#9
〜ヴェステア城・領主室
自分は10年の間、ここヴェステアを大過なく治めてきた。可もなく不可もなく、ごく穏便に。自分が決して優秀でないことは解っている。だが、民を平和に暮らさせている。その自負は十分にある。
だが、昨晩もたらされたこの情報はなんだ。
若手武官のユリウス・ギュンターによる謀反。あくまで噂に過ぎないことだが、流石に見過ごせはしない情報ではある。
ヴェステア領主のクラシュトフは、朝一で当人を呼び出していた。ユリウスは今までよく働いてくれていた人材だ。色々と無茶を押し付けたが、それらは全て彼でなければできないであろう仕事だった。そう、この土地の人材不足は極めて深刻である。彼等の上の世代には優秀な者が居ないのだ。
そんなユリウスを謀反人として処罰するのは気が引ける。優秀な人材であるが故に余計だ。さらに、彼に近い人物も連座している虞がある。さらに人材が減るというのだろうか。頭が痛くなる。
願わくば、ただの噂であってほしいのだが。
クラシュトフはそう呟いて、指の骨を少し鳴らした。
レンファは初めて立ち入る城の中を、好奇心を抑えながら歩いていた。きょろきょろしてはみっともない。自分の目の前にはユリウスがいる。まさか、こんな形で入城するとは思わなかった。
彼女はフィツール地方随一と言えるほどの術士である。推挙の話は今まで幾度かあったが、全て駄目になっていた。それはひとえに、彼女自身の性格のせいである。
「レンファ、城の中に入るのは初めてか?」
「そうねえ。何度か仕官の話もあったんだけど、全部ぽしゃっちゃったわ。人を見る目のない連中ばっかりね。脳ミソでもカビてんのかしら」
レンファが大げさな身振りを交えながら毒づく。最後の一言は余計だった。おそらくそれが、不採用の原因であろう。
「まぁ、お偉いさんは中身なんぞ大して見てねぇからな。ディアスさんは頑張ってるが、まだ細かいところまで浸透してないんだろうな」
「アナタもなかなか言うわねぇ」
レンファがくすりと笑う。
フィツール地方都督であるディアスは、己の信条である「実力主義の人事」をフィツール地方全土、ひいてはナディア帝国全土に浸透させようとしている。名声と家柄、そしてコネが採用非採用を決定付ける旧態依然とした人事が、近年のナディア帝国の低迷を招いていると彼は信じていた。ナディア帝国初の士官学校もディアスの手によるものだ。
そのせいか、フィツール地方の若手士官には優秀な者が多い。ディアスの活動は徐々に実を結びつつあった。また、それは組織の若返りも意味している。
それでも、全体からすればディアスの思い通りに進んでいるとは言いがたい。レンファがいい例だ。
「まぁ、レンファ、お前には本当に期待してるよ」
「えぇ、期待してもらっていいわ」
レンファが懐から扇子を取り出し、口元を隠してから笑みを浮かべた。
「ユリウス・ギュンター。ただいま参りました」
「うむ、入れ」
「失礼します」
ユリウスが領主室のドアをゆっくりと開け、腰の長剣を扉の傍に侍っている衛兵に手渡す。レンファがユリウスの後に続いて入室した。
正面には椅子に座ったクラシュトフと、領主補佐として働いているリーンの姿があった。クラシュトフは難しい表情を浮かべている。そのせいか、50過ぎの実年齢よりも余計に老けて見えた。
「……後ろの女性はどなたかね?」
「先日、優秀な術士を見つけまして。いい機会と思い、推挙を」
「うむ、それは構わぬ。が、私が君を呼び出したのには、別の理由がある」
クラシュトフが言葉を溜めた。その間に、リーンがクラシュトフに一通の書類を渡す。
「……この文書に書かれていることが確かならば、君はフィツール王国独立を掲げ、謀反を企んでいるそうだな」
クラシュトフは書面に一通り目を通した後、書類をユリウスに渡す。ユリウスはその書類を受け取り、中身に目を通した。そして、書類で隠れている口元を歪める。予想通りの内容だ。
「……私は君の事を疑っている訳ではない。君はヴェステアのためによく働いてくれた。そんな君が謀反を起こすなど、考えたくない」
「ユリウス、どうなんだ?」
リーンが淡々とした声でユリウスの真意を問いただそうとする。その一方で、クラシュトフの声には必死さが混じっていた。
デマであってほしい。そんな願望が。
人材の足りない現状でユリウスを失いたくないし、謀反という面倒ごとに巻き込まれるのも嫌だ。自分の責任問題にもなってくるし、ヴェステアに混乱を招くことになってしまう。
「……」
クラシュトフも気の毒な男だ。人材の足りぬ状況で要衝のヴェステアを任され、成果を求められた。ディアスは実力主義者である。それはすなわち、結果を出せない者は容赦なく更迭されるということだ。
ディアスは確かに優秀な男である。天才と言っても差し支えの無い男だ。が、自分を基準に物事を考えるせいか、部下への要求はハードルの高いものばかりであった。
言うならば、天才に付き合わされた凡人。
いや、クラシュトフは凡人と言うほどではないか。重要拠点のヴェステアを司る身としては、及第点といったところの力量である。クラシュトフ自身もかなりの仕事をこなしているのだ。
クラシュトフには気の毒だが、自分の抱いている夢を、ただの感傷で頓挫させるわけにはいかない。自分を信じて、力を貸してくれた多くの人のために。
ユリウスは少しだけため息をついて、はっきりと言葉を口にした。その目はクラシュトフをしっかりと見据えている。
「事実です。全く反論する気はありません」
領主室に広がる沈黙。
「だからこそ、クラシュトフ殿。貴方にはここで踏み台になって頂きます。俺……いや、皆の夢のために」
「……ユリウス、血迷ったかッ!? 衛兵、ユリウスを押さえつけよ!!」
クラシュトフが椅子から立ち上がり、絶叫にも似た声をあげる。が、扉の左右に侍る衛兵は微動だにしない。
「衛兵、聞こえているのか!?」
「……クラシュトフ様、無駄です。貴方の味方は、ここには居ません」
「リーン!? お前も……」
クラシュトフがそこまで口にした後、レンファが指を弾いた。乾いた音が領主室に響く。刹那、レンファの腕輪が鈍く光り、彼女の術によって作り出された風の刃がクラシュトフの腕を切り裂いた。
「クラシュトフ殿、貴方に受けた恩義は計り知れません。が」
「フィツールの為、恨むなとでも言うつもりか……?」
クラシュトフが流血する腕を押さえ、痛みで顔を歪ませながら呟いた。
今更、フィツール王国を再興したところで何になるというのだろう。ただの無用な戦乱を呼び込むだけではないのだろうか。それをこの男は理解して言っているのか。聡明な男とは思っていたのだが。
「いえ、許しは請いません。恨んでもらって結構です」
ユリウスがゆっくりと長剣を抜く。刀身が窓から差し込む陽光を照り返した。
「……俺は、理想のために謀反を起こすわけではありません。俺自身の野望のために、この地に戦を起こします」
「どれだけの恨みを買うか、わかって言っているのか?」
「はい」
「……なるほどな。私が、見誤っていたということか……」
クラシュトフが薄笑いを浮かべた。
フィツール王国の血を継ぐ者。ただのホラ話かと思っていた。いや、そう決め付けた。災いを持ち込みたくない。その一心で。
そして、謀反を起こすような馬鹿でもないと思っていた。この状況での謀反がどれだけ意味の無いことか、理解していると思っていた。
が、それが誤りであったことは、眼前の状況が示している。
「クラシュトフ殿。貴方から受けた恩義、忘れた訳ではありません。貴方の家族の安全は保障しましょう」
「…………」
ユリウスが一歩前に出た。
「では、お別れです」
剣が閃いた。
クラシュトフがゆっくりと膝をつく。
「リーン、合図だ」
「あぁ」
「……あと、クラシュトフ殿は手厚く葬れ」
「……わかった」
リーンが窓際に移動する。窓を開け、指を弾いた。リーンの指先に、明るい炎が灯る。
それが合図となり、城の頂上にある鐘が乱打された。城を制圧するように、との合図である。
「ユリウス、聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「さっきの約束、守る気なの?」
「愚問だな」
ユリウスが少し笑った。
「信用なくして覇業は成らんだろ?」
「……ま、確かにね」
廊下からは慌しい足音が聞こえてきた。いよいよ、計画が始まった。
「じゃ、あたしも打ち合わせどおりの場所に行くわね。っとに、人使い荒いんだから」
「すまんな、許してくれ」
「ま、お給金は弾んでよね」
レンファが領主室から出て行く。
「……有難う」
ユリウスは廊下からの足音を聞きつつ、物言わぬ姿となったクラシュトフに向けて一言だけ呟いた。
〜3時間後
「城内はあらかた片付いたぜ、旦那」
領主室には今回の反乱に携わった主要メンバーが集合していた。ブラックフェンリルよりアルスとシェイズ、それにレンファ。そしてユリウスの同僚であるレオン、アルフレッド、ライーザ。そして、今回の反乱に最も協力的だったリーン。
「抵抗はどの程度だったか?」
「予想よか全然少なかったな。ま、相手が悪ぃよ。俺達ブラックフェンリルにヴェステアの精鋭だ。そりゃ命を粗末にもしなくなるわな」
「各兵舎ともスムーズに武装解除に応じた。ユリウス、お前のネームバリューのおかげだな」
ライーザが笑う。彼女としてもヴェステアの兵士は手にかけたくなかったようだ。理想的な展開になり、少々上機嫌である。
「ただまぁ、不満そうな奴らもいたけどねぇ。しゃあないっちゃしゃあないがね」
「それは仕方ないし、想定もしていたさ。むしろ今回のような展開が想定外だった」
「で、これからの予定は?」
「あぁ。こっちが静かになったから、城門に野次馬が集まってる頃だろう。一般の連中に向けての声明と、城内に掲示するための声明を用意する。この仕事は俺とリーンがやるから、お前らはゆっくりしておいてくれ。ご苦労だった」
「了解」
ユリウスとリーンを除く面子が領主室を出て行く。領主室の床にはクラシュトフが流した血がまだ残っていた。
「じゃ、俺が文章考えるから、お前が清書と添削をやってくれ」
「あぁ。お前は字が下手だからな」
ユリウスの字は癖が強く、かなり汚い。そのため、昔から公的な文書の清書はカチュアにまかせっきりであった。生活力が無いと揶揄される所以の一つである。
「……なぁ、リーン」
「どうした?」
「正直な話さ、凄ぇ興奮してんだ。ザマない話とは思うけどな」
「……これだけ大きなことをやるんだ。何も感じないほうが不自然さ」
ユリウスはずっと紙にペンを走らせる。大雑把な修正を交えながら、自分の本音に飾りを重ねていく。面倒な作業だ。
が、やらなければしょうがない。
「……ユリウス」
「何だ?」
「お前、セリアよりも字が下手だぞ……」
6歳児以下と評されたユリウスは、一瞬だけ顔を固め、ペンを取り落とした。
〜ヴェステア城下町・ユリウス宅
「ふぃー、めっちゃ人おったで……。読むだけで精一杯や」
「そう……。お疲れ様」
カチュアはテーブルに伏せったまま、メリーベルの顔も見ずに返事をした。
何時間か前に城から聞こえてきた鐘の音。物騒なことが起こっていると判断するには十分なことだった。そして、城門のところに立て札が立ったというので、メリーベルがその内容を確認しに行ったのである。
「ユリウスさんは無事や。城はもうユリウスさんのもんやで」
城門の立て札には、フィツール王国の血を継ぐユリウス・ギュンターがヴェステアを拠点に決起する、といったことが書いてあった。フィツールの地を元に戻すため、という大義名分と一緒に。
「しばらくは今までどおりの体制でやるんやて。あとな、才能のある奴は遠慮せんと城に来い書いとったな」
才能のある者は色眼鏡で見ずに召抱える。これはディアスの目指した人事である。ユリウスはそれを徹底する気でいた。
「何や、反応ないなぁ。大丈夫かいな?」
「うん、大丈夫……」
大丈夫ではない。はやく兄の顔を見たい。反乱なんて大それたことをやって、ちゃんと帰ってこれるのか。メリーベルは成功したみたいと言っていたが、顔を見るまでは安心できない。
「なぁ、カチュアちゃん。話だけ聞いてな」
メリーベルがカチュアの横に座る。
「こっからな、ウチの傍を離れたらアカンで」
「……どういうこと?」
カチュアが目線だけをメリーベルの方に向ける。
「カチュアちゃんは反乱軍のボスの妹いうことになるさかい、命狙われても不思議とちゃうで。たぶんな、ユリウスさんはこのためにウチを置いてくれた思うねん」
「そっか、そういうことか……」
メリーベルを雇ったのは兄の道楽ではなかったらしい。そして、メリーベルと出会った頃にはすでに決意を固めていたんだろう。ちょっとだけ安心する。色々な意味で。
それからまた、長い間、カチュアはテーブルに伏せっていた。メリーベルはずっと隣にいるようだ。
扉の開く音がした。
カチュアはすぐに顔を上げる。
「わざわざ送ってくれてすまないな」
「何、護衛だよ。護衛。早くカチュア嬢を安心させてやれ」
兄の声とアルフレッドの声。
「お、ユリウスさん帰ってきたみたいやな」
メリーベルが言葉を言い終える前に、カチュアは玄関へと駆け寄る。
「お、ただい……」
ユリウスの言葉をさえぎるかのように、カチュアはユリウスにしがみついた。ぎゅっと、力強く。
「……言いたいこと、いっぱいあるけどさ……」
声が震えている。自分でもわかる。今日はもう自分を抑えたりなんかしない。本当に言いたいことを、感情を抑えずに伝える。
メリーベルは玄関の光景をちらりと覗いただけで、すぐに顔を部屋の中に引っ込めた。
「…………おかえり」
「ただいま」
ユリウスはカチュアを抱きとめたまま、彼女の頭をそっと撫でた。
カチュアの背中が、少しだけ震えた。
その日の夜、フィツール地方各地に早馬が飛んだ。 |