#9.5
〜ナディア帝国・フィツール地方総督府 レグザミール
レグザミールの質素な城内では、今日も各地からの使者が慌しく駆け回っている。レグザミールは総督府として極めて質素なつくりになっており、効率的に業務を行えるように設計されている。これは、かつての戦争で焼け落ちたレグザミールを再建する際にディアスが出した指示によるものだ。
その中の一室、領主室。ここは皇族や摂政が視察に来た時に謁見室として使用されるため、それなりに華美には作ってある。
もっとも、ナディア帝国での「華美」は、他国からすれば「普通」となる。そこあたりに、倹約を重んじる国民性が出ているのかもしれない。
その領主室の中で、フィツール地方都督のディアスは眉間に皺を寄せながら今朝方届いた文書を読んでいた。かつて宮廷の女官達の憧れの的であったというだけあって、50を過ぎた今でも十分に通用するほどの外見だ。
「チッ、またか……」
ディアスは忌々しげに舌打ちをし、文書を机の上に放り投げた。彼の机の上は、目の前の作業用のスペース以外は書類で埋まっている。大雑把な性格なのか、それとも片付けの嫌いな性格なのか。数日に一度の割合でメイドに片付けを頼んでいるため、おそらく後者だろう。
放り投げた文書には、ヴェステアで起こった反乱のことが書いてあった。フィツール王国の世継ぎと称する若手武官達によるクーデター。それは成功し、ヴェステアは完全に彼らの手に落ちてしまったらしい。そして、領主のクラシュトフは死亡。
「クラシュトフの奴、見誤ったな……。昔から日和見気味な奴だったが……そこは死なないと直らないか……」
ディアスとクラシュトフは同年代であり、付き合いは長い。クラシュトフは昔から優秀なくせに面倒を嫌う男だった。厄介ごとには首を突っ込まない男。世渡りの上手い男だったが、今回はそれが仇になったということか。
「……畜生」
ディアスが忌々しげに言葉を吐き棄て、舌打ちをする。年を取り、高い地位を得るとともに疎遠になっていったが、若い頃は一緒に馬鹿をやっていた。やりきれない、むしゃくしゃした感情がディアスを覆う。
悪い奴じゃなかった。死ぬ道理なんかなかったというのに。
「ディアス、入るぞ」
領主室の扉が開き、一人の男が入ってくる。ディアスとは対照的に、年齢を如実に感じさせるその外見。フィツール地方副都督、ヤコブである。ディアスとは若手時代からの付き合いであり、長い間彼の腹心として働いてきた。ともすれば突っ走りがちになるディアスへのブレーキ役といった立ち位置である。
「ヴェステアの件は聞いた。厄介な事になっているようだな」
「……あぁ。恥知らずもいいところだ。今更、祖国を復興させたところでなんとなる? そうでもしなければ生きていけないのか? 違うだろう?」
「いや、理で動いているのではなく、感情で動いているように見受けられる。それだけに余計に厄介だ」
「阿呆な民草どもが踊らされる、そういうことか」
フィツール王国の再興という解り易すぎる大義。フィツール王国が滅んで12年、未だに愛国心を消していない者は少なくはないだろう。それが、ディアスの長年の頭痛の種となっていることだった。
「首謀者はフィツール王国の血を継ぐと言っている。本当だとしても、隠し子の類だろう」
「ユリウス・ギュンターとか言っていたな。優秀な奴と聞いている。次回の人事で、ファーディル辺りにやるつもりだったんだが」
「クラシュトフからも優秀な奴だと報告が上がっていたな。……今までの連中とは違う。厄介なことになるぞ」
この12年間で、このような反乱は数回起こっている。いずれもフィツール王国の血を継ぐ者と称する連中によるものだ。それらは何れも競争に敗れた者達による苦し紛れの一手であり、さほどの脅威にはならなかった。
が、今回は違う。首謀者のユリウス・ギュンターは、放っておいても確実に地方領主、運さえ良ければ重要拠点の領主にまで上りつめるだけの力量を持つ男だと聞いている。嘘か真かは知らないが、反乱軍はそれだけの才能を持つ者を頭に据え、ヴェステアという地盤を得ている。そして、おそらくヴェステアの若手武官達は皆、ユリウスに従っているのだろう。あくまでも予感に過ぎないことだが、ディアスはそう感じていた。
「クラシュトフの敵は討つ。そして、これはあくまで俺の予測だが、この反乱さえ潰してしまえば、後に続く者はいなくなるだろう」
反乱の芽を摘むのは何年も前から行っている。そして、それがようやく実を結んできた矢先の出来事だ。ここ数年の間、全く「独立を求めた反乱」は起こっていない。独立運動家もようやく諦めてきた頃だろう。
それ故に、今回の反乱がどんな余波を生むのか、全く予測が出来ない。
「ファキオに命令を出せ。精兵4000にて、ヴェステアを奪還しろとな」
「ファキオを使うか」
「不満か?」
「……いや、奴は優秀な武将だ。心配はさして無い」
「だろう。いい加減、奴にも箔をつけてやる必要があるからな」
ファキオはフィツール地方中部に位置する小規模な都市、ヴェミオの領主である。名門マルディアス家に生まれ、自身も高い軍事能力を有している。もっと評価されるべき男であり、ディアスも彼のことは高く買っていた。
「ヤコブ」
「何だ?」
「クラシュトフの奴、向こうで上手くやれると思うか?」
「……やれるさ。どこでも無難にやっていく、そんな男だろう、アイツは」
「……そうだな」
ディアスは窓のほうを向いて、少しだけ笑い、そして呟いた。
「……馬鹿野郎が……」
その声は少しだけ震えていた。
〜フィツール王国中部・ファーディル 城下町
「もうちょっと……よいしょっと……」
4メートルほどの高さの木の上で、青年は手を必死で伸ばしていた。その手の先には、サッカーボールほどの大きさのボールがある。青年はどうにかボールに触れようと手を伸ばしていた。
木の下では、ボールの持ち主と思われる少女がハラハラしながらその様子を眺めている。
「よっと……おっ?」
青年の手がボールに触れた。少しの間を置いた後、ボールが地上に落下した。ボールはちょっとだけバウンドし、少女がそれを慌てて拾いに行く。
「よっしゃ、あとは降りるだけ……ってうわああああっ!?」
青年がバランスを崩し落下しそうになったが、とっさに手だけで枝にぶら下がる。
「お、おにーちゃん、だいじょーぶ!?」
「大丈夫……かぁ?」
どうしようもない。とりあえず、手を離す。しばらくして伝わってくる足の痺れに青年は顔を歪ませるが、すぐにもとの顔に戻す。ついでにずれていた眼鏡も元の位置に直した。
「……よし、もう大丈夫」
「そーお? じゃ、これ、ほーしゅーの、アメちゃんっ」
少女がワンピースのポケットから飴玉を差し出す。青年はそれを笑顔で受け取った。
「お、ありがとっ。ま、これからも何でも頼んでな」
「うん、きょうは、ありがとーっ!」
少女が手を振った。青年はそれを背に、先ほどもらった飴玉を口の中に放り込み、家路を辿った。
彼の名前はライアス。ここファーディルで何でも屋を営んでいる。何でも屋とは言うものの、先の仕事のように碌な報酬をもらえない、もしくは現物支給のような仕事のほうが多い。まぁ、子供の相手は嫌いではないのだが。
そんな現状だが、ライアスには目標があった。それは、有名になること。そして、父を見返してやること。
が、この調子ではその目標が達成されるまで相当の時間がかかるだろう。
「ただいま戻りましたー」
自宅兼事務所の扉を開く。客を通す応接間だけは綺麗に保たれているが、他の部屋は悲惨なものだ。いくらライアスが片付けても、相棒が散らかしては意味が無い。
「母と子の絆を守った男……違うわね。犬笛にむせび泣く男……これも違うわ」
居間から相棒の声が聞こえてくる。金属を打ったような冷たい声だが、言っていることはしょうもないことだ。
「……何やってんすか」
扉を開けると、机の上にペンを走らせている相棒の姿があった。絹糸のように艶めいている黒くて長い髪に、物憂げな切れ長の瞳。知的な感じのする美女である。
「……またしょうもないことでも考えてんすか、ファルミアさん」
相棒―ファルミア―は机の上から目を放し、ライアスに不満げな視線を向けた。
「何よ、貴方のキャッチフレーズを考えてあげてるっていうのに」
「後々変な組み合わせをされそうな単語を羅列するのはやめてくださいよ」
「変な組み合わせ?」
「母と子の、愛の絆を阻止する男! とか。台無しじゃないすか」
ライアスが少々オーバー気味に演技をする。それが妙にツボに入ったのか、ファルミアは口元を緩ませた。
「そうね。……子供たちのキノコにむせび泣く男ッ! とか?」
ファルミアも声色を厳つい感じに変えて演技をする。
「うわ、それじゃ俺が変態みたいになるじゃないすか!?」
「世界を征服しようとする悪の組織に味方する男! とか」
「ダメっすよそれ!? もっと正義のヒーローっぽく!!」
「世界最強の男!」
「大きく出ましたね!?」
「の天敵!! 犬!!!」
「俺、犬以下!?」
「の天敵!! 犬!!!」
「二回言うなッ!!!」
「大事なことだから二回言ったのッ!!」
ここでお互いネタが尽きたのか、今までさんざん叫んできた喉を休めるかのように荒い深呼吸をする。いつも気がついたらこんなやり取りをしているような気がする。
「で。ライアス君、ヴェステアで何があったか知ってる?」
「いいや、詳しくは。噂なら聞きましたけど」
「フィツール王国の残党にヴェステアが乗っ取られたそうよ。一戦起こるわ」
ファルミアが先ほどまでのふざけた表情とは一変した、真剣な表情を浮かべる。
「それで、あたしは……」
「ひょっとして、討伐軍に参加でもするんすか?」
ライアスは冗談っぽい声を出すが、ファルミアは真剣な顔のまま頭を振った。
「逆よ。反乱軍に味方するわ」
「……は?」
ファルミアの思いがけない一言に、ライアスは鳩が豆鉄砲を食らったような顔でしばらくの間固まっていた。
「反乱軍の首領は広く人材を求めてるそうよ。士官の確率はアッチのほうが高いわ」
「……いや、そりゃそうでしょうけど……俺もすか?」
ファルミアは博識である。士官も出来るだろう。が、ライアスにはあまり誇れるようなことはなかった。強いて言うならば、我流で磨いてきた剣技程度か。
「あら、今更ね。……有名になりたいんでしょう?」
ファルミアの中指が、ライアスの下あごにそっと当てられる。
ふと、出会った時の光景が思い起こされた。
「あたしには確信があるわ。あたしと一緒にいれば、貴方も有名になれるってね」
ファルミアの囁くような声で、ライアスは背筋が震えた。彼女とは三年ほどの付き合いになるが、こんな表情と声を聞いたのは初めてである。
「そうと決まれば、旅支度よ!! いざゆかん、ヴェステアへっ!!」
ファルミアが笑顔を浮かべ、自信満々で腰に手を当ててからあらん方角を指差す。
「……それ、ヴェステアの方向じゃないっすよ?」
「アチャー」
ファルミアが悪戯っぽいウィンクを浮かべ、自分の頭を軽く叩いた。
果たして彼女は本気であんなことを言っているか。ライアスは少々疑問に思いつつも、自分の仕事である夕飯の仕込みに入ることにした。 |