ガソリンスタンドのブルース
警邏隊のジープは、10時きっかりにスタンドへやって来た。
隊長の上本は、部下のうちの一人に、ジープのガソリンを補充するよう命じ、残り三人を警備に配置しておいて、一人でおれの待つオフィスへと入って来た。
「おはようございます、保安官」
上本は慇懃に頭を下げたが、そうしながらも油断なく周囲に目線を走らせている。
「不審者を確保した、との通報を受けましたが、状況を説明していただけますか」
「ああ、緩衝帯の辺りで砂埃が上がってるのを見たんだけどさ、あれ、恐らく野生馬の群れだと思うんだ。農地に被害が出る前に追っ払ったほうがいいんじゃないかと思って」
「おかしいですね。通報では不審者が窃盗を働こうとしたとか」
「それは変だな。俺が見たのはあくまで砂埃なんだけど、どこで話が変わったんだか。昨日ちょうどその時間帯に電波障害が起こったのかもな。他所の通報と混乱したんだろ」
上本は何も言わず、細めた眼でじっと俺を見つめている。そんな嘘を聞きにここまでやってきたわけじゃない、とでも言っているような嫌なお目付きだ。
上本も昔はもっと話の分かる男だったのだが、過酷な日常と責任の重さで、すっかり警戒心の塊になってしまった。
「とりあえず緩衝帯のほう見回りに行ってよ。帰りにまた寄ってくれ。その時コーヒー淹れるから」
上本の目元があからさまに緩む。どんなに性格が変わっても、この男の重度なコーヒー中毒は治らない。そしておれが特別な伝手で入手している豆は、純度100%の天然もの。妥協の無さで恐れられている上本隊長の心を溶かす、俺だけが知っている裏技だ。
上本と部下がジープに乗りこみ、充分に遠ざかったのを見計らい、俺はオフィスの掃除用具入れの扉を開けた。
中に隠した少年は、急に差しこんだ光に目をしばたたかせている。俺は少年に出るように合図し、オフィスにある来客用の椅子に座らせた。
「今コーヒー淹れてやるからな。めったに口に出来ない上物だ。それ飲んだら、すぐ出ていけ。警邏隊がまたそのうちここに戻るから、それまでには姿を消してくれ」
昨日深夜、スタンド敷地内に据えられたトレーラーハウスで寝ている時、スタンドオフィスから物音が聞こえた。
枕元のショットガンを手に様子を伺うと、小さな影がオフィスのドアを開けようとしていた。俺は影にそっと近づき、後頭部に銃口を押しつけた。
「ゆっくりと手をあげて、こっちに振り向け」
振り向いたのは、まだあどけなさの残る少年だった。
オフィスの鍵を開け、少年の薄汚れたシャツの襟首を掴んで中へ連れ込み、オフィスの奥にある留置場へ少年を放り込んだ。
鉄格子越しに何を聞いても、少年は一言も口を利かなかった。尋問を諦め、当局へ無線連絡を入れ、俺はオフィスのソファに横になった。
ガソリンスタンドが保安官事務所を兼ねるようになって、もう十数年になる。元々地方の小都市となると、ガソリンスタンドは町外れにあるのが一般的だ。幹線道路にも面していて利便性も高いが、逆にそれらのロケーションが貴重なガソリンを狙う盗賊団の恰好の標的になった。また、隣接都市との関係が緊張状態になった時には、スタンドは前線基地にもなった。
大都市のほとんどは城塞化されている時代だったが、地方にはそんな財源も無く、また他の都市との間には広大な緩衝帯が広がっている。間延びしたエリアを囲うより、境界線上に位置するガソリンスタンドに保安官を常駐させるほうが効率的だった。もちろん、ガソリンを給油もするし、ちょっとした食料品や雑貨も売る。しかし同時に、ガソリンスタンドは銃器の装備を許され、また緩衝帯周辺に出没する様々な不審者の逮捕権や、オフィスに造り付けられた留置場への収監権も与えられていた。
翌朝、留置場の少年に前日食べた煮豆の残りを持っていってやり、鉄格子の配膳スペースから皿を差しだすと、少年が皿を受け取ろうと両手を伸ばしてきた。
ふと気配を感じ、目線を下げると、腰に下げた拳銃に向かって一本の手が伸びて来ていた。俺は皿を持ったまま一歩下がった。少年の左わき腹辺りから、腕が生えていた。
「お前、ミュータントか。キャラバンからでも逃げ出してきたのか」
数年前にこの町にもサーカスキャラバンがやって来た。その時、警備を兼ねて覗いて見たのだが、かつてサーカスの売りだった動物たちの役割を、今はミュータントたちが担っていた。変異によって様々な身体的特徴を備えたミュータントたちが檻に入れられ、見世物にされていた。
ミュータントの数は増え続けているが、それだからこそか、ミュータントへの差別はひどくなる一方だった。話によると、サーカスでは裏でミュータントによる売春行為まで行われているという。
このまま警邏隊に少年を引き渡すとどうなるか、火を見るよりも明らかだった。少年は施設へ送られ、その後新薬の被検体となるか、採掘場の穴送りか。
俺は、少年を逃がす事に決めた。
掃除用具入れから出し、オフィスの椅子に座らせ、温めに入れてやったコーヒーをたっぷり注いだカップを渡すと、少年は両掌で大事そうに抱え込んだ。
ゆっくりと香りを嗅ぎ、恐る恐るカップに口を付ける。少年の目が大きく見開かれ、しばらくコーヒーカップを見つめていたかと思うと、やがてむさぼるように飲み始めた。
またたく間にコーヒーを飲みほした少年は、名残惜しそうにカップをテーブルに置くと、かすかに聞こえる小さな声で「おいしい」と呟いた。
同時に、目から溢れ出た涙が、汚れた頬に筋を作った。
スタンドの裏口から送り出すと、少年は少し歩いて立ち止まり、振り向くと深く頭を下げた。
少年は顔をあげ再び歩き出すと、やがてスタンドの裏から広がる農地に繁るトウモロコシの群落に消えた。
ほどなく上本が戻って来た。俺は大盤振る舞いでコーヒーのお代わりまで淹れてやり、出来る限り上本を足止めした。
三日後、10時きっかりに上本がオフィスに現れた。その日は部下を連れず、一人だった。
上本は黙ってオフィスの椅子に座り、俺も黙ったままコーヒーを入れてテーブルに置いてやる。上本は一口コーヒーを飲むと、カップを置いてようやく口を開いた。
「昨日町でミュータントを一体確保した。施設の車に乗せる時、スタンドの人にお礼を言ってほしいと頼まれたよ」
それだけ言うと、上本は再び口を閉じて、コーヒーに口を付けた。俺にも何も言うことは無かった。
コーヒーを飲み終え、上本が立ち上がった。オフィスのドアを開け、上本は一旦立ち止まると、振り向いて何か言いかけた。しかし、言いかけた言葉を飲み込み、小さく咳払いをすると、再び口を開いた。
「今日のコーヒー、いつもより少し苦いな」
上本の乗ったジープが町へと走り去るのを見送り、オフィスに戻ると、俺も残ったコーヒーをカップに注いだ。
それは、確かにいつもより少し苦かった。




