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僕と彼女と僕
作:D




 序


 桜が散り、陽気さも増していく頃。
 林田毅彦は市立の中学校に進学し、新学期を迎えた。毅彦自身は取り立てて変わった特徴があるでもなく、ごく平穏に、平凡に暮らしていた。
 だがしかし、奇妙な出来事が起こるようになったのはこの頃からであった。
 
 それは或る日の午後。
 
 新学期の、新しい教室の交流も落ち着いてきた頃だった。
 同じ教室の工藤真理という女子に、体育館の裏に呼び出された。毅彦が始業式の時から気になっていた女子だった。
 まさか意中の相手から呼び出されるとも思わず、毅彦は緊張で倒れてしまうかと思った。それほど予想外の出来事であった。
 取りあえず何か言わなければ。真理と向かい合った毅彦はしどろもどろで、なんとか言葉を発したという感じだった。
「く、工藤さんだったよね・・・・・・同じ教室だけど、まだあんまり話したことがなかったよね・・・・・・」
 毅彦は真理の顔をまともに見ることもできない。
 しかし真理は、白い肌の小さな顔を真っ直ぐ毅彦に向けていた。憂いを帯びた琥珀色の瞳。桜色の薄い唇が開く。
「私と、付き合って下さい!」
 一瞬、頭が真っ白になった。
 だが即座に何かに聞き間違いだろうと毅彦は思った。
 或いは、自分を陥れようとしているのかもしれない。どこかで性質の悪い連中が潜んで自分を笑っているのか。
 毅彦は必死になって辺りを見回した。
「どうしたの? だめ?」
 さらに追及してくる真理。もう聞き間違いではないだろう。
 ほんとうに倒れてしまいそうだった。心臓が緊張と驚きで、激しく鼓動している。しかし真理になら陥れられてもいい、と毅彦は思った。
「どうして、僕なんか?」
「この前デートに誘ってくれたでしょ? その時にあー素敵だな、と思って林田くんのこと、すごく好きになったの!」
 毅彦は耳を疑わずにはいられなかった。
 こんな何の取り柄もないような男を、真理が好きになってくれるなんて。しかし、デートなどには身に覚えがない。まさか、人違いをしているのか? だが確かに真理は林田の名を呼んだし、こんな間近で顔を見ているのだから、それはないはずだ。
 だが毅彦は考えた。
 折角のこの幸運を受け入れるべきではないか。真理が自分のことを好いてくれる理由は皆目検討がつかないが、このチャンスを逃すのは勿体無い。
 世の中不思議なこともあるものだ。
 結局、毅彦はそう無理矢理納得し、訳が分からないまま真理と付き合うことにした。どうしてあの娘が林田なんかと、工藤さんって相当物好きなんだね、などと周りの反応は冷たかったが。
 
 しかしこの出来事も、これから起こる奇妙な出来事の、ほんの発端にしか過ぎなかったのだ。


 一


 真理と付き合って一月が過ぎていた。
 相変わらず真理は毅彦のことを好いているようだった。だが毅彦には不可解なことがあった。真理は、自分とデートを重ねますます好きになったという。
 だがあれからというもの、毅彦はデートはおろか手を握ったことすらない。気恥ずかしくてデートに誘うことなど毅彦にはできなかったのだ。
 一体、真理は誰とデートしているのだろうか? 疑念はあったが、意中の真理と付き合えている幸せを壊したくなくて、深く探ろうとはしなかった。
 或る日、学校の帰り道を一緒に歩いている時。
「林田くん、学校ではすごく遠慮してるよね。周りの目が気になるのはわかるけど・・・・・・なんだか別人みたい」
 別人――その言葉が毅彦には深く響いた。
 やはり、真理とデートしているのは自分とは別人なのだ。しかも自分と同じ顔をしているらしい。
 何か薄ら寒いものを感じた。自分の知らない誰かが、自分に成りすましている――こんな気味の悪いことはない。
 
 そしてついに事件は起こった。
 
 その日、真理と別れて自宅へと帰ると、何故か母親が目を丸くして、不思議そうな顔で毅彦を見つめた。
「あんた、さっき帰って来なかったっけ?」
「えっ!?」
 母親の言葉に驚きを禁じえず、毅彦は慌てて階段を駆け上り、二階の自室へと向かう。
 ついに“偽者”が自宅まで来たのだろうか。一体何が目的で? 未知なる者への恐怖から足が竦む。自室のドアの前で立ち尽くす。
 もしこのドアを開けた時、自分と同じ顔があったら・・・・・・。
 決心が着かず、毅彦はしばらくの間ドアを見つめていた。
 深呼吸をし、何とか落ち着こうとする。
 そして、どうにでもなれという思いでドアを勢いよく開いた。
「・・・・・・!」
 部屋の中には誰もいなかった。
 朝起きたときのままのベッド。割と整頓されている机。好きなロックバンドのポスター。整然とした小奇麗な、何の変哲もない部屋。
 母親の思い過ごしだったのだろうか。真理とのことで神経質になっていたことを自覚させられる。
 一気に肩の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになった。
 自分の“偽者”が存在するなど、やはり考えようがない。今まで何の不思議もなく、ごく平穏に生きてきたのだから。
 もしかしたら、真理が自分をからかっているだけなのかもしれない。
 そうだ、そうに決まっている。でなければ自分などと付き合うはずがないのだ。毅彦はそう自分を納得させた。
 その時、風が流れて来た。
 風を追って目を向けると、部屋の窓が少しだけ開いていた。
 まさか・・・・・・今朝部屋を出るときは、鍵もちゃんと閉めていたような気がする。だが記憶は曖昧ではっきりとはしなく、不透明な靄が胸中を覆って気分が悪くなる。
 何か、得体の知れない巨大な怪物に飲み込まれているような、そんな不快感と漠然とした不安が渦巻いていた。


 二


 翌日、毅彦は学校を休んだ。
 体調が優れないのは気持ちの問題だと、自分でも分かっていた。
 学校に行けば真理に会ってしまう。
 真理はどうして、自分にこんなことをするのだろう。からかうにしても性質が悪過ぎる。
 彼女を見る限りでは、こんなくだらない、馬鹿げたことをするような娘には見えない。むしろ成績優秀で、男子はもちろん女子にも好かれるような性格美人でもあった。
 だが、毅彦が学校を休んだのにはもう一つ、理由があった。
 もし“偽者”がほんとうに存在するなら、学校にも現れるはずだ。今日のように“本物”が欠席している日なら尚更。
 明日学校へ登校すればそれがわかる。そう算段もしていたのだ。
 母親に、学校には自分から連絡すると言って、実際には連絡を入れていない。もし“偽者”が現れなかったら無断欠席となってしまうが、そんなものどうにでもなる。これで全てがはっきりするのだから。
 そしてその日は家で大人しく過ごし、何事も起きずに翌日がやって来た。

「おはよう」
 学校へと登校し教室へと着くと、真っ先に真理が声をかけてきた。
 毅彦の心臓の鼓動は狂ったように高鳴った。もしも、ほんとうに“偽者”が登校していたら――それを思うと気が気でなかった。
「昨日、どうして来てくれなかったの?」
 真理は不服そうに頬を膨らせた。
 だが毅彦は、喜びのあまり思わず顔が崩れてしまうのを抑えられなかった。
「何がそんなにおかしいのよ?」
「いや、ごめんごめん」
 やはり“偽者”など存在しない。
 真理が毅彦をからかっていたのだ。裏切られたという悲しい気持ちもあったが、やはりそのほうが納得が行くし、なによりすっきりした。
 清々しい気分のまま、授業が始ろうとしていた。
 出席の点呼をとっていた時、担任の教師が真理に気付き、言った。
「工藤、もう調子はいいのか?」
「はい、大丈夫です。食中りだったみたいで・・・・・・」
 話の内容によると、どうやら真理は昨日、腹痛を訴え学校を欠席していたらしい。そして毅彦の点呼のとき、教師は特に何も言わなかった。いつもと変わらぬ、ごく普通の応対。
 さすがに無断欠席の翌日だ。何か一言あってもいいだろう、毅彦は苛立ちを感じていた。
 どういうことだ? 毅彦は考えた。まさか、真理は先ほど、どうして自分の見舞いに来てくれなかったの、と言いたかったのだろうか。だとしたら・・・・・・。
 毅彦はたまらず、突然立ち上がって教師に怒鳴った。
「先生、僕は昨日、学校に来たんですか!?」
 自分でも馬鹿げた言葉だとわかっていた。だが毅彦は、真実を確かめずにはいられなかった。
「何を言ってるんだ、お前。当たり前だろう。寝呆けているのか?」
 教師の言葉を聞いた途端、眼の前が真っ暗になった気がした。
 他の生徒たちが毅彦の言動に嘲りの笑いを抑えることができなくても、気にもならなかった。
 不意に視線を感じ、窓の外を見る。
「!?」
 歩道へと続く校門の辺りに、人が立っている。
 その顔を見たとき、吐き気が込み上げてきた。
 同じ顔・・・・・・そう、鏡で見る自分の顔にそっくりなのだ。
 そいつは明らかに、毅彦を監視しているようだった。


 三


 学校の帰り道。その日も真理と一緒だった。
「ねえ知ってる? 学校の裏山の上空に現れたっていう謎の発光物体。それが現れたのは一月も前らしいんだけど、UFOかな? 爆発もあったらしいよ、すごいよねー」
「うん・・・・・・」
 真理は興奮気味に話を切り出す。
 昨日の昼を回る頃やっていた、テレビの特番のことだろう。学校を休んでいた“本物”の毅彦はそれを見ていたし、真理もやはり自宅で見たのだろう。
 だが毅彦は、それどころではなかった。
 今にも自分の“偽者”が現れるのではないかと、気が気でなかったのだ。
 そんな毅彦の様子に真理も臍を曲げてしまい、いつもより早く別れた。しかし、まだ一人になったほうがマシな気がしていた。
 二人の毅彦を見て、真理はパニックを起こすだろう。
 そしたら謎の発光物体どころの騒ぎではなくなる・・・・・・その時、毅彦は思った。謎の発光物体――もしかすると、それが自分の“偽者”と関与しているのでは。
「まさか、エイリアン?」
 宇宙からやって来た異星人が、毅彦に化けて人類を調査しているのでは、毅彦はそんな想像さえ抱いてしまう。
 馬鹿馬鹿しい。
 そう理性が吐き捨てても、しかし本心では完全にその懸念を晴らすことはできなかった。

「ただいま・・・・・・」
 道中、平穏無事に帰宅する。
 母親は出かけているのだろうか、姿が見えなかった。鍵はスペアを渡されていたので家に入ることができた。
 ずっと気を張りすぎて疲れ切っていた。毅彦はふらふらと、足取りも重く自室へと向かう。一刻も早くベッドに横になり休みたい。
 そう思いながらドアを開けた時、毅彦は後悔した。
 同じ、顔。
 自室には、自分と瓜二つの姿をした“偽者”が立っていたのだ。
 不意打ちだった。何も言葉にならず、立ち尽くし、自分の顔と見つめ合う。
「・・・・・・・・・・・・」
 “偽者”は何も語らず、黙って毅彦の顔を覗っている。
 すると、にやりと“偽者”の口が笑うように歪んだ。
「今、幸せかい?」
 不気味に微笑みながら、“偽者”はそう言った。
 しかし毅彦はいまだに思考が凍りつき、何も考えられない。見えない手で、心臓を鷲掴みにされたかのようだった。
 息が詰まり、呼吸ができなくなる。
 そして眼の前がちらちらと明滅し、真っ暗になった。
 毅彦はついに、意識を失ってしまった。


 終


 強烈な光が網膜を焼く。
 意識を取り戻した毅彦が目を開くと、白い光が目を刺した。そして、自分が寝台の上に横になっているのに気付く。
 眩しさで滲む視界の隅に、誰かが覗き込んでいるのが覗えた。
 やはり、毅彦と同じ顔した“偽者”だった。まさか、エイリアンのUFOに連れて来られてしまったのか? 毅彦は戦慄した。
「目が覚めたかい? 驚かせて、すまない」
 “偽者”は、心底ばつが悪そうに言った。
 その人間味のある仕草に、毅彦は幾分落ち着きを取り戻す。よく見ればそこは毅彦の部屋だった。ベッドに寝かされていて、気を失っている間に夜になったのか、蛍光灯の白い明りが部屋を照らしている。
「君にはいずれ、会ってみたかったんだ。そうそう、工藤真理とはうまくやってるかい?」
 毅彦は起き上がって“偽者”を覗った。
 どう見ても自分である。毅彦には兄弟もいないし、親戚でもこんなそっくりな者はいない。まるで鏡を見ているようだった。
「工藤真理・・・・・・彼女とデートしていたのは、やっぱり君なのか」
 “偽者”は微笑みながら頷く。
 自分は笑うとこんな顔なのか? 毅彦の頭は冷静になりつつあった。
 “偽者”は自分に対して害意はない――それどころか好意を抱いている、そんな風だった。
「中学生の女の子を落とすなんて簡単さ。君に、工藤真理と付き合ってほしかったんだ。僕はその手伝いをしたんだ」
 嘘を言っているようには見えなかった。
 むしろ毅彦との会話を楽しんでいるようだった。鏡に向かって喋っているような奇妙な感覚はなくならないが、ほぼ落ち着きを取り戻した毅彦は核心に迫ろうと思った。
「一体どうして・・・・・・君は何者なんだ?」
 毅彦の問いに、“偽者”は少年にしては皮肉めいた笑みを張りつかせ、手品の種明かしをするように得意気に答え始めた。
「僕は――君だ。林田毅彦・・・・・・僕は君自身なんだ」
 その言葉を口火に、彼は毅彦が理解できるようゆっくりと語り始めた。
 
 彼は未来からやって来た、と言った。
 二十年後の世界からやって来た、未来の毅彦自身なのだと言う。二十年後の毅彦は大学で科学の講師をしながら、独自に研究を進めていた。
 そして偶然と奇跡により、時間の壁を越えることができる装置を発明してしまう。毅彦はその発明を世に発表する前に、自ら試すことにした。
 完成したタイムマシンに乗って、毅彦は二十年前へと時を遡った。今年――毅彦が中学に進学したばかりの年だ。
 中学生の頃、内気で損ばかりしていた毅彦は、工藤真理という少女に対する想いを秘めたまま卒業してしまい、二度と彼女に会うことはできなかった。
 もし過去を変えられるなら、過去の自分と真理をつき合わせてやろう――毅彦はそんな思いで、その時代へとやって来た。
 すると、自分の身体までもがその時の年齢にまで若返ってしまっていた。予想にしなかった事態だが、記憶だけは維持していたので、真理と接触しデートを申し込んだというのだ。真理が自分から交際を申し込んだのは、未来の毅彦に恋をしたからだった。
 そして頃合を見計らい、過去の自分と出会ったというわけだった。

「夢が叶ってうれしいよ。真理のことがずっと心残りだったんだ――しかし残念ながら、過去の思い出というものは美化されるものだとわかったがね。女神にまで思えた彼女だったが、こうして実際に過去へ戻ると、案外そうでもないな、と思ったんだ」
 これがほんとうに未来の自分なのだろうか。毅彦は“自分”に対する嫌悪感をどう処理していいか分からなかった。
 随分勝手な言い草だと思う。だがこれで“偽者”――いや、未来の自分も気が済んで帰るのだろうと毅彦は胸を撫で下ろした。
「ところで君に謝らないといけないことがある」
 不意に未来の毅彦は声を落とし、ばつが悪そうに言った。
 もしかしたら毅彦が欠席した時、学校へ出席したことだろうか? しかし過去の学校が懐かしくなったのだろうし、それは仕方ない。毅彦はそれくらいにしか思えなかった。
「実はだね、学校の裏山に不時着したタイムマシンなんだが――どうやら設計ミスがあったらしく、完全に壊れて爆発してしまったんだ。つまり、僕は元の時代へと帰れなくなった」
 未来の毅彦の目が無気味に輝く。
「君には悪いんだがね、同じ時代に、林田毅彦という人間は、一人しか存在してはいけないって、思うんだよ・・・・・・」
 毅彦は見逃さなかった。
 未来の毅彦が背後に肉切り包丁を隠し持っているのを。














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