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みみざる

のろいあい

作者:みみざる
 初夏の日差しを浴びていきいきときらめく緑が、すっと涼やかな風に揺れてざわめいた。その喧騒に紛れるようにして、私は庭を駆ける。

 城の中庭は生垣が迷路のごとく入り組んでいて、ともすれば庭師ですら迷いそうになるほどだ。

 私が何の躊躇いもなく足を動かせるのは、いつも彼が案内をしてくれるから。

――入って最初の突き当りを右。次を左。そうして見えてくる十字路を左。あとは道なりに進むだけです。

 右。左。左。頭の中で繰り返される彼の言葉に重ねてつぶやきながら走っていると、やがて芝生の道が途切れ、石のタイルで丸く繰り抜かれたポイントに出た。

 糸の結び目みたいにぷくりと膨らんだ、一本道の中腹。おそらく休憩スペースとして作られたのだろう。一休みするためのベンチの傍に、生垣とは別種の小高い木が植えてある。この木の高さが絶妙で、真上からギラギラと降り注いでくる夏の日差しは防ぎつつ、斜めからやんわり差し込んでくる冬の陽気は邪魔しないという優れものらしい。これも彼が教えてくれたことだ。

 いつものように、彼はベンチに座りながら待っていた。黒衣に軽鎧。今日は訓練の合間を縫って来たらしい。

 やって来た私に気づくと、彼はいたずらを仕掛けた子供のような悪い笑みを浮かべた。

「おやおや、姫様。このようなところに来て大丈夫なのですか? 今日はプリミエール卿の御子息との縁談があるのでは?」

 こいつめ。自分の手で潰しておいて、よくもそんなセリフをしゃあしゃあと言えたものである。騎士よりも劇団員に向いているのではなかろうか。

「それなら急遽取り止めになったわ。道中、相手の馬車が事故を起こしたとかで」
「ほぉう。災難ですなあ」

 彼は心底楽しそうだ。いつの間にか笑顔から邪気が抜けている。

 そんな彼に絆されて、気づけば私の頬はすっかり緩んでいた。ダメだ。嬉しい。彼がそばにいるだけで、世界の全てを肯定できる気がする。

 彼の隣に腰を下ろしながら、私はおどけた声で続けた。

「まったくよ。これで縁談が潰れるのは三件目。そろそろ呪いの姫なんて噂をされそうだわ」
「呪いの姫ですか。そいつはいい」
「よくないわよ」

 言いながら手で顔を仰ぐ。縁談中止の報が思いの外遅かったので、ここには社交用の正装のまま来る羽目になってしまった。夏はまだまだ先とはいえ、何重にも布とフリルで装飾された重鎧のごときドレスではさすがに暑い。ドレスは女の武装、とはよく言ったものである。

 その上、どたばた走ってここまで来たのだ。駆けている間に溜まった熱が一息ついた今になって蒸し返され、私の体温はみるみる上がっていた。

「冷たい飲み物をご用意しましょうか?」

 視界に白い布。彼が額に滲む汗を拭ってくれているのだ。

「いいえ。結構よ」

 もちろん飲み物は欲しい。でも彼に持ってこさせていては二人の時間が減ってしまう。まさかこの場に人を呼ぶわけにはいかないし。

 であれば我慢しよう。週に一度の大切な時を徒に減らすことはない。喉がに乾いていようと、心が満たされていればそれでいい。

「かしこまりました」

 彼は落ち着いた声で応えた。口の端が僅かに上がっている。楽しんでいるのではなく喜んでいるときの顔だ。

 きっと先程の言葉が単に飲み物の用意を断ったものではなく、できるだけ一緒にいたいという意味が籠っているのだと気づいたのだろう。相変わらず察しのいいやつ。理解が早いのは美点だが、あまり可愛くない。

「あー、そうそう。呪いといえば――」

 聡い彼は、私が彼の心境に気づいたことにも気づいたらしい。あからさまに目を逸らしながら話題を変えてきた。照れ隠しだ。こういうところは可愛くていい。

「先日、僕の縁談も急になくなったのですが」
「あら、奇遇ね」
「僕はこれで四度目です」
「それは怖い。本当に誰かの呪いかもしれないわね」

 たとえば――とある騎士に思いを寄せる王女様の呪いとか、ね。

 時間とともに、汗が冷えていく。体に籠っていた熱が、どんどん奪われていく。もうすっかり呼吸は落ち着いているのに、なぜだか息苦しさを覚えた。

「……ねえ。これからも大丈夫、よね?」

 急に心に陰がさして、私はつぶやいた。

「大丈夫ですとも」

 彼は落ち着いた声で応える。口の端は上がっていない。私の不安を真剣に受け止めてくれている。

「王太子殿下はそもそも姫様の婚姻に前向きではありません。姫様の弟君であるという立場上、婿を招けば王位の継承が危うくなるかもしれませんし。逆に降嫁されたとしても、反乱の火種となる可能性があります。姫様が男児を産めば、旗印として機能しますからね」

 ゆえに、と彼は続けた。

「殿下の一派と友好関係を保ち続ければ、これからも無難な形で縁談を潰し続けることができるでしょう。僕らの密会も公然の秘密として守られます」
「その前提条件は大丈夫なの? 弟たちとの友好関係は」
「はい。手の者を何人か潜らせておりますし、優秀な文官たちの協力も取りつけております」
「そう」
「それに、いざとなれば軍の半分は僕の権限で動かせます。頭まで筋肉でできているような輩ばかりですが、結構頼りになりますよ。まあ、できれば使いたくない手段ですけどね」

 一向に表情の晴れない私をあざ笑うように、彼は口角を上げる。悪巧みをする子供の顔だ。

「ですから、何も心配なさらずとも――姫様のことは一生呪い続けて差し上げますよ」

 その不敵な笑顔に絆されて、私の頬はすっかり緩んだ。ダメだ。嬉しい。どうしようもなく嬉しい。彼が傍にいるのなら、どんな未来でも受け入れられる。

「そんなの、こっちのセリフよ。私だって、死ぬまであなたを呪ってあげるんだから」

 気づけば汗は乾ききっていた。陽気な日の温もりに包まれ、のどが渇いていたことを思い出す。

「やっぱりお願いしようかしら。冷たい飲み物」
「よろしいのですか?」
「ええ。だって、また来週も会えるのでしょう?」

 この迷路みたいな庭の片隅に。ひとりっきりが、ふたりぼっちで。

「そうですね。かしこまりました」

 彼は落ち着いた声で応える。口の端を僅かに上げて。

 足早に城へ戻る彼の背が見えなくなると、私は真っ青に澄み渡る空を仰いだ。

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