゃいねぇ。俺を倒したきゃ、直接俺様のとこまで来ればいいのさ。来れたら、だがな」
ゾンが話している間、ぴたりと動きを止めていたゾンビたちが、再び蠢き始める。

一瞬だけの攻防だが、私は理解していた。
奴の元までたどり着くのは、恐らく不可能。
無数のゾンビ兵を相手にしつつ、縦横無尽に走り回る影も避け、この広いタワーのロビーから半螺旋の階段を昇り二階へ。
どう考えても無理だ。
これは作戦なんてレベルで解決できる問題じゃない。
河川敷の雑草を、カッターナイフだけを使って日が沈む前に刈り切る事。
そんな例えでも当てはめようか。
カッターで雑草は刈れる。
だが、その広さ、数、時間は解決出来ない。
この戦闘、絶望的だった。
「要」
聖の声で私は我に返った。
「あそこだ」
聖は私に視線である方を示した。
ロビー奥、二階部分の下に位置する場所に見えるのは・・・
「エレベーター?」
聖は頷いた。
「あれに乗って上に行こう。あんな奴、相手にする必要ないからね」
私は仰天した。
この状況下で、その選択肢は出なかった。
目の前にそびえる岩山を、私は登る事しか考えていなかった。
というより、この強迫観念を突きつけられた状況で、いとも簡単にその観念を捨てられる判断力。
賞賛に値する。
「多少のダメージは覚悟だ。一気にあそこまで走り抜けるよ。もし二階で奴に捕まっても、本体相手なら問題ない。それにこのタワーのエレベーターは高速仕様だから、さすがにゾンビ供も追っては来れないでしょ」
もはや手はそれしかない。
使い魔を一体残すのは、クロム・ネフューを相手にする事になる場合にとても厄介だが、そうしなければ今ここで私達は全滅だ。
優先すべきは生きて展望台へたどり着くこと。
「固まって走るよ。とにかくエレベーターに乗るんだ。絶対に八神たちを助けるんだ」
聖は立ち上がった。
私も立ち上がった。
多少の痛みはあるが、もう身体は問題ない。
いつでも動ける。
八神を助ける。
聖の想いの強さを感じた。
私だって負けてない。
八神を助ける。


私達は一気にゾンビの群れに突っ込んだ。
前方にいるもののみを狙い、掻き分けるように進んだ。
無数のゾンビが私達に向かって攻撃を加える。
そのゾンビ達から伸びる影もまた、私達の身体に容赦なく叩きつけられる。
服は破れ、身体の至る所に傷が出来る。
それでも止まれない。
でたらめな数の衝撃が、次々と私達の体力を奪っていく。
私達がロビーの中央を通り過ぎた辺りからだった。
ゾンビたちの動きが変わりだした。
直感した。
「バレたか」
聖の声が耳に届いた。
周囲を囲んでいたゾンビ群が、次々と前方に先回りを始めたのだ。
「まずいよ!聖!このままじゃ」
私は悲鳴を上げた。
この絶望的な状況。
私は完全に取り乱していた。
「く、っそがぁー!」
聖が再び咆哮した。
聖は手近にいたゾンビの足を掴んだ。
「要、伏せろ!」
私はとっさにその場にしゃがんだ。
聖はゾンビを思い切り持ち上げると、その場で回転を始める。
手にしたゾンビをブンブン振り回し、周囲の群れを次々に蹴散らしていく。
私の頭上を、振り回されているゾンビが何度も何度も通り過ぎる。
その度に、そいつの肉塊がどんどん飛び散り減っていくのが分かる。
「うりゃぁ!」
掛け声と共に、聖はゾンビの足を放した。
吹き飛んだゾンビは前方の群れをなぎ倒しながら、ついには全ての腐肉が分解して無くなって消えた。
「急げ!」
私達の目の前には、エレベーターまでの道がわずかながら現れたのだ。
私も駆け出した。

聖が先行し、エレベーターのスイッチに触れた。
すぐに扉が開く。
聖は乗り込むと、操作盤を抑えながら私が到着するのを待っていた。
ゾンビの群れは、仲間の肉塊など意にも介さず、再び私達に迫り来る。
「要!早く!」
聖の声が響いた時だった。

「あっ!」
私は叫んだ。
聖が振り回したゾンビの肉塊が床を汚染している。
その腐った肉に、私は足を捕られたのだ。
私はその場に倒れ込んだ。
ゾンビの群れは既に眼前に迫っている。
ダメ!もうダメ!
「要!」
聖がエレベーターから飛び出した。
「聖!」
私は寝そべったまま、彼女の名を呼んだ。
聖が膝をついて、私の脇に滑り込んで来た。
「要、早く!立てる!?」
彼女の問いに私は首を振った。
ゾンビの腕が、聖の肩や、髪に掴みかかるのが見えた。

そして、一瞬の思考もなく、聖は私の腕を持ち上げると、私の身体を全力で放り投げた。

私はエレベーターの中に叩きつけられた。
「聖!」
操縦者のいなくなったエレベーターの扉は既に閉じかけていた。
私は急いで立ち上がり、扉へと駆けた。
聖の身体は無数のゾンビに捕らえられ、もはや彼女の顔と腕だけしか望むことは出来なかった。
そしてエレベーターの扉は、聖の姿を、私の目から隠してしまった。



私は、強い重力に引っ張られ、その場にへたり込んだ。
聖が用意していた、操作盤は既に大展望台だけを目標としていた。
エレベーターは、すぐに二階を通り過ぎ、事もなく展望台を目指して昇っていった。

私は、叫んだ。

続く。












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