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赤い瞳の天(そら)
作:弥招 栄



畏れる心




「で? 俺にぶっ殺すはずのミューザ王のために戦え、だと?」
 呆れているのか、諦めているのか、何か疲れた様子で、寝台に横たわったままフェロが言った。
「剣も取り上げられて、盾を枕に寝るしかないってのに、どうやって戦えってんだ。やだね」
 彼にしては洒落た言葉を吐きだす弟の顔を見下ろして、ロフォラは鼻で笑った。そして、そっぽを向く弟を問い質す。
「お前の役目はなんだ?」
「……あの女が、あの野郎を殺すのを、指をくわえて見てることだ」
「フォルビィは当然戦にはついて行かん。ミューザ王が戦に出ている間は彼女が王を殺せるわけがない。だったらお前が王について行っても、何の問題もないだろう?」
「俺がこの部屋で寝てても、何の問題もないじゃないか。行きたけりゃ、兄貴が行けよ」
「別にそれでもいいんだぞ。俺は王の伴で気晴らしに戦ってくるから、お前はフォルビィの世話をしているんだな」
「あーーっ! くそっ!!」
 フェロは喚き、勢いをつけて跳ね起きる。
「わかったよ、畜生。剣は返してくれるんだろうな」
「馬鹿か、お前は。俺に言ってどうするんだ」
「そうだ。俺に言うがいい」
 突然のミューザの声に意表を衝かれて、ロフォラは戸口を振り返る。しかし、誰もいない。
「ああ、忘れてた。くそがらすがいるぜ」
 闇に紛れて気づかなかった。羽ばたきの音が聞こえて、ロフォラの寝台の頭板に闇を切り取ったような影が舞い降りる。
 があっぁっぁっあ
 嗤うような鳴き声を上げる烏を邪険に払った。
「今まで、どこに行っていた」
「風だ。風が私を呼んでいる。風と戯れ、風と踊ることが、私の運命」
 再び寝転がったフェロの枕元に止まり、天井を見上げ、右の翼を大きく広げて、旅芸人の二枚目のような声で、ふざけた台詞を吐き出す。
 すぐ頭の上に烏がいるのに、フェロは身じろぎもしない。部屋に帰ってきたとき、彼が妙に疲れた様子だったのは、烏に散々からかわれたあとだったからだろう。ロフォラも問うのを諦めて、体を投げ出した。
「明日の朝早くに、王から呼び出しがあるだろう。寝るぞ」
 片手で印を結んで、離れた壁にかかった灯りに向かって、軽く息を吹きかける。小さな火が揺らいで消えた。闇の中で、烏が翼をたたみ直す音が聞こえた。
「使命を、忘れるな」
 法王の声で、烏が言った。

 ミューザ王が出陣してから、食事の世話をする下人をのぞいては、フォルビィの部屋へ近づく者はいなかった。
 彼女に触れられるだけで生命を落とすと、そんな噂が流れたせいもあるのだろうが、この城にはミューザ王の本拠とは思えないくらい、人気がなかった。この城はミューザ王の勢力地に完全に囲まれているから、敵襲の惧れはないとはいえ、ずいぶん不用心ではある。
 戦には出ていないはずのキリルも、城に隣接する役所に行ったまま、顔を見せない。奥殿の部屋には帰ることがほとんどないと言っていたから、役所にも部屋を持ち、そちらにいることが普通なのだろう。
 今、食事の用意以外のフォルビィのすべての世話は、ロフォラが受け持っていた。部屋の掃除から衣類の洗濯まで。
 フォルビィは使命を果たすために育てられたのだから、身の回りのことくらい、当然自分で出来るように躾けられているのだが、自分で掃除、洗濯をしようとすれば、奥方様にそのようなことはさせられないという。だからといって、他の人間が彼女の汗の付着した服を洗えば、それだけで生命を落としかねない。
 ロフォラならば治療は可能だが、だからといって掃除のたび、洗濯のたびに使用人に倒れられるのも、気分のいいものではない。それで仕方なく、彼がすべての世話をしていた。
 使命を帯びた身にもかかわらず、やっていることは女の下着の洗濯とは――
 フェロでなくても愚痴のひとつもこぼしたいところだが、このような状況になってしまえば、たしかにフォルビィの世話をするのは彼以外にいない。法王はこんなことまで見通していたのかと思うと――少し情けない。
 フォルビィの朝食に付き合った後、薬を与え、眠りに就くのを見届けてから、洗い物を持って水場に向かう。
 彼が水場にやってくると、王がいないあいだ暇を持て余している、奥殿や主殿付の下女達が集まってくる。城仕えの下人は男も女も関係ないはずだが、それでも城の主人が男であれば女が、女が主人であれば男が多い。
 ロフォラのために水を汲み、石鹸を泡立て、彼が洗い終えた衣服や敷布を競って受け取る。
「そうそう。ミューザ様が今日中に帰ってこられるって」
 他愛ない話が途切れ、すっかり顔馴染みになった栗色の髪をした、王付の下女が言った。下履きをすすいでいた手が止まる。
「なんだ、それは。お前達にとっては、いちばん大事な情報じゃないか。それが、なんで今頃出てくるんだ」
「だって」
 笑いながら、下女は言う。
「凱旋の先触れが着いたのが、今朝なんだもの。お戻りになるのは、早くてもスコールの後よ」
 そして顔を顰めて、わざとらしく溜め息を吐いた。
「王は、お前達に辛く当たるのか?」
 すすぎ終わった下履きを、女に渡す。
「当たるっていうか、ほとんど無視されてるから、叱られたりなんてことはないけど、ほら、表の方で色々聞くじゃない」
 王は然したる理由もなく、臣下を斬り殺しているらしい。人は虫だと言い切る男だから、そうだろうとも思うが、よくそれで主従の秩序が保たれているものだ。契約だけではなく恐怖で臣下を縛る王や城主も少なくないが、度を超せば契約が破れたと判断されかねない。
「足音をたてるどころか、息をするのも憚られるっていうか」
「そうよね。戦に出られることも多いから、なんとか保ってるけど、実際結構きついよね。はい、奥方様とロフォラ様の服」
 本当であればフォルビィ付になるはずだった黒髪の下女が、きれいに糊をきかせたフォルビィとロフォラの服の入った籠を渡す。その時、屋内から年嵩の使用人頭が飛び出してきた。
「何をしているのですか! ミューザ様はすでに城内にお入りになられましたよ」
 とたんに女達が慌てだす。干しかけた洗濯物をいちばん年若い女に押しつけて、小さな悲鳴さえ上げながら、建物の中に駆け込んでいく。
「うわあ。やっぱり奥方様がいらっしゃると、ミューザ様も早く帰ろうかと思うのかしら」
 濡れた洗濯物に半ば埋もれながら物干し台を目指す女のぼやきを聞きながら、ロフォラも建物の中へと足を向けた。顔がわずかに強張っている。
 あの男が帰ってきたと聞くだけで、心の中にわき上がってくるこの畏れに似た緊張感はなんだ。あの男の未来は、法王が、そして法王の手足たる法の子が、この自分が握っているはずなのに。
 抱えた洗濯物の籠を持ちなおして、フォルビィの部屋の入り口をくぐる。


いつもありがとうございます。
恐怖の足音が、ひたひたと近づいています。

夏ホラーの締め切りという、恐怖。
似非予告を書くための気力をそちらにまわせば何とかなるかな?

てなことで、小走りホラー的なネタをひとつ。
   †
「赤が好きーっ!」
そう叫びながら走り去って行く彼女の両手は、
僕の血で染まっていた。
   †
お粗末でした。
次回予告っ。

「毒虫でさえ、私を刺せば死んでしまう」
 沈んだ表情で言うフォルビィを、ミューザが嗤う。
「だが、殺すのは、お前だ」

一幕第十話「傷み」
2/24更新予定!

恐怖の足音が、もうひとつ。
赤天のストック切れという足音……
ヒィィィィィィ






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