表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

颯太君

作者: 丸屋嗣也

 ピエロが踊る。手の動きも足のさばきもバラバラで、踊っているというよりはふざけているような感じ。脇をすり抜けていく人々に手を振る。色とりどりの派手なダボダボした服が不思議な踊りによく映える。

 そのピエロの前を、若い家族が通りかかった。

 お父さんとお母さんに手をつながれて、真ん中を歩く女の子は白塗りのピエロと目が合うとびくりと肩をこわばらせた。けれど、ピエロはそれが慣れっこなのか、その対策を心得ているようだった。いないいないばあを大きな身振りでやってみせて女の子に近づいたピエロは、手品の要領で手から花を取り出した。すると、女の子の顔から警戒の色が消えて、代わりに笑顔になった。うんうんと頷いたピエロは、脇に置かれたヘリウムボンベに結いつけられた赤い風船を女の子に差し出した。最初、それを受け取っていいのかと悩んでいたようで、お父さんの顔を見上げていた。お父さんの目配せを見た女の子は、ピエロから風船を受け取った。その風船をお父さんにつなぐ方の手に結わいつけて、その一家はメリーゴーラウンドの方向に歩いて行ってしまった。

 その一家を見送ったピエロは、またヘンテコな踊りを始めた。

 ピエロのことを見飽きた私は、ふと時計を見た。腕時計はまだ約束の時間を指していなかった。

 こんなに待ち遠しい思いをするのはどれだけ久しぶりだろう。

 私は心の中でこの思いを噛みしめながら思い出そうとしてみた。でも、大人になってからというもの、こういうわくわくした感じを体験することがほとんどなかったことに気付いた。

働き始めてもう五年になる。特に目的もなく大学に行って、勉強やサークル活動にいそしむ普通の大学生だった私は、これまた普通に商社に勤め始めた。内勤勤めということもあって苦になるようなこともない。かといって、楽しいことも殆どない。もちろん仕事の合間の同僚とのガールズトークも楽しいし、仕事の後の飲み会も楽しくないわけじゃあない。けど、かつて遊園地に来た時にこみあげてくるような、あの感覚は戻って来ない。

 これが大人になるってことなんだろう。

 昔本で読んだんだか、映画で誰かが呟いた台詞だったんだか、とにかくそんなお仕着せの言葉で諦めて、私は日々を過ごしていた。

 でも――。

 私は腕時計の針を見つめながら、待ち合わせしている颯太君の昔の面影を思い出していた。

 吊り目気味の大きな眼。ボサボサの髪の毛。口元をちょっと歪ませてぶっきらぼうな雰囲気をまとわせる。けど、本当は優しくて素敵な男の子。態度は大きいのに、背は低かった。当時の私より頭一つ小さくて、よく「ちび」と小馬鹿にしていた。

 元気だったのかなあ、颯太君。

 颯太君との別れから、もう十年以上経つ。あのボサボサ髪の少年は、私と同じく大人になっているだろう。今でもぶっきらぼうな雰囲気を引きずっているのだろうか。それとも、大人になってそういうぶっきらぼうな感じは消え去って、優しげな人になっているだろうか。それとも、見る影もないくらい太っちゃってたりして。小さいままかなあ、それとも、すっかり大きくなってて私のことを見下ろすくらいになっているんだろうか。きっと大きくなっているに違いない。

 颯太君はどんな姿でやってくるだろう。そして、私を一目見て、どんなことを言うんだろう。

 ふふ。自分の想像に思わず笑ってしまった。

 待ち合わせの時間がこんなに楽しみなのも、随分と久しぶりだった。

 と――。

「おーい、カヨ、来たぞ」

 遠くから、私を呼ぶ声が聞こえた。

 時計から顔を上げた私はその声の主を探した。どうやらピエロのはるか向こうの、メリーゴーラウンドの列にその声の主が紛れてしまっているみたいだった。

 ベンチから立ち上がった私は、颯太君の姿を探した。十年以来会っていない幼馴染の姿を。

 でも、見つからない。ピエロの元に男の子が一人駆けてくるだけで、辺りに大人の男の人の姿がない。

 あれ、空耳? それともメリーゴーラウンドの列にたまたま私と同じ名前の人がいただけかな。

 私はベンチに腰をかけ直した。

 メリーゴーラウンドから駆けてくる男の子は、ピエロの前で足を止めるかと思いきや、その脇をすぐすり抜けた。どうやらピエロも当てが外れたらしい。その男の子のために差し出そうとしていた風船を持て余していた。その男の子はピエロなんか目にもくれずに、私の前に立った。

私はその男の子を見つめた。

 どうしたの? そう声をかけようとした私より早く、男の子は口を開いた。

「久しぶり。カヨ」

 少年特有の高い声だった。けれどなぜだろう、その言葉はやけに大人びていて、男の子の小さな体には不似合いのような気がした。そして遅れて、私の頭に男の子の放った言葉の意味が飛び込んできた。

 久しぶり? この子が?

 少し混乱していた。こんな子と知り合いのはずはない。でも――。

 目の前に立つ男の子の姿を見まわすうちに、私はあることに気付いた。けれど、そんなことがあるはずはない。私の中にある常識が、私のその気づいたままをそのまま結論にしてしまうことを阻んだ。でも、どう見ても間違いがない。

 ツリ目がちな大きな眼。ボサボサの髪の毛。少しシニカルに歪めた口元。細い肩幅。間違いない。この子は。

 私は自分の結論のままを口にした。

「もしかして、もしかして颯太君?」

 すると、男の子は安堵の表情を浮かべて笑った。なぜか悲しげに。

「そう。よく一発で分かったな。お前、昔から鈍い奴だったのに」

 物言いまで変わらない。そうだ、颯太君は口が少し悪かった。それでいつも対抗して「ちび」って呼んでたんだった。颯太君は変わらない。いや、変わっていなさすぎる。颯太君を最後に見たのは小学校の六年生のときだった。その時から十数年経っているのに、颯太君の姿は殆ど変っていない。私の記憶の中に立ち尽くしている颯太君のそれと比べると、確かに少しあどけなさは消えているものの、そのほとんどは昔のイメージに重なってしまう。

「あ、あのさ颯太君、本当に颯太君なんだよね」

「当たり前だろ。信じられないんだったら言うぞ。お前のケツには大きなホクロがあるだろ」

 ある。これを知っているのは、家族の他には、子供の頃一緒に水浴びをした颯太君くらいだ。この歳になればカレシもそれを知っていてしかるべきなのだけど、残念なことに私は元カレすらいない枯れた青春を送ってきたのだった。でも、この発言が何よりの証拠だった。

「やっぱり颯太君なんだね」

「最初からそう言ってるだろ」

「でも、なんで、あ、いや、聞きづらいことになっちゃうとアレなんだけどさ、どうして――?」

 すると、颯太君は腕を組んで、あー、と唸った。

「きっと、面倒な話になるからなー。でも、分からないままっていうのも可哀そうだし。分かった。あんまり時間はないけど、出来るだけ簡単に説明してやるよ。――じゃあ」

 辺りを見渡した颯太君は、メリーゴーラウンド近くにあるラウンジを指した。メリーゴーラウンドを待っている子供に手を振る大人たちが数組カップをすすっている他には、空いた席がいくつもあるようだった。真っ白な丸い机と椅子が目に眩しかった。

「あそこで話そうか。ちょっとの間だけ」

 そう一方的に言い放って、颯太君は私に手を差し出してきた。

 相変わらず、颯太君は私の言うことなんて聞かなかった。いつも自分の考えだけで動いてしまう。

 昔もそうだった。「空き地に行きたい」、「学校の裏山に行きたい」、「近くのゲーム屋に行きたい」。颯太君はいつもそんな調子だった。私の願いなんて聞き入れてくれない。私の手を引いて、ずんずんと進んでしまうのが颯太君だった。

 全く変わらない。でも。颯太君の差し出した手は、私の手よりはるかに小さい。それに、手の位置がかなり低くて、颯太君の手に合わせるために私が腰を折らなくてはならなかった。

 颯太君は変わらない。変わったのは私の方だ。

 差し出された颯太君の手をとった。すると、颯太君はなぜか悲しげに笑った。

「ありがとう、今日は来てくれて。来てくれないと思ってた。俺の事を忘れてると思ってた」

 どこまでも、颯太君は変わっていない。悲しいくらいに。

       ○

 家の郵便受けに私宛の封書が入っていたのは数日前のことだった。

 あんた宛に手紙よ、という母親から受け取った封書には切手が張っておらず、私の名前だけが書かれていた。なんだろうこれ。怪訝に思った私は光に透かして中身を見ようとしたり、何度も振ってその音を確認した。どうやら入っているのは紙らしい。振るたびにカサカサと音がした。

 いつまでも封書を開かないわけにはいかない。思い切って開いてみると、中から何の変哲もない便箋が現れた。そこに書かれていた名前――、颯太君だった。

 颯太君。隣の家に住んでいた家族の一人息子。親同士が同い年で、私たちも同い年。家族ぐるみの付き合いから幼馴染に。それから、同じ幼稚園、同じ小学校を通った。けれど、親の都合とかで遠くに引っ越してきり、颯太君と会うことはなかったし、連絡すら取れずにいた。とにかく懐かしい。

 その手紙には、今週の日曜日に遊園地で会えないか、そんな内容だった。

 指定された遊園地は、私の家から電車に乗ってすぐのところにある。子供のころからよく行ったところだ。颯太君ともよく行ったはずだ。

 誰からの手紙だったの? という母親の疑問に、私は声を弾ませて応じた。

「ええ、颯太君から。会えないか、だって」

 それだけ言えば十分だと思っていた。だって颯太君といえばお隣さんで十数年の付き合いがあった子だ。

 けれど、母親は私の期待した反応をしなかった。

「え? 颯太君って誰? あんた、ようやく恋人が出来たの?」

 は? 私は軽く混乱した。でも、考え直す。いくら颯太君くらいの存在でも、もう十年以上付き合いがないから、母親の頭から吹き飛んでいたとしても不思議はないじゃないかと。

 そこで私は頭から説明し直した。ほら、隣の家に住んでいた颯太君だよ。いつも私と遊んでた男の子。ほら、私が中学生くらいになった時に引っ越しちゃったじゃない。それに、颯太君のお母さん、母さんと同い年でよく一緒に遊んでたじゃない、と。

 けれど、母親の顔は歪んだままだった。

「何言ってるのよ」

 母親は続けた。昔お隣に住んでいたご夫婦は確かに私と同い年で、家族ぐるみでお付き合いしていたけれどあの家には子供がいなかったはずだ、と。そんなはずはない、確かに男の子がいたはずだ。そう食い下がってもなお、母親は「いない」の一点張りだった。いたかもしれない、なんていう曖昧な態度は取らず、「絶対にいない」と言って聞かなかった。

 最初、母親が忘れてしまっただけだ。そう思っていた。

 その日の夜、ある小学校時代の友人から電話がかかってきた。久しぶり、と切り出してきたその友達はこまごまとこちらの近況に花を咲かせたあと、今度全クラスでやる同窓会があるんだけど、と本題を切り出してきた。その日は特に何があるわけでもなかったのだけれど、何となく気が乗らなくて「用事がある」と断った。ああそう、と興味なさそうに呟いたその友人は電話を切ろうと締めの会話に入ろうとしていた。

 その時、世間話のフリをして私は颯太君の話題を向けてみた。

「そういえば、颯太君には連絡ついたの?」

 私の記憶が正しければ、颯太君は小学校の卒業と共に何処かに引っ越した。ということは、私たちの同窓生のはずだ。この同窓会に呼ばれているはずだ。母親が忘れているだけで、きっと皆は覚えているはずだ。その希望をその友達は粉々に砕いた。

「は、誰それ? 知らないなあ。私、卒業当時の名簿を持ってるんだけど、ソウタなんて名前の男子、どこにもいないわよ? それに卒業アルバムにも写真ないし」

 そんなバカな。でも、友達はそんな私の疑問に付き合ってくれそうになかった。次の人に出欠を聞かなくちゃだから、と挨拶もそこそこに電話を切ってしまった。

 なんで――? 疑問に駆られた私は部屋の本棚の前に立った。文庫本や風景写真集が並ぶ本棚の下の方に卒業アルバムが差してある。それを開いてクラスのページを開いた。私と颯太君は六年間ずっと同じクラスで、よく二人で一組、「夫婦みたいだ」だと馬鹿にされていた。なのに、私のクラスに颯太君の顔は全く映っていなかった。もしかして思い違いかと思って他のクラスの写真も見たのに、やっぱり颯太君の顔はなかった。それだけじゃない。運動会、合唱祭、学芸会、林間学校、プール……。そんな日常の風景にアルバムの写真が移っても、そこに颯太君の姿を見つけることは出来なかった。

 そんなはずは。

 ふるふると震える手で今度は本棚から赤い背表紙のアルバムを取り出した。スナップ写真を保存しておく、プライベートのアルバムだ。でも、いくらページをめくっても颯太君の姿がない。中には、颯太君のお父さんお母さんとバーベキューをしたり山登りをしたり、あるいは遊園地にいる写真もあるのに、颯太君の姿だけがどう探してもない。

 そういえば、来た手紙にも颯太君の連絡先はなかった。ただ、「もし暇だったら遊園地に来てほしい」とだけ書いてある。

 いつもの私だったなら、こんなあからさまに怪しい呼び出し、無視するところだ。颯太君を名乗るだれかが私を呼び出すつもりなんだ、変な手紙だなあと。

 でも、その文末に添えられたマークが、私の気を変えた。

 それは、颯太君オリジナルのキャラクター、『メカとんぼ』だった。子供のころから、お絵描きの時に絶対描いたキャラクターで、男の子の好きなメカと、颯太君が好きだったとんぼが組み合わさっている、らしい。普通そういうキャラクターは小学校に入る頃にはお別れしちゃうものだけれど、颯太君は小学校卒業まで使い始めた。どうも学校で先生に怒られたらしくて、私とのやりとりだけにしたみたいだけど。その『メカとんぼ』、私の目にはどう見ても灰色のゴキブリのようにしか見えなかった。その灰色のゴキブリが確かに手紙の端っこに控えめに描かれていた。

 そうして私は日曜日、独りで遊園地にやってきた。

 そして其処で出会ったのは、高々中学生程度にしか見えない颯太君なのだった。


 颯太君は炭酸入りのジュースをストローで吸い上げながら、腕を組んだ。

「とまあ、こういうわけなんだよな」

 対面して座る私は訳が分からず、コーヒーの入った紙コップを手で何度も握ったり離したりを繰り返した。何せ、颯太君の話は訳が分からな過ぎた。一度概要を聞いただけではさっぱり分からない。いや、分からない、とも違う。正確には、言葉を追えばその形は見えてくる。でも、そうやって立ち上ってきた言葉たちが、私の持ち合わせている常識からあまりにかけ離れていて、理解することを拒んでいる。そんな感じだった。

「さっぱり訳が分からないんだけど。どういうこと?  颯太君の時間軸が私たちの時間軸と異なる?」

 颯太君は顔をしかめながら、ストローの口をがりがりと噛んでいた。この仕草、よくやっていた気がする。

「ああ。そういうこととしかいいようがないんだよ。また順を追って説明するぞ。面倒だし、時間もないんだ。今度分からなかったら説明しないからな。よく聞けよ」

 颯太君はテーブルの上で指を一直線になぞった。

「カヨみたいな普通の人たちは、時間軸はこんなふうに流れるんだ。よく、時間を川の流れに喩える人がいるだろ? それと同じことだよ。過去から未来へ。その逆はない。上から下に流れる川の水みたいに時間は流れて、カヨたちはその流れの中で生活してるんだよ」

 ここまでは分かる。感覚的に納得しやすい。時間は過去から未来に流れている。当り前だ。

 けれど、ここから颯太君の説明はよく分からなくなる。

「でも、中には、この時間軸から外れてしまう人間がいるらしいんだ。いや、それは人間だけじゃない。犬にもそういう個体はあるし、木にもそういう個体があるらしい。とにかく、カヨが生きている普通の時間軸とは異なる時間軸に生きるモノたちがいるんだ。その人たちの持っている時間軸のことを、『ストレンジ・タイム・アクシズ』っていうんだ」

「ストレンジ・タイム・アクシズ」

「二十三世紀の学者さんが発見して名付けたらしいけど、そんなことは覚えなくてもいい。これ、最初は時間感覚がほかの個体と大幅にズレている個体に固有の感覚だと見なされていたんだけど、研究が進むに従ってそれがもっと根本的なところ、物理的な問題であることが分かったんだよ」

「で、そのストレンジなんとかって、何なの?」

 颯太君はストローを吸った。もう何も入っていないらしくて、ズズズ、と嫌な音がした。その音を鳴らして私のしかめっ面を引き出すのが、颯太君のいつものやり方だった。

「『ストレンジ・タイム・アクシズ』の持ち主は、普通の人とは違って、飛び石みたいな時間軸を持っている。例えば、一年間は1980年にいたかと思えば急に時代が飛んで2500年に飛ばされちゃうみたいな時間軸を持つ場合が多いんだ。でも、俺の場合はめちゃくちゃでさ」

 ああ。私は声を上げた。

「確か、過去に向かっても飛んじゃうんだっけ?」

「その通り。俺の時間軸は本当にストレンジで、未来に飛んだかと思えばまた過去に飛んで、過去に飛んだかと思えばまた未来に飛ぶ。そんな変な時間軸の持ち主らしいんだ」

 さらに颯太君は言い募った。どうやら、昔からあるとされる神隠しとか行方不明者の一部には、この『ストレンジ・タイム・アクシズ』の保有者がいるらしい、と。事実、ストレンジな時間軸の中で、颯太君はそういう人たちとたくさん会ってきたらしい。

「24世紀以後になると『ストレンジ・タイム・アクシズ』保持者への保護法が成立しているらしくて結構過ごしやすいんだ。俺だってこの知識を24世紀以後で教わったし。その中で、色んな保持者とも出会った。結構慣れると楽しいぜ?」

 すごく不思議な近況報告だった。クレオパトラや楊貴妃、バビロン宮殿。未来に登場する『ハイサイサンセット』という日本出身の大歌手や太陽系を飛び出した移民船、核融合技術の確立……。身ぶりを交えながら喋る言葉はまさに近況報告なのだろうけれど、聞いているこっちは夢見心地だった。

 話が途切れかかったところで、私は訊いた。

「あのさ、颯太君は時間旅行をしているってこと? タイムマシンに乗ってるみたいなものなのかな」

 颯太君は答えた。Noと。

「タイムマシンに乗って何処かに行く、っていうのはさ、正常な時間軸を持った人が、抜け道を見つけて過去に向かったり未来に行ったりすることだよ。でも俺は違う。元々時間軸がヘンなんだ。人生に与えられた時間軸がそもそも皆の時間軸と違うんだ」

「で、でも」私はさらに訊いた。「いつからこんなことに? 小学校時代はこんなことなかったんでしょ」

「うん」

 颯太君の語るところだと、最初にその変化に気付いたのは引っ越してすぐのことだった。中学校の制服に身を包んだ彼が、登校しようと靴を履いた瞬間、彼の目の前の光景が変わった。玄関の光景は、一瞬にして消え去り、代わりに目の前に広がったのは掘立小屋が並ぶバラックだった。よれよれの軍帽をかぶった男の人たちがボロボロの市場に並んでいる。そして街を走る米軍のジープ。そう、颯太君は戦後間もなくの日本に飛ばされた。

 最初は夢を見ているのだと思った、そう颯太君は言った。でも、夢じゃなかった。いつまで経っても夢から覚めないことに気付いた颯太君は、焼け野原が続く日本の片隅で何がどうなったのかとひたすら自問していたという。でも、結論が出ようはずもなかった。

「でも、俺は運が良かったんだ」

 戦後日本にいたのはわずか三日ほどのことだったという。次に飛ばされたのは25世紀だった。そこで保護されて、『ストレンジ・タイム・アクシズ』保持者の保護施設で、保持者としての知識を授けてもらったらしい。

「運が悪い人は、24世紀以降の時代に辿りつけないまま死んでしまう人もいるみたいだ。そういう意味では凄く運がいいんだよ」

 その保護施設で色んなことを教わった。この厄介な時間軸『ストレンジ・タイム・アクシズ』という概念や、自分が未来や過去に飛ぶタイプの保持者であること、そして、他の時代に飛ぶ周期。

「周期なんてあるの?」

「うん。詳しくは未来の学者が詳しいけど、保持者はみんな特定の周期があって、その周期ごとに他の時代に飛ぶ性質があるみたいなんだ。俺の場合はその周期が三日だったんだよ」

 にわかには信じがたいけど、何となく分かってきた。

 颯太君は、中学校の一年生くらいから『ストレンジ・タイム・アクシズ』が覚醒し、時代から時代へと飛び石のように飛びながら生きる保持者となった。そして――。

「そうか。今日ここに来たのは――、あくまで偶然なんだね」

「うん、そうだよ。お前の割に物分かりがいいじゃんか。時代っていうのは無限にあるから――、尤も、『個体原理』っていって、人間だったら人間が繁栄している時代にしか移動できないみたいなんだけど――、自分の生まれた時代に移動できる確率は凄く低いんだ。しかも、これだけ誤差のない時代となると一生に一度あるかないかだろうな」

「そう、なんだ」

 私の顔をつまらなげに見つめた颯太君は、その細い手を伸ばして私にデコピンをした。子供の頃にはもの凄く痛かったデコピンが、覚悟するほどには痛くなかったのが不思議だった。

「なに暗い顔してるんだよ。せっかく会いに来たのに。――さ、行こうぜ」

 颯太君は立ち上がった。紙コップをぐしゃっと潰して紙屑の中に投げ入れた。放物線運動を描いたそれは、まるで測ったかのように紙屑の真ん中に落ちた。

「え、え、え?」

 混乱する私の目を、颯太君が見つめた。その瑠璃色の瞳も相変わらずだった。でも、その綺麗過ぎる瞳がなぜか私の心をほんの少しだけ傷つけた。

 颯太君は私と目を合わせてしばらくすると、あー! と不機嫌そうに声を上げた。

「お前、もしかして約束のこと覚えてねーだろ!」

 や、約束? 

 約束なんかあっただろうか。何の約束なのかも分からない。

 きっと、その私の心の内に気付いたのだろう、のろのろと頭を振った颯太君は私の傍に寄ってきて、ぽかりと頭を叩いた。この拳骨は昔から全然痛くなかった。今でももちろん痛くない。

 ふん、と颯太君は鼻を鳴らした。

「カヨは頭が足りないからなー。仕方ねえなあ。今日ここに来てくれたことに免じて、約束を忘れちゃったことは許してやるよ。だから、早くそれ飲めよ」

 私の紙コップを指す颯太君。

 昔から私は何かを飲んだり食べたりするのが遅い、おっとりとした子供だった。もっとも、大人になっても変わらない。でも颯太君は逆にてきぱきとした子だった。だから、一緒に遊んでいるとこういう場面がよくあった。

 懐かしさを感じながら、飲み物を全て飲んだ私は空の紙コップをゴミ箱に捨てようと手を伸ばした。でも、掠め取るようにして私の手から紙コップを取った颯太君の手によって、ゴミ屑の中に投げ込まれた。

「よし、行こうぜ。約束を果たしに」

「う、うん」

 颯太君は私の手をぐいぐい引いた。

 その背中はすごく小さい。私だってそんなに大柄な方じゃない。でも、颯太君はその私よりも二回りくらい小さい。

 周りからは、どう見えているんだろう? メリーゴーラウンド前に並ぶ人たちの笑顔を眺めながら、私はふと思った。どう見られているかは分からないけど、少なくとも恋人同士には見えてはいないだろう。それがなんだか、ちくちくと私の心に痛みを強いる。


 オルゴールのようなBGMを響かせながらぐるぐる回るメリーゴーラウンドや、細いワイヤーにつるされて空に浮かび上がる空中ブランコ、振り子のように何度も揺れる海賊船、白煙を上げながら加速するゴーカート。遊園地というところは大人になってもなお心を躍らせる何かがある。アトラクションたちが手招きしているかのように。でも、私の手を引く颯太君はそんな手招きに応じるつもりはないらしい。わき目もふらずにすたすたと目的のところに向かおうとしている。

 ゴーカートを抜けてからは絶叫マシンコーナーのはずだ。子供の頃は身長制限があるせいで乗ることのできないアトラクションがたくさんあるところだ。あちらこちらから甲高い悲鳴が聞こえる。見上げるような高さからほぼ直角に乗り物が滑り落ちるもの、ドーナツみたいなものの外周に席があってそのドーナツが何度も急降下と急上昇を繰り返すもの、高い位置に移動してからヨーヨーの要領でゴンドラが振り回されるもの。それらのアトラクションが私たちを迎えた。

 でも、颯太君の目的はそういうアトラクションじゃないらしい。それらのアトラクションにも目をくれずに私の手を引く。

 そうして颯太君がようやく足を止めたのは、この遊園地の一番奥にあるアトラクションだった。

 蛇のようにくねる赤いレールが鳥の巣のように幾重にも張り巡らされている。その上を新幹線のような形をした乗り物がとてつもないスピードで滑っていく。その度に、鉄骨製のはずのレールが軋む。その威容を見上げながら、私は、

「うわあ」

と声を上げた。

 私の目の前に広がっていたのは、遊園地の華・ジェットコースターだった。しかもこれはただのジェットコースターじゃない。たしかこれは、十数年前にこの遊園地が社運をかけて作ったものだ。それが証拠に古いジェットコースターもここから少し離れたところにある。白く塗られた鉄骨の、今にも崩れ落ちそうなコースターだ。

「これに乗るぞ」

 ぽつりと颯太君は言った。

 え? これに乗るのが約束? 思い出せない。でも――。

 このジェットコースターは階段を上ってしばらく歩くと乗り込み口が現れる。その階段を見上げたときに、私は颯太君と昔ここに来た時の約束のことを思い出し始めていた。

           ○

 あれは、六年生の時に行った卒業旅行のことだった。二月の頭頃にある学校行事で、通年だと有名なテーマパークに行くのが決まりになっていた。私の年だけはどうしたわけか、テーマパークが近くの遊園地に化けてしまった。私も含め、生徒たちがぶーぶー不平を垂れたのは言うまでもないけど、現金なもので連れて行ってもらえばそれはそれで皆楽しそうにしていた。この卒業旅行は一日分の授業を潰してのものだから、そういう意味でも嬉しかったのかもしれない。クラスのみんなは思い思いに平日の遊園地を飛び回っていた。ある子は友達と写真を撮り合いながらコーヒーカップに乗っていた。またある子はお化け屋敷に挑戦している。またある子は売店の端っこで踊っているピエロの手品に拍手を贈っている。

 私はといえば、一人ベンチに座って、メリーゴーラウンドを眺めていた。

 別にいじめられていたわけじゃない。ないのだけれど、ただ、人の輪に入るのが苦手だった。クラスメイト達が笑顔をふりまきながらくるくる回るメリーゴーラウンド。なんとなく居心地の悪い、学校の教室にも似ていた。あんなにキラキラ輝いているのに、あの場に入りたくない。そんな気持ちでいっぱいだった。

 そうやってぼけっとメリーゴーラウンドの回転を眺めている私の前に、颯太君は現れた。小さな背を大きく見せようとしているのかふんぞり返るように立って、いつもみたいに皮肉っぽく口の端を上げて。

『何してんだよ』

『何、って? ただメリーゴーラウンドを見てるだけだよ』

 腕を組んでいた颯太君はそれをほどいて、私のおでこにデコピンをした。引っ張ったゴムを思い切りぶつけられたかのような痛みに思わずデコを撫でる。

 颯太君は、そうじゃない、と言った。

『何でお前はそんな顔をしてメリーゴーラウンドを見てるんだ』

 そんな顔? 私は自分の頬を撫でた。ひどく冷たかった。

 気付かなかった。私が、人から『そんな顔』と言われるような顔を浮かべてここに座っていたのだということに。

 のろのろと頬を撫でる私を見つめる颯太君は明らかに苛立っていた。颯太君はいつもそうだ。私を見ると何でかそうやってイライラするのを隠さない。イライラするくらいなら放っておいてくれればいいのに。

 けれど、颯太君は当り前のことのようにその手を差し出した。

『ほら、行くぞ』

『どこに?』

『馬鹿。ここは遊園地だぞ。アトラクションに乗るに決まってるだろ』

 そうして私は颯太君の手に引かれるがまま、色んなアトラクションに乗った。今にも遠くに投げ出されそうになる空中ブランコ、端っこに乗れば乗るほど怖いのにあえて端っこの席に陣取った海賊船。何度も脱輪しそうになりながら一コースを走り切ったゴーカート。

 世界が変わったみたいだった。ベンチから見た光景で満足だったはずなのに、気づけばそんなんじゃ我慢が出来なくなっていた。回転するのを見ているより、自分が回転する方がはるかに楽しいことに気づいてしまった。そして、私の横には、手を離して空中ブランコに乗ったり、私を怖がらせようとあえて大きい悲鳴を上げたり、ハンドルを急に切ったりする颯太君がいる。

 そうやって、『お子様向け』のアトラクションを全部乗り終えたとき、颯太君は振り返った。

『よし、じゃあ今度はあっちに行こうぜ』

 颯太君の指す方から、女の人の悲鳴が聞こえてきた。その悲鳴にすこし怯えながらその方に向くと、新種の芋虫や木のような形をしたアトラクションが立ち並び、その奥に竜がとぐろを巻いているかのような造形をしたジェットコースターが控えていた。

 私の意見なんて聞かなかった。颯太君は私の手を引いてずんずんと一直線に進んだ。巨大オブジェのようなアトラクションをいくつも素通りしていく。そうして颯太君が足を止めたのは、やっぱり一番奥にあった大きなジェットコースターだった。コースターのレールがこちらに迫ってくるんじゃないかと思うほど、レールの山は大きかった。

『これさ、最近できたらしいんだよ。この辺じゃ一番大きいジェットコースターらしいぜ』

 私だってそれくらいのことは知っている。確か、お披露目されたのが半年くらい前だったはずだけど、その時には女の人に無料券を配っていたっけ。半年前、親にこの遊園地に連れてきてもらった時には、あまりに混んでいて乗ることが出来なかった。

 でも、この日は空いていた。平日だからだろう。この前来た時にはレールの山の中腹くらいにある乗り込み口に向かう階段が人でいっぱいだったのだけれど、この日はまったく人が並んでいなかった。

『さ、行くぞ』

 颯太君の手に引かれるがまま、私はそのジェットコースターの階段に足をかけた。

 けれど、結果として私たちはジェットコースターに乗ることが出来なかった。

                ○

 ああ、そうか、約束っていうのは――。

 十数年前の約束をようやく思い出す。

「そういえば、そんな約束、したっけね」

 すると、颯太君は思い切り顔をしかめた。

「ようやく思い出したか、馬鹿」

「うん」

 颯太君の毒舌が何故か私の胸を締め付ける。颯太君の言葉に傷ついているからじゃない。むしろ、何を言われても全く傷つかないからこそ、胸の痛みは深刻だった。

「あの時、俺たち、ジェットコースターに乗れなかったんだよなあ」

 そう。乗る寸前のところまではいったのだ。係員さんにフリーパス券を見せて乗り込もうとした時、係員さんに呼び止められた。乗る前に、これの前に立って下さい、と。キリンの姿を模したそれは、身長制限ぎりぎりの子供の身長を測る物差しだった。

 その頃の私はお世辞にも大きな子供ではなかった。颯太君なんて輪をかけて小さかった。

 私も颯太君も、既定の高さをパス出来なかったのだ。

 とぼとぼ、という表現がこれ以上なく似合う雰囲気をまといながら、颯太君は辺りをさまよう。何も言えずに私はそのあとを追う。そのうち颯太君が口を開くに違いない。そう私は思った。だって、いつもそうだったから。でも、その時に限って颯太君は口を開こうともしなかった。よっぽど乗れなかったのが痛手だったのだろう。

 何か言わなきゃ。きっと、あの頃の私はそんな気持ちだったのだろう。普段にない颯太君のしょげかえりっぷりに驚いていたのかもしれない。いずれにせよ、口を開いたのは私だった。

『今日じゃなくてもいいじゃない。また今度、一緒に乗ろうよ』

 振り返った颯太君は泣いていた。丸められたティッシュのように顔を歪めて。そんな颯太君の顔を見るのは、きっと初めてのことだった。

 お腹の中からひねり出すかのような沈痛な声を颯太君は上げた。

『次なんてないんだよ』

『え』

『俺、引っ越すんだよ。父さんの仕事の都合で。すごく遠いところに』

 すごく遠いところ。小学校六年生の私はもう既に日本の形を知っていたし、世界地図だって頭の中に浮かぶようになっていた。けれど、どうしたって颯太君の言う『すごく遠いところ』の事を想像することが出来なかった。そして、颯太君のいないこれからの毎日を想像することが出来ずにいた。どんな顔を浮かべて、颯太君は誰も知らない遠いところで生活するんだろう。颯太君のいない空白を抱えたまま、私はどんな顔をして日々を過ごすんだろう。そんな疑問ばっかりが頭の中で渦を巻いていた。

 唇を真一文字に結んで、颯太君は俯いた。

『引っ越すんだよ。どうしたって会えなくなるんだよ。それにお前だって俺のことを忘れちゃうんだろ、どうせ』

 颯太君の言葉が幼い私の心に突き刺さる。でも知っている。颯太君の減らず口は私を傷つける言葉じゃない。自分を傷つけまいと颯太君が放ってしまう悲鳴だということに。

『忘れないよ』

 颯太君は顔を上げた。

『いつか会おうよ。ちびの颯太君だっていつか大きくなるんだから。そのとき一緒に乗ればいいじゃん。身長が高くなったら電話してよ』

 へっ、と颯太君は鼻で笑う。笑い声が涙でうるんでいた。

『それまでにお前も身長が高くなってればいいけどな』

 そうだった。あのときそんな約束をしたはずだ。その約束を覚えてくれてたんだ。カンカンと足音を鳴らしながら階段を上っていく颯太君の後ろ姿を見つめた。

 私だって忘れていたわけじゃなかった。小学校卒業と同時にどこかに行ってしまった颯太君の電話を待っていた時期だってちゃんとあった。でも、いつまで経っても颯太君から電話がかかってくることはなかった。私の事を忘れちゃったのかな? それとも、また小さいままなのかな? そうやって颯太君の面影を思い浮かべている日々もあった。でも、やがて日々の暮らしに押し流されるようにして、颯太君との約束は記憶の遠く彼方に押しやられてしまった。

 すっかり私は忘れていた。

 でも、颯太君は覚えていてくれた。

「ごめん、颯太君」

「何が」

「こんな大事な約束を忘れてるなんて」

「しょうがねえよ」颯太君は言った。「だってカヨはあれから十年以上経ってるんだろ。でも俺の体感時間はせいぜい一年くらいだからな。俺の方が覚えてるのは当たり前だよ。で、お前が忘れてるのも当たり前だよ。だって俺からすれば、四歳くらいの頃の約束を覚えてるみたいなもんだぜ?」

 どういうこと?

 私の心の中に浮かんだ問いに答えを与えるかのように、颯太君は続けた。

「俺、カヨと別れてからまだ一年くらいしか経ってないんだよ、実感としては。百以上の時代を飛んで、その度に色んなものを見てきたけどな」

 想像してみた。百以上の時代を渡り歩いてきた颯太君の一年。きっと、どこに居ても気が休まることはなかっただろう。颯太君にとってその一年は誰とも分かり合えない一年だったに違いない。誰とも重なることのない時間軸。たった一人で右も左も分からない世界を歩く異邦人。

 颯太君は十数年前に分かれた時と殆ど変っていなかった。でも、唯一変わっていたのは、その透明な瞳だった。かつては強い光を宿していた目は、気づけば色のない、物を語らない目に代わっていた。

「それより、早く行こうぜ」

 颯太君は階段の上を指した。颯太くんの指した方は踊り場になっていて、その奥にジェットコースターの乗り込み口がある。赤い帽子をかぶった若い女の案内員が立っていて、その横には、キリンを模した物差しがしっかり立っていた。

 その踊り場に登り切った颯太君は、やっぱり案内員さんに呼び止められた。

「ごめんねー、この前に並んでね」

 キリンの物差しの前に並ばされ、身長を測られる。

「あー」

 案内員さんは鼻にかかった声を上げた。

「ごめんねー、身長が足りないみたい。また半年くらい経ってから来てね」

 颯太君の頭の先はキリンの顎に届かなかった。

 何を言われたのか分からないのかもしれない。目を白黒させる颯太くんに、案内員さんは言った。きっと、励ましのつもりだったのだろうけれど、案内員さんが口にしたのは残酷すぎる言葉だった。

「大丈夫。あと半年もすればすぐに大きくなるから。またお姉さんと一緒に来てね」

 私の事を『お姉さん』と呼んだ案内員さんは、颯太君の背中を優しく押した。

 でもきっと、颯太君にとってその優しさが一番要らないものだっただろう。

 颯太君は下を向いて唇を噛んでいた。いつか見たことのある表情だった。


 窓から夕日が差し込んでくる。遠い山に差し掛かりつつある赤い光の塊が、私の眼の奥を焼いた。窓の外にはミニチュアのように小さくなったメリーゴーラウンドやゴーカート、ジェットコースターが、赤く塗りたくられている。そして、私とさし向かいで座る颯太君の顔もまた赤く染まっていた。窓際の手すりに肘をかけて、ほうっとした目で窓の外を見ていた。

 あのあと、颯太君はずっと無言だった。話しかけても虚ろに答えるだけで、心がここになかった。その気まずい空気に圧された私は、颯太君の手を引っ張ってこの遊園地の中心に立っている観覧車に乗り込んだのだった。

「あの、颯太君」

「なんだよ」

 棘のある言葉が痛痛しかった。

 何も言うことが出来ずにいると、颯太君が口を開いた。ぽつぽつと。

「笑っちゃうよな。もう中学生なのに、まだジェットコースターに乗れないなんて」

 颯太君は小さい子だった。小学校の時点でもクラスで一番小さな男の子だった。

 でも違うよ、颯太君。私は心の中で呟いた。『もう中学生』なんじゃなくて、『まだ中学生』なんだよ、と。

 本当だったなら、私と颯太君は同じように大きくなっていくはずだった。きっと、いつかは颯太君が私の背を追い越す日が来たのかもしれない。なのに、颯太君はまだ小さいままで、私はすっかり大きくなってしまった。決して身長が高いわけではないのに、颯太君の方が二回り小さい。私だけが大きくなって、颯太君は昔のままであることが、ひどく私の心をささくれ立たせた。

「でも」

 私は口にした。

「今日は楽しかったよ。颯太君は?」

 ああ、と颯太君は答えた。

「――楽しかったよ」

「じゃあ、それでいいじゃない」

 がたん、と何かの拍子でゴンドラが揺れた。それはまるで、私と颯太君の間に横たわっているものが、悲鳴を上げたかのようだった。

「よくないんだよ」

 颯太君は立ち上がって、座る私の事を見下ろした。

 思わず颯太君の顔を見上げる。颯太君は、男の子の顔をしていた。奥歯を噛んで、頬を青くして。

「だって、お前と会うのはきっとこれで最後だから」

 あ――。確かさっき、颯太君が言っていた。『これだけ誤差のない時代となると一生に一度あるかないかだろうな』って。そうだ。颯太君は私とはまるで違う時間軸に生きている人なんだ。

「実は、さ。お前が俺の事を覚えていたのだって奇跡みたいなもんなんだぜ?」

 え? どういうこと?

「俺が行ったことのある時代は一番新しい時代で25世紀なんだけど、その研究によると『ストレンジ・タイム・アクシズ』保持者は最初、普通の時間軸を持った存在として生を受けるらしい。でも、何らかの理由で『ストレンジ・タイム・アクシズ』に入っちゃうんだって。そうやって『ストレンジ・タイム・アクシズ』に取り込まれた人間は、九十パーセントくらいの確率で本来の時間軸から存在が消えちまうんだって」

「九十パーセントの確率で存在が消える? 意味が分からない……」

「重ね合わせ、ってことさ。ある人にとっては存在したという実感もあったし物的証拠もあるけど、それがない人もいる。つまり、十パーセントの人は俺の存在を覚えている可能性があるし、九十パーセントの人は俺の存在をすっかり忘れちゃうってことだ。それはあくまで機械的な話で、そうじゃなくても人は色んなものを忘れていく。はっきりいえば、保持者は同時代のほとんどの人に忘れ去られちまうんだよ」

「でも、何で私は?」

「偶然だよ。あるいは、奇跡」

「奇跡」

 その言葉を噛みしめてみた。でも、何の味もしない。それはそうだ。颯太君にとって、今ここに居るのは奇跡のような確率なのだろう。でも、私にとってはただ昨日からの連続に過ぎない。

「なあ」

 気づけば、私たちを乗せた観覧車は一番高いところまで上って来ていた。はるか遠くの町並みや山が見える。ここには誰もいない。ただ、私と颯太君がいるだけだ。

「俺さ、ずっとカヨの事が好きだったんだ。子供のころからずうっと。本当はあの日だって、ジェットコースターから降りたら告白するつもりだったんだ。恥ずかしい話だけどさ。自信がなかったから、本で読んだ吊り橋効果っていうのが使えるんじゃないかと思って。でも駄目だった。今日こそは、って思ったけど、今日も駄目だった。最後のチャンスだったのに」

 そんな気はしていた。子供のころからずうっと。私が颯太君の事を好きなように、きっと颯太君も私の事が好きに違いない、そんな予感がなんとなくあった。

「なあ、カヨ。カヨはどうなんだよ」

 私。

 結論は決まっている。それは、今日一日のデートではっきりしたことだった。

 私は飾らずに、まっすぐに答えた。こうとしか答えようがなかった。

「きっと、十数年前の私は、何の屈託もなく颯太君の事が好きだって言えたと思う。でも――」

 今日一日のデートで、私は気づいてしまった。もう、颯太君と私は同じところにはいないということに。颯太君が全く歳を取っていないからだし、私が歳を取ってしまったからでもある。颯太君は、本当に変わらない。あの頃の幼さを抱えたままでここにいる。でも私は、もうその幼さを持ちあわせていない。そして、颯太君の見る世界に降りていくことなんてもうできない。

「私は、もう大人なの」

 その言葉が、ゴンドラの中で反響する。

 頭を振った颯太君。

 でも、へん、と笑って見せた。

「ま、だろうな。十数年も経ったんだ。そりゃそうだな」

「でもね、颯太君。十数年前の私は、颯太君の事、大好きだったよ。誰よりも」

 本当のことだ。

 でも、颯太君は頭を振った。

「別にいいんだよ。逆に振ってもらった方が諦めもつくからさ。でも――」

 颯太君はなぜか私の頭をポカリと殴りつけた。全然痛くなかった。

「出来れば、今日のデートの事は忘れないでほしいな、っていうのは俺のわがままかな」

 今日のことを『デート』と呼んだ颯太君の頬が赤いのは、果たして夕日のせいだろうか。

 私は言った。

「うん。わがまま。他の人の好意を袖にしたことなんて覚えていたくないよ。でも、他ならぬ颯太君のお願いだから、覚えておいてあげる」

「ふん」

 颯太君は不機嫌そうに眉を上げた。

 でも。

「まあ、上々か。ありがとな」

 そう言って笑って見せた。ひどく悲しげな笑みだった。

 きっと颯太君は、これからもこうやってただ独り、色々な時代を旅していくのだろう。その光を宿さぬ瞳で世界を捉えながら。

 颯太君は、まるで歌うように口を開いた。

「じゃあ、最後に一つ、いいか?」

「何」

「目を閉じてくれ」

 私は言われるがままに目を閉じた。

 真暗な視界の中で、私は一人考えていた。颯太君は何をするつもりなのだろう、と。

 心の中で私は笑う。何言ってんだか私は、と。分かり切ってるじゃないか。この場で男の子がすることなんて決まってる。私の意識は唇の先に移る。不思議なことだった。目の前にいるのはあの颯太君のはずなのに。なぜか胸が高まった。やがて、どんどん高なっていく心音を聞き続けているうちに、不思議と懐かしさが込み上げてきた。

 ああ、この音。

 そうだ、これは。子供の頃に聞いた音だ。

 私が聞いたこの心音は、まだ私が子供だった頃、毎日聞いていた心音そのものだった。明日は何が起こるだろう、今日はどんな毎日が待っているんだろう。そうやって過ごしていた頃。今日は颯太君の手を握ることが出来るんだろうか、と一人ぽつりと呟いていた昔。そして、思いきって颯太君の手を握った時。

 私は瞬間、確かに子供に戻っていた。颯太君の背中を追っていた、あの頃の。

 でも、颯太君は私の唇に触れてくれなかった。

 頭の上に衝撃が走った。でも、痛くない。

「ばか、何期待してんだよ」

 きっと颯太君は私の事を殴りつけたのだろう。いつものように全然痛くない。

「何も期待してないよー」

 唇を伸ばして反論した。

 でも、颯太君は何も言葉を返してこなかった。

 あれ?

 目をつむっていつまで待っても、颯太君は私に話しかけてこない。

「そうた――」

 私が目を開いた時には、もうそこに颯太君はいなかった。ゴンドラの中には、私と窓から差し込んでくる赤い光だけが差し向かいの座席に横たわっていた。

 颯太君らしい、そう思った。

 さよならも言わずに、颯太君は行ってしまった。

 そして私は、さよならを言いそびれた。

 きっと、それが颯太君の願いなのだろう。

 でも。

 私は誰もいないゴンドラの中で、口を開いた。

「さよなら、颯太君」

 私の脳裏に幼い少年少女たちが手をつないで駆けていく後姿が蘇っていた。子供の頃の私と颯太君だった。でも、その二人の姿は前に広がる闇の向こうに消えようとしていた。その二人のことを私は笑顔で見送った。きっともう私は、あの頃の私には戻れない。

 さよなら、颯太君の事が大好きだった、私。

 観覧車のゴンドラは、頂点を過ぎてゆっくり、ゆっくりと下降に転じ始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  読ませていただきましたので、感想などを書かせていただきます。ただのSFスキーおっさんの戯言ですので、適宜スルーしてくださいませ。  SFのガジェットとしては悪くないです。『ストレンジ・タ…
[一言] むむー、確かむかし「ベタ恋企画」に投稿されてましたよね。うんうん、こういうのを書いちゃうひとなんだよな (^_^) 読んでいるこっちまで照れちゃいそうな展開なんだけど、不思議と爽快なんですよ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ