#5.5
〜ヴェステア・城下町
兄が家を出てもうすぐ一週間だ。兄がこれぐらい家を開けるのは日常茶飯事のことだが、やはり寂しいものがある。
まぁ、何かと騒がしい兄がいないぶん、気兼ねなくのんびりできるのは良い事だが。普段は家事全般を担当しているがために。
少女は読んでいた本を閉じ、少し背伸びをする。金髪のツインテールが、窓からの風に揺れた。
彼女の名前はカチュア・ギュンター。現在南方の反乱討伐へと赴いている、ユリウス・ギュンターの妹である。
ヴェステア随一と言えるほどの美形である兄と同様、彼女の顔立ちも非情に整っている。ただ、その外見は21歳にはとても見えない。15歳程度と言っても十分に通用するほどの童顔と体格だ。
彼女はそのことを結構気にしているのだが、周囲からはそのせいで余計に可愛がられているのだった。
「……お茶でも飲みに行こうかな」
椅子から立ち上がり、少し背伸びをする。背伸びは癖だ。ちょっと一息つくときは、いつも背伸びをする。
その時だった。玄関の呼び鈴が鳴る。兄は居ないのに、誰だろうか。カチュアは小走りで玄関へと向かう。
「はい?」
扉を小さく開ける。そこには、かつてよく見た顔があった。
「よ、カチュアちゃん。元気にしてたか?」
「ヨゼフ君!? どーしたの!?」
扉の向こうに居た男―ヨゼフ・マコーネル。ユリウスとは士官学校の同期であり、親友であった男。カチュアも彼にはよく世話になっていた。今はフィツール地方中央部の都市、ティファールで働いているという話だ。
赤い髪をオールバックにまとめ、後頭部で三つ編みを作っている。瞳の大きな、少々特徴的な顔。
「いや何、ちょいと用事があってね。ユリウスは?」
「あ、今はちょっと……」
カチュアが言葉を濁す。と同時に、ヨゼフもカチュアが言おうとしていることを察したようだ。
「あー。ったく、アイツも忙しい奴だ。しょっちゅう出てるよな」
ユリウスの出陣回数はかなり多い。出陣以外にも、長期演習や出張など、ヴェステアを空けることが多々ある。彼の出張が多い理由を一言で言ってしまえば、先述(#1参照)したように、人材不足のせいである。実際、他の若手―レオンやライーザなど―もユリウスほどではないが、激務と言えるだけの仕事をこなしている。
正直、ユリウスと二人で居る時間よりも、一人で留守を待つ時間の方が長いのだ。ただ一人の家族である兄が居ないということは、寂しいことである。もっとも、絶対に口にはしないが。
「今日は報告あって来たのにな。ま、いっか。ちょいと上がるぜ」
「あ、うん。どうぞどうぞー」
ヨゼフを応接間に通し、自分は台所で湯を沸かす。「ファイアフレーク」と呼ばれる、小さな使い捨ての術具を用いて。これは火のエッセンスを結晶化したもので、少しの術力で発火する、言わば火種である。この世界で、もっとも普及している術具だ。
茶箱を開けて、中を見る。茶葉の残量はかなり少なかった。カチュアは思わず顔をしかめる。
「……あちゃー。薄いかも。……ま、いっか。ヨゼフ君だし」
よく知った間柄だから大丈夫という考え。親しき仲にも礼儀ありという言葉をあまり知らないらしい。
コップに濾紙を置き、茶葉を乗せる。その上から湯をゆっくりと注ぎ、茶を淹れる。安物の茶だが、別に不味くは無い。
「お待たせー」
ティーカップをテーブルに置く。ヨゼフは軽く手を上げてそれに応え、少し啜る。
「うん、美味い」
彼は何を食べても美味いというタイプの男だ。
「で、報告って何? あたしでよかったら聞くけど」
「おう、聞いて驚くな……」
ヨゼフが言葉を溜める。もったいぶるという事は、やはり重要な事柄なのだろう。カチュアは少し緊張した面持ちでヨゼフの次の言葉を待つ。
「良いよせて上げる下着を」
「そんな話いらないわぁーーーっ!!!」
期待して損した。思わず手元にあった本を投げつける。
「わっ! うおっ!! ったく、冗談だって」
飛んできた本を払いのけながら、ヨゼフが意地悪そうに笑う。彼としては、期待通りのリアクションだった。
「本題だ。俺、領主になる」
「は?」
あまりにも唐突な一言に、思わずきょとんとするカチュア。
「領主だよ、りょ・う・しゅ」
「……まさか、ヨゼフ君が領主様になるの!? 嘘、何処の!?」
「フォルセナだ。ま、俺の実力からすれば、遅すぎたってとこだな」
ヨゼフがごそごそと鞄の中から辞令を取り出して、誇らしげに胸を張った。それを覗き込むカチュア。まぎれもない本物の辞令であった。……もっとも、カチュアは領主任命クラスの辞令など、見たことがないのだが。
フォルセナはフィツール地方のちょうど中央部、首都の南に位置する、中規模の都市である。首都レグザミール防衛の要として、かつては重要な役目を担っていた。しかし、現在は戦争終結とともにその役割を終え、南部からレグザミールへと旅する行商人達の宿場町として栄えている。
フォルセナレベルの都市の領主に、27歳のヨゼフが任命されるのは極めて異例のことである。確かにヨゼフは才能豊かな者であるが―もっとも、ユリウスやヨゼフと同期の者には、優秀な者が多い―年功序列の根強いナディア帝国でこの人事が行われるのは快挙と言えるだろう。改革派と自他共に認める都督ディアスの面目躍如といったところか。
「ま、ユリウスとは『どっちが先に領主になるか』って賭けしてたしな。アイツが帰って来たら伝えといてくれや」
「ふーん。で、何を賭けてたの?」
「そいつは言えねぇな」
「……なるほど。ってことは、どーせエッチなことでしょ」
カチュアが冷めた目でヨゼフを見る。兄の女遊びの激しさは知っている。こじれたことがほとんどないのが不思議なほどだ。そして、ヨゼフも結構好き物らしい。
「んだよ、その目は。はっきり言ってないってのに」
「大体わかるよ……。何回酔っ払って変なこと言われたことか」
カチュアがため息をついた。当のヨゼフは、その顔を見ながら苦笑している。
「ま、ユリウス居ないんならここらへんで帰るわ。ちゃんと伝えといてくれよ」
ヨゼフが辞令を鞄にしまい、席を立つ。
「茶、美味かったぞ。そんじゃーな」
「あ、うん。今度お兄ちゃんにちゃんと伝えとくね。ごめんね、何も出せなくて」
「いやいや、気にしてないから。んじゃ、元気でなー」
ヨゼフが出て行った。カチュアは少し背伸びをして、ティーカップを片付ける。
「うーん、ヨゼフ君が領主様かぁ……。月日は早いもんだよねぇ……」
感慨深げに流し場へとティーカップを置き、水瓶から水を汲んで軽くすすぐ。
「……あ。おめでとうって言い忘れた……」
思わず頭を抱えるカチュアだった。
ノック音。
ティーカップを食器棚にしまい、先程読み終えた本を本棚にしまおうとしていたところだった。
今度は誰だろう。玄関へと向かう間にも、ノック音は続く。呼び鈴も混じって、五月蝿いことこの上ない。
「はーい、今出ますからー」
ドアを開ける。と同時に、何者かが倒れこんできた。カチュアが胡散臭そうな目で、来訪者を見下ろす。黒い髪に、東国物の上着。履いているのは靴……というよりはサンダルの類か。それも東国風だ。上着の腰の部分が尖っている。これはおそらく剣の鞘であろう。
とりあえず、不審者だ。
「……ず」
「はい?」
か細い声が聞こえる。聞いた感じでは女性の声だ。
「……水、くれへんか……? 死んでまいそうや……」
来訪者が顔を上げる。汚れてはいるが、美人だということはよくわかった。黒い髪の中で、唯一左眼の上の部分のみが赤い。そして、カレリア訛り。噂には聞いていたが、実際耳にするのは初めてだ。
「あ、は、はい。ちょっと待ってください」
不審者ではなかったようだ。ただの旅の行き倒れか? コップに水を汲み、来訪者に渡す。
「おおきに……」
玄関に力なく座った来訪者は、コップを受け取って中身を一気に飲み干す。着ているものは東国の男物の上着だ。だいぶ大きいようで、普通に座っている状態でも袖が床へついている。というか、腕が襟の部分から出ている。羽織っているだけのようだ。
「……ぷっはー、生き返ったわぁ……」
幸せそうな表情で、来訪者が大きく息を吐く。
「おおきに。いやー、財布を思いっきしスられてもうてなぁ……。往生したでぇ……」
「あ、そ、それはご愁傷様です……」
「今は嬢ちゃんしかおらへんの?」
「はい。そうですけど……?」
「ほぇー。若いのにしっかりしとるなぁ。偉いわぁー」
来訪者が感心そうな目つきで頷く。やはり15歳ほどに見られているのだろう。カチュアは不愉快そうにため息をつく。
「……あたし、21ですけど」
「ほぇ?」
しばらくカチュアの言うことが信じられない感じで見つめ返してくる来訪者。しばらくして、彼女は慌ててフォローを始めた。
「い、いや、21でも十分若いやん! いやー、しっかりしとってえぇなぁー! 嫁にしたいくらいやわぁー!」
「……ま、慣れてるからいいんですけど」
「……すんまへん」
来訪者が頭を下げた。しかし、ずいぶんと早口な女だ。
「せや、ウチはメリーベル・ライフキーパー。流しの用心棒やさかい」
「あ、それはどうも……。カチュア・ギュンターです」
カチュアがぺこりと礼をする。その様子をメリーベルは怪訝そうな目で眺めていた。
「ギュンター? ……ユリウス・ギュンターと知り合いなん?」
「はぁ……ユリウスなら兄ですが……?」
またお兄ちゃんがが手をつけた女の人とか、そういう話じゃないよねぇ?
カチュアが疑惑の視線でメリーベルを見つめる。そういう発想が真っ先に出てくるのが嫌というか情けないというか。とにかく、兄のことはそこまで気にしていないというのに。
「そうなんか! いやー、ユリウスさんいうたら、めっちゃ有名人やでー? 領主の名前知らん人でも、ユリウスさんの名前は知っとるとかな。そっか、妹さんなんかー」
メリーベルは掌を打ちながら、納得した感じでまくし立てる。やはり早口だ。よく見れば、八重歯が目立つ。カチュアは何故か猫を連想した。
メリーベルの言葉が止んだ瞬間、腹の音が聞こえた。恥ずかしげに俯くメリーベル。
「……あはは、あんなー……悪いけど、少しでええから食べ物くれへんか?」
「あ、は、はい、朝食の残りでよければ……」
確かパンが数個残っていたはずだ。パン屋は毎朝いつもと同じ量を届けてくるが、どう見ても一人では食べきれない量だ。故に食事時には必ず余り、それらは全て間食となっている。間食が増えるのはよくない傾向だと解っているが、止められないのが悲しいところ。
台所のパン篭を覗き込む。あったあった。とりあえず二三個持ち出し、玄関へと持っていく。
「あの……これでよければ」
「おおきに……。ホンマええ娘やなぁ……」
メリーベルが玄関でパンを食べ始める。しかし、パンくずが玄関にこぼれるのはなんか嫌だし、水とか欲しがりそうだし、そもそもこの女はもう少し居座りそうな気がする。
「……よければ中へどうぞ。ここで食べるのも何ですから」
メリーベルの手が止まる。
「ホンマ? ……なら、遠慮なくお邪魔するで」
「邪魔するんなら帰ってください」
「ホンマ? じゃあさいなら……ってオイ!!」
メリーベルが立ち上がり、出口に向かうと見せかけてから、もう一度中へ入ってくる。結構な身長だ。特に脚が長い。上着のせいで詳しくはわからないが、パッと見では良いスタイルだ。幼児体形であるカチュアは、少し羨ましそうな目でメリーベルを眺めていた。
「いやなー、三日前かな? そんときに財布スられてもうてなぁ。しかも小分けにしとった分までなくしてもうたわ。最悪やで……。このパンが三日ぶりの食事やねん」
「……食べながら喋るのはどうかと……」
メリーベルは椅子に腰掛けて、もしゃもしゃとパンを食べながらも今までどおりの早口で喋る。口の中でも噛まないのか心配だ。
「……そこで頼みがあんねん」
「はぁ」
「ウチな、しばらくヴェステアに落ち着こう思うんやけどな、仕事が見つかるまででええから、此処に置いて欲しいねん」
「はいぃ!?」
随分と唐突な申し出だ。つい先程初めて顔を会わせた者に下宿を頼む。あつかましいというかなんというか。
「ホンマに金ないねん! いや、ウチ、ちゃんと働くし、カチュアちゃんが悪い奴に襲われたら、ウチがバボーンってやっつけたるから!」
「バボーンって何の音っ!?」
展開が早すぎてよく解らない。とりあえず、突っ込まれるところを突っ込んでおかないと拙いと感じた。
「ホンマに頼む! この通りや!」
メリーベルが頭を下げた。
どうしよう。本当にお金ないみたいだし、ここで追い出すのはこの人に悪い気がする。それに、悪い人じゃないとは思うし、女の人だから間違いとかもなさそうだし。どうせ食べ物も余るんだし。
「……わかりました」
カチュアの返答に、頭を上げたメリーベルが瞳を輝かせる。
「ただし、今、戦に出てる兄が帰ってくるまでっていう条件付きです」
「かまへんかまへん、そん時ゃそん時や! おおきに、ホンマにおおきにっ!」
メリーベルがパンをテーブルに置いて、カチュアの手を握る。
「いや、困っている時はお互い様ですし……。まぁ、よろしくお願いします、メリーベルさん」
それに、ちょうど一人は寂しいと思っていたときだった。このお喋りな人なら、話し相手になってくれるだろう。
とりあえず、ユリウスへの言い訳を今のうちから考えておかないと。
「ウチのほうこそよろしゅうな。あ、あと“メリー”でええし、タメ口でええで? ウチは23やから、歳近いさかいに」
「あ……うん。……じゃあ、よろしくね、メリー」
「おう、よろしゅうな、カチュアちゃん」
メリーベルがにんまりと笑った。八重歯が光る。やはり、猫っぽい人だと改めて実感するカチュアだった。 |