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赤い瞳の天(そら)
作:弥招 栄



二幕・盾の一


   盾

 サ――――
 日蝕明けの激しいスコールが、ようやく東の方へ去っていき、雲の間から陽が射し込みはじめた。
 しかしその雨が、踏み固められた道の上に川を作る程であったにもかかわらず、血の色が流れることはなかった。
 数多くの死体が、水溜まりに、薮に、頭を突っこんでいる。
 そしてその死体の群れの中央で、十数人の戦士が体を支えあっていた。
「くそっ。どうなってやがる」
まだ年若い戦士が、吐き棄てる。
「この道はサリーンの軍が確保しているんじゃなかったのか」
 怪我を負ったのか、脚から血を流している戦士が誰にともなく尋ねた。
「王よ、とにかくここは退きましょう」
 左手に鋼の篭手をつけた女戦士が、銀で縁取りした革鎧を着た女に言った。この二人だけは、いまだ無傷のようだ。
「輜重隊と合流できれば、切り抜けることもできましょう」
「ふん、そうだな。サリーンに問い質したいこともある。戻るか」
 王と呼ばれた女は険しい顔をして答えた。決して若くはないが、それでもまだ十分美しく、人を引き付ける魅力を持ったその顔を、自分を囲む戦士たちに向け、走れるかと問う。
「はっ」と応えたのは、およそ半数。残りの者は、剣を抜き、地面に突き刺す。
 王は篭手の女に目を向ける。女は王の目を見ながらうなずく。
「殿はお任せを」
 そう言うと、剣を鞘ごと地面に突き立てた。
「行くぞ」
 王は自分に従う者に声を掛け、今朝やって来たばかりの道を、駆け足で引き返していく。
 千名いた近衛兵は、散り散りに分断され、状況を把握する前に倒されていった。不意を打たれたといっても、これほどの惨敗は珍しい。
 篭手の女は、残った者達を見回した。脚や体に怪我をして、とてもではないが走り続けることの出来ない者達である。勿論戦うこと自体無理だろう。だが傷の痛みに顔をしかめるものはいても、死を恐れているような者はいない。
「ここで王を失う訳には行かないからな。もうひと踏ん張りしようや」
 漆黒の肌をした戦士が女に言う。その男も筋を断たれたのか、左手を力なくさげている。
「何、こっちには、ベルカルクの盾がいるんだ。返り討ちにしてやるさ」
 腹に巻いた布から血をにじませた小柄な戦士が、篭手の女の目を見ながら言った。
 遠くの方から、獣のものではない騒めきが近づいてくる。
 篭手の女の顔に、凄惨な笑みが浮かんだ。

 目を開けると、すでに日が暮れていた。女は自分がどこにいるのか一瞬判らずに、身を起こそうとした。
「ぐっ」
 体中に痛みがはしる。が、痛みを感じた場所はすぐに暖かな感覚に覆われる。すぐ横に、男が一人目を閉じ、跪いていた。
「レイスか……王は……どうされた」
 男は薄く目を開くと、小さく首を横に振った。
「そうか……」
 女は再び目を閉じ、体の力を抜くと、男の癒しの法術に身をまかせた。
 結局、自分たちが残ったのは無駄だったか。グルオンはレイスの方に体を向け、どうなったと訊ねた。自分の命を懸けていた王が、どのように討ち取られたのか、せめてそれを知りたかった。
 うん、それがね、とレイスが口を開く。
 二日前、ロイズライン城を治めるサリーンから、アデミア王に報せが届いた。ランデレイルの兵を率いてミューザが攻め込んできたという。ロイズラインの隣、ロイズリンガにいたアデミア王は、近衛軍を率いてロイズラインからランデレイルに向かった。その途中でミューザの軍はサリーンの軍に撃退された。ランデレイルへの道はすでに確保されている。ランデレイルを獲るのは今だ、と迎えに現れたサリーンから報告を受けた。
 アデミア王はサリーンを後衛の指揮に残し、ランデレイルに向かった。親衛隊の長であるグルオンは、アデミア王と共に先頭に立った。

 レイスは癒しを受け持つヨウシュたちと共に治療師隊として、輜重隊と共に後から続いていた。
 スコールが上がって二巡時ほど経った後、輜重隊の前方から一団の戦士が駆けてきた。その先頭にアデミアの姿があった。今朝ロイズラインを起った時の威容は見る影もない。
(敵だ。いったん退いて立て直す)
 たどりつくやいなや、アデミアが指示を出す。
(後の者達は)
 と輜重部隊の隊長が訊ねた。
(殿を護っている)
 アデミアは言い放ち、急げ、と急き立てる。
 兵糧を積んだ牛車が向きを変え、ロイズラインに向かって進みだす。しかし牛車の歩みは遅く、また戦士であるキシュたちとは違って、レイス等ヨウシュは長時間走り続けることはできない。とりあえずサリーンに向けて、急ぎ増援を送るよう、伝令を走らせたその時、敵が襲ってきた。
 大体この道の先には、ロイズラインの三軍の一、一万が陣を張り、周囲の密林の中は、もう一軍が結界を張っているはずである。アデミアはその軍による城攻めの指揮を執るために合流するわけだから、戦力自体は、たいして持っていない。近衛軍にしても、精鋭ではあるものの、その数は千もない。
 この道がサリーンによって確保されているからこそ、この戦力で進軍していたのだが、そこを攻められればひとたまりもなかった。
 王を護る親衛隊も、そして輜重隊を護る兵達も、瞬く間に切り崩され、倒されていった。
 そして黒く染めた鎧を着た戦士が、討ち取ったり、と叫びながら、アデミアの首級を掲げたのは、それからすぐのことだった。

「それで、生き残った人たちはほとんどミューザに降ったんだけど……」
 ぼくはきみが心配だったのでここまで来たんだ、と言った。
「……まあ気にしないことだね。統一王の盾が最高だったのは、それを使うものが決して敵に背を向けなかったから。敵から逃げたのも、そして死んだのも、王自身の責任だよ」
 レイスがグルオンを慰める。敵から逃げなかったら負けることはなかったとは思わないし、それどころか、死ぬのが早くなっただけだとも思うが、それを言うならサリーンを信じてランデレイルへの道に、無防備に進んだ時点で、負けは決まっていたのだろう。しかし――
「サリーンはどうして裏切ったのかな」
「何を言っている。サリーンは契約を破るような人じゃない」
「あれ、ずいぶんあの男には優しいんだね」
 といいながら、グルオンの顔を思いっきりにらみつける。
「だいたいサリーンがこの道を確保しているって言うから、王はあれだけの手勢で進んだんでしょう。それとも、あのサリーンの兵がたった一日で結界を抜かれたっていうの」
 サリーンはアデミア配下の者のなかでも、とくに統率力に優れ、兵からの人望もあつかった。また戦局を見通す目もあり、彼が確保した道を簡単に奪われたとは、そう簡単には信じられない。
「しかし、契約を破ったことがほかの城に知れたら、サリーンも、ミューザだって終わりなんだ。だったら私達を見逃すはずない」
 グルオンも言い返す。城主の地位は、その力ではなく、統一法によって保たれている。契約違反は統一法では重罪にあたり、城主が犯した場合は彼を主とする契約すべてが破棄される。つまり、王も城主も、すべてを失うことになる。
「私達を逃がしたってことは、サリーンは契約を破っていない。――しかし、あのミューザの兵は、直前に戦っていたようには見えなかった」
 グルオンの褐色の瞳に、決意が浮かぶ。
「確かめてみないとな」
 気がつけば、痛みはすでに引いており、またまわりも闇に包まれようとしていた。
「そういえば、道からずいぶん離れているようだが、まさかおまえがここまで引っ張って来てくれたのか」
 ふと、不審が芽生え、体を起こしながら、レイスの顔を見なおす。レイスたちヨウシュは、グルオンらキシュと違って、力が弱い。レイスとグルオンの体格はそれほど変わらないが、彼女を引きずっていくことなど、とてもレイスには無理だろう。
「いや……そうじゃないんだ」
 レイスの顔が曇る。そして彼が体をずらすと、そこには――
「ダチュラ……」
 あの時彼女のとなりで戦っていた、小柄な戦士が、そこに倒れていた。
「たぶん……いや、きっと彼がきみをここまで連れてきたんだ」
 グルオンは、ダチュラの横に佇んだ。そして、彼の手が握ったままの剣をとる。それは、彼女がアデミア王より賜った剣で、常々、自分の命に等しいと言っていた物だった。
「彼もきみのことが好きだったんだね」
 レイスもその横に立つ。
「だから、自分のではなく、きみのその剣を持ってきたんだ」
 グルオンはダチュラが右の二の腕に巻いていた飾り紐を解き、自らの腕に巻いた。
「おまえはついて来るのか」
「もちろん、あまりきみは気にしてないみたいだけど、ぼくたちは一応夫婦なんだしね」
 グルオンの頬に初めてかすかな笑みが浮かぶ。
「まずはここから少し離れよう。血の匂いにつられて、密林の獣が寄ってくるよ」
「そうだな。まずはこの夜を生き延びることだ」
 すでに辺りの空気には、飢えた獣の気配が、漂っていた。







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