僕は、その木に住んでいるPDFで表示縦書き表示RDF


ジャンル分けの難しい作品ですが、一応「不条理文学」としています。
感想はお気軽にどうぞ。与えるととても喜びます。
僕は、その木に住んでいる
作:未到


 そもそも住む場所というのは、何処に行っても自然と帰りたくなる、そんな場所だと僕は思っている。
心安らげる場所であるということは勿論、何か気になってしょうがないものがあるべき場所なのだ。

 僕が見つけた家は、まさにその二つの条件を満たすべく作られたかのようだった。

 賃貸ガイドを片手に引っ越し先を探していたその日は、二、三日降っていた雨がようやく上がり、少し暑さの和らいだ夏の日だった。
二階建ての、青い屋根のペンキが空に溶けて、心地よい風の中に居ながらもその日がとても夏らしく見えたからよく憶えている。

 その壁は、ところどころムラのある白。そこに何の飾り気も無いガラス窓と、一枚板のドアがくっついているだけの家だった。
空色の屋根に比べれば、それらはとても貧相で無愛想な印象を受けたが、それが逆に飾り気の無い好感を僕に与えてくれた。
毎日使うものが洒落たものでは取り扱いに苦心するばかりだ。その点つまらないものならば汚れや傷みも大して気にならない。
綺麗なものは見るだけですむのが一番いいと思っているから、この外観は第一の条件を理想的な形で体現していると言える。

 もう一つの条件は自分で作れるものだからあまり気にはしていなかったのだが、念のため周囲をぐるりと歩いてみることにした。

 家の周りは背丈より少し低めの塀に囲まれていて、何だかこの家には勿体無いほどの防備だ。
だがその隣にある空間を見て、僕はその意味を理解した。

 その空間は、空き地だった。

今や高低様々の雑草が生え広がり、かつてどのような使われ方をしたのか想像もつかない。
ただ一つ言えるのは、この屋根以外は無骨な作りの家の横に同じぐらいの広さの庭があり、
この家に住む者はこれを自由に使用してよいものであろうと考えられることだ。

 それが分かると、この塀は家のみでなく庭にまで一定の愛着を持っていたが故に作られたものであるということも十分に窺い知れた。

 塀越しに、庭を覗く。と、その中心にまっすぐ生える木の苗があるのに気づいた。何と言うこともない苗木だ。
だが、庭にある木はそれしかなかった。

 一メートルもないであろうその苗木は、ともすれば雑草に紛れてしまいそうなほど存在感の薄いものであったが、
幹らしき部分には緑色の中にも茶色がかった箇所があり、やはりそれは木であった。

 なぜ雑草だらけの庭にこの苗木だけが植えてあるのか、そんなことはどうでも良かった。この木は、興味を引くに足るものだ。
そのことは、僕が求めるもう一つの条件に正に合致している。それだけで十分だった。

 飾り気の無い家。空色の屋根。小さな苗木。

 こうして、僕の新しい生活が始まった。




 荷解きと掃除を終えた僕は、すぐに苗木の様子を近くで見ようと庭へ出た。

 庭のちょうど中央にあのひょろりとした身体がある。

 何はともあれ水をやることから始めようと思っていた僕は、あらかじめ買っておいたジョウロに水を入れ、周りを囲むようにふんだんに撒いてやった。

 改めて、苗木を眺めてみる。近くで見てもやはりひ弱そうだが、よく見ると葉も枝も一通りそろっており、小さいながらも木の形をしている。
あの茶色を含んだ緑の幹も、ここまで近づけば周囲との差は明らかだった。

 やはりこの苗木は特別だ。それを僅かでも否定するものは、この庭には必要ない。

 そう感じた僕の手は、気がつくと周囲の雑草を引き抜き始めていた。軍手を着けていない両手はあっという間に真っ黒になったが、
その甲斐あって二十分と経たないうちに周りの雑草は根こそぎ掘り起こされ、一抱えできるほどに積み上げられていた。

 満足した僕は家に入り、窓の中から苗木を見た。苗木は、木であるとはっきり分かった。

 こうして見ると、周囲の環境の変化から特別な存在にはなったものの、やはり苗木だ。見るからに幼い。

 今後僕はどのようにしてこの木を守っていけばいいのか。風が吹いても倒れぬよう、添え木をした方がいいのだろうか。より育ちやすいように、肥料を入れてやるべきなのだろうか……

 ともあれ、元気に育ってくれるのが一番だ。できることなら、ここに住んでいる間にはっきり分かるぐらい生長してほしいものだが。
何しろ、木だ。植物にはあまり詳しい方ではない僕でも、一般的な木がとても長生きであることぐらいは知っている。

 まあ一年も経てば少しは伸びるだろう。その程度に考えていた僕の予想は、しかし、軽々と超えられることになる。

 その次の日の朝。残りの草を刈るための道具を買いに行こうとして、何気なく庭を見た時だ。

 苗木がある。が、様子がおかしい。昨日と比べて、どこか違和感がある。

 庭に降り、近くまで行って僕は思わず足を止めた。

 苗木が生長しているのだ。昨日までは腰の高さにも満たなかったあの苗木が、今日は胸の高さにまで迫ろうとしている。

 近づいて、新しく伸びた葉に触れてみた。まだ柔らかいが、以前から付いていた葉と似た手触りだ。
たった一日で新しい葉がここまで生長するものだろうか。

 奇妙なことだ。だがありがたいことだ。目に見えない生長を空想と期待で埋める覚悟をしていただけに、
目に見えて早く生長するというのならこれ以上楽しみなことはない。

 だがすぐに不安が心に巡ってくる。もしこの調子で大きくなっていくのなら、この木は一体どこまで広がるのだろう。
家を抱えるほど、あるいは道に腕を伸ばすほど生長してしまったなら、僕はこの木を傷つけなければならない。
世話をする立場の者として、それを実行に移すというのは想像するだけでも忍びないものだ。

 そんな不安を知ってか知らずか、次の日も、また次の日も、苗木はぐんぐん伸びていった。

 毎日の仕事から帰ると、水をやり、肥料を確認し、幹を撫で、枝に触れる。
それから家に戻り、一杯やりながら窓越しに木を眺める。雨の日も水やり以外の世話は欠かさず行った。

 そうしているうちに、この木に名前をつけようか、という考えが僕の脳裏にふと浮かんだ。

 植物に名前をつけるなんて友人のいない奴がすることだと思っていたから少し抵抗はあったが、
日に幾度もその考えがちらつくようになり、1週間も過ぎる頃にはもうそんな独善的な羞恥心は掻き消えてしまっていた。

 それからさらに二日考えた末、僕はようやくその木に名前をつけることになる。

 名前は僕だけの秘密だ。ただ、性別が「彼女」であったことだけは知られてもいいだろう。

 それから一ヶ月と経たないうちに木の背丈は僕を容易に越え、枝は数えきれないほどに腕を広げ、葉は大きな影を作るほどになった。

 だが不思議なことに、これだけ伸びてもこの木は、実はおろか花すらも咲かせようとはしなかった。
まるで身体を大きくすることにしか興味が無いかのようであったが、その生長もほどなくして止まった。
腕は庭よりも広がることはなく、背丈も家を越える手前でピタリと止まってしまったのだ。

 この木は、僕を理解しているのかもしれない。そう思うと、この奇妙な「彼女」の生長もどこかいじらしく感じ、ますます愛おしいと思えた。

 そんなある日、いつものように世話をし、木を眺めようと窓の外を覗くと、以前より木の幹が見えにくくなっていることに気づいた。

 生長が止まってからも木は少しずつ変化していたから、窓の外から見える景色は毎日違っている。
だがその日は完全に枝が視界を塞いでいた。

 よく見ると、太い枝の一本がこちらに向かって手を伸ばすようにまっすぐ窓に触れている。

 僕は窓を開け、その腕に触れた。腕はしなやかに曲がり、相応の力で押し返してくる。僕はふと思いつき、庭へ出てみた。

 庭いっぱいに大きく広がった木は、しかし僕を見下ろしながらも控えめな安心感を与えてくれる。
まるでこの大きさが僕にとっての理想であると確信しているかのようだ。

 僕はさっきの思いつきを実行に移そうと、幹に近づいた。あまりにも急激に生長したからだろうか、
枝や葉と比べて幹はまだ緑色を多分に宿していたが、太さは十分である。
拳骨で数回叩いてその硬さを確認した後、僕は枝と幹に手をかけてよじ登り始めた。

 この木は見上げることしかできなくなってしまった。だが、一番上まで行けば、また僕が見下ろすことが出来る。
下からは分からないが、ひょっとしたら伸びた先に腰を落ち着ける場所ができているかもしれない。
もしそうだったら、晴れの日はそこに住んでもいい。本を読み、風に身を任せ、この木に身を預ける。そんな休日が過ごせたらどんなに幸せだろうか。

 だが、甘い想像は、あっという間に塗り潰された。

 葉で包まれた影の中、あと二足上がれば頂上というところだった。手で体重をかけていた枝に足を乗せた瞬間、枝が大きく曲がったのだ。

 突然足元が滑った僕は、あっと思う暇も無く、掴んでいた枝を離してしまった。

 僕は落ちていった。

 枝が、葉が、僕の身を引き裂いて行く。強い枝に身を打ちつけ、うつ伏せになって落ちる瞬間僕の目に見えたのは、こちらに向かって突き出た鋭い枝の先だった。

 さっと恐怖が全身に走る。

 そして。

 叫び声を、上げたような気がした。だがほとんど声にならなかっただろう。

 不意を突かれた木の枝が、僕の首筋を刺し貫いた。枝が強くしなり、僕の身体を突き上げる。

 鮮血がほとばしった。

 緑色の幹に、血飛沫がまだら模様を描く。僕の身は紅のぬめりに包まれ、枝を支点にして、だらりとぶら下がった。
それでも足は、地面には届かない。僕はそんなにも、そんなにも高く、この木に登ってしまっていたのか。

 ……ああ。そうだった……

 激痛に支配された意識の中で、僕は気づいた。

 幹はまだ緑色だった。「彼女」はまだ苗木だ。僕を理解し、期待通りに生長した木は、無理を承知で腕を広げ、背伸びをしていた。
そんな身体に僕を受け入れる余裕など、あるはずがなかったのだ。

 血はなおも流れ出、足元に血溜りを作っていく。

 この血も先ほどやった水と共に吸い上げられていくのだろうか。そう考えたところで、僕の意識は途切れた。




 空色の屋根の、飾り気の無い家。

 二つの条件を、満たした家。

 その庭にある木に、僕は今も住んでいる。

 折れない枝にぶら下がり、血まみれでなお住んでいる。

 何と言うこともない木だが、僕の家はここしかないのだ。

 だから、あなたに言う。

 お願いだ。

 血まみれでぶら下がる僕の生身を見つけても、どうかそのままにしていてほしい。

 この枝は僕にとっての、言わば屋根。

 心安らげる揺り籠であり、日々振り返りし想い人。

 彼女がどれだけこの血を吸い上げたとしても、僕にとっては失い難い、家なのだ。














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