ギシギシと、床が軋む。古い大きな寺。
襖を開けると千妃はいつものように平伏していた。
「王…」
千妃は顔をあげた。王宮から逃げ二月。もともと細い彼女の体は、さらに肉がおちた。
「千妃、大丈夫だ、追手は寺に気付かなかったようだ。もう少し北へ行こう。大丈夫だ。もっと寒くなるが、安心して暮らせるだろう…大丈夫だ」
大丈夫。
一月前から、王はそう繰り返す。彼女を安心させるため。
千妃はいつものように王に笑顔を向けた。美しく花のように。王は彼女を抱きしめた。
「大切な千妃。必ず…共に逃げようぞ」
「いえ、もう…いいのです」
‘はい、かならず’
そう言っていた返事が変わった。王は驚き、千妃の瞳をのぞく。
「妾を、殺めくださいまし」
「千妃」
「花種が、教えてくれました…妾のせいであると」
おとなしい侍女だった。千妃の髪をいつも結ってくれていた。この、あてのない旅にも付いて来てくれた。
「お前のせいだ」
張り詰め、押し込めていた思いを全て吐き出すように、花種は千妃に櫛や簪を投げつけた。
「お前が名君を地に落とし、故国をボロボロにした!何故だ!お前さえいなければこの国は更なる発展が望めた!」
聞いていて苦しかった。わかってた。でも理解したくなかった。口に出そうものなら、自分が崩れて消えてしまいそうだったのだ。
「お前はいてはならない」
‘ワラワハイテハナラナイ’
「王、殺めてくださいまし、妾は王の手で、死にとうございますゆえ」
「千妃、お目のせいではない、朕がふがいなかったのだ」
「妾さえいなければ…このようなことにはなりませんでした。王は名君であり続けられた…そうでございましょう。妾を殺め首を曝してくださいまし。玉座にお戻りくださいまし」
「そなたさえいれば、朕は…朕は玉座などいらぬ」
「王、民草には貴方が必要なのです。王は天恵、神の子孫。軽々しくいらぬなど申すものではございません」
ぴしゃりと言い放つ小娘。王は二十も年下の千妃の言葉に呑まれた。
「朕は…朕は」
「弱気にならないで下さい」
千妃は懐から護身等をとりだす。千妃が妃になった際、彼女の父が贈った物だった。
「お願いします、妾はこれ以上、この世にいたくはございません。最後の願いです王の手にて」
「千妃…」
「王の手にて、極楽浄土へ…いえ、地獄に送ってくださいまし」
そうすれば、貴方の心にずっといれる。たとえ炎に焼かれようと、妾の心は、貴方の心と共にある。
ほら、寂しくない。
王は涙をこぼした。彼女がいて、知ることができた。ぬくもり、安らぎ、愛される喜び、愛する喜び。
「早く」
千妃も涙を落とす。
「故国が再び収まれば、また会うこともございましょう」
血の匂いが広がる。
「許されるなら」
貴女と共にいたかった。 |