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THE MARVELOUS APES
作:比奈



第二十一話「克己心」


聖が手近な鎧を蹴り飛ばした姿勢のまま、首だけで振り返った。
その顔は、既に蒼白だった。
「や、八神君!」
聖が叫んだ。
普段は八神と呼び捨てにしている聖。
しかし、その時は八神君と呼んだ。

思えば、クロム・ネフューに心を読まれた時も、聖は八神君と呼んでいた。
その人称こそが、聖の本質なのだろう。
八神の前でしか見せない、聖の真の姿なのだろう。
私は聖の声を聞いた瞬間、何故かそんな事を考えた。


私達の視界の中には、既に八神の姿は影も形も無くなっていた。

私は焦った。
海、そして桜の形をした二人は、既に八神を追って、天井の影に消えていこうとしていた。
私達は、完全にその場に取り残されていた。


「ちょっと!待って!」
私は絶叫した。
しかし時は既に遅し。
私達の前に残されたのは、未だに蠢き続ける無数の鎧の群れだけであった。
何故に運命は、私達にこれ程までに過酷な試練を与え続けるのか。
私は無性に恨めしく思った。
私は力任せに目の前の鎧に剣を振り下ろした。
鈍い音をたて、兜のてっぺんがグシャグシャにへこんだ。
「うわあぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
私は感情に任せて、手当たり次第に鎧を叩きまくった。
やり場のない感情が、とめどなく溢れ、暴れている。
私はその感情を抑える事をしなかった。
したくなかった。
何をしていいのかも分からない。
無性に破壊したかった。
私は全力で暴れた。
それが何も生み出さないと知っていても。


でも、現実は常に無情。
私がどんなにヒステリーを起こしても、私の目の前には次々と立ち上がる鎧の群ればかり。
現実は、私の体力をどんどん奪っていくだけだ。
私は現実の残酷さに気付き、絶望し始めていた。
もう何もかもお仕舞いだ。
大好きな八神君がいなくなる。
それは、私の世界の半分が消えて無くなることに等しい。
このまま、もう半分も手放してしまおうか。
私の全てが、ここで無くなっても構わない。
半分も、全部も、何も変わらないじゃないか。

私の視界に違和感が生まれた。

それは、見慣れた光景。

聖の姿。

聖の手に握られている。

それは、壊れたはずのリッケンバッカー。

聖の手に握られていたそれは、リッケンバッカー。


聖は、リッケンを手に、鎧達の真ん中に佇んでいた。


私は、その姿に何かが起こるのを感じた。
何かが変わる。
聖が、何かを変える。


そう感じたのは、私だけじゃなかった。
ひしめき合っていた鎧の群れが、一瞬のうちに消え去った。
そこは、元のがらんどうのホテルのロビー。
何事もなかったように、今まで無数の鎧達が蹂躙していたとは思えない程に整然としたロビー。

その奥に、私達二人と対峙するように佇んでいる姿が目に止まった。

私達は、その場を動かずに、その姿を凝視した。



魔女と狼男。


そんな呼称がよく当てはまった。
二人は、微動だにせずに、私達を見つめていた。



「何?あんたら」
私は口を開いた。
明らかな敵意を敢えてむき出しにして尋ねた。

「なーに、おまいらの敵だわさ」
魔女の方が答えた。
そいつは明らかに魔女だった。
真っ黒なローブに、真っ黒なブリムの広い三角帽子。
大きな鉤鼻の上に小さな丸眼鏡を乗せた顔は、しわくちゃで、他に形容のしようのない程に老婆で、そして大きな箒を携えたその姿は、どうしようもない程に魔女だった。
「そこで何してる?」
私はイラつきを隠さずに言った。
こいつらとの交戦は必至。
ならば、何も隠さない。
駆け引きも何も必要ない。
避ける必要のない戦闘がある事を、私は初めて知った。

「何って、決まっているだろう」
狼男が答えた。
そいつは明らかに狼男だった。
上半身は毛むくじゃらで、丸まった背には銀色のタテガミ。
顔はもはや人間のものではなく、まるで狼そのもので、口の端からは鋭い牙が無数に並んでいた。
その手は五本の指が人間のそれそのままの形に並んではいたが、その先には包丁のような鉤爪。
しかし、上半身とは裏腹に、しっかりと二足で立ち上がっている様は、どしようもなく狼男だった。
「お前らを始末する」


私が聖と同時に駆け出したのは、その時が初めてだったのかもしれない。
私は真っ直ぐに魔女を目掛けて突進していった。
聖も、真っ直ぐに狼男を目指して、風になって駆けていた。
「あれあれ、まだ自己紹介もしてないじゃないか。せっかちな娘共だわさ」
老婆が呆れたような口調で言った。
「俺は好きだぜ。こういう命知らずなバカ共はな」
その裂けた口から、何故こんなにもはっきりとした発音で喋れるのか疑問だが、狼男が口角を上げつつ言った。

私は魔女に切りかかった。
聖は既にリッケンバッカーを投げ捨て、狼男に蹴りを放った。

気付いた時、私のショーテルを受け止めていたのは、魔女ではなく、狼男だった。
同じく、聖の蹴りを箒で受け流していたのは、狼男ではなく、魔女だった。


狼男の膝が私の腹部にめり込み、私は思わず熱い胃液を吐き出した。
ほんの少しだけ浮いた私の身体に向かって、狼男は回し蹴りを繰り出してきた。

重い衝撃が、私の身体を駆け抜ける。
次の瞬間、私はロビーの窓際まで吹っ飛ばされていた。
私の視界の端には、魔女の指先から放たれる炎の球を避けながら、右往左往している聖の姿があった。
なんてこった。
私は空中で体勢を立て直し、床への激突だけは避ける事に成功した。
見事に相性の悪さを突かれた。

私は着地したその場で軽くえずいた。
とんでもなく重い蹴りだった。
そして凄まじいスピード。
聖の動きを目の前で見ていた私には分かりやすかった。
この動きは、聖のそれと同等。
まるで聖と戦っているような感覚にさえ陥った。
はっきり言って、私はこの動きに対応できるだけの身体能力は持ち合わせていない。
言えることはただこの一つ。
例え心を読んで、動きを先読みしても、身体が対応出来なければ何の意味もない。
私の能力を無に帰す、スピード重視の相手が最も相性が悪い。


そして聖の相手になった魔女も、聖にとっての相性は最悪。
聖は徒手空拳を使う、完全に近距離型の戦闘スタイルだ。
見た目通りに魔法を使うのか、炎の球を使った遠距離攻撃は、聖にとってはやっかい極まりない。
それに加えて研ぎ澄まされた触覚。
炎の球の温度自体が攻撃力を持つ結果に繋がっているのだ。
紙一重で避けながら近付くことが困難になっている。


私達二人の戦闘スタイルを完全に読み取られている。

「ごほっ・・・・」
私は一度咳払いをすると、血と胃液の混じった唾を吐き出した。
「ありがとう」
私は口角を持ち上げ、狼男の目に向かって言葉を投げかけた。
「何?」
狼男は訝しげな表情を作った。
顔は狼でも、表情は読み取れる。
不思議なものだ。
「あんたのお陰で目が覚めたよ」
私は手の甲で口元を拭いながら立ち上がった。
「冷静さを失ったら勝利はない。あんたはそれを思い出させてくれた」
私は剣をだらりと下げ、無形の形を取った。
「ふん、何をしてもお前には最初から勝利なんてない」
狼男は長い舌の先で、自らの鉤爪をペロリと舐めた。
「私は勝つ。誰にも負けない」
「いいね、その根拠のない自信。それでこそ潰し甲斐があるってもんだ」
狼男は前傾姿勢の構えをとった。
「私の名は大和要」
私は私の名を名乗った。
私はこれから始まるこの戦いに、特別なものを感じていた。
この戦いは、私が、私自身を超える戦い。
私は私自身に礼を尽くし、今までの私を乗り越えていくんだ。

「ほう、騎士道精神か。これもまた潰し甲斐がある。いいだろう、俺の名はウルフィー。夢魔クロム・ネフュー様の使い魔の一人。神速のウルフィーだ」
「ご丁寧にどうも」
私は再び口角を上げた。
ゾクゾクした。


ウルフィーが動いた。
右から回り込んで右フック。
私の左脇腹を狙っている。
私は左肘を下げ、胴体にピッタリと着けた。
ウルフィーの拳が私の肘に突き刺さる。
同時に右手のショーテルを、真っ直ぐウルフィーに突き立てた。
切っ先が届く随分前に、ウルフィーは左フックを私の下腹部に叩き込んでいた。
子宮に激痛が走る。
更に立て続けに右のショートアッパーが胃を突き上げた。
意識が飛びそうになった次の瞬間、右のストレートが左頬に叩き込まれた。
私は声も出せずに吹っ飛ばされた。
かろうじて意識は飛ばなかったが、受身も取れずに床に叩きつけられた。

「ガキが、味な真似を」
ウルフィーが顎を撫で上げた。
その手に、赤い血が付いているのが見えた。
顎から血が滴っていた。
インパクトの瞬間、反動を利用して振り上げた私のショーテルは、人間より遥かに長い狼の顎を微かにだが捕らえていたのだ。

だが、所詮は掠り傷。
ウルフィーには大したダメージはない。
反面、体重をたっぷり乗せたストレートをまともに喰らった私のダメージは半端ではなかった。

笑ってしまう位の実力差。
だが、始めの一手だけは読みきった。
私に勝機があるとすれば、その一点のみ。
奴の出鼻を挫く。
それだけが私に与えられたチャンス。
私は全身全霊をかけてそれを狙うだけだ。

私は今一度立ち上がると、無形の構えを取る。
再び先手を取ったのはウルフィー。
一瞬で間合いを詰めてくる。
今度は何を仕掛けてくる?
今度は・・・・
右ストレート。
真っ直ぐきて右ストレート。
私はそれを左に避けるだろう。
そして、ライトクロスの要領で、ショーテルを奴の腹に突き立ててやる。

でたらめに速いストレートが私を襲う。
避けられるのか?
私は限界ギリギリまで反射神経を駆使して、体重を左に移動させた。
私の頬を掠めて、奴の拳は空気を切り裂いて通り過ぎた。
瞬間だった。
私の視界が何かに遮られた。
突然の出来事に、私は自分が何をするべきかをすっかり忘れてしまった。
頭に圧迫感を感じる。
何かに頭を掴まれた。
気付いた時には時既に遅し。
私の身体は持ち上げられ、宙に放り出された。
そして、視界が開けた時には、突き上げられるように、ウルフィーのラッシュが胴体の至る所に浴びせられていた。

右ストレートが外れた瞬間、ウルフィーは左手で私に目隠しを仕掛けてきたのだ。
私はその目隠しにまんまと嵌められた。
そしてそのまま左手で頭を掴まれ、一瞬で浮かされて、サンドバッグのように無防備にラッシュの餌食にされてしまったのだ。

呼吸が出来なかった。
痛いなんてもんじゃない。
何とも言い表せない衝撃が、私の体中を蝕んだ。
身体の隅々の血液が、沸騰したみたいに熱い。
骨という骨が軋んだ。
内臓が口から飛び出る気がした。
それでも尚、私が意識を失うことはなかった。
それが逆に死よりも辛い苦痛を私に与えるのだった。

私は呻くことも出来なかった。
奴に吹っ飛ばされたのは、本日三度目のことだ。
しかも、ほんの数分の間に事の全ては起こっている。
宙を舞うコンマ何秒かの間に、私は自身の身体に異変を感じていた。


身体が、動かない。


私は再び床に上に全身を叩きつけられた。

口から熱い何かが飛び出た。
熱い何かは、空中で熱量を奪われて、冷たくなって私の顔面に降り注いだ。
視界が赤く染まった。
それは、吐血した私の血だった。
私は倒れ伏したまま、指一本動かすことも出来なかった。
顔中を、冷たい血液と胃液が混ざり合ったものが流れ落ちていく。
くすぐられるような感覚。
それを拭うことすら出来ない。
身体が、私の言うことを聞いてくれないのだ。
私は直感で何が起きたのか悟っていた。

ほんのわずかの間に、強い衝撃を内臓に受けすぎた。
それによってショック症状を起こしたのだ。

自分でも分かる。
全身の至る所が痙攣を起こしている。
それでも意識だけは鮮明に保っている。

客観的に見れば、これは絶望的な状況だ。
敵を目の前にして、私の身体はもはや動かない。
立つことも出来ない。
もはや殺されるのを待つだけの状況。
それでも、
それども不思議な事に、私の意識ははっきりとあった。
身体中の激痛に耐えながら、思うように動くことも出来ない苦痛を感じながらも、私の意識はただはっきりとあった。

私の戦意は失われることはなかった。


続く。












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