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願わくは、

作者: イリ

 鏡を覗いてうんざりとした。ピアスのホールを開けた部分が腫れ上がり、色は紫になっていたのだ。ここに開けたのは数日前。夜中の三時に思い立ったように。開けた時は痛みなんて感じなかったのに。耳の穴に、指が入らないほど腫れ上がり、膿が出ていた。

「どうすんの、これ」

 手元に消毒液が何もなく、手の施し様がなかった。とりあえず綿棒を手にしてはみたものの、どうすればいいかも分からずに私はただ鏡と睨み合っていた。

 私の耳には何箇所かピアスのホールが開いている。左耳には三つ。右耳には二つ。そして今回新たに開けた場所は、トラガスと言われる場所だ。女の子は偶数より、奇数の方がいいと言われているので、本当はもう一箇所、違う部分に開けるつもりでいたけれど、あまりにも変色が酷く、さぁもう一個という気持ちにはとてもじゃないがなれなかった。


 そもそも私がピアスのホールを開けたのは13歳の頃で、あれは冬の晴れた日だった。

 当時、大好きだったアーティストを真似て開けたつもりだったのだけれど、何故か開けたのは右耳の耳たぶで、そのアーティストとは逆だという事に気付いた時は相当なショックを受けたのを覚えている。

 真っ白な雪が光に反射してキラキラしている中、真っ赤になっている耳たぶに姉のピアスを勝手に付けキラリと光るのが、何だか少し大人びた気持ちになり一日中、耳が気になって仕方がなかった。

 窮屈な思いから少しだけ解放されて、右耳にある秘密を家族にも言わない事で何かワクワクしていたんだと思う。痛いと思うよりも、本当に開けちゃったという気持ちの方が大きく、長い髪で隠しながらドキドキした。

 先生にバレやしないだろうか、先輩に見つかったりしないだろうか、そう思いながらも友達に見せては友達の反応が嬉しかったんだ。

 

 14歳になった頃には左耳のホールは二つに増え、右耳のホールを拡張し、当時流行り始めたボディピアスを付けていた。確か6Gaくらいだった気がする。ピアスを外すとホール越しに向こう側が見えて、当時の彼氏とゲラゲラといつまでも笑っていた記憶がある。ぶらりと揺れるボディピアスをぶら下げて、勉強以外のことに熱心になり始めたのだ。

 この頃から、成長するにつれていらない事ばかりを覚えていた。何をしても空腹のまま満たされる事もせず、家族との会話も減り、部屋には無我夢中で壁に写真を貼りつくした。何に必死だったのかも分からず、どんな事をしていたかも覚えていない。

 ただ、後悔をした。それだけだ。


 15歳の時には右耳に三つ、左耳に五つ、そしてへそに一つピアスのホールを開けていた。左耳のヘリックス(軟骨部分)に二つホールを開け、痛くて痛くて泣いた。髪を洗う時に安全ピンに当たると激痛が走り、風呂場で何度も声にならない悲鳴をあげていた。右耳の耳たぶのホールは4Gaまで拡張され、その頃付き合い始めた彼氏に引かれた覚えがある。

 年上と付き合ったせいなのか、背伸びをして、見よう見まねで覚えた化粧。その人の都合に合わせ徐々に行かなくなった学校。私は必死だった。求めたものが大きすぎて。それでも当時は、それなりに幸せを感じていたとは思う。

 へそにホールを開けたのは、友達とのその場のノリだった。美術の時間、制服のスカートに飾りで付けていた安全ピンをそのままお腹に刺してみた。感覚は麻痺していたせいか、この頃には痛みなんて感じなかった。お腹に消毒液を溜めては、友達ときゃっきゃっと声を出し喜んでいた。


 今、思い返してみればみるほど、馬鹿馬鹿しい事ばかりだ。それでも懲りずにそれをくり返して、私は何を得たのだろう?

 傷口から出た血を、必死に消毒液を塗ったティッシュで押さえ、私は何に満足していたんだろう?


 日が経つにつれて、純粋と呼べた頃の感情が薄れていくような気がして恐い。ピアスのホールを塞げば元に戻るんじゃないかと思ったけれども、どうやらそれも違ったらしい。私は失くしたものを取り戻そうと、再び同じ箇所を針で刺すのだ。


 鏡を覗きながら五分は経っただろう。私はどうしようも無いのでとりあえず、髪の毛で上手くごまかし、リビングへと向かう。別にごまかそうが何しようが母はきっと気付かないだろうけれど。

 日差しが入るように設計されたこの家は、午前中だけはやたらと暑い。丁度、ソファーが置かれている場所に、これでもかと言わんばかりの日差しが差すのだ。

「暑い。今日も変わらず」

 庭に干されている洗濯物がゆらりゆらりと風に揺れて、十分なほどの太陽の日差しを浴びている。こんな日は、二階のベランダに体を乗り出し、大好きな音楽と共に時間が過ぎていくのをぼぉっと感じていたい。そんな事を考えながらソファーに横になった。

「痛い」

 この何分間ですっかり、自分の耳の事なんて忘れていた。痛いという感情があるだけまだマシなのだろうか。


『ピアスを何個も開ける人は、腕にリストカットする人と同じらしいよ』


 ある日、私はこう知人に言われた。ようするに、腕が耳に変わっただけで、している事は腕を切るのと変わらないということらしい。言われてみれば、そうなのかもしれない。その場では違うよ、なんて言ってみたものの、何が違うかまでは私には説明する事ができなかった。

 自らの身体に自らで傷をつける行為は変わらないのだから。ピアスを外しホールを塞いでみても、その痕はしっかりと耳に残っている。触るとしっかりとあるしこりも、もう元に戻る事はない。


 横になった体を起こし、テレビを付けていると洗面所の方から母が顔を出した。

「あら、起きていたの」

 手にはまだ干しかけている洗濯物を持ち、気分が良さそうに鼻唄を歌っていた。きっと昔から好んでいる、斜めに持ったマイクを顎に当てて歌うあの歌手の歌だろう。この間、プレゼントしたCDはお気に入りらしく、車などでもよく聴いている。

「天気いいね。もう秋になるっていうのに」

 日差しに目を細めながらも、私は窓の外を見る。本当にいい天気だ。雲ひとつ無く綺麗な水色が、真上に上がった太陽をより明るく見せていた。暫くぼんやりとしていると、母はテーブルを挟み私の向かいに座った。

「そうだ、紗枝」

「なに」

 私は母の方を向き、返事をすると母は壁にかかるカレンダーを見ていた。何をそんなに真剣に見ているのかはわからず考えていると母はこちらに顔を向けた。

「もうすぐ誕生日。今年は何が欲しい?」


 あぁ。もうそんな時期なのか。もう私も成人して数年。それでもまだ、自身の未熟さを痛感する事の方が多い。成長しきれずに同じ事を繰り返してまた今年も歳を重ねる。

 母の顔を見ると、たまにそんな自分を恥ずかしいと思う。3ヶ月ほど前に、私の耳を見た母が、もう少し自分の身体を考えなさい、と言った。母は昔から私がピアスを付けている事を、あまり良く思ってない。私はその言葉を聞いたのに、考えた結果がこうだったのだ。

 笑っている母を見ると、この変色した右耳の事で罪悪感にさいなまれる。言うべきか、言わないべきか、私は躊躇ってしまう。


「紗枝? どうしたの?」

 何も知らない母親は答えを返す事を躊躇っている私を見て、心配そうに顔を覗いてくる。いいや、なんでもない、と首を振りながらも私は何を言えばいいのかわからないでいた。

「何か欲しいものはないの?」

 ピアスのホールを開けるだけ開けてしまってから、母の顔を見て罪悪感なんて都合の良すぎる話で。私は色々と考える。思い当たる物なんて一つしかないのだけれど。

「ピアスがいい。ヴィヴィアンの」

 首を傾げて、ん? と私の顔を覗く母。

「ピアスなんてもう沢山あるのにまたかい」

 呆れたように母は笑う。違うんだ。あの穴を埋めれるのはやっぱりピアスしかないんだ。


『穴ばっかり開けたって中身は何もないくせに』


 いつか、誰かにそう言われた事がある。その通りだと思う。人から見ればただの“穴”だ。

 でもその穴に、私は幾度も願いを込めてきた。叶わないような事ばかりだけれど、それでもこの穴には私の願いが詰まっているのだ。

 ただ、何か少しでも今よりマシになればいいと、願いながらそれが叶う事もなく。憂鬱に負けぬようにと、願いを込めても決して浮かばれる事もなく。

 穴を開ける前と、開けた後は何かが変わるのだと、思って疑わなかったあの頃。あのドキドキしながら、鏡を見て、慣れない手付きで安全ピンを刺した幼かったあの頃。 

 そして、その願いを逃さぬように、ピアスで蓋をしているんだ。まだ何も得る事が出来ずに中身は何もないままだけれど。

 それでも、この穴に、私は願わずにはいられないんだよ。あの日から、今もずっと。

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[良い点] 文章が良いです [気になる点] 文学ってこうやって書くのか、と私がうちひしがれたw [一言] はじめまして。俊衛門と申します。ふらふらと立ち寄ったところ、目に付いたので拝読させていただきま…
[一言] 実際に体験したかのような文章が凄く印象的でした 西本先生の作風はリアルに響いて好きです
[一言] 西本惠里さん、はじめまして。  物語の主人公、紗枝。彼女の生き方・・・というか、考え方や気持ち。 大人になりきれないまま大人になってしまった少女・・・ その微妙な部分の描写が上手に表現され…
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