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その女、悪女です! いいえ、それは濡れ衣です ~エスメラルド誕生秘話~

作者:サディラ
 前作をお読み下さった方々、お久しぶりです。
 それから初めましての方々、ありがとうございます。

 時間がかかってしまいましたが、何とか書き上げる事が出来ました。まだまだ未熟な部分が御座いますが、お目汚しにどうぞ。

*12月3日、エスメラルドと大精霊の出会い部分を一部手直し致しました。
 なぜ、わたくしはこの世界に記憶を持って生まれたのでしょう?

 死んでしまったら、すぐに次の人生が始まるものなのでしょうか?

 何か、意味があったのでしょうか?


「――どうした、エスメル? まだ身体が優れないか?」

 かけられた声にハッとして、ぼんやりとしていた状態から戻れば、紫銀の髪に銀の瞳を持ち、涼しげで秀麗な容貌を気遣わしげなものに変えてわたくしを見ている父上様がいらっしゃいました。

 今は久しぶりに時間のとれた父上様とお茶を楽しんでいましたのに……無粋な事を考えてしまっていたせいで、父上様にご心配をおかけしてしまったようです。
 嫁いでしまったら父上様とのこうした他愛無い時間も無くなるのですもの……大切にしなくてはなりませんのに、肩ひじ張らずに過ごせる家の中だからと、ぼうっとしていた事を反省します。

「そんな事はありまんせんわ、父上様。身体は大丈夫です」

 慌てて取り繕いますが、父上様の愁眉を開く事は叶いませんでした。

「……まだウォードでの疲れが残っているのではないか? あちらに滞在中、胃薬の瓶が3本も空になったとプリシラが嘆いていたぞ? ――これ以上、無理をしてくれるな」

 ああ、違うのです、父上様。確かにあちらでは外交問題やら戦争回避で悩み、胃薬には大変お世話になりましたけれど、今は本当に大丈夫なのですよ! 減ってしまった体重も増えてきていますし、皆様がわたくしを見る目から痛々しさは消えたではありませんか。ちゃんと病人食も卒業したのですよ! 父上様がお顔を憂えさせる理由などないのです。

「無理などしていませんわ。していましたら“ウルリーケ”が黙っていませんもの、それが証です」
「確かにそうだが……そなたは倒れるまで、いや、倒れても平気だと言う……父は心配でならぬよ」
「それは……その、ごめんなさい」

 そう言う他にありません。わたくしとしては本当に大丈夫だから言うのですけど、先に身体が音を上げてしまうのです。
 母上様はわたくしを丈夫な身体に産んで下さったのですけどね、おかしいですわ。 前世では3日完徹しても平気でしたのに……やはりストレスがいけないのでしょうか?

「そなたのそういう所はロベリア譲りだな」
「あら? 母上様は父上様譲りだとおっしゃっていましたわ」

 なぜ驚かれるのです? 1度決めたらやり抜き通す所がそっくりだとお話し下さいましたわ。

「……身体がどれだけ辛かろうとも、笑顔で全てを隠して周囲に気取らせない姿はロベリアそのものだろうに……」
「まあ! という事は、わたくしは父上様にも、母上様にも似ているという事ですわね。嬉しいですわ!」

 ちゃんと、わたくしはお2人の遺伝子を継いでいますのね。『私』の記憶を持っていても、わたくしはちゃんと父上様と母上様の子なのですね。

 良かった……記憶があっても、それに意味が無くても、そんな事、どうでも良い事でした。

 わたくしは、エスメラルドとして今生をしっかり生きると決めたのです。
 理由なんて必要なかったはずですのに、考えても分からない事を考えてしまったのは、リールの白い花が咲いているからなのでしょう、きっと。

 ただいまお茶をしています我が大公家のテラスからは、庭師の方たちが丁寧に手入れをして下さっている庭がよく観え、そこの一角が絨毯を敷いたようにリールの花によって白く染まっています。
 リールの花は星形で桔梗によく似ており、風に乗って桃のような甘い香りがこのテラスまで届いてくるのです。

 『私』が目覚めたその日にも、リールの花が咲いていましたから……引っ張られてしまったのでしょうか? そういえば――。

「父上様、わたくしがウルリーケと出会った日の事を覚えていらっしゃいますか?」

 目覚めた『私』の記憶は、全身の痛みと燃え盛る炎から始まるのです。


 **********


「――――いたぁ、……っ」

 なにこれ? 全身痛いとかおかしいって! 看護師さん、痛み止めおかわり下さい。年甲斐もなく泣き喚く前に! 私の頭はとうとう限界に達したのか……いや、とっくに限界って、きてなかったっけ?
 お別れ、病院のベッドでしたよね? なんで考える意識あるの? それになんか熱いんだけど?! 誰だ?! 私を炙ってる鬼畜は!

 ……いや、待てよ。まさか火葬中に意識戻った?! 臓器提供してくんなかったの? 焼け死ぬの嫌なんだけど、どうすりゃイイの?!

 それまで頑なにくっついていた上瞼と下瞼を無理やりこじ開けたら、途端にでっかい焚き火が目に入ってきた。

「……かじ?」

 目の前で、大きな車輪のついた箱が炎に包まれている。アレって、馬車か? そう思った瞬間、甦る声があった。それは耳に心地よく、落ち着いた女性の優しい声音をしている。

『さあ、今日はわたくしの兄上様に顔を見せに行きましょうね? こちらにいらっしゃる事が決まってからとても楽しみにしていらっしゃるのよ、あなたに会えるのを』

 炎の塊から目を離せないでいるとその声は終わり、おそらくは同じ声なのだろうけど、今度は酷く切羽詰った声が聞こえてきた。

『――あなただけでも逃げなさい!』

 そう、そうだ。
 桃のように甘い香りのするこの花が、リールの花畑が衝撃を和らげてくれるからと、その声と一緒に、女の細腕とは思えない力で馬車あそこから投げ出されたんだ。護衛のわずかな隙をついて敵から放たれた炎に馬車が包まれる前に……!

 あの女の人は――。

 身体が痛いのなんて忘れて私は起き上がり、炎に向かって駆け出した。何がなんだか分からない、だけどこの身体はそこへ行けと言ってるの。混乱している頭を無視して、心もそこへ行けと言っている。だから――。

「姫様! なりません! 近づかれては危険です!」
「はなしてっ!」

 邪魔をしないで! 引き止めないで! 私を押さえるその手を離して! この身体があのひとを求めて手を伸ばしてるっ、心が悲鳴をあげているっ、行かせて、求めるままに私をあそこへ行かせて!

「なりません! ロベリア様は姫様の御身を優先されたのです! あの炎では手も足も出ません……!」

 分かってる、頭は分かってる、手遅れだって! ……でも、身体も心も、納得しないの! だってあのひとは……!

「――ははうえ、さまぁっ!」

 あのひとは、わたしの母だ! 私の母親じゃないけど、わたしの母なの! 子が親を求めるのは必然でしょう?!
 だけど、そんな私を嘲笑うかのように炎の勢いは更に増し、近付く事さえ困難だ。意思でもあるのかと疑いたくなるように踊る炎は、馬車の影すら見えないほどに大きくなっていく。心の悲鳴に応じて溢れ出てきた涙によって滲んだ視界でも、その大きさが嫌というほどに分かる。それでも身体は母を求めて前に行きたがり、心は助けを求めて叫んでる。

 ――助けて、誰か助けて、母上様を助けて! わたしが持ってるすべてをあげるから、誰でもいいから母上様を助けて!

「――たすけてっ!」

 返る声が無いと頭では分かっていても、荒れ狂う心の叫びは止められなかった。

わらわが助けてやっても良いぞ》

 すべてを鎮めるような玲瓏な声が辺りに響き渡り、手のつけようがなかったわたしの心は途端に凪いだ。止まる事など無いと思っていた涙すら止まっていた事に、この時のわたしは気付かなかった。

 目の前に何処からともなく悠然と現れたのは、白く美しい大魚。夜の帳が辺りを覆った闇の中でその白さはひときわ映えて、うっすらと輝いているようにすら見える。なにより目を惹くのが、薄く透き通る絹織物のような「ひれ」。天女が纏う羽衣のように長い胸びれと、長くたっぷりとした尾びれをそよがせて、ゆったりと宙を泳いできたその姿は、優雅の一言に尽きた。

 海や川を泳ぐ魚よりも華があるその大魚は、白一色だが見てくれだけを言うならば「庄内金魚」だろう。老成になるほど尾はたれさがり伸長し、「振り袖金魚」ともいわれる品種だ。

 ほど良い距離で宙に鎮座し、私を見つめる知性を宿した目は黒。ただの黒ではないようで、馬車を燃やす炎の灯りで時折り青が垣間見えた。

 この美しい大魚に私は、大きいだけではない貫録と、綺麗なだけではない気品を本能的に感じた。悠久の時を経た巨樹を目前にしたような……畏敬、というのだろうか。

 玲瓏な声がまた響く。

《そなたが妾にすべてをくれるならば、助けてやるぞ》

 日常で目にしたら必然的に目を奪われ、息をするのすら忘れて魅入ってしまいそうになる神秘的で美しい魚の言葉に、気圧されかかっていたのをその瞬間に綺麗さっぱり忘れて、間髪入れずに問いかけた。

「たすけてくれるの?! ははうえさまを、あそこから」

 目を向けた馬車の炎は、こころなし弱まっているように見える。

《ああ、助けてやるぞ。そなたが妾にすべてをくれるなら、必ずや助けてみせよう》
「――あげる! わたしの持つもの、すべてをあげるから、ははうえさまをたすけて!」

 本当は得体の知れない相手に「すべてをあげる」発言は良くないんだけど、他に手立てのない現状では仕方ない。私は1回死んでるはずだし、今失くして惜しいのは母なのだ。その母を悲しませる事態になるかもしれないけど、そう思ってもわたしの心は止まらないんだから諦めてくれ。

《そうか! すべてくれるか、妾は嬉しいぞ》

 美魚びうおの声は、頭に直接響いてくるかのようだ。その美声が喜悦に彩られている。
 早く助けてくれないかな? 今こうしている間にも燃えてる馬車が心配なんですが、美魚さん。

《証としてそなたの名を唱え、妾に名をつけよ。さすれば契約は成る》

 先に契約を交わさせるとはちゃっかりしてますね、美魚さん。嫌いじゃないけどさ。
 えーと、わたしの名前……『私』のじゃダメなんだよな。『わたし』の記憶に名前あるかな?

「……んと、わたしは【エスメラルド・シェリス・ヴィア・セルリード】。あなたに【ウルリーケ】の名をあたえます」

 ちゃんと有って良かった。無かったら悲惨な事になってたよね。しかし、意趣返しに名前を『美魚』にしてやろうと思ったのに、なぜか拙くなってる声で紡いだのは『ウルリーケ』だし……なんでだ?

《妾は水の大精霊、この時より妾の名は【ウルリーケ】! 妾の愛しめぐしご、【エスメラルド・シェリス・ヴィア・セルリード】を『守護』するものなり!》

 美魚改め、ウルリーケの高らかな宣言が響くと共に、ウルリーケから水の帯が舞い出るかのようにして燃え盛る馬車の炎を、あっという間に消してしまった。どこか冷静な頭では『炎ってあんな簡単に消せるものだっけ?』と突っ込みながら、ウルリーケの宣言になんだか不穏な単語が混ざっていたな、とも考える。
 反対に心は急き立ち、身体が勝手に力の抜けたこのゆるゆるの拘束から抜け出そうと動く。ウルリーケが登場した辺りから空気みたいになってた、私を護ろうとして拘束してる人が絶句している今がチャンスだ!

 さっきから馬車の残骸がある所に場違いなほど綺麗な美人さんが立ってるんだよ、わたしの身体と心が駆け寄りたくて仕方ないんだ。あの人がわたしの母なんだ。

「――ははうえさま!」
「エスメル……!」

 衝動に忠実な身体は駆け寄る勢いそのままに飛びつき、そんなたわたしを美人さんは、しゃがみ込んで広げた細腕の中に迎えてくれた。しっかりと抱きしめられると、安堵して全身から力が抜けていく。
 そこから急激な眠気に襲われた私は抗うことなく睡魔に身を委ね、このまま目覚めなくてもいいや、と思っていたので後の事は知らない。


《さて、我が愛し子を泣かせた不届き者たちよ、仕置きが必要であるな》
「大精霊様、その前に少しよろしいですか?」
《なんじゃ? 助命は聞かぬぞ》
「可愛い我が子を泣かせた輩など、大地の肥やしにして下さって構いませんわ。ただ、人は群れる生き物ですの。ここに居る者共は実行役でしかありません」
《ふむ、そうであったな。首魁しゅかいがいるか》
「はい。何人か、事情に詳しそうな者を生け捕りにさせて下さると助かります。親として、可愛い我が子を泣かせた輩を夫と共に、完膚なきまで叩き潰しとうございます」
《よかろう》


 **********


「忘れられるような出来事ではないぞ? 私と陛下の政敵が、そなたらが乗った馬車を襲撃する計画を立てていたと知った時、どれだけ肝が冷えたことか」

 急いでセルリード大公が部下を率いて駆けつけてみれば、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図そのもの。
 それは大公一行が道中で想像した最悪の結末そのものの状況だったが、蹂躙しているのは宙を泳ぐ見た事のない優美な白い大魚と、美しい大公妃ロベリアだったので一行はしばし石化したのだった。

「ウルリーケ殿に守られるようにして後方の地面に座り込んでいたロベリアと、その腕に抱かれて気持ち良さげに眠っていたそなたの姿を見て、どれだけ安心したか」

 そして予想外の事態にどれだけ度胆を抜かれたことか、という思いを大公は声にしなかった。

『まあ、あなた。ちょうど良かったわ、あそこで転がっている不届き者を回収して下さらない?』
『……怪我は無いのか? ロベリア』
『ええ。持っていた守護結界石の効力が無くなる前に、大精霊様にお助け頂きましたの。ああ! それからエスメルったら凄いんですのよ、大精霊様の『守護』を先ほど受けたの! なのでわたくし、この子を泣かせた輩を叩き潰すお手伝いをしていますの』

 朗らかに会話を交わしながらも攻撃魔法の手を緩めないロベリア妃は、病弱な身でありながら戦術魔法の手練れだった。健康な身であれば、女将軍として前線に立って戦う事が秘めた夢だったというロベリア妃。
 周囲はたおやかな見た目通りの淑女と思い込んでいたが、実は勇猛心ゆうもうしん溢れるなかなかの烈女ぶりであるのを知っていた大公は、だからこそ彼女を妃にと望んだ。彼女と共にあれれば、人生はより豊かになるだろうと思えたし、病弱さゆえに子供は絶望視されていたのも、王位争いを懸念していた大公にとっては都合が良かったから。
 当初の予想に反してエスメラルドという子供を夫妻は授かったが、外に嫁がせれば問題は無い。血の繋がった可愛い我が子は、夫妻にとっての宝物であった。

「――あの時に母上様はウルリーケからの『加護』を得たのですよね? ウルリーケは『やる気が気に入ったからだ』と言うだけで詳しい事は教えてくれないのですけど、父上様はどういう意味かお分かりになります?」

 首を傾げて訊ねてくる愛娘に大公は、内心を表情に出さないように気をつけながら時間稼ぎにお茶を口にして、少し逡巡した。

(ウルリーケ殿の言う『やる気』は間違いなく『殺る気』だが……それをこの子に教えて反応を見るのも楽しそうではある。が、ロベリアが死守していた『しとやかで優しい母親像』を壊すのも忍びない……)

 結局、大公は無難な言葉を選んだ。

「……敵に囲まれそうになっていたゆえな、その時の、そなたの母として、子を護る意気込みを買われたのだろう」

 嘘は言っていない。ただ、護るための少々苛烈な手法を黙しただけである。

「それより、そなたも覚えているか? その日から昏々と眠り続けて、そなたは半年近く眠り続けていたのを。あのまま目覚めぬのではないかと心配した」
「ええ。眠っていた間の事は覚えておりませんけれど、目覚めた時の事はちゃんと覚えておりますわ」

 エスメラルドはその時とても驚いた。なぜなら、美男美女という言葉を体現したように麗しい男女が、心配そうな顔で自分を覗き込んでいたのだから。


 **********


 沈んでいた意識が緩やかに上昇していく感覚に「ああ、死んでなかったのか」と、のん気に思いながら目を開けてみれば、眼前に並ぶ美貌が2つ。

(――うお! 起き抜けに美人のアップはきつい、目が潰れる!)

 無意識のうちにまばたきを繰り返していると、深い皺の刻まれた優しげな風貌のお爺さんに手慣れた様子で身体を調べられる。といっても身体に触れるのではなく、手をかざして、そこから何かを読み取るようにしてだ。

「契約は無事に定着いたしております。身体も契約に馴染んだようですので、もう心配は要りませぬ」
「良かったわ! なかなか目を覚ましてくれないから、母は心配しましたよ」

 そう言って愛おしそうに頬を撫でてくれる美人さん。

「よく頑張った。ゆっくり休みなさい」

 じんわりと沁みるようでいて艶のある美声を発し、優しく頭を撫でてくれる美人……男の人だから美丈夫さんかな。

 目の冴える美貌を直視した事ではっきりと意識が覚醒していたはずなのに、撫でてくれる手が心地よくて、また睡魔が襲ってきた。……とりあえず寝よう。
 それで次起きた時に状況が変わってなかったら、この訳の分からない事態について考えよう。現実逃避だろうが構わない、心の準備は必要だ。

 次に目覚めた時、半ば諦めていたけど状況は何も変わっていなかった。なので、うな垂れながらも1つ1つ確認してみた。
 まず身体。記憶にある自分の身体とは似ても似つかない、小さなものに変わっていたよ。それも、私の身体が縮んだんじゃなくて、エスメラルドという子供の身体だった。記憶にある爪の形が違うし、黄色人種特有だった象牙色の肌が白雪のような肌色に変わり、何より顔が将来の有望さを感じさせるものになっていたんだ。
 馬車から投げ出された後、全身が痛かったのは痛みへの耐性がこの幼い身体に無かったからなのだと思う。

 ……うん、認めよう。これは転生であると。

 記憶を持って転生出来たのは素直に嬉しい。出来たらイイなぁ、とずっと思ってたから。

 ――だけどね、不気味なんだよ。いったい、どうして私なんかが『姫様』呼びされる立場に生まれんのさっ! おかしいだろ! これ、全力でおかしいからっ!
 なんで『引きこもりニート』で親に散々迷惑かけた上、親より先に死んだ私がハイスペックステータスの元に生まれるのさ! 魂の管理責任者さん、早く出てきて説明してくれ! これは間違いであると! 間違いじゃないとおかし過ぎるから! だって、だってね?

 ――ロータス王国セルリード大公家第一子、エスメラルド・シェリス・ヴィア・セルリード。それが私。
 父は兄王が最も信頼する、王国軍元帥を務めるフィスガルド・リグレス・ヴィア・セルリード。母は隣国の第二王女であった『淑女の鏡』と称されるロベリア妃。
 夫婦仲は睦まじく、評判も良いらしくて、情報を集める為にそれとなく乳母の人に聞いたら、嬉しそうに誇らしげに話してくれるから、立場上述べるしかない美辞麗句ではなく、心からの賛辞を口にしているのだと分かる。遠目からこっそり観察したこの屋敷で働いている人達の表情も輝いていた。

 しかもこの2人は子供であるエスメラルドを愛している。

 私が抱いた感想は……『恵まれ過ぎてて恐い』だった。

 没落した貧乏一家でもなければ、冷たい家でもない。王に睨まれているのでもなければ、民衆に嫌われているのでもなく、貴族に疎まれている訳でもない。むしろ逆だ。

 大国には届かないけれども中堅国と呼ぶには大きすぎる王国の、王族の中でもかなり恵まれた家が私の生家……ありえない。

 罪滅ぼしがてらに臓器提供を希望してはいたけどさ、それまでに過ごした私の生活態度を思えば良くて相殺くらいだよ? 庶民の一般家庭であるべきじゃないの? もし来世があるのなら、貧乏な家に生まれても仕方ないかなって思ってたのに、なんの冗談なのさ。

「ありえない、ありえない、ぜったい、ありえない」
《何がありえないのじゃ?》

 誰もいないのを確かめた上で与えられている部屋の片隅で、身体を丸めてぶつぶつ呟いている私に問いかける人ならざるもの。
 水の大精霊、ウルリーケ。
 ありえないと言えば、この精霊の存在もありえない。だいたい、宙を泳ぐ魚なんて鯉のぼりの特権だろうに。
 大きな体は屋内では邪魔にしかならないので、隠遁いんとんしている影から顔だけを生やして私を見ている。

「……ウルリーケは、なんでわたしと、けいやくしたの?」
《うん? 決まっておろう、そなたが全てをくれると言うたからであろうに》

 言ったね、確かに。
 私は命とか魂を寄越せって言われてるんだとばかり思ってたさ。まさか欲しがられてた対象が魔力だとは、その存在すら知らなかったあの時には砂漠の砂粒ほどにも思わなかったよ。
 しかも『契約』って、それに魔力を全部持っていかれるから魔法を使えなくなるし、契約が定着するまで眠り続けるとかも知らなかったよ。その上、あまりに眠り続けると契約を交わした精霊と融合する可能性もあって、半年近く眠り続けた私も危なかったとか後で聞かされたしさ……。

「……そうじゃなくて、どうして『わたし』なの? たくさん、人はいるのに」
《ああ、そういう意味かえ……そなたでなくては意味が無いからだ。そなたが妾の愛しめぐしごだからだ》
「めぐしご、ってなに?」
《人で言うならば『我が子』、もしくは『宝物』であろうな。精霊は自然から生まれ、やがては自然に還る存在ではあるが、人の中に慈しみたくて仕方がない者が稀に現れる。その者を妾たち精霊は『愛し子』と呼び、大事に、ひたすら大事にするのじゃ。精霊によって愛し子は違うが、己の愛し子でなくとも請われれば手を貸してやってもいいか、と思うくらいには贔屓する存在であるな》

 他精霊の愛し子に対する感情は親戚の子供を可愛がる感じだろうか……それにしてもウルリーケの趣味はかなり悪いんだな。よりによって私を選ぶとかありえない。

 目覚めて充分な時間も経ったからとかで、明日は精霊の守護持ちになった者としての注意事項とやらを教会へ聞きに行くらしいけど、今から嫌な予感がビシバシとするんだ……。




「お元気そうでなによりです、エスメラルド姫」
「そのせつは、大変おせわになりました」

 目覚めた直後に私を診察してくれた、皺だらけの優しい風貌のお爺さんが待っていた。教会のお偉いさんだったのか、このお爺さん。私が眠っている間中、大公家にせっせと足を運んでは私の身体が衰弱しないようにと魔法で色々な事をしてくれていたらしいのだ。老体に鞭打たせるような真似をして申し訳ない。

 重厚な造りのテーブルを間に挟んで真向かいに座ってるんだけど、私が座っている1人掛け用の椅子には高さを合わせる為に沢山のクッションが積み重ねてある。
 慣例だとかで現在、幼児1人と教会のお偉いさん1人だけでの意味が有るのか不明なお話し合いが先にされ、メインである保護者同伴の話し合いは後からあるのだそう。

「なんの、なんの。大精霊様の守護を受けられる方が、この爺が生きているうちに現れるとは人生何が起こるか分かりませんのぅ」

 本当ですね、私は現在進行形で奇奇怪怪な体験をしてますんで……。

「ほんに目出度い事です。姫様のおかげでロータスは水に悩む事は無くなりますからのぅ、他国からも羨ましがられるでしょう。………ですがのぅ、姫様。守護を受けるという事は、いい事だけではないのです。大精霊様はあなた様を守るためならば、何でもいたします。……たとえ、何を犠牲にしても」

 ほらきたよ、不穏な言葉が。

「守護、その言葉のとおりに何からでも姫様をお守り下さるでしょう。過去には大嫌いな食べ物を出され、食べる事を強要されて大泣きした子供の守護持ちがおりましてな。あの時は強要した者が精霊様によって仕置きを受けましてのぅ、風の精でしたから遠い彼方まで吹き飛ばされましたな。見つけるのに4日ほどかかりましたかの」

 …………はい?

「ああ、こんな事もございました。髪型を勝手に気に入らないものに変えられて、守護持ちの子供が不貞腐れましてのぅ。お怒りになられた精霊様に蔓の鞭で百叩きにされた者がおりました」

 勝手に髪型を変えるのは酷いけど、百叩きも酷いよ……生きてるのか、その人?
 ……いや、常識的に考えると髪を切ったんじゃなくて、ただ結い方を変えただけだったりする?

「ああ、それからこんな事も。大切にしていたぬいぐるみの洗濯を嫌がった事でたいそう汚れてましてな、ゴミと間違えて捨てられてしまいましてのぅ……あれは建物が半壊する騒ぎになりましたな」

 ……守護持ちは災厄か? 歩く時限爆弾か? もしかして恐れの対象? だからここへ来る道中に過剰とも言える数の護衛がいたのか?

「姫様を守護しますのは大精霊様ですからのぅ、そのお力は絶大なものでありましょう。姫様が深く傷つけば、1国を焦土しょうどに変えるなど簡単でありましょうな」

 なにそれ怖い。……ねえ、お爺さん。優しそうな顔して実は脅してる? 

「……いや、焦土はありえませんな。爺が間違えておりました」

 違うのかとホッとしたのも束の間。

「水の大精霊様ですから、水没が正しい表現ですな。水底に沈むのでしょう」

 フォッフォッフォって笑ってるけど、火が水に変わっただけで、国の滅亡危機は違わないんかい! 水没も嫌だから! 表現変えたって結果にさほどの違いがないじゃん! ねえお爺さん? 私次第で国が滅亡するって言ってるんだよね?!
 ねえ、なんで目を見開いて驚いた顔してるの?!

「……もしや姫様、今の話を理解されたのですか……?」

 眠ってる間に4歳になった外見と違って、中身は数倍の年だからね。

「たいへん、恐ろしいのはよく分かりました」

 今さらオロオロしても遅いのだよ、ご老人。意味が分からないだろうからと話したのかもしれんが、もう聞いたし、理解しちゃったもん。私は『猛獣注意』の看板をぶら下げられた珍獣なんだね。油断すりゃ世界の敵になって討伐対象になるんだ。

「……いや、あの、先ほどの話は精霊様と意思疎通が不十分だったために起きた不幸な事故ですからの!? きちんと修行を積んで下されば、あのような事は起こりませんゆえ、そのように落ち込まないで下され!」

 これが落ち込まずにいられるか。
 大公令嬢という地位だけでなく、『守護持ち』という重責まで背負った事が判明したんだから……私には荷が重いよ。
 ……とりあえずウルリーケ、このお爺さんに何かしたら嫌いになるからね? 今は私の影に隠遁してるから姿は誰にも見えないけど、『契約』とやらのおかげか君の物騒な気配が丸わかりなんだよ。今、舌打ちしただろ。

 その後の両親同席での話し合いはお爺さんが両親に平謝りする事から始まったが、その中の会話で私にとって有益な話を聞けた。なんでもロータスの王族は精神が早熟である事が特徴らしいのだ。いくらなんでも4歳で大人の話を理解するのは稀な例で『私』が覚醒する以前から面識のあったお爺さんは、前はそんな素振りも無かったから迂闊な事をしてしまったと冷や汗だらだらで詫びていたけど。『わたし』の変化を敏感に察知していた両親が、念の為に注意するようにと事前に言っていたんだって。

 眠っている間、いろいろと良くしてくれたお爺さんだからか、両親も強く抗議することなく謝罪を受け入れてはいたけれど……見ていて寒気がする笑顔というのを私は初めて見た。

 美貌って、それだけで立派な凶器だね。

 話を戻して『守護持ち』としての心構えや注意事項で、私が感情をコントロール出来なければ精霊が感情に引きずられて暴走する危険性があり、それを防ぐ為にもウルリーケと対話を重ねて相互理解に努めながら、心を平穏に保つ修行を長期的に受ける必要性があると言われた。私の心はブルーだよ。

《……エスメラルド、妾の『愛し子』であるのが嫌になったか? 妾が恐ろしいか?》
「ウルリーケは嫌いじゃない、こわくもない。……わたしのせいであなたが、みんなに嫌われたり、こわがられるのが嫌」

 だって、母を助けたくれた。約束を守ってくれた。あの後、父が駆け付けるまで守ってくれていたとも聞いた。それにその存在を感じると不思議な事に安心するんだから恐怖なんて抱きようがない。
 なのに、私次第で『恐怖の大精霊ウルリーケ、国を滅す』とかって、悪名を残すかもしれないんだよ。恩人、いや恩精霊? とにかく助けてもらった私が君の存在を貶める可能性があるんだ、嫌すぎる。

《……人からどう思われようとも、精霊たる妾は気にせぬが……そなたが嫌なら、それで深く傷つくならば、国を消す事はすまい。力も極力抑えよう》

 約束だよ? 言質取ったからね? 無効とか受けつけないからね。
 その日は顕現したウルリーケに引っ付いて眠った。澄んだ水の匂いがするウルリーケは、魚なのに魚臭くなかった。

 後日、念には念を入れてウルリーケに抑えた力を見せてもらおうと考えて、広い敷地を擁する大公家の庭園で花へ水やりをしてもらったんだけど…………何か気に入らない事でもあった!? と問いたくなるほどの水圧で地面を深く抉り、暴れ龍の如き水流で色とりどりの花々が咲き誇っていた花壇を無惨にも壊滅させる結果となった……。

 その様を見ていた私が石化したのは言うまでもない。

(……少しの力で、これ……じゃあ、全力だとどうなるの?……もしかして私って、前世で言うなら核ミサイルの発射ボタンを持った幼児とか……?)


 **********


「父上様と母上様が間近でわたくしの顔を覗き込んでいた事にまず驚いて、次に守護持ちが過去に起こした惨事に驚いて、ウルリーケが『少し』の力で行った水やりで驚いてと、驚いてばかりでしたもの」

 更にアレも驚いた、コレも驚いた、と指を折って驚きを数えていたエスメラルドが、何かに気付いて目を向けた方から、宙を泳いできた水の大精霊ウルリーケがやってきた。日課である花々への水やりをしている最中のようで、水滴で咲き誇る花々を散らさないようにする為に小雨を降らせるように散水している。
 強大すぎる力を極微量に絞って使うという事をしたことが無かったウルリーケは、花園を壊滅させてエスメラルドが石化したした事に焦ったのか、涙ぐましい努力で大きすぎる力の制御をあっという間に身につけ、今ではこの散水作業もお手の物だ。

 リールの白い花が植えられている区画に入るとウルリーケは周回して念入りに水を降らせる。
 そこは2度と花園を壊滅させられないようにと苦肉の策で庭師たちが生みだした、リールの白い花でウルリーケを描いた花の絵になっており、それを上空から眺めるのがウルリーケのお気に入りになっているのだ。

 その様子を日よけ布の張られたテラスから、エスメラルドと共にしばらく眺めていた大公は、憂いの籠った声音で語りだす。

「――あの頃のそなたは、すべてに驚き、すべてに怯えているようであったな。そして、すべてを抱え込んでいるようでもあった。日を追うごとに表情が張り詰められていくようで、見ていて痛々しかった」

 精神が早熟である王族だとしても、眠っている間に4歳になった子供がする表情ではなかったと大公は思う。

「……あの頃は、すべてが恐ろしくて仕方がありませんでした」

 エスメラルドは自分の前世をよく知っているからこそ、恐くて仕方が無かった。


 **********


 前世の自分は怠惰で、臆病で、弱虫だった。
 辛い事が嫌い、苦しい事も嫌い。楽な道があるなら、後先考えずにそちらに行くような愚かな人間だった。

 始まりは何だっただろう?

 私は虐められていた訳でもなければ、友達がいなかった訳でもない。学校へ行けば仲の良い友達がいたし、得手不得手はあったけれど勉強も人並みに出来ていた。
 だけども徐々に、中学校に上がってからは顕著になった、見えない闘争心の炎を燃やす周囲の雰囲気に馴染めず、精神的に疲れてしまって学校を休みがちになった。この時はまだ、引きこもりではなかった。

 休みがちな中学校を卒業し、高校は学費が安くて競争をしなくて済む、なお且つ毎日の登校が無い通信制の学校へと行ったが、そこでもやっぱり疲れてしまった。

 人の、心の機微を敏感に察知してしまうせいだ。

 人が笑顔の下に隠した感情を、微細な表情の動きや声の温度、口ほどに物を言う目から、無意識のうちに読み取ってしまうのだ。

 みんなが浮かべる笑顔は、社会の中で上手に生きていくための処世術だと理解はしていたし、自分もそうした仮面をかぶっている1人であり、この能力のおかげで上手く立ち回れているのだという事も充分に自覚していたけれど、喜びの下に侮蔑を、愉快さの裏に嫌悪を、ひょうきんさの陰に悲哀を隠しているのだと分かってしまうと心が疲弊する。

 特に好意の下に悪意が隠されていると、人間という生き物の怖ろしさを心の底から実感してしまうし、隠したがっている悲しい本音を読み取ってしまう事には罪悪感を感じる。だからせめて、その人には欲しているであろう言葉をかけるくらいはしていたけれど、そのせいで八方美人に見られているのではないかと気に病む日々……。

 なぜ気付いてしまったのだろう? どうして分かってしまうのだろう? 鈍感だった頃に戻りたい、何も知らなかった頃に帰りたい……でも、それは無理。

 そして私は逃げた。

 アルバイトと称して、人生経験が豊富な分だけ表情を隠すのが上手な、年上の人達に囲まれた安全圏に……だけど、それは一時しのぎでしかなかったんだ。時間が経って慣れると、その人達の隠した本音も拾ってしまっていたから。
 幾度かバイト先を変えてみたけど、結果は同じ…………やがて私は家の中に逃げた。

 引きこもりと言っても親や、連絡を取り続けていた気の置けないわずかな友人に誘われれば外へ行ったし、買い物なんかの会計も問題なくこなせる。だけど、その後しばらくは外へ出る気力はなくなり、1か月、2か月、3か月、半年と、こもる期間はだんだんと長くなっていった。

 家にいる間は、家にあった本やネット小説をひたすら読み漁って時間を潰し、何も考えずに過ごした。そんな私を両親は、たまに愚痴をこぼしても外に放り出す事はせず、必要最低限の日用品と食事を与えて家に置いてくれていた。

 そんな甘えた怠惰な日々を何年送っただろう?

 ある日唐突に、両親の老いを実感した。白髪の増えた頭、深くなった顔の皺、時おり抱える身体の痛み…………私が無駄に歳を重ねた分だけ両親は、確実に老いていた。その事を理解した瞬間、良心がツキリと痛んだ。

 私の家は貧しくはないけど、裕福なわけでもない。
 定年を迎えた父は家のローン返済の為に別な場所で働き続けているし、母も家計を助ける為に安いパート代で働いている。年老いた両親が身を粉にして働いているのに、若いはずの私は安全な家の中で寝放題、ネット三昧の読書三昧……目を背けていた事実を認識したら、泣けてきた。

 どうしてちゃんと学校を卒業しなかったのだろう、なぜ毎日を無為に過ごしてしまったのだろう、何か資格でも取っておけば家で出来る仕事に就けたのかもしれないのに……そんな後悔ばかりが押し寄せてきた。

 『人生をやり直せたら、どれだけ良いだろう。何も知らずに戻っても、また同じことを繰り返すだろうから、記憶を持ったままやり直したいな……』

 叶わない願いと知りつつも心のどこかではそう祈り、頭では現実を見据えて少しずつ出来る事をやり始めた。

 昼夜逆転の乱れた生活を直し、早寝早起きの規則正しい生活に。両親が忙しくて後回しになっていた家の掃除、次に洗濯、アイロンがけ。動かないことで減ってしまった体力と筋肉を増やすために、人が少ない日の出前のウォーキング、ついでにゴミだし。

 貧血で朝が辛かったり、早朝の頭痛に悩まされながらも何とか続き、そろそろバイト先を探そうかと思った矢先の事。朝の耐え難い頭の痛みをどうにかする為に服用していた痛み止めの、隠蔽しそこなった大量の空き箱が親に見つかり、大っ嫌いな病院に連れていかれた。

 そこで嫌々ながら受けた精密検査で脳腫瘍が見つかった。

 手術が困難な部位に出来ていたそれは、かなり進行していると医師から告げられた私は――安堵した。

 『私という重荷から、両親を解放してあげられる』

 思いはただそれだけで、心は穏やかだった。

 病状の進行具合、完治率の低さ、高額になるだろう医療費を理由に治療を拒否し、両親と兄弟に謝り倒して我が儘を叶えてもらい、痛みを和らげて静かに死ねる道を選んだ。

 家族が気に病むかもしれないと思いながらも、怠惰で弱虫な私は病気を理由に逃げたんだ、生きる戦いから。

 だから、せめてもの罪滅ぼしとして死後の臓器提供を希望した。ただの自己満足で、エゴでしかないけど。

 こんな怠惰で、臆病で、弱虫な私でも、誰かの為に役立てる最後の事だから。最期だから出来る、唯一の事だから。

 親には謝り続けた。

 こんな選択しか出来ない自分でごめんなさい。
 苦労ばかりかけてごめんなさい。
 親孝行の1つもしないでごめんなさい。
 逃げてばかりの人生でごめんなさい。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………ありがとう。

 兄弟には願い続けた。

 どうか両親を大事にして下さい。
 親孝行するなら早いうちがおススメです。
 私のような弱虫にはならないで下さい。
 どうか2人は長生きして下さい。
 そして両親を幸せにしてあげて下さい。
 それから2人も幸せになって下さい。
 お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします…………お願いばかりでごめんなさい。

 私の家族たち……本当にありがとうございました。我が儘ばかりでごめんなさい。どうか幸せになって下さい…………。

 そうして私の人生は終わった。




 そんな私が、こんなに恵まれていて良いはずが無い。
 エスメラルドとして生まれるべき魂は別にいるはずだ。だけども一向に私の転生を間違いだと告げに来る存在はおらず、淡々と日々は過ぎていく。

 ならばこれは油断させる罠なのだろうか? 私が油断した所で、高みから一気に叩き落とすんだ、きっとそうに違いない。

 だとすると没落かな? それとも処刑かな?

 でも、あのキラキラな父と母は道を踏み外しそうにない。
 民を慈しんでいるから彼らに慕われ、王族としての威厳を示しているから貴族に傅かれ、王を支えているから頼りにされる。評判の良さは、きっとそういう事なのだと思う。

 現に教会への道中、沿道には民衆が集まり、ロータス王家と両親をたたえる歓声が聞こえていた。

 民だけを大事にして、それまでの伝統や慣習を蔑ろにしていれば貴族から良い顔をされないはずだし、王族として傲慢な振る舞いをしていれば民衆から嫌われるだろう。王位を狙っている野心家ならば信頼など寄せられるはずがない。

 あの人達は『善い王族』なんだと思う。

 もし、あの両親の言動が原因で没落や処刑の憂き目に遭う事があれば、それは国を思っての行動であり、決して私欲の為では無いんだと思う。だけども現時点でそんな事は起こりそうにない。

 先代国王の時代から、才能がある者は身分問わず積極的に登用し、その一方では王侯貴族の特権を少しずつ減らしていたのだそう。目的は身分制度の撤廃ではなく、優秀な人材の有効活用を図る事によって停滞気味な国内の発展へと繋げると同時に人材の国外流出を阻止し、安穏と暮らす特権階級に刺激を与えて喝を入れる事にあったらしい。

 競争のない社会に発展はないからな……。

 王族、貴族の方が、その地位と財力で幼少の頃から恵まれた環境で学べるのだから優位性は損なわれていないし、努力を怠らなければ伝手もあるのだから、ある程度の地位はわりと簡単に確保できるのだという。

 ただ、背負う義務の重さに対する対価である贅沢な暮らしを、選ばれた者が享受する当然の権利と思っている輩、父曰く『生まれ持った地位にしがみつくしか能が無い寄生害虫』が居たそうで、伝統を守りながらも個人の能力を重視する実力派集団である『国王派』に反発する『保守派』が生まれて対立が続いていたそうだ。

 父は国王派の筆頭格であり、その妻である母と子供であるわたしは、保守派の中でも過激な連中にとって格好の標的だったらしく、あの日の襲撃がなされたのだとか。連中は、隣国の王族だった母とわたしを死なせた過失を責め立てて父の失脚でも狙ったのか、それとも混乱に乗じて何か仕出かすつもりだったのかまでは、私は知らない。

 いずれにしろ連中の思惑は、予想外だった大精霊ウルリーケの登場によって潰えたのは間違いない。生け捕りにされた襲撃犯が吐いた情報から仕組んだ黒幕が判明して捕縛され、黒幕の家から押収した資料などから芋づる式に他の保守派、特に国王派が要注意人物として警戒していた者達の捕縛に繋がり、国内の大掃除にまで発展したのだと、父が噛み砕いで説明してくれたから。だからあんな危険な目にはもう遭わないと。

 人格者と評判な国王の下で、国内の政情は安定の一途を辿るらしいから、没落・処刑になりうる言動を両親がする可能性は限りなく低いのだ。

 だからこれは、私が私の至らなさで『没落・処刑ルート』になると考えるべきだろう。私独りがそうなるのなら構わないのだけど…………そういう訳にはいかないらしい。

 この世界には縁座制がある。
 どんな感じの世界であるのかを探るべく、部屋にあったを幼児向けの本(絵は無かった)を精霊なのに人の文字が読めるウルリーケに読んでもらったら、それらしい表現があったし、上記の父からの説明でもそう思わせる発言があったから間違いないと思う。

 王族にそれがどこまで適用されるのかは分からないけれど、私が何か仕出かせば、キラキラな両親の名に泥を塗ってしまうのは確定である。そうなると悪い予想ばかりが湧いてくる。もしかしたら名誉の為に2人は自害するかもしれないとか、それでも生きなくてはならない理由があれば、生き恥を晒していく事になるんだろうかとか、それはどれだけ屈辱なんだろうとか…………。

 そう考え続けて、やっと解った気がした。

 この人生は罰だ。前世で怠惰に生きた私への罰。

 前世で怠惰に生きて楽をした分の苦労をしろ、そういう事なんだろう。もし、この恵まれた立場に伴う義務や責任を忘れたら、それを放棄してしまったら、周囲を巻き込んで地獄に落ちるのだろう。
 『没落・処刑ルート』まっしぐらだ。

 …………逃げたい。

 私の至らなさで誰かの人生を狂わせてしまう前に、逃げたい。前世のように逃げ出したい。

 そう思ってしまうと、部屋にあるテーブルの上に見栄え良く果物が盛られた高さのある皿に添えられている小ぶりなナイフが目に入り、それから目を離せなくなる。

「あらあら、どうしたの? わたくしの可愛いエスメル。果物が食べたいの?」

 声に反応して顔を向ければ、陽光を受けて燦然と輝くシルバーブロンドの髪を美しく結い上げ、すみれ色の瞳で私を優しく見つめる母が傍に歩み寄ってくる。とっさにどんな反応をすればいいのか分からなくて固まってしまった私を気にした風もなく、美しい母は自ら果物とナイフを手に取り、するすると皮を剥いて私に差し出してくれた。
 勧められるままに、瑞々しい赤い果肉をシャクリと音を立たせて咀嚼すれば、口いっぱいに甘い果汁が広がっていく。甘いけれど後味はさっぱりしていてくどさは無く、つい次へと手が伸びる美味しさ。

「どう? 今が旬のレヘルの実は美味しいでしょう?」
「……とっても、あまいです」

 一国のお姫様だったはずの母が慣れた様子で皮むきを行える事に驚きつつも、私は死の誘惑に駆られていた気まずさを隠すように、無心で『レヘル』と呼ばれる果実を頬張って笑顔を浮かべていた。

 なんとかバレなかったと、その時はそう思ったのだけど、それは間違いだったと後で気付かされた。

 なぜ気付いたかというと、テーブルの上に盛られていた果物の種類が変わり、苺や皮ごと食べられる葡萄などの、そのまま手で摘まんで食べられるものだけになっており、減ってしまったボリュームを補うように横には一口サイズの焼き菓子が並べられていたのだ。

 皮を剥くナイフも、焼き菓子を食べるためのフォークも無い。

 改めて部屋を見回してみれば、陶器製の花瓶が消え、角が鋭くなっている家具も部屋から消え、かわりに竹のような植物で編まれた花活けに、それまで置かれていた物に似た雰囲気の家具で角が丸いものが置かれていた。部屋の雰囲気を変えないように、だけども私が自分を傷つける道具になりそうな物は徹底的に排除されていた。

 普段と変わりない穏やかな微笑みを浮かべていながらも、あの美しい母は私の危うさにしっかりと気付き、手を打ってきた。

 けれどもそれを決して口にしない。

 あの日以降、私が死の誘惑に駆られそうになると母は、どうやって察知しているのかは不明だが、必ずと言っていいほどさり気なく私の前に現れては散歩やお茶に誘ったり、気晴らしになる遊戯を教えてくれたりした。病弱らしいのに、私なんかに付き合ってて大丈夫なのかと心配になる。

 それだけでなく母から何かを聞いたのか、それまで散水作業の訓練に勤しんでいたウルリーケも常に私の傍に引っ付いて離れない。広いはずの部屋がウルリーケの巨体で狭くなるので私の影に隠遁し、たまに頭部だけを出したりする。散歩で外に出れば、近くで宙を泳いでる。

 父は父で、忙しい身の上だろうに時間を見つけては私へ会いにきて、この小さな身体を腕に抱きあげて頭を撫で、短いながらも会話を交わしていく。……ゆっくり休めばいいのにと、思うと同時に、休息する時間を潰させてしまっている自分の不甲斐無さで申し訳なく思う。

 逃げに走ろうとしている私に気付きながらも、気付かないふりをして阻止しつつ見守っている2人。
 親という立場をいかして私を言いくるめ、2人の望む道を歩ませる事も出来るのにそれをしない。
 否定も肯定もせず、私の気が済むまで……諦めるか、覚悟を決めるまで徹底的に付き合うつもりなのだと態度で示す。

 それにこの2人は、小さな、けれどもふるう力は絶大な暴君になりえる要素を持った私を怖れる事無く接してくる。銀とすみれ色の瞳には怯えがなく、ただただ、親としての愛情が宿っている。
 これは稀有な事なんだろう。

 幼い身で『守護持ち』となった子供の多くが教会に預けられ、そこで養育されるのが普通なのだと教会で聞いたから。親が子供を恐れてしまうんだろう。
 それに魔法が一切使えない事は日常生活に支障をきたすので、大人でもあってもほとんどの『守護持ち』は教会の庇護下に入って手厚く世話をされるのだという。だから私も預けられるのかと思いきや、あのキラキラな両親は私を手元から離す気がないようだった。

 けれどもこの家で働いている人達は、私という存在への恐怖からくる緊張感に苛まれているようであった。目覚めてすぐ、部屋の外をうろついていたら図らずも使用人と遭遇した事が2、3回あったのだけど、私を視認した瞬間、笑顔を取り繕うとして失敗して引き攣ったものになり、そのせいで身体を強張らせていたから。

 彼らがそう思ってしまう事が悪いとは思わない。なにせ彼らの私に対する認識は、力の正しい扱い方を知らない幼児であるのに強大な力を持ってしまった危険人物。不興を買えばどんな目に遭わされるか分からない、といった所だろう。花園壊滅事件もあった事だし、恐怖は更に増しているものと予想される。
 私が彼らの立場なら同じ反応をする自信があるから責められない。
 むしろ私が虐めているようで申し訳なく、それ以来、可能な限り部屋から出ないで過ごしている。それにウルリーケとの会話って、なぜか疲れて頻繁にお昼寝するからちょうど良い。

 だからなのか、大公令嬢であるわたしを世話するのは「ばあや」と呼ぶには若すぎる乳母が1人だけだった。見えない所で他の人もお世話してくれているのかもしれないけど、私が知る限りでは「ばあや」だけだ。そしてこの「ばあや」もわたしを恐れない。私を「姫様」と呼ぶその声が、慈愛に満ちているのが分かる。1度「ばあや」にわたしが怖くないのかと尋ねた時、彼女はきょとんして「なぜ姫様を怖く思わなければならないのです?」と、逆に返されて答えに窮した事がある。

 これは、思いがけず強大な力を持ってしまったエスメラルドを恐れない者だけを、傍に置こうとしたキラキラな両親の親心なのかもしれない。

 前世など持たず、まっさらな魂がエスメラルドとして生まれていれば、幼児らしい無邪気さで天真爛漫な振る舞いをするエスメラルドを、ただ微笑ましく見ていられただろうに…………こんな後ろ向き思考の全力で逃げに走っている私がエスメラルドとして生まれてしまった事に引け目を感じてしまい、親と乳母から注がれる愛を、痛く感じてしまう。

 ――だけど、痛いと感じながらも、その愛は確実に私の中へと沁み渡り、心を絆して(ほだして)いくのだ。それはまるで、甘い毒のよう。

 逃げたい、でも悲しませたくない。

 悲しませないために逃げよう、でもそれは確実に傷つける。

 不確定な未来に怖気づいて今、断ち切るか……それが本当に正しい選択なのかと逡巡しながら、ウルリーケの事も脳裏をよぎる。

 精霊にとって『愛し子』は特別な存在。自然そのものである精霊は自然から生まれて永い時を過ごし、、疲弊すると自然に還り、また新たな精霊が生まれるのだとか。ただ『愛し子』を得た精霊は別で、疲弊が癒され、どういう理屈か力が強まり寿命が延びるのだという。

 なにより『愛し子』を得た精霊は何かが満たされた様子で、幸せそうに輝いているのが羨ましかったのだとウルリーケは寝物語として聞かせてくれた。ウルリーケだけでなく、その姿を垣間見た数多の精霊や他の大精霊でさえ『愛し子』を探し求めて世界中を彷徨うのだとか。でもそうしてめぐり会う事が出来るのはごく一部。普通は気に入った人間に『加護』を与えるだけで終わるらしい。

 だからあの日、何かに誘われる(いざなわれる)ようにして私とめぐり会えたのは、奇跡のような幸運なのだとウルリーケは言った。そして母も気に入ったのだと。
 歓喜に打ち震えながら話してくれたウルリーケを思うと、正当性を述べて逃げる事に二の足を踏んでしまう。

 ――私は、どうすれば良いんだろう……。




 鬱屈した思いを抱えながらも、最近なんだか屋敷全体がそわそわとしているな、そう思った時に「ばあや」に手を引かれて広間に連れられて行った。夕食の時間なのに、なぜ食堂ではなく広間に行くのか分からず、私は内心で首を傾げながらも大人しく歩いていた。
 広間の飾り彫りが施された飴色に輝く両開きの扉を、私から手を離した「ばあや」が開け、入るように促されたので足を中へ一歩踏み入れた途端――。

 ポン、ポンッ!

 軽くはじけ飛ぶような音がして頭上に色彩豊かな光の花が咲き、色とりどりの花びらが降ってくる。思わず目の前に落ちてきた花びらを1つ両手で閉じ込めるようにして捕まえ、そっと手を開いて覗いてみると、花弁はキラキラ輝く光の粒子となって消えていった。

 ――魔法だ、これは。

 光の魔法で作られた熱を持たない花火が室内に打ち上げられているのだと、そう理解した時に、複数の声が重なり綺麗に揃えられた祝いの言葉をかけられた。

「おめでとうございます、4歳になられたエスメラルド様」

 眼前には屋敷で働いている人達が揃い、その中には偶然わたしと遭遇して身体を強張らせていた人も居るのだけど、おかしい。どうしてそんなに気負いなく、自然な笑顔を浮かべてわたしを見るのだろう? 怖かったはずじゃなかったの……?

 突然の事に呆然としている私の元に、いつの間にか両親が歩み寄ってきていた。

「エスメル、過ぎてしまったけれど、お誕生日おめでとう」
「おめでとう、エスメル」

 今日も今日とて麗しい両親は目線を合わせる為にしゃがみ込むなり、そんな事を言ってきた。

「……おたんじょうび……?」
「そうよ。あなたは眠っていたから、その日にお祝い出来なかったでしょう?」
「無事に目覚めた事だし、皆がぜひにも祝いたいと言うのでな。遅ればせながら今日、祝う事にしたのだよ」
「こっそり用意していたのだけど、そのせいであなたがお部屋で塞ぎ込んでしまう原因になってしまって、少し焦ってしまったわ」

 私と遭遇して身体を強張らせていたのは、手に飾り付け道具を持っていたのを隠せなかったからなんだとか。動揺しつつ、聞かれたらどうやって誤魔化そうかと考えていたせいで挙動不審になってしまったんだそうだ。……本当か?

 そう思った私に気付いたのか、遭遇した人の1人が困ったような表情で前に進み出て、話しはじめた。

「聡い姫様のことです。隠してもお分かりになってしまうでしょうからお話しいたします。確かに最初の頃は、姫様が大精霊様の『守護』を得られた事をお喜び申し上げると共に、恐れも抱いてしまいました。そしてそれを表に出して姫様に悟られてしまうなど、お仕えする者として恥ずべき事でございます」

 淡い茶色の髪を、邪魔にならないよう編み込みにして纏めてあるおっとりした雰囲気の、20歳前後にみえる風貌で、大公家お仕着せである紺色の侍女服を纏った女の人。
 もしかして、そのせいで罰でも受けたのかと心配したら、私の気持ちを読んだように母が「その件では誰も罰していないから安心なさい」と言ってくる。
 ……母よ、あなたには心を読む能力でもおありですか?

 そんな私をよそにおっとりした、だけど真摯に私へと語る声には意思の強さを感じさせる侍女さんの話しは続く。

「何より、わたくしの不甲斐無さのせいで姫様のお心を傷つけてしまったのかと思うと、胸が痛みました。いっその事、罰をお与え頂きたかったです。姫様は何もお変わりになっていらっしゃいませんのに、恐れ多くもわたくし共へ「ありがとう」とおっしゃるお優しい方のままですのに、わたくしは勝手な思い込みで姫様を恐れてしまいました」

 見てくれたのか……朝と夜は両親と一緒に食事を摂るけど昼は部屋で運ばれてきた食事を食べるから、本の文字を参考にウルリーケから教えてもらいながら「ありがとう」の文字を書いた紙を、食器の傍に置いていたのを。

 勝手な思い込みだけど、王侯貴族の食事は毒見がされているだろうから冷えた食事が出てくるのかと思いきや、いつも湯気が立ちのぼる温かい食事が出てくる事を不思議に思って「ばあや」に聞いたのだ。

 なぜ出てくる食事は温かいのか? と。
 温かい方が美味しいからですよ、その為に魔法で温度を保っているのです、とにこやかに返された。

 ――ああ、気遣われているのか――。

 思い返せば、1度私が美味しいと言ったものはまた出てきたし、味付けに対して言及したわけでもないのに日が経つにつれて私好みの味になっていて、幼児の口でも食べやすいように工夫のされたものが食卓に上ってきた。鬱々とした思いを抱えているせいで食事量が減ると、1つ1つの量は少ないけれど豊富な品数が出てきて、物珍しさから手をつけていたおかげで急激に痩せ衰える事も無かった。テーブルに並ぶ焼き菓子も、日毎に違う物だった。

 両親や「ばあや」から命じられた結果かもしれないけれど、仕事なのだから当然と言われればそれまでだけど、私にはそれだけではないと思えた。だって、口に運ぶと全身に優しさが廻っていくようで、心がほっこりと温かくなるから。

 馴染みのない味であるのに、前世で病床にあったおり、母が持ってきてくれた手料理を口にした時のような美味しさを感じたのだ。

 本音をいうなら『ごちそうさま』と伝えたかったのだけれど、直接言っても怯えられるだろうと考えて、紙に書く方法をとったのだ。だけどそれに該当する言葉を本で見つけられなかったから『ありがとう』と書いた。それは1回だけで、その後は完食する事で礼としていた。「ばあや」が「全部召し上がられる事が、仕える者にとっては何よりも嬉しい事ですよ」と言ったから。

 この人も、喜んでくれたのだろうか……?

 私はこの時初めて、彼女と目を合わせた。分かっていても恐怖が宿った目を直に見る勇気がなくて、今まで合わせられなかったのだけど……髪と同じ、淡い茶色の瞳には恐怖のかけらも無く、穏やかでとても澄んでいる

「…………こわくないの?」
「はい!」

 明るく弾んだ声には無理をしている様子はない。そして彼女が続けた言葉に私は目を見開いた。

「よくよく考えますと、たとえ怪我をしようとも治癒魔法であっという間に治るのですもの。わたくし、魔力の高さには少々自信がございますから、即死さえしなければ平気だと思うのです!」

 えっ? そういう方向!?
 片手を胸の前でぐっと握りしめ、何かを吹っ切ったのか、輝かしい笑顔を浮かべて熱弁をふるう彼女にびっくりするしかない。だけど驚いているのは私だけで、他の使用人の皆さんは同意だと言わんばかりに力強く頷いているし、両親は「よく言った!」と笑顔で褒めている……何か違うんじゃ? と思うのは私だけなのか?

「つきましては、姫様!」
「はい!」
「念のためにわたくし軍で訓練を受けて参ります。それが終了しましたら、姫様のお傍で仕えさせて頂きたいのです! 旦那様と奥様にはお許し頂きましたので、あとは姫様からのお許しのみですわ!」
「……へ?」

 唖然とするしかない私をよそに、周囲の会話は続く。

「ずるいわ、アマーリエ! わたしも姫様にお仕えしたいです!」
「ワタシもです!」
「フフフ、行動して言ったもの勝ちですわ!」

 我も我もと言い出す彼らに、どうしてこうなった!? と狼狽える私。助けを求めて両親を見やれば面白そうに微笑んでいて、「エスメルは人気者だな」「当然ですわ。わたくし達のエスメルですもの」と上機嫌な様子。最後のよすがとしてウルリーケを心で呼べば、床から顔だけを生やして「良かったではないか」と、のほほんと述べるだけで私の動揺は放置された。
 ここに私の味方は居ないのかと落ち込んでいたら、母から呼びかけられる。

「エスメル」
「……はい」
「みんな、あなたの事が大好きなのよ」

 そう言われましても……。
 今度は宥めるように父も語りかけてくる。

「何も恐れる事などない。そなたはそなたらしく、そのままで良いのだよ。ウルリーケ殿はそなたが大事なだけだ。そなたが傷つくような事は決してしない」
《その通りじゃ。不埒者は生きたまま無力化させる術を考えてあるからの、木っ端微塵になどせぬから安心するといい。妾の愛し子、エスメラルドや》

 散水作業の訓練をしている傍らで何かやってるなと思っていたけど、新技の開発をしてたのか?

「それにね、エスメル。この屋敷に仕えてくれている者たちは一流の者ばかりなのよ」
「政敵である保守派を警戒した結果なのだが……元軍人も多いし、アマーリエのように魔力が高く、魔法抵抗も高い者ばかりだ。万が一があっても、自力で切り抜けられる人材ばかりだ」

 ――だから、諦めなさい――

 眩しい笑顔が向けられると共に、そんな幻聴が聞こえた気がして泣きたくなってくる。

「わたしは……」

 決して口にする事は出来ないけれど、私は無垢な子供なんかではない。怠惰で、臆病で、弱虫であるのが本性な、どうしようもない人間だ。2人の子供でいる事などおこがましい存在なんだよ、愛されてると知りながら逃げに走る卑怯者なんだ……。

「……母は、あなたに出会えてとても嬉しいわ。授かれないと思っていた我が子なんですもの、手離す気など無いの」
「私もだよ、エスメル。可愛い我が子。いつか嫁ぐその日まで、私達の元に居ておくれ」

 私なんかで良いのだろうか?

「……いいの?」

 私が子供でイイの? こんな異端者があなた達の子供でイイの? 私は……。

「……ここに、いてもイイの?」

 答えよりも先に母の細腕で抱きしめられていた。力いっぱい抱きしめられていて苦しい程だけど、抜け出したいとは思わない。耳元で「もちろんよ」と震える声で囁かれた。
 頭を優しく撫でる大きな手は父のものだと、見なくても分かる。感触だけで断言出来てしまうほど、この手が私を撫でてくれたから。
 ……涙が頬を伝い落ちていく。

 人生をやり直したいと願ったのは私。
 なんの奇跡か、その願いは叶えられたけど、背負う物の大きさに臆した私。
 屁理屈をこねて逃げようとした私。

 何も、何も変わっていなくて、成長のなさに嗤ってしまう。

 …………生きれば良いだけじゃないか。

 今度こそ、逃げずに、真面目に、勤勉に生きれば良いだけだ。
 私の言動で没落・処刑になるかもしれない? そうなるのだと、誰が決めた? 未来なんて今の自分がどう生きるかで、いくらでも変わる不確定なものじゃないか。予想出来ているのなら、阻止する為に行動すればいい。

 王族として、大精霊の守護持ちとして、正しい在り方を学べばいい。より良い未来になるよう、努力すればいい。

 それは大変かもしれない、苦労が多いかもしれない。だけどそれがどうした?

 王族だろうと平民だろうと、生きる事は大変だろう、努力も苦労もするものだろう。
 前世の私はそれを放棄し、『引きこもりニート』として楽な道を選んだから体験しなかっただけだ。私が怠惰に生きた分の苦労を、両親が負っていただけじゃないのか?

 今生は、大変だからと放棄していい立場じゃない。
 努力をしよう、苦労を受け入れよう、逃げずに生き抜いてみよう。

 せめて、この優しく美しい両親、私なんかを選んでくれたウルリーケ、私に仕えたいと言ってくれた人達に迷惑をかけないぐらいにはなりたい。

 だから、今だけは泣かせて下さい。

 涙と一緒に怠惰な『私』に“さようなら”を…………前世に別れを告げましょう。
 ありがとう、そして、さようなら、前世の『私』。


 わたくしは生きます――大公令嬢エスメラルド・シェリス・ヴィア・セルリードとして。


 **********


「遅くなった4歳のお誕生日の時に、思いっきり泣いた事でいろいろと吹っ切れましたわ」
「……あれで思いっきりだったのか?」
「はい、すっきりしました」

 苦笑なさる父上様のお姿を見ますと、ロータス王族が精神的に早熟である事を差し引いても、あの時の泣き方がいかに子供らしくなかったか思い知らされます……仕方が無いではありませんか。当時のわたくしには精神年齢○○歳だという、なけなしの矜持があったのですもの。声をあげて泣くなんて真似はとても許容出来るものではなかったのです。

 ……そのせいで皆様の庇護欲を掻き立てていたなどとは、予想もしませんでしたが。

 わたくしの容姿は両親の美貌から好いとこ取りしたものなのです。母上様譲りである卵型の小顔に通った鼻筋と紅い唇、形の整った眉に涼やかな目許は父上様譲りで目力があるのですが、当時は幼児特有のまろやかさが柔和なものに変化させていたらしく『天使のように愛くるしかった』そうです。

『無邪気に笑っていらしゃった姫様はわたくし共にとっての天使でしたのに、『守護持ち』となられてからは至らぬわたくし共のせいでお顔を曇らせがちになられてしまって罪悪感で胸が痛みましたわ。その上姫様はわたくし共をお気遣いになられてお部屋に籠りがちになられますし、いじらしさに涙した者は多かったのです。花が萎れていくかの様に、日に日にお元気がなくなられていくと乳母のソフィア様から伝え聞きまして、使用人一同どうにか出来ないかと奔走しているうちに『恐怖ってなんだっけ?』となっていたのがわたくし共の実情ですの』

 これはお誕生日騒動後、しばらくして宣言通りにわたくし付きの侍女となったアマーリエ談ですが(おっとりした雰囲気に反して彼女は押しが強かったです)……中身が無垢な子供とは程遠い事に何度、心の内で謝った事でしょう……それに――。

「父上様や母上様もそうでしたけど、皆様がわたくしを甘やかそうとなさいますから誘惑を断ち切るのが大変でしたわ」
「そなたが自分に甘えを許さないのだから丁度良いのだよ」

 父上様……。前世の『私』にさようならをしましても、本質は何も変わっていないのです。怠ける事が大得意な自分を甘やかすなど、怖くて出来ない結果ですのに……。

「それに、そなたは不満を言わない。そなたと同じ年頃の令嬢達は学校に通い、買い物や観劇を楽しんでいるというのに、そなたは警備の理由から自由にはさせてやれなかった。外に出るのは公務がほとんであったろう」

 元・引きこもりニートのわたくしですから、行動範囲が狭くともまったく気にならなかったのですけどね……。それに『守護持ち』としての修行もありましたし、礼儀作法にダンス、一般教養は当然として他にも周辺国の言語に歴史や文化・慣習、大陸公用語に古語など、他国へ嫁ぐ前準備で学ぶ事が多すぎて暇とは無縁でしたもの。

 自分だけでなく、多くの方の人生がかかってますから死にもの狂いの努力はしましたけれど……それら総てを習得できた事には自分でも驚きました。あれですね、人間って死ぬ気になれば結構なんでも出来ます。無論、そう出来たのは一流教師陣の方々を始め、周囲からのお力添えを頂けたからですが。

 ちなみに父上様がおっしゃる公務というのは、水害が発生しそうな地域に赴いて民心を慰めたり、精霊にその土地の守護精霊になってくれるように頼むことです。わたくしは他国に嫁ぐ事が決まっていますから、国を出た後のロータスを守ってくれるようウルリーケを介して守護精霊になってくれそうな水の精霊にお願いしていたのです。

 その地に愛着のある精霊は以外と多く、あっけないほど簡単に快諾してくれました。土地の守護精霊になることは『愛し子』を得るほどではありませんけれども、疲弊が癒され幸福感もあるそうです。地元住民に祈ってもらえばより効果があるそうなので国から住民に事情を説明してもらい、国の予算で祈り場となる小さな聖殿が各地に建立されました。

 わたくしには確かに外出の自由が無く、一般的な令嬢の楽しみとも無縁でしたが、わたくしはわたくしで充実した日々を送っていたつもりなのです。

「わたくしとしてはそれで充分でしたもの。望めば外の様子を皆様がお話しして聞かせて下さいましたし、不自由を感じる隙も無いほど皆様がよくして下さいましたわ」

 望む前にすべてが揃っているんですもの、不満などありません。本心ですのに、父上様はなぜ悲しそうに微笑まれるのですか?

「……そうか……ならばやはり、ウォードになど遣らなければ良かったな。同年の者たちと多く触れ合える良い機会だと思って送り出したのだが、結果がアレではな……」
「一部の方を除いて、ウォードの皆様にはよくして頂きましたわ。学校生活は楽しかったですし、アイリー様ともお友達になれましたもの」

 ウォード王国貴族、公爵令嬢アイリーン様とお友達になれた事がわたくしにとっては最大の収穫でした。ロータスに帰国してからもお手紙の遣り取りをしていますが、アイリー様からのお手紙はほとんどわたくしの体調を気遣う内容ばかりです。

「父上様。ロータスはいつ頃ウォードをお赦しになるのでしょう?」
「……懇願でもされたか?」
「いいえ」

 首を左右に振って否定します。父上様、アイリー様はそんな方ではありませんわ。

「むしろ当分の間このままにしてお灸を据えて欲しいとおっしゃられてます」

 ああ、父上様でも驚かれますか、わずかですけど目を見開いていますもの。予想外ですわよね。

「それから、元王太子殿下をわたくしの婚約者候補として押し付けたお馬鹿さん達を叩きのめしておくので、ゆっくりと療養に励んで下さいとも、お手紙にはありましたわ」
「……頼もしい令嬢だな」
「ええ。なんだかアイリー様には母上様に通じるものを感じますの」

 アイリー様なら母上様のように笑顔1つで相手を天国に昇らせる事も、地獄に叩き落とす事も可能な気がします。わたくしはまだその域には達していないので羨ましいですわ。そのように申し上げましたら父上様は破顔なさいました。

「よき友を得たな」
「はい」

 なのでわたくしも笑顔で返事をします。アイリー様の素敵さを父上様も分かって下さったようで嬉しい限りですわ。
 父上様は花園の上を気持ちよさげに泳ぐウルリーケに視線をやってから口を開かれました。

「……ウォードを赦すのは当分先になるだろう。何より、ウルリーケ殿が盛大に嫌がりそうだからな」

 父上様の言葉にわたくしもウルリーケを見やります。

「……ウルリーケの感情を優先しましたら、永遠に赦しの時は来そうにありませんわ……」

 父上様がウォードまでわたくしを迎えに来て下さって帰るおり、単体で転移魔法を行使できる父上様ですから学校からロータスに直接転移出来ましたしたのに、わざわざウォードの王宮に顔を出したのはウルリーケの要望なのですよね。
 王宮には大使や外交官がおりましたし、父上様も先に顔を出されていたそうですから必要なかったのですけど……。

 ウォード王国の主要人物たちが集う中で顕現したウルリーケは、今までの鬱憤を晴らすかのように脅迫まがいの威圧を行ったのです。床や柱にひびを生じさせますし、高水圧の水流で床を抉ったりと……修理代を請求されたらどうしようかと、わたくしヒヤヒヤとしましたわ。

 転移が終了してロータスに着くと『フン、いい気味じゃ』とせせら笑うしで、出会った当初に比べてウルリーケの柄が悪くなった気がいたします。留学中もわたくしの知らない所で、暴言を吐き続けるユリエラさんや、それを庇う生徒会の方々に地味で分かりにくいけれども、やられたら確実にへこむような嫌がらせを密かに行って憂さ晴らししていたようですし…………人間臭くなったと表現すべきなのかしら?

 少し脱線してしまいましたけど、大精霊であるウルリーケがウォードに対して立腹しているから、八つ当たりを恐れた水の精霊たちがウォードから逃げ去ってしまっているのです。

「まあ、一番危険だった雨期は過ぎているのだから、しばらくは平気だろう。精霊がいなくなったとしても雨が降らない訳でもないのだから。自然の恵みと猛威をそのまま受けるだけだ」

 笑顔でおっしゃるセリフではありませんわ、父上様。

「それが問題なのではありませんか。我が国のように灌漑事業や治水が進んでいるわけではないのですから」

 水の精霊がいなくなってしまったら雨量が減って川や泉が干上がりやすくなりますし、自然界の力がバランスを崩して酷い天候不順に陥ってしまいます。精霊たちは自然の力を調整してくれる存在ですから。

 実を言いますとこの世界、精霊が存在するおかげで『天災』の程度は前世の世界に比べてとても軽いのですよ。それにもかかわらず被害が大きくなってしまうのは灌漑事業や治水の技術が遅れている事と、災害を予測して避難をしたり対策を講じるという概念が行政に無いからなのでは? とわたくしは思っています。

 なんでも『精霊の領域に人が手を出すなど畏れ多い』からだそうですが、ウルリーケ曰く『人が己の怠慢を正当化する詭弁でしかない』と、一刀両断していました。

 過度に人の手を入れるのは禁物ですが、節度ある介入は精霊側としても歓迎できる事だそうです。負担が減って楽なんだとか。

 それを聞いたロータスは重い腰を上げ、対策に取り組んでくれました。
 わたくしが持つ前世のつたない知識ではありますが、それを今まで日の目を見なかっただけで実は存在していた専門家の方にお話しして役立ててもらったり、ウルリーケや他の精霊達からもアドバイスを聞いたりしたおかげで他国よりも進んだ技術をロータスは持っているのです。

 それを理解した上で父上様はおっしゃているのでしょうから……やっぱり怒っていらっしゃるのですね、ウォードを。

「……そのような顔をしてくれるな。ほとぼりが冷めれば陛下もお赦しになるおつもりでいるのだから。今回の一件はどうしても厳しい態度を取らざるをえない。今後、万が一にも『守護持ち』を軽んずる輩が出ないようにする為にも、戒めが必要なのだよ」

 ほかの『守護持ち』の方々を守るためにも、生半可な対応は出来ない事は理解しておりますわ。下手な温情を与えて悪しき前例を作ってはなりませんし、そうした結果の悲惨な状況を見せつける事は抑止力にも繋がりますものね。ただ……。

「理解しておりますけれど、ウォードの民が受ける苦難を思うと不憫で……」

 真っ先に影響を受ける民が憐れですわ。

 あの時は国益を優先したのです、わたくし。なのであえて何もしなかったのです。わたくしが耐えて行動に落ち度が無ければ、その分だけロータスは外交で有利になれますもの。

 ウォードは昔からの大国なのでロータスが力をつけ、国力にほとんど差がなくなってからも上から目線で話をされるのが癪に障る、と国王である伯父上様や外交官の方たちが密かに愚痴っていらっしゃるのを知っていましたから。留学の件も強引に押し切られてしまった結果なのですよね……。

 わたくしの意図を理解してくれたジークとラルフ達が魔道具で証拠映像や音声を記録してはロータスへ送り、叔父上様たちにはそれを有効に使っていただいて、ほどよくガス抜きして頂ければそれで良かったのです。……なのにまさか、ウォードの行動があそこまで遅いとは予想もしませんでしたわ。おかげで外交問題を通り越して戦争になるところでしたし……わたくしの胃は大いに痛めつけられました。

 こんな事になるのなら別の手を選べば良かったです。わたくしが欲など出さなければ状況はまた違っていたでしょうに……。

 俯いていましたら、昔のように父上様が頭を撫でて下さいました。テーブルが間にあるのではなく、横に置かれてある仕様ですから手を伸ばせば簡単に届くのです。社交界にデビューしてからはこうして頭を撫でられる事がなかったので懐かしさで顔が綻び、そのまま顔を上げれば慈愛の籠った銀の瞳とぶつかりました。

「陛下もそなたの思いを汲んで下さっているし、ウォードも誠実な対応をしてきている。長期には及ばぬだろうから安心しなさい。それに、そなたにはまだ休息が必要だ」
「……はい」


 **********


 はるかな高みから人知を超えた美しさを誇る女性が、セルリード親子の語らいを眺めていた。そこへもう1人、こちらも人では持ち得ぬ美貌をした女性がやってくる。

「な~に見てるのぉ?」
「私がこちらに引っ張り込んだ魂よ」

 容姿を裏切らない美声を響かせる2人はこの世界の女神。こことは異なる世界からそれぞれ『魂』を連れてきたという共通点が2人にはあった。

「はぁ~。イイわよねぇ、アナタが連れてきた子は。堅実な人生っていうの?」
「まあねぇ、最初はどうなる事かと思ったけれど」

 後から来た女神が、先に居た女神が見ていたものを覗き込む。それは繊細な装飾が施された水鏡だった。

「面白いわよねぇ、この子。生活に不自由しない地位に転生させたら凄く怯えて自殺しそうになったんだっけ?」
「そう、もうあの時は焦ったわよ。せっかく連れてきたのに即行でリタイアしようとするんだもの。周囲の努力で回避してくれたし、結果的には良い方向に作用してくれたけれど」
「目が離せないほど心配ならアタシみたいに接触すれば良かったのに」
「その結果がアレならしない方が良いわよ。というより、選ぶ魂を間違えたのではない?」

 後から来た女神は覗き込んでいた体勢を戻し、芝居がかった身振りで熱く語る。

「いいえ! 愛の女神たるアタシには、あれほど熱烈に愛を叫ぶ魂を見過ごすなんて真似は出来ないもの! あの魂こそアタシが選ぶべき魂だったのよ!」
「嘘つくんじゃないの」

 先に居た女神から即座に突っ込みが入る。

「どこが嘘だっていうのよ!」
「貴女、『愛の女神』じゃなくて『愛憎による功罪を裁定する女神』でしょうが」

 やれやれ、といった風に首を振る女神に、自称・愛の女神は食ってかかる。

「ちょっと省略してるだけよ! 『愛の女神』でいいじゃない! 『愛憎による功罪を裁定する女神』なんて長いしロマンに欠けるんだもの!」
「詐欺で訴えられたら確実に負けるわよ」
「イイのよ、女神のアタシを訴える人間なんていないんだから」

 言葉では強がっているが、明後日の方を向いている視線やら、身を守るように前に突き出された腕やら、逃げるように下げられた片足などが言葉を裏切っている。
 その様を生温い目で見ていた先に居た女神、『水の流れを司る女神』は自称・愛の女神が可哀想になったので話題を戻す。

「で? 選んだ魂に後悔はないの?」

 戻された話題にホッとしながら自称・愛の女神は肯定する。

「後悔はないわ、反省はしてるけど。《魅了》の力を与えたのはやりすぎだったわ」
「そんなものを与えてたの!? 歪んで当然じゃない!」

 『水の流れを司る女神』は、自称・愛の女神がサラッと述べた爆弾発言に目を剥き、自分でも気付かないうちに自称・愛の女神の頭を平手で勢いよく叩いて(はたいて)いた。

「イタッ……うー、ごめんなさい。だけど一応アタシもその辺を考慮して、発動対象を限定しておいたのよ。効果も好感度が高くなる程度にとどめておいたし。でもあの子、よりによって発動対象しか眼中にないんだもの。それ以外の人間には興味持たなくて、コミュニケーションすらまともに取ろうとしないとは予想外だったのよ」
「……やっぱり選んだ魂、間違いだったんじゃないの」

 『水の流れを司る女神』から胡乱な目で見つめられても、自称・愛の女神は揺らがなかった。

「あの時に遡ってもう一度選べと言われても、アタシはあの子を選ぶわよ。一番の目的を確実に果たしてくれるのはあの魂だから」
「……まあ、そこは評価できるわね。王太子につられて王女たちも血に目覚めてくれたし」

 世界とは、自分が生きる世界とは異なる世界が星の数ほど存在する。それらは個々に独立しており、普通ならば繋がる事もなく、存在すら知らずに終わるだろう。

 だが稀に、奇跡的に繋がってしまう事がある――人の想像によって。

 ある世界で作られた女性向けの恋愛シュミレーションゲームの設定が、女神たちが存在する世界に驚くほど酷似していたのだ。全てではないし細部は違ったが、世界観に国名、歴史や登場人物、神々の存在すら合致していた。

 その繋がりは、人を含めた動植物が世界の垣根を越えて互いの世界に紛れ込むようなものでは無かったが、2つの世界を比較した際、下位世界に該当する女神たちの世界が上位世界に位置づけられる世界の影響で、本来進むはずだった未来の形がほんの一部、歪んでしまったのだ。

 それは――神との契約を血に宿したウォード王家直系の断絶危機。
 本来ならば、ウォード王家が呪いを受けて人数が激減する未来はなかった。そして『ユリエラ・ラジエルス』という少女が生まれる事も無かった。

 それからもう1つ、生まれるはずだった水の大精霊の『愛し子』消失。
 本来ならば、辺境に住まう農家の三男坊が『愛し子』として生まれるはずで、『エスメラルド・シェリス・ヴィア・セルリード』という少女が生まれる事は無かった。

 生まれるはずのなかった2人の少女を誕生させれば問題は片付くのだが、上位世界の影響が色濃く宿る存在であるために、下位世界の魂ではその役目を担えなかった。
 そこで上級神の中でも比較的自由に動く事が可能だった2人の女神は、上位世界の神に掛け合って2つの魂を上位世界から下位世界に連れて行く許可を貰った。

 ウォード王家直系の断絶危機を回避するために『愛憎による功罪を裁定する女神』は、確実に役目を果たしてくれそうな、愛を渇望して叫ぶ孤独な魂を選んだ。

 配下でもある水の大精霊を『愛し子』とめぐり会わせる為に『水の流れを司る女神』は、『愛し子』となれる、人生をやり直したいと望む臆病な魂を選んだ。

「――――でも、アタシもあの子に幸せになって欲しかった……」

 ぽつりと静かに呟かれたそれは、まぎれもなく『愛憎による功罪を裁定する女神』の本音だった。
 断絶危機の回避を第一条件に選んだ魂ではあれども、新たな生を得る以上は幸せになってもらいたかったのだ。愛が欲しいと泣き叫ぶ、あの孤独な魂に。だから《魅了》の力を与えたし、直に接触して転生の意味も教えた。

「ちゃんと、ココはあの子の知る世界とは『似て異なる世界』だって伝えたのにな……」
「仕方が無いわ。神である私たちと人では、あまりに違いにすぎる。人が神を完全に理解出来ないように、神もまた、人を完全には理解出来ないんですもの。貴女がどれだけ言葉を尽くしても、その真意には気付けないのよ。それに人は――信じたいモノを信じる生き物だもの」

 あえて突き放すように話す『水の流れを司る女神』は、だからこそ、連れてきた魂に接触しなかった。
 自分の言葉を都合よく解釈して、後で「こんなの違う!」と恨み言を言われるのなんて御免であったし、そもそも彼女が選んだ魂は、この世界について何も知らなかったのだから。

 自分の目で見て、耳で聞いて、そして自分で生きる意味を考えて決めればいいと、そう彼女は思った。それに人生のやり直しを望む魂が、どんな人生を歩むのか興味もあった。……ただし、怖気づいて即行で逃げ出そうとするとは予想外であったが。

 それでも、あの臆病な魂は生きている。

 自分で考えて決めたあの魂は、前世よりも少しだけ強くなって、真面目に生きている。

「私たち(神)は、人に干渉なんてしない方がいいのよ。その方が人は成長する……いえ、成長出来るのだから」
 まずは謝らせて下さい。
 騎士たちとの出会いを読みたいと仰って下さった皆様、今回の作中に盛り込めずに申し訳ありませんでした。m(__)m
 現在のサディラの技量では、このお話しに上手く収めることが不可能だと早々に悟り、盛り込むのは諦めた次第です(泣)。

 前回頂きましたご意見&ご感想を元に、内容や文章を自分なりに工夫してみましたが、まだまだ至らない点も多いかと思います。どうかご容赦下さい。

 拙作にお付き合い頂き、ありがとうございました。

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