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第01話 落ち零れの竜使い-2

 ……一体、どれだけそうしていただろうか。

 気付くとアタカは、眠ってしまっていたようだった。


 目覚めたてのぼんやりとした頭を過ぎったのは、訓練場で寝てしまって他の竜使いの邪魔にならなかっただろうか、という事と、どうせ竜使いになれないのだからもうどうでもいい、という自暴自棄な考えだった。


 身体は鉛の様に重く、妙な場所で寝てしまったからか身体のあちこちが痛む。凝りをほぐすようにぐっと腕を後ろに伸ばすと、その手が暖かい何かに当たった。


 驚いて振り向くと、パピーの黒い瞳がアタカをじっと見つめていた。体に残る暖かい感覚から、アタカはパピーが自分の身体を支え、布団代わりになってくれていた事を悟る。呆然とするアタカの、涙でごわごわになった頬をパピーはぺろりと舐め上げた。


「……お前が、悪いわけじゃないもんな」


 アタカはパピーの頭を撫で、ぎゅっと抱きしめた。この相棒を得てから三日。一度も梳いてやっていない亜麻色の毛はごわごわで、ところどころ絡まっていた。竜牧場でアタカが世話をしていたパピー達の様なお日様のいい匂いもしない。そして何より、まだ名前も付けてやってないことにアタカはようやく気付いた。


 指で毛の絡まりを一本一本ほぐしてやりながらアタカは過去の事を思い出した。15年……正確には、彼が物心ついた頃だから、12年ほど前だろうか。


『じゃあ、行ってくる』


 漆黒の竜を従え、扉を出て行く逞しい背中。それがアタカの最古の記憶だ。アタカの両親は共に上級竜使いだった。そして、その相棒である竜と共にアタカは育った。竜はアタカにとってかけがえのない家族であり、兄弟だった。


 竜と、竜使いへの強い憧れ。純粋なその想いに変化が訪れたのは、5年前のことだ。アタカの両親は、共に無残な姿となって帰ってきた。相棒の竜達は死体さえ残らない。その兄弟と両親の命を奪ったのもまた、竜だった。


 外の世界を知らず、街の中で人と共存する竜しか知らないアタカは大いに混乱した。なぜ竜は人を襲うのか。そもそも竜とはなんなのか。人の敵なのか、味方なのか、それともまったく別の何かなのか……


 それを知りたいと、アタカはずっと願ってきたのだ。


 気付くと、パピーはじっとアタカの事を見ていた。まるで、アタカの事を知ろうとしているかのように。その黒曜石の様に輝く瞳をアタカもまた見つめ返す。パピーが抱いている感情は、何かを期待するものなのか、それとも失望なのか。その瞳からは何も読み取る事は出来なかった。


 いや、読み取ろうと努力する事さえしていなかった事に、アタカは気付いた。竜使いならば相棒の気持ちはわかって当然。それが故に、アタカは自分の気持ちだけを竜に押し付け、知ろうともしていなかった。


「……クロ」


 ぽつりと、アタカは呟く。


「お前の名前は、クロだ。真っ黒な瞳の、クロ」


 クロと名付けられた竜は、嬉しそうに尻尾を振り、鼻を鳴らした。




「あの、コヨイさんっ! お願いがあるんですけど」


「伺っております。どうぞ奥へ」


「え?」


 意気込んで市庁舎へと向かったアタカを出迎え、コヨイは奥の扉を指差した。用件を話してもいないのに対応された事に、アタカは首をかしげながらも奥の扉へと向かう。そこは市長の私室だった。


 振り返るとコヨイが頷いたので、アタカは二回扉をノックした。「どーぞー」と覇気の感じられない声に扉を開くと、出迎えたのは市長とルビィだった。


「いらっしゃい、待ってたよ」


「……僕が来るのがわかってたんですか?」


 腕を広げ出迎えた市長に、訝しげにアタカは尋ねる。すると、市長はこくりと頷いた。アタカにとってもっとも大事なことは、竜使いになること自体ではない。それを見抜き、彼は『諦めろ』と言ったのだ。


「この子の力を借りにきたんだろ?


 竜使いではない身で唯一、竜を操れる竜飼いの力を」


 市長はルビィの頭にぽんと手を置いて言った。アタカは素直にそれに頷く。


 竜使いになれるのは、竜の地の民だけ。アタカ達のような、黒髪に茶の瞳を持つもの達だけだ。それ以外の色の髪の持ち主……『外人』と呼ばれる彼女達は、竜使いになることは出来ない。


 しかし、ルビィは竜使いで無いにも拘らず竜達を縦横無尽に操る事ができた。それは竜使いには不要な、地道な調教と訓練の賜物だ。竜使いならば契約した瞬間から出来るような事を、じっくりと覚えさせ、反復練習し、躾けていく。


「厳しい道だよ。そこまでしたって、心を通わせられる竜使いには敵わない。

 魔力結晶だって使えないから相棒の竜は弱いパピーのままだ。

 君と組んでくれるような酔狂な竜使いは殆どいないだろうし、組めたとしても

 役に立てないかもしれない。それどころか、足手纏いと呼ばれるかもしれない。


 それでも、君はその道を選ぶかい?」


「はい!」


 アタカは真っ直ぐ市長を見て答えた。市長の茶の瞳が、じっとアタカを見つめ返す。


「……よろしい」


 数秒そうして、市長はルビィの背を押した。


「じゃ、明日からしばらくこの子を貸してあげよう」


「市長、猫の子みたいな扱いやめてください」


 困ったように眉をハの字に曲げ、ルビィは抗議の声をあげた。


「いいんですか?」


「ああ。竜使いを育て、支援する事。それが我が市の役割だからね。

 とは言えルビィは優秀な職員だ。あまり長い間占有されるわけにも行かない。

 一月くらいで何とか物にしてくれたまえ」


「一ヶ月、ですか」


「大丈夫ですよ。アタカ君は竜との接し方の基本は、今までの世話で

 十分に学んでいますから。後は、具体的な調教の仕方だけです。

 実際の調教自体はともかく、仕方だけなら1ヶ月もあれば十分覚えられますよ」


 不安げに呟くアタカを励ますように、ルビィはぐっと拳を握る。


「頑張りましょうね、アタカ君っ」


「はい!」


 そうして、アタカとクロの挑戦の日々が始まった。





「竜はとっても賢い子です。パピーはまだまだ赤ちゃんなので難しいことは

 わかりませんが、それでも犬や猫よりはよほど人間のことをわかってくれます」


 訓練初日。はじめに、ルビィはそう切り出した。


「ですから、大事なのは誉めてあげる事です」


「誉める?」


 鸚鵡返しの問いに、ルビィはこくりと頷く。


「そう。何かいい事をしたとき、こっちの望み通りの動きを出来たときは、

 たっぷり、これ以上ないってくらい誉めてあげてください。

 上手くできた時に餌をあげる方法もありますが、基本はやはり褒める事です。

 逆に、失敗しても怒ったり叱ったりしてはいけません」


「でも、それじゃ何がいけない事なのかわからないんじゃ?」


 アタカが尋ねると、ルビィは首を横に振る。


「大事なのは信頼です。まずはクロちゃんに、アタカ君は敵じゃない、どんな時でも

 唯一の味方であると言う事をわからせてください。

 そして、実際どんな時でもアタカ君だけはクロちゃんの味方でいてあげてください。

 そうしたら、アタカ君の表情や反応から、ちゃんとわかってくれるようになります」


 竜使いならその魂は契約によって結ばれ、ある程度の信頼関係は自然と出来る。しかし、契約を結べないアタカはまずそこから始めなければならなかった。その後、具体的な訓練方法の講義を終えると実際の訓練へと移る。


 訓練場で的に向かって攻撃して見せたり、おもちゃや魔術を使って行動を誘発する。


「偉い! 偉いぞ、クロ!」


 そして、ちょっとでもクロが動けば、それを大げさに褒める。その地道な繰り返しだ。


「もっとです、もっと誉めて!」


「最高だ! お前は天才だよ、クロ!」


「情熱的に!」


「お前が世界で一番だ!」


「時に甘く!」


「俺にはお前だけだよ、クロ……!」


「時に切なく!」


「ああクロ、どうしてお前はクロなんだ?」


「あなたが名付けたからでしょう」


 呆れたように、冷たい声がかけられる。半月ほど経った頃から講師に加わった、受付嬢のコヨイだった。


 彼女は受付嬢の癖に武術、魔術全般に通じており、その技の冴えたるや竜使いを目指して弛まぬ研鑽を積んできたアタカを遥かに凌駕するほどのものを持っていた。

 そんな能力を丸々無駄にして、美人ではあるものの愛想は欠片もない鉄面皮の彼女を受付に配した市長の采配はどうかしている。


「竜は魔術の根源……『魔法』に近い生き物です。回復、攻撃、防御、その他

 いずれの魔術も人の魔力では殆ど影響を与える事はできません」


 コヨイは手の平に炎を浮かべ、クロにぶつけてみせた。アタカは驚きに目を見開くが、クロはさほど気にした様子もなくきょろきょろと辺りを見回す。本気で放った術ではないだろうが、人間なら重度の火傷は免れない熱量だ。

 しかしそんな魔術も、竜にとっては蚊が刺したほどの痛痒も感じないらしかった。


「身体能力に至っては比べるのも愚かと言うもの。

 ……しかし全くの無意味と言うわけではありません。

 あなた如きが生き残るためには、あらゆるものを利用しなければなりません」


 ルビィとの訓練と平行し、彼女は徹底的にアタカを痛めつけ、屈服させ、腕を引き胸倉を掴んでは立ち上がらせ、また叩きのめした。


「鍛えなさい。肉体を、技を、知識を。竜に頼るのではなく、共に戦うために」


 基礎を積むと同時に行われたのは、地道な筋力トレーニングだ。それを積むのはアタカだけでなく、クロも同様だった。アタカが腕立てをしている間、クロは何百kgもある岩を運ぶ。アタカが10kmを走る間に、クロは数百kmを踏破する。


 鍛えるのは肉体面だけではない。コヨイが投げる石をかわし、反射能力を鍛え。瞑想して魔力をゆっくりと増やし。クロのふさふさの毛に包まれうっかり二人で寝こけて体力を養い。怒りに満ちて追いかけるコヨイから逃げて度胸と連帯感を手に入れた。


 アタカとクロは互いに励ましあいながら、一ヶ月間地道な訓練を何度も何度も繰り返す。


 繰り返し。


 繰り返し。


 そして、繰り返した。


「……今日で、約束の一ヶ月ですね」


 『開門』の日。2,3日前から疲労を残さぬようトレーニングを徐々にゆるくし、万全の体調を整えたアタカとクロは、市庁舎の前で二人の師に挨拶をしていた。


「一ヶ月、ありがとうございました!」


「あたし達に伝えられる全ては伝えました。

 後はアタカ君が、それを生かせるかどうかです」


 優しくも厳しかった師が、にっこりと微笑み胸の前でぐっと拳を握った。この仕草は彼女の癖らしい。


「私達が伝えたのは飽くまで基本中の基本。これからの為の基礎です。

 生き残り、竜使いを続けたければ絶えず努力なさい。

 最後まで絶対に、諦めてはいけません」


 厳しくも優しかった師が、最後まで厳しい言葉を投げかける。しかしそれは、誰よりも真摯であるが故のものだと、アタカはこの一ヶ月で理解していた。


「クロちゃんに、これを」


 そういって、ルビィはクロの首に大きな鈴のついた首輪を取り付けた。野生の竜と飼い竜を区別するために、竜使い達は好んで己の相棒にこういった装飾品をつける。野生ではまずパピーにであう事はないのでクロには本来必要ないが、それをあえて用意するルビィの心遣いだった。


「ありがとう、ございます」


 改めてアタカは、深く頭を下げる。


「じゃあ、行ってきます!」


「がんばってくださいね!」

「せいぜい死なないよう気をつけてください」


 二人の声を背に受けながら、アタカはクロに跨り門を目指す。ちりんと鈴の音を鳴らし、落ち零れの竜使い、アタカの旅がようやく今ここに始まった。

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