■記憶■縦書き表示RDF


(注意)この小説は、同性愛を題材に扱っております。性的描写は薄いですが、そういったものを不快に感じる方はご遠慮ください。
■記憶■
作:河北淳平



窓の外の景色を見ながら龍介はペットボトルの水を口に含んだ。
裏寂しいような景色があたりの空気さえも暗くしている。
季節は秋だった。
単線のそのローカル線は、乗換駅から5つ目の駅を過ぎたあたりから人家の無い山間の線路を進んでいた。
手を伸ばせば届きそうなくらい垂れ下がった枯れた蔦。
ふと前方に目をやると、電気の点いていないトンネルが暗い口を開けていた。
やがて列車はトンネルに飲み込まれていった。
車内を照らす、暗い蛍光灯のため、窓には自分の顔が映るのみで、外の様子をうかがい知る事はできない。
一両編成のその列車の後方に目をやると、さっきまでいた外界が半円に形を作ってどんどんと小さくなっていった。
カーブを曲がると、その半円も端のほうから消えていった。
もし、同じ車内に地元の子と思われる女子中学生のグループが乗っていなかったら、龍介はその寂しさで運転席の窓を叩いたかもしれない。
でも、もしかしてそうやって窓を叩いて振り返った顔がのっぺらぼうだったら・・・。
くだらない空想をしてかえって身震いを覚えた龍介は、頭を振っていつのまにかトンネルから抜け出ていた列車の窓の外に再び目をやった。

雨が降り出しそうな空模様だった。
憂鬱になりつつある気持ちが似たような思いを誘発するのか、龍介は昨日の事を思い出していた。




「徹は何もわかってない。俺は、そんな話しをするために来たんじゃない!」
苛立つ声を隠しもせず、龍介はテーブルを叩いた。
そばを通ったウェイトレスと近くのテーブルの客が怪訝そうな顔でこちらを見ている。
徹は少し身を縮めて声を潜めながら「声がでかいよ」とたしなめた。
深夜のファミリーレストラン。
テーブルの上にはアイスコーヒーが二つと銀行の封筒が無造作に乗っていた。
「金で済むような問題じゃないってわかってるんだよ。でもな、俺は親にこれ以上心配をかけたくないんだ。安心させたいんだ」
「そんな事を言ってるんじゃないよ!徹が俺のことを好きなのか聞いてるんだよ」
「だから、お前にはすまないと思ってるよ。俺も、お前を一生愛すつもりでいたんだ。でも、ほら、母親が倒れたって言っただろ?あれからめっきり老けてな。生きてる間に孫の顔見せてやりたいんだよ」
「・・・」
「俺、一人っ子だろ、それに・・・」
「・・・もういい、もういいよ。俺は、そんな言い訳聞きたかったんじゃない。・・・ごめん、困らせるつもり、無かったんだ」
「龍介・・・」
「いいや、どちらにしても、祝福するつもりでいたよ。俺のこと、大事に思ってくれてたのもわかってる。そうじゃなきゃ、手切れ金まで用意できないよな」
徹は、気まずそうな顔をしてアイスコーヒーをストローでかき混ぜた。
「責めてるんじゃないよ。ただ・・・最後に、会って、徹の口から・・愛してるって言葉を聞きたかっただけ」
「愛してるよ、俺は龍介の事を」
「ありがと。・・でも、そのセリフはもっと早く聞きたかったな。・・・バイバイ。その人と幸せにね」
そう言うと龍介は机の上に千円札を置き、席を立った。
「いいよ、奢るよ。それにこれ・・・」
徹が差し出す少し厚みのある封筒を右手で押し返すと龍介は悲しそうに微笑んで言った。
「これ以上、俺を惨めにさせないでよ・・・」
龍介は小走りで出入り口に向かうとそのまま街の雑踏の中にまぎれこんだ。

すでに夜の11時を回っていた。
小雨が降る夜だった。
龍介は、足早に地下鉄への階段を駆け下りていった。




乗り換えてから7つ目の駅に着いた。
さっきの女子中学生のグループはそこで降り、代わって数人が乗り込んできた。
龍介は一番前の入り口付近に座って、それを目の端でとらえていた。
『あいかわらず、何も無いとこだな〜』
とはいえ、龍介自体そんなにこのあたりの地理に覚えがあるわけではなかった。
『10年ぶり位かな、ここに来るのも』
足を組みなおして龍介は入り口のドアの上に貼ってある鉄道の路線図を目で追った。
龍介の目的地は次の駅だった。
目的地とは言っても、何か目的のある旅ではない。
『傷心旅行?そんな良いもんでもないな』
龍介は自嘲気味に笑った。


徹との間にもう恋愛感情が無い事は龍介自身自覚していた。
新しい恋を見つけるような気力も無く、ただ、惰性と安心感でくっついているような二人だった。
ただ、別れる時は自分から振るつもりだった。
それくらい、徹は自分の事を愛していると思っていた。
まさか、自分が振られるとは思いもよらなかった。
それも、親を安心させるために女と結婚するなんて言われるとは・・・。

『今年で32だもんな、あの人。焦ってたのかな。あ、俺と10歳も違ったんだ。いまさらながらよく3年も付き合ったよな。まあ、出会った頃は俺も何も知らない子供だったから』
大学も4年になるとほとんどやることはなく、就職活動にも身が入ってなかった。
そんな暇をもてあます日々に、こんな重い事実はかなりのストレスである。
そんな折、少し体を動かそうと掃除をしていて偶然に自分の小学校のときの卒業アルバムが出てきた。
それを見ているうちに、ひさしぶりにこの街を訪れたくなったのだ。
中学校に上がると同時に引っ越して以来、一度も足を踏み入れた事の無かったこの街に。


ホームに降り立つと、まだ昼過ぎだというのに辺りは閑散として、暗かった。
平日の昼間だとはいえ、都会暮らしが長かった龍介はあまりの人気の無さに心細さを覚えた。無人の改札を抜け、駅前のロータリーに出る。
駅前には数軒の店があったが、どれもシャッターが閉まっていた。
『・・・腹減ったな』
ともかく、龍介はどこかで昼飯を食べる事にした。
大した物の入っていない鞄を肩にかけなおして、タクシーの停まっていないタクシー乗り場の前の街の案内図でおおよその地理を頭に入れた。
『確か、住んでた近くにショッピングモールがあったような』
確かに地図上にそのショッピングモールは大きく描かれていた。
『たぶん、地元の繁華街なんだろうな』
それは、駅を出て左にしばらく道沿いに歩いた、国道沿いにあった。
『この辺には何も無いみたいだし、とりあえずそこに向かってみるか』
龍介は空に目をやり、少し空模様を気にしながら足を踏み出した。


『うわ、全く変わってない・・・様な気がする』
確実に覚えていたわけではなかったが、断片的なパズルのピースの図柄と、そのショッピングモールの景色とは全く一致していた。
『あ、でももっと大きく感じてたような気がする。こんな小さかったんだ』
小さな頃には、果てしなく巨大な建物のように感じていたそれは、地上2階建ての普通の大きさのスーパーマーケットだった。
龍介は、スーパーに隣接されている専門店街の中の3軒ある飲食店の中から、和食の店を選んだ。
和食の店という書き方をしたのは、ソバ屋というにはいろいろなものがメニューに載りすぎているからだ。

「天そば定食ひとつ」
分厚く汚れたメニューを折りたたんでテーブルの端に立てると、いつものクセで龍介は携帯をズボンのポケットから取り出した。
龍介はいつもお昼の食事を頼んでから来るまでの時間に、たまっているメールの返事を返すようにしている。
今日の新着メールは0件だった。
どんなに誰からもメールが来ない日でも、今までは必ず1通はメールが届いていた。
そう、徹からのメールが。
『別れたとたん、やっぱ止まるもんだね、メールって』
龍介は一度携帯を閉じ、思い直して再び開きなおした。
指先のプッシュで手早くボタンを押すと、保存メールとアドレス帳の中から徹のものを全て消去した。
なんだか今までこだわっていたものが旅先の空気と共にすっかり消えていくようだった。
龍介は再び携帯を閉じるとちょうどそのときタイミングよく運ばれてきた料理に目をやった。思ったよりきちんとしたもので、そのいい香りに空腹感が再び押し寄せてくる。
「いただきます」
小さく呟くと、龍介は割り箸を二つに割った。



満腹になって店を出ると、当座の目的地も無いまま龍介はウィンドウショッピングをした。
フラフラと本屋で立ち読みをして、CDを見て、一通り回ったところでそこを後にする。
『次はどうしよっかな・・・』
迷いながらも、自然に足は元住んでいた家に向かっていた。
家とは言っても、公団住宅の小さな団地の3階だったが。
うろ覚えの道をたどってなんとか見つけた団地は、記憶以上に小さいものだった。
『あれ、こんなに小さかったんだ・・・』
下から建物を見上げながら龍介は驚きの溜息をついた。
「よく、この周りで走り回ったな。そうそう、この縁の下に隠れて・・・」
この年になってみると、歩いてすぐのほんの短い距離に感じる。
「あのころは学校のトラックぐらいあるように感じてたんだけどな〜」

人の記憶は曖昧だ。
自分の都合の良い様に事実の中からキレイな部分だけを残して覚えている。
小さかった頃の記憶だって、後から後から思い出すたびに都合の良いように脚色して、美化して残していく。
『きっと、あの別れも数年立てばものすごい美談めいた悲しいお話として記憶するんだろうな〜、それとも、嫌な思い出として忘れちゃうかな?』
記憶、記憶・・・。
そうやって記憶について考えているうちに、忘れていた記憶がひとつ思い出された。
『ケンちゃん・・・』
樋口健也、それは、龍介の初恋の男の子だった。
サルみたいだった彼は、いつも真っ黒になって龍介を引っぱりまわした。
小学校の間、学校から帰ると必ず二人で遊んだ。
二人は親友だった。
『かっこよかったんだろうか・・・?どうだっけ?』
記憶の中の彼は、すでに顔が無く、思い出そうとしても思い出せない。
ただ、断片的な思い出が次々と浮かんできた。
近くの川で素っ裸になって泳ぎまわったこと、そこらに生えてる草を二人して食べた事、ザリガニを捕まえて甲羅を剥いでそれをエサにしてまたザリガニを釣ったこと、そして秘密基地を作ってそこでキスしたこと・・・。

『キス??』
龍介は突然思い出した。
『そうだ、俺の初キスはケンちゃんだった。なんで忘れてたんだろ』
どうして、どういう状況でキスをしたのかはもう覚えていない。
覚えているのは、秘密基地のトタン屋根と覆いかぶさってくる健也の体、そして柔らかい唇・・・。
『ケンちゃん家、確か、このそばだったよな』
フラフラと何かに引き寄せられるように龍介は健也の家に足を向けた。

健也の家は農家で、大きな古い日本家屋だった。
あの頃と変わらず、そばに納屋や倉まである旧家といったたたずまいは一瞬昔にタイムスリップした感じがする。
坂道を上がって、玄関先までやって来て、龍介は表札を見上げた。
『樋口敏男 正子 健也・・・。あ、やっぱりここだ』
代替わりしたのか、以前は確か祖父と一緒に住んでいたと思ったが、もうその名前は表札には無かった。
ここまで来てはみたものの、もう10年も連絡を取っていない相手の家を急に訪ねるほど龍介は非常識ではない。
それに表札の字を見ただけでもう十分満足をしていた。
「ケンちゃんバイバイ・・・」
そう呟くと龍介は登ってきた坂道を下った。
ふと、下から原付バイクが上がってくるのが見える。
狭い坂道なので横によけると、龍介のすぐ前でバイクは止まった。
「家になんか用?」
ヘルメットを脱ぎながらバイクを運転してきた男は尋ねる。
「いえ・・・べつに・・」
言いながら相手の顔を見て龍介は息を飲んだ。

健也だった。
全く顔を忘れていたつもりだったのに、本人の顔を見たらすぐにそうだとわかった。
心臓がどきどきした。
健也は子供の頃の面影を残しつつ、たくましく、浅黒い精悍な顔つきに変わっていた。
サルっぽいところは、あいかわらず耳が前向きについているところ位だった。
健也も龍介の顔を見て何か心に引っかかるところがあるみたいだった。
「え〜と・・俺、自分とどっかで会った事あったっけ?」
「ケンちゃん、かっこよくなったね」
怪訝そうな顔をしていた健也は、そのケンちゃんという呼び方で思い出したようだった。
彼の顔がぱっと明るくなった。
「リュウ?もしかして、半べそリュウ?」
「半べそは余計だよ」
「お〜!!よく来たな〜、時間あるんだろ?寄ってけよ。マジ、久しぶりだな〜、何年ぶり?10年?そりゃ、わかんねーよ」
健也は、はしゃぎながら原付を納屋に押していき、走って戻ってくると、龍介の前に立って全身をしげしげと見回した。
「へ〜、あの小さかったリュウがこんなにも立派になるとはね〜」
「それを言うならケンちゃんもサルそのまんまだったじゃん」
「お前、口ごたえまで覚えたか〜。ハハ、ま、いいから入れよ。かあちゃ〜ん、リュウが10年ぶりに遊びに来たぞ〜」



「今何してんだよ」
健也は、コップに入れた麦茶を差し出しながら龍介に尋ねた。
龍介は、健也の部屋に通されていた。
そこは、幼い頃訪れたのとは違い、すっかり洗練された大人の空気が漂っている。
唯一小さな頃の名残を残していたのは、本棚に並んだドラえもんとその前に並んだ数体のプラモデルぐらいだ。
壁にかかってた表彰状も、学校の授業で作った時計も、一緒に読んだ『こどもの化学』も今はもう無い。
代わりに本棚にはバイク雑誌、壁にはポスター、そして棚の上に香水らしきビンと水色のガラスの灰皿がおいてあった。
そこまで目で順にたどりながら龍介は「大学行ってる。ケンちゃんは?」と返した。
龍介の隣にどかっと、あぐらをかきながら健也は答えた。
「俺?高校出てから、ずっとバイト。って言っても、家の手伝いしてるから、兼業農家って感じか?」
「へー、家継ぐの?偉いね」
「そんないいもんじゃねーよ。バカだったから、とりあえず高校までは出れたけど、それ以上は無理だっただけ。就職するにも良い仕事無かったし。お前のほうが偉いよ。大学行くなんて。リュウ、昔から、賢かったもんな」
「そんなことないよ。大学行っても、結局遊んでばかりだし」
健也は、頭の上で手を組んでベットにもたれかかった。
「でもさ、俺も、もうちょっと勉強しておいて、どこでもいいから大学行きゃよかったと思うよ。こんな田舎だったら、学校行かなくなったら何の出会いも面白い事もないもんな」
健也は、天井に顔を向けながら続けた。
「ほら、大学行くってなったら、ここからじゃ通えないから下宿するしかないだろ?俺、一回でいいから家、出ておきたかったなって。もう、これからは家から外に出る機会なさそうだもんな。リュウは、下宿してんの?」
「いや、家から通ってるよ」
「そうか〜。あ、そういや、何でいきなりこんなとこまで?」
龍介は、さすがに傷心旅行とは言えず、あわてて適当な言い訳を考えた。
「あ・・・、ほら、俺も、もう就職活動だろ?忙しくなる前に骨休めって思って、生まれ育った街にもう一度来てみたかったって言うか・・・。まあ、そんな感じ」
龍介は、健也が知らないだろうと思って適当な理由をつけた。
正直、今の時期にはすでに就職が決まっていないと遅い位で、でも、就職が決まったと言ってしまえば、また色々と嘘を考えなければいけないと思い、考えながら、無難な答えを探った。
健也は特に疑問に思った風は無く、「へ〜、まあでも、それでまた俺たちが再会できたんだから、よかったのかな」と、返してきた。
龍介は、自分の嘘を飲み込むかのように一気にコップの麦茶を飲み干した。
「これからどこ行くつもりなんだよ?っていっても、もう4時だけど」
「え・・・?決めてない・・」
「おいおい、えらくいい加減な旅だな。日帰りのつもりだったのか?・・・なあ、よかったら、今日は家に泊まってけよ。ひさしぶりに一緒に語り明かそうぜ」
「え・・・でも、悪いよ。いきなり泊まったりしたら」
「うちの親のことだったら大丈夫だって。飯はどうせ、いっつも多めに作ってるし、2階にはほとんどあがってこねーし。それに、うちのかーちゃん、リュウの事、気に入ってたんだぜ。上品な子だって」
「そう?ん・・・じゃ、今日は泊めてもらおうかな・・・」
健也は、ぱっと晴れたような顔をして、膝をたたいた。
「そうこなくっちゃ。よし、じゃ、夜まで、久しぶりに昔遊んだところを巡ろうぜ」



二人は小学校を回って、昔よく泳いだ川べりに出た。
空はいつのまにか晴れ渡っていた。
川のそばにあった古い小屋も今は朽ち果てて、窓は割れ、天井に大きな穴があいていた。
つり橋を渡って、小屋のそばのけもの道のような坂を下って、石砂利の川原に出た。
「昔は、もっとキレイだったよね」
龍介は、そう呟きながら川原の石をひとつ拾い上げた。
「うん、最近は子供も少なくなって、この辺で泳ぐ奴らがいないからな」
健也は、そう言いながら砂利の上に座り込んで、靴下を脱ぎはじめた。
「え・・・どうするの?マジ?寒いよ、もう」
健也は、そんな龍介のセリフを聞く耳を持たず、靴と靴下を川原に投げ捨てると、ジーンズの裾を膝までまくりあげて川の中にジャブジャブと入っていった。
あっけにとられて背中を見送る龍介のほうを向いて、「リュウも来いよ!」と言い放つと、どんどん川の深みに進んでいく。
『そういや、昔から俺の意見なんて聞く奴なんかじゃなかったな』
クスッ
なぜかおかしくなってきた龍介は、薄ら笑いを浮かべながら「よーし、待ってろよ!」といいながら、裸足になった。
「またねーよ!!」
そう言いながら健也は龍介に川の水をすくってかけてきた。
「つ、つめ・・おい、待てよ、てめ・・くっそ、いくぞ!」
やっと裾をまくる事ができた龍介は、両手で水を思いっきりかいてそれを健也にぶっ掛けた。
「お、お前、それなし」
「はは〜。仕返しだよ、ほら、ほら」
「あ、待って、待って、ってうっそ〜!」
そう言って、健也は龍介の足をつかんで引っぱった。
「あ、バカ」
バランスを崩した龍介は、そのまま川の中にしりもちをついた。
「ハハハハハ!」
大爆笑する健也に、情けないような顔をして龍介はフラフラと立ち上がった。
「おい、ありえないって、俺、着替え持ってないっつーの」
「いいじゃん、俺の貸すよ」
「は〜、って油断したな!」
龍介はそう言って健也に抱きついて川に押し倒した。
「つ、つめて!!」
二人は川の中に倒れこんだ。
「おい、背中まで濡れたよ!」
「お返しだって」
「おい、このまま泳ごうぜ」
「マジ?風邪ひくよ」
健也は、また龍介の言葉を聞かずに勝手に泳ぎ始めた。
「ちょ、待って、俺、携帯ポケットに入れてた。壊れたかも・・・」
「マジ?」
今度はさすがに健也も龍介の言葉に耳を貸したようだ。二人は急いで川から上がった。
川原で龍介はポケットの中のものを出した。
「うわ、財布はちょっと濡れ・・あ、中は無事だ」
「あ、俺もポケットに札入れてたんだ。うわ〜、くっついてる」
「携帯・・・あ、よかった、ちゃんとつく」
携帯を開いてみると、時間はもう5時を過ぎていた。
あたりは西日に照らされて何もかもが赤く染まっていた。
山際にカラスの群れが飛び交っている。
少し寒くて龍介は身震いをした。
「そろそろ帰るか?」
それに気づいたのか、健也は龍介に尋ねた。
「うん、でも、後一ヶ所行きたい所があるんだけど」
靴下を履かずに足を靴に押し込んでいた健也は、なかなか履けないらしく、語尾に力を入れながら龍介に「どこ?」と聞いた。
「ほら、秘密基地」
それを聞いた瞬間、健也は少し動きが止まった。
それを見て取った龍介は少し怪訝そうに聞いた。
「もしかして、もう無くなってる?」
健也は、再び動きだしながら答えた。
「いや、たぶんそのまま残ってるよ」
「そう」
「行くの?」
「行きたいね」
「うん」
健也は立ち上がると先にたって歩き出した。
少し不思議な感じがしたが、龍介も急いでその後を追った。


川べりから山の中に入って、少し行くと広めの平地に出る。
その平地の奥に細いつづら折りがあり、それを下りきったくぼ地にその秘密基地はあった。
ちょうど二人が小学5年生の頃に、そのくぼ地の浅い洞穴を見つけたときから、二人は協力してそこを基地に仕立て上げた。
近くの廃材置き場からトタンや木材を運び込み、入り口や屋根を作り上げた。
見た目は不恰好だけど、小学生二人が入るには十分すぎるスペースがあり、そこに捨ててあった布団や机なんかを置いて寝泊りできる位の環境を作り上げた。
久しぶりにくぼ地に降りると、すでにどこに基地があるのかわからないくらい草が生い茂っていた。
二人は草を掻き分けながら何とかその入り口を探した。
入り口のトタンを引き開けると、かび臭い乾いた香りがしてほこりが舞い上がった。
中は、くぼ地のわりには乾燥していて、最後にここに来たときと同じままになっていた。

『最後・・・?』

そういえば、最後にここに来たのっていつだったっけ?
龍介は記憶の紐をたぐった。
健也は奥に重ねてある布団の上にどかっと腰を下ろすと、靴を脱いだ。
そしてそばの机の上のほこりを手で払うと、濡れていた長袖のTシャツとズボンを脱いで、その上にかけた。
健也はトランクス一枚で膝を立てて座って、手を後ろでついて体をこちらに向けていた。
久しぶりに見る健也の体は、農作業のためか、子供の頃と同じで余計な脂肪はひとつも無く、それでも体は大きく、筋肉質になっていた。

『久しぶり・・・』

記憶の紐は急にするすると軽くなった。
この風景は最後にここに来たときにも見た気がする。
あの時も健也はそこに座って裸で・・・。
いや、あのときの健也は何も身につけてなかった様に思う。
そう、全裸だったはずだ。

なんで・・・?

川で泳いでいるならともかく、何でここで健也は裸だったんだろう。
記憶の紐はまたどこかで引っかかってしまった。

「そんなとこに立ってないで、お前も座れよ。ズボン脱いだら?濡れてるだろ」
龍介は我に返ってはじかれたようにズボンを脱ぎだした。
「ボクサーパンツ?さっすが都会人は違うね」
健也に茶化されて、龍介は少し恥ずかしくなってシャツを引っぱってパンツを隠した。
「あいかわらず、細いな〜。ちゃんと食ってんのか?」
目の前でズボンを机に引っ掛けようとしている龍介のケツを右手で叩きながら健也は言った。
「やめろよ」
その手を軽く払いながら龍介は健也の隣に腰を下ろした。
しばらく沈黙が流れた。
窓が無く、ドアから漏れ入ってくる西日だけが光源のため、基地の中は薄暗かった。
いきなり健也が立ち上がったので、意味も無く龍介は身構えた。
そんな龍介を気に留めることも無く、健也は基地から外へ出て行くと、しばらくして辺りの枯れ木を集めてきた。
ドアのトタンをいっぱいに開いて、そのすぐ内側にその枯れ枝と、辺りに生えている枯れ草で、やぐらを作ると、健也はポケットからタバコとライターを出して、おもむろにタバコに火をつけた。
そして、2度3度タバコを吸うと、それを指でつまんで枯れ草に押し当てる。
枯れ草はしばらく煙を出してくすぶっていたが、そのうち炎を出して燃え始めた。
健也の顔に炎が映って顔の油が照り返しで真っ赤に揺らいだ。
健也はしばらく枯れ枝を足したり、木の組み方を調節していたが、満足したのか立ち上がると龍介の隣に戻ってきた。
龍介も、健也が座るのに合わせて座りなおした。
「これだけ入り口が開いてたら中に煙が入ってくることも無いから」
健也は聞いてもいないことを自分に確認するかのように呟いた。
『暖かい・・・』
龍介は思った。
多少入り口から距離があるとはいえ、それほど広くない基地の中はあっという間に暖気で充満した。
「火を焚いてたら、服もすぐ乾くよ」
付け加えるように呟くと、健也はそのまま後ろに寝転んだ。
またしばらく沈黙が流れた。

「パンツも乾かそっかな」
ぽつりと言った健也のセリフに龍介は驚いた。
「え?」
「そうだ、パンツも濡れてて気持ち悪いもんな」
「ちょ、ちょっと・・・」
脱ぐ気?と言いかけて、龍介はとどめた。
言わなくて正解だった。
健也は、立ち上がって焚き火の前に行き、お尻を火のほうに突き出すようにして乾かしだしたのだ。
「え?何?」
そのままの姿勢でこちらを見て問う健也に、変に考えすぎた自分が面映くって「いや、なんでもない」と言って龍介は顔をそらした。
『素っ裸になったからって、男同士だから気にする事無いじゃないか。だいたい、昔はよく裸で遊びまわったのに。男の裸に意識しすぎだよな。俺』



「乾いたよ、ほら」
いきなりトランクスが目の前に来て、龍介はびっくりした。
顔を上げると健也が仁王立ちでこっちを見下ろしていた。
「あ、ほんとだ」
「リュウも火の前に行ったほうがいいよ」
「うん、でも俺はここでいい」
「そう」
健也は、龍介の前にしゃがみこんだ。
「リュウは大人になったな」
「え?」
「なんか、昔はもっとすぐにムキになってた」
「そうだっけ?」
「今は、なんか落ち着いてるって言うか、ん〜、やっぱ大人だな」
「そんなこと無いよ、それにケンちゃんだって、なんか大人っぽい」
「どこが?」
「ほら、タバコとか吸うみたいだし、その指輪」
「これ?」
健也は自分の指にはめていた指輪を抜き取った。
「うん、シルバーだろ?かっこいいじゃん、なんか大人って感じ」
「そんなこと無いけど、これ、そんなにカッコいい?」
「うん」
「マジで?うれしー、これ、俺の趣味。なんか人に誉められると気持ちいいね」
「センスいいよ、俺もそういうの欲しかったし」
そう言ってから、龍介は健也の顔がすごく近いのに気がついた。
再会して、こんなに間近に健也の顔を見たのは初めてだった。
細いけど濃い眉、二重のくっきりしたまつげの長い目、小さな、でも筋の通った鼻、うっすらひげの生えた口元。あの時も、こうやって健也の顔を間近で見ていたような。

『あの時?』


「どうした?俺の顔に何かついてる?」
健也の言葉に、龍介は自分が健也の顔をまじまじと見つめていたことに気づいて顔を赤くした。
「いや、なんか、前にもこんな風に顔見たことがあったような気がして・・・。さっきから、なんかデジャヴって言うか、だんだん色んな事思い出してて・・・」
そう言うと、健也は急に立ち上がってまた炎のそばに行った。
枯れ枝をいじりながら、何か考えている風だったが、龍介に背中を向けていたため、どんな事を考えていたのかは察する事はできなかった。
しばらくそのまま火を触っていた健也は、急に立ち上がると焚き火に土をかけて炎を消すと、机に向かい、衣服を身に着けた。
服を着てしまうと、龍介のシャツを投げて渡した。
「帰ろ、暗くなってきたし」
入り口付近のまだくすぶっている燃えカスを何度も靴先で踏みつけると健也は外へ出て行ってしまった。
龍介が外に出ると、健也はぼんやり空を見上げていた。
そして龍介に気づくと「行こう」と言って坂を上り始めた。
龍介は、黙ったまま後を追った。
すっかり陽は落ちて、でもまだ、残り火のような明るさがあたりを包んでいた。
空には薄い半月が昇っていた。
虫の声がそこここで涼しげなメロディーを奏でている。
風があたりの草むらを揺らして駆け抜けていった。
がさがさと二人は草の海をかき分けて家路についた。




「風呂、入るだろ?」
家族一緒の食事を終えて部屋で漫画を読んでいた龍介に、両手で衣類を抱えた健也がドアのところから声をかけてきた。
「うん」
龍介は立ち上がった。
「こっち」
健也は先導するように階段を駆け下りた。
「着替え、俺が持ってるから、気にすんなよ」
「うん」
脱衣所に入ると、健也はスパスパと着ている服を脱ぎだした。
龍介は、少し驚いて何か言いかけたが、思い直して自分も服を脱ぎだした。
健也は躊躇することなく全裸になると、浴室に入って浴槽のふたを開けてお湯をかき混ぜ始めた。
比較的古いタイプのそのステンレスの銀の浴槽は、ガスで沸かすタイプの風呂らしく、上のほうが熱く、下のほうが冷たくなるので、健也は温度が均一になるように風呂桶で一生懸命かき混ぜていた。
風呂桶を持つ右手に筋肉が浮き出て動いている。
夏が終わってけっこう経つのにまだ、水着の後がお尻にくっきり残っていた。
股間を軽く両手で隠しながら、後ろに突っ立っていた龍介のほうを、やっと適温になったのか、おもむろに健也はふり向いた。
「おい、隠すなよ。女じゃあるまいし」
笑いながら健也は龍介の腿を叩いた。
龍介は、少し恥ずかしかったが、手をどけた。
改めて前を向いた健也の体を見た龍介は、やはり股間に目がいってしまった。
幼い頃、あの川原で見たおさない蕾ではなく、そこに納まっているのは、完全に大人のそれだった。
少し見とれてしまった龍介は、自分自身の変化の兆しに気づいて急いで目をそらした。
「背中向けよ」
言われて急いで反対を向くと、健也はスポンジタオルを泡立てて、背中を流し始めた。
「あいかわらず、細っこいな〜」
流す手に力を入れながら健也は言った。
「ちょ、痛いよ」
「あぁ、ごめん。色も白いしな〜」
「でも、あの頃よりはたくましくなっただろ?」
「そうだな、特にチンポがな」
健也は笑いながら、背中にお湯を流した。龍介は恥ずかしくて、股間を押さえた。
「じゃ、次は俺の番な」
スポンジを手渡すと、健也はくるっと背中を向けた。
さっきのお返しと力を入れて背中を流す龍介だったが、我慢しているのか、それともこれくらい慣れているのか、涼しい顔をして健也は鼻歌を歌っている。
あきらめて普通に背中を流してお湯をかけると健也は風呂桶を奪い、石鹸を泡立てて股間を洗うと、お湯で流して湯船につかった。
そして風呂桶を龍介に押し付けながら「お前もチンポ洗って入れよ」と言った。
龍介も、石鹸で股間を洗ったが、ニヤニヤと健也が見ているので「なんだよ」と風呂桶で健也の頭を叩いた。
「なんか、人がチンポ洗う姿って、情けないな」
「うるせ」
龍介は、手早く泡を洗い流すと、浴槽の健也の横に足を入れた。
狭くは無い浴槽も、さすがに男二人入ればいっぱいで、肩や足がくっついた。二人は、顔を洗いながら大きく息を吐いた。
「やっぱ狭いな、俺、頭洗うわ。順番につかろうぜ」
健也は洗い場に座り込んだ。
「お湯かけて」
言われるままに頭にお湯をかけると、健也はシャンプーを泡立てて頭を洗い出した。
「なんでシャワー使わないの?」
健也が使わないので遠慮してそれまで使わなかった龍介だったが、さすがに頭を洗うのは風呂桶では不便に思い、聞いてみた。
「だってよ、最初冷たいじゃん、シャワーって、調節難しいって言うか。それに、勿体ねーよ。これだけお湯あるのに」
『ケンちゃんらしいな』
そう思って龍介は笑った。
「流してくれよ」
健也のリクエスト通り、龍介は頭からお湯をかけた。

ザバー!



風呂から上がると、健也の母親が用意したのか、健也の部屋には布団が一組敷かれていた。
「母ちゃん、わざわざいいのに・・・」
ぶつぶつ言いながら健也は頭をタオルで拭いていた。
龍介も結局頭を洗ったので、借りたドライヤーで頭を乾かしながら軽く笑った。
「なぁ、布団敷いたけど、せっかくだし、昔みたいに一緒の布団で寝ようぜ。俺のベット、けっこう広いし」

男と一緒に寝る・・・。

その行為は、最近の龍介にとっては、性行為を必ず伴っていた。
頭に徹の顔がよぎった。
無邪気に一緒に寝ようという健也の顔を見ると、心臓がズキンと痛んだ。
『もう、俺はあの頃の俺じゃないんだよ』
龍介は心の中でそう呟いた。
健也は頭を拭きながらベットに枕を二つ並べていた。
龍介は顔を隠すように頭を下げてドライヤーを振り続けた。



天井を見上げながら二人は押し黙っていた。
電気は消して窓から月明かりがもれていた。
遠くで犬の遠吠えが聞こえてくる。
ここは車の喧騒も聞こえない、静かな土地だった。

最初に沈黙を破ったのは、やっぱり健也だった。
「ここに戻ってきてどうだったよ?」
「うん・・・なんか、自分の記憶って曖昧だなって思った。覚えてない事が多かったり、覚えてる事でもなんか違うように覚えてたり。・・・ほんとは、ケンちゃんの顔も会うまで思い出せなかった。あ、もちろん、会ったらすぐ思い出したよ」
「それは俺もお互い様だな。『俺、自分とどっかで会ったことあったっけ・・・』って、失礼だよな〜、俺〜」
健也は笑いながら言った。
「でも、会ってるうちにだんだんと色んな事、思い出してきた・・・」
ふと、龍介は、健也がこっちを向いていることに気づいた。
健也の目はじっと龍介を見つめていた。
龍介はなぜか目が離せなかった。
健也の顔が近づいてきたように感じた。
龍介は目を閉じた。


チャ〜ララ〜ララ〜ララ〜・・

急に鳴り響いた携帯の着信音で龍介は目を開いた。
健也は天井を向いていた。
龍介はベットから抜け出すと、携帯をズボンのポケットから引っ張り出した。
携帯を開くと、着信は・・・
徹の番号だった。
アドレスは消しても、電話番号を見れば彼だとすぐにわかる。
『何でいまさら?』
『何の用だろう』
いろんなことが頭をめぐって龍介は携帯の画面を見つめたまま立ち尽くしていた。
「出ないの?」
健也のその一言でやっと我に返った龍介は、少し迷ったが、「うん、いいよ。たいした電話じゃないし」と、電話に出てもいないくせに、苦しい言い訳をして携帯を閉じた。
着信音は2分ほど鳴り響いて止まった。
再び静寂が訪れる。
今度はどちらからも話を切り出すことは無かった。
長い長い沈黙が流れた。
二人はじっと天井を見詰めていた。
沈黙に耐えかねて、龍介が口をきった。
「さっきの電話の人を忘れるために、俺はここに逃げてきたんだ」
健也は何も言わなかった。
ただ、寝返りを打って体を龍介のほうに向けた。
「忘れるって言っても、別に好きとかって訳でもないんだけどね。一緒にいた時間が長かったから、その人がいない生活がなんかよくわからなくって・・・」
「大丈夫?」
健也がぽつりと言った。
「何が?だから、好きとか、そんなんじゃないって。ただの友達。だから、別にあいつがいなくなったからって、ショックとかそんなんじゃないから・・・」
「でも、泣いてるよ、お前」
龍介は、言われて初めて自分が涙を流している事に気づいた。
目の端から幾筋もの涙の粒が零れ落ちていた。
自分でも止められないほど、次から次から溢れ出す涙。
「わかんない、わかんないけど、それが理由じゃない」
そういいながらも、すでに声は涙声になっていた。
「うん、わかった」
そういう健也の声を聞いたらますます涙は本格的に溢れ出した。
健也は天井を向きながら肩を揺らす龍介の顔に手を回すと、自分のほうに引き寄せた。
龍介は健也の胸に顔をうずめて思いっきり泣いた。
自分が、今回の事でどれだけショックを受けているのかがやっとわかった。
徹のことをもう愛してなかったのは事実だったかもしれない。
でも捨てられた事に対するショック、一人になってしまった寂しさ、今まであった戻る場所を失った心細さは、強がりだけでは埋める事はできなかった。
今日、健也に会って、素直な頃の自分を思い出して、それであふれ出した感情の泉。
堰を切った感情の波はもう止められなかった。
健也の胸で龍介は今、やっと本当の自分を正面から見つめていた。



しばらく泣いて、落ち着いてくると、龍介は健也の胸の温かさを実感してきた。
温かい、優しい匂いのする胸だった。
龍介は顔を上げると「ごめんね」と言って体を離した。
健也は潤んだ優しい目で龍介を見つめていた。
龍介も、その目に吸い込まれるように見つめ返していた。
ふいに健也の顔が動いて軽く、ほんの軽く唇が唇に触れた。
そこで、我に返ったように健也は「ごめん」と言って顔を背けた。
「2回目だね、たぶん」
龍介は微笑んで言った。
「え?覚えてたの?」
「うん、確か、俺の初キスはケンちゃんだったと思う」
「ごめん、嫌だよな、こんなの」
「ううん、そんなこと無いよ。俺、ケンちゃんの事好きだったし」
「でも、キスするって、そういう好きとは違うだろ・・・、普通友達同士ではしないよな。子供の興味本位でもない限り」
「いや、俺はそういう意味でも好きだったよ」
「え?でも、あの時、リュウは走って逃げたじゃん。その後、すぐに引っ越して行ったから、俺、嫌われたもんだと思い込んで、だから手紙とかも出せなくて・・・」

龍介は全てを思い出した。
あの時、あの秘密基地で、エッチごっこと言って健也が服を全部脱いで、のしかかってきた事。
そして唇を合わせるだけの幼いくちづけを交わしたこと。
でも、急に怖くなってその場から走って逃げだした事。
それから顔をあわせるのも気まずくって、挨拶もしないで引っ越していった事。

『子供心なりに俺はケンちゃんの事好きだったのにな』
考えてみればおかしな話だった。
結局お互い好き同士だったのに、ちょっと俺が臆病だっただけでそれっきりになるなんて。
龍介は、起き上がると、健也の唇にもう一度軽くキスをした。
「そんなこと無いよ。俺も、ケンちゃんの事好きだったよ。ただ、あの頃の俺には、キスはまだ早かったって事」
「・・・そう」
「ごめんね」
「いいよ、誤解が解けたから」
「もう一回キスする?」
「うん」
二人はもう一度、今度は長いキスをした。

あの頃とは違う、大人のキスを。






朝が来た。
二人ともまだ裸だった。
夕べの残り香がシーツの皺の隙間に残っていた。
龍介はもう起きていた。
目をつぶったまま、数時間前の戯れを反芻していた。
体のいたるところを愛撫する健也。
舌は龍介の中央を優しく包み込んで暖めた。
健也の固く大きな隆起する男が体に入ってきたときの衝撃。
ゆっくりと、龍介の事を気遣いながらも力強い動きで腰を動かす健也。
腕は、その広い胸板を求め、背中で固く結ばれた両手。
くちづけ、そして絶頂。
果てた後も体の中で健也が脈打っていた。
そこまで思い出すと龍介はそっとベットを抜け出し、服を着替えた。
そしてドアを開けると静かに部屋から出て行った。


「お〜い、待てよ〜!!」
駅への道を歩く龍介の後ろから、原付にまたがった健也が追いかけてきた。
よほど急いでいたのか、夕べのTシャツに下はジャージ、サンダルを引っ掛けただけの格好で首からヘルメットをぶら下げていた。
原付を龍介のそばに停めると、健也は龍介の肩をつかんで言った。
「いきなりいなくなるなよ。せめて送らせてくれてもいいだろ」
「ごめん。でも、この方がいいと思ったから」
「よくねーよ。せっかく会えて・・・誤解も解けたのに」
「うん」
「俺、絶対すぐにお前のそばに行くから」
「・・・だめだよ」
「なんで?俺のこと、嫌いになった?ゆうべの事だったら謝る。ごめん、つい・・・」
「違うよ」
龍介は背中を向けて続けた。
「俺たちには今、それぞれの土地でそれぞれの生活がある。俺たちの時間はあの小学生の時で止まってしまったんだよ。俺が、その時計を勝手に動かしてしまった。でも、俺たちはもうあの頃の俺たちじゃない。お互いが好きだった俺たちは、もう過去の存在なんだよ」
「じゃ、これから新しい関係を作れば・・・」
「ん〜、違うんだな。そういうことじゃ。お互いが無理して出会うのが出会いじゃないと思う。俺たち、もう違いすぎるんだよ」
「・・・」
「会えて、ほんとにうれしかった。それは嘘じゃないよ。ケンちゃんの事好きだった、それも嘘じゃない。でも、俺が今のケンちゃんの事が好きか、それはわからない。あの頃の面影を求めてるのかもしれない。ケンちゃんもそうだよ。あの頃の俺を好きなんだよ。でも、俺はあの頃とはずいぶん変わってしまった」
「・・・でも・・・」
「こんな愛情は不健康だよ。お互い過去の面影を追い求めるなんて。どこかで無理が出てくる。一日二日ならともかく、何日も会ううちにね」
「・・・」
「また、何年かして、友達として会おうよ。どこかで」
「・・・」
「ね」
「・・・うん、わかった」
「握手」
二人はお互いの差し出した手を固く握り合った。
それは、二人が友達に戻る儀式のようなものだった。
健也の顔にもまた、明るさが戻ってきた。
「ここでいいよ。別れがつらくなるから」
「うん」
「じゃ」
「元気で」
遠ざかる背中を健也はその場所でずっと見送り続けた。
その間、龍介は一度もふり向かなかった。
龍介の体が角を曲がる瞬間、健也は叫んだ。
「また、遊びに来いよ〜!いつでも待ってるからな〜!」
角を曲がる瞬間、龍介はふり向いて微笑んだように見えた。
でも、次の瞬間、建物の陰に隠れてその姿は見えなくなってしまった。
健也はそのまましばらくその場に立ち尽くしていた。


一両編成の列車がホームに滑り込んできた。
龍介はワンマン列車の後方のドアから乗り込んで、チケットを取った。
そして一番前のドアの横に座り、窓の外を眺めた。
ドアが閉まり、ゆっくりと列車が動き出した。
朝一番の列車の中には、部活の朝練に向かう中学生の他に人影はほとんど無い。
龍介は、ぼんやりと外の田園風景を眺めた。
と、急に龍介は立ち上がると窓に額をくっつけた。
線路沿いの道路を走る一台の原付バイクがあった。
健也だった。
健也には列車の中が見えてないらしく、ただ前を向いてひたすら列車に併走して走っていた。
龍介はそれをただ目で追い続けた。
列車が山間部に入り、道路は線路ぞいから反れていった。
原付が見えなくなっても龍介はしばらく窓の外を見続けた。
列車がトンネルに入るころ、やっと龍介は席に落ち着いた。
何か一気に疲れが出てきて深く座席に座り込んだ。
ふと、お尻のポケットになにか固いものが入っていることに気づいた。
探ってみると、中から出てきたのは、あのシルバーのリングだった。
「ケンちゃん・・・」
龍介はそれを指にはめてみた。
龍介の指には少し大きいみたいで親指でなんとかちょうどはまった。
龍介は指に健也のぬくもりを感じた。
列車はトンネルを抜け、山沿いのレールの上を走っていた。
前方には遠く家並みが見えはじめていた。
列車はやがて龍介を、日常へと連れ戻してくれるだろう。
これが龍介の新しい出発点だった。
今日の空は晴れ渡っていた。
まるで龍介の今の心のように。


-終わり-



最後まで読んでいただいてありがとうございます。
この作品は、3年ほど前に書いたもので、仮題として「帰郷」と名づけておりました。
題名が最初にあって書き始めたのですが、結局題名と中身がそぐわなくなってきて、もうひとつのテーマの記憶に題名を変えました。
私は常に「どこかに帰りたい」という念が強くて、それがこういった話を書くきっかけになったと思います。
読者を意識していない自己満足小説なので、あまり過激でも衝撃的でもない話ですが、雰囲気と情景を楽しんでもらえればうれしいです。













ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう