第05話 適合率-3
三頭のマフート達は距離を保ったままウミの周りを取り囲み、ゆっくりと円を描くように歩いた。それを少し離れた上空から観察するかのように、ラプシヌプルクルが空中で身をくねらせる。
アタカ達はウミの背の上で、自然と互いに背を合わせて死角がなくなるように立った。
「いざとなったらリターンディスクを使って」
ルルの言葉にアタカとカクテはこくりと頷く。
「ウミ! ブレス!」
最初に動いたのはカクテだった。ウミがその長い首を伸ばし、目の前にいるマフートに向けて氷の吐息を吐き出す。広範囲に吹きすさぶ冷気の風を、マフートは避けきれずその身に浴びた。
しかし、無防備になったウミの首目掛けて右手……ルルの前にいるマフートが首を素早く伸ばし、鋭い牙を突き立てる。竜鱗甲の結界が淡く光り輝きその牙を押し止めるが、マフートの強靭な顎の力はそれを貫きウミの首に突き刺さった。
「ディーナッ!」
ラプシヌプルクルを警戒していたルルは一瞬遅れつつも、氷の矢を放つ。マフートの首はウミに噛み付いたまま、身体は素早く跳躍してそれをかわした。
「クロ、アイツの頭を火の粉で叩き落すんだ!」
「アタカ! 後ろ!」
アタカがクロに命じると同時に、カクテが鋭く警告を発した。クロが口から炎の塊を吐き出し、ウミの首に噛み付いたマフートの顔を焼く。それにはたまらずマフートは口を離して首を引っ込めるが、同時にアタカの背後にもう一匹のマフートの首が迫っていた。
「くっ!」
振り返りざまに、アタカはマフートの首に廻し蹴りを見舞う。頭だけで見れば、マフートの大きさはさほど大きくない。首が数mある為全長は長いものの、竜としては小型の部類に入る。獅子の体から長く首を伸ばした顔は、いかにも不安定に見えた。
が、マフートはアタカの攻撃を一顧だにせず、一瞬も怯まずにその牙を露わにした。まるで地面を蹴ったかのような手応えに、アタカは竜と人の絶望的なまでの能力差を痛感する。
「ああもう、馬鹿っ!」
叫び、カクテはアタカを強引に押し倒した。柔らかい感触がアタカの背に圧し掛かり、少し上の空間でガチンとマフートの牙が鳴る。
「ウミ、尻尾!」
ぶんと空を切る音と共に、マフートはギャンと鳴いて距離を取る。
「ごめん、カクテ、ありが」
「後! ボサっとしないで!」
アタカの言葉を遮り、カクテは叫ぶ。二人が身を起こしている間に、最初に冷気を喰らったマフートがダメージから回復してウミの首に自身の首を巻きつけていた。マフートの首は、ただ長いだけでなく自由自在に曲がるのだ。
「アタカ、カクテ、ごめん、そっちは何とかして!」
悲鳴に似た声でルルは叫ぶ。彼女は上空に氷の矢を飛ばし、ラプシヌプルクルを牽制するのに必死だった。その鋭いくちばしは脅威だが、それ以上に恐ろしいのが体臭に含まれる猛毒だ。近付かれればそれだけでアタカ達の皮膚はただれ、腐り落ちる。
幸いルルの放つ氷の矢を恐れ、ラプシヌプルクルはかなり離れた場所で彼女の攻撃をかわしていた。くねくねと自在に宙を滑るラプシヌプルクルには直線的な氷の矢は当たらないが、それ以上近付くことも出来ないようだった。
「そう、いわれても、ねっ!」
カクテはウミの尻尾を振り回しながら、声に焦りを滲ませた。吉弔の最大の弱点は、その側面だ。巨大な身体を支える為の太い足は攻撃には向いておらず、それをカバーする為の長い尾と首も、同時に左右両方を守ることは出来ない。
首はマフートによってギリギリと締め付けられ、満足に動かすことが出来ない。頑丈さが売りの吉弔だから締め付けによるダメージはそれほどでもないが、完全に防戦一方を強いられていた。左右から波状攻撃を仕掛けてくる残り二匹のマフートによってウミは徐々に傷付いていく。
アタカもクロの炎によってマフートを牽制してはいるものの、マフートは素早い動きでそれをかわし、仮に当たったとしてもさほどのダメージは無いようだった。かといって魔術はブレスに劣る威力しかなく、下手に近付いて肉弾戦を挑めばマフートの鋭い爪に返り討ちにされかねない。劣勢に立たされつつも状況が膠着しているのは、ウミの背の上と言う有利な場所を確保しているからなのだ。
「くそっ、このままじゃ……!」
マフートの牙をかわしつつ、アタカは必死に頭をめぐらせた。ふと、その指先につるりとした感触を覚え、アタカはそれを無意識に指でつまむ。それは、門を出る前にルルから受け取ったリターンディスクの宝玉だった。
「……これだ!」
アタカは目を見開き、周囲を見回した。
「FilGlava,」
目的のものはすぐに見つかり、アタカは呪文を唱えながら躊躇いなくウミの背から飛び降りた。
「ちょ、アタカっ!?」
「Fila」
カクテの制止の声を振り切り、アタカはマフートの隣を走る。
「Seziido」
鋭い爪が閃き彼の肩口を抉るのと、アタカが地面を転がりそれを拾い上げるのは同時だった。
「帰還!」
拾いあげるなり、アタカは唱えていた魔術を解放する。それは移動系統の魔術の初歩、己の設定した本拠地に戻る個人用の転移魔術だった。普通なら宿や自宅に帰還先を設定するのだが、アタカが設定しているのは相棒であるクロの背の上。契約できないアタカが、互いにはぐれた時の為に設定しておいたのだった。
「何やってんの!? 生身で竜の中に突っ込むとか、正気!?」
戻ってきたアタカの傷を見て、カクテは悲鳴を上げた。
「これを取ってきたんだ」
そんな彼女に、アタカは拾ってきたマフートの魔力結晶を見せた。
「馬鹿だ! ルル、あんたの幼馴染馬鹿だよ!」
「うん、知ってる」
酷い言い様だ、とアタカは思ったが、ルルの声はどこか誇らしげで、カクテも笑みを浮かべていた。
「『マフート』リリース!」
魔力結晶を握りしめて叫ぶと、半透明の獅子の首の幻影が現れる。次いで、それに押し出されるように鱗に覆われた蛇の様に長い首が伸び、宙を駆けた。
「喰らい付け!」
叫び、アタカが狙ったのはラプシヌプルクルだ。魔力の塊である竜の幻影は、ラプシヌプルクルの毒の影響をものともせずにその身体に巻きついた。動きを封じられ、羽を持つ大蛇は地面にぼとりと落ちる。
「ルル!」
アタカが彼女の名を呼ぶより早く、ルルは氷の槍でウミに巻き付くマフートを串刺しにし、浮き足立つ残りの二匹に氷の矢を雨の様に浴びせかけていた。その攻撃に動きを止められた二匹のマフートを、首の拘束を解かれたウミがぐるりと身体を回転させてその牙と尾でトドメを刺す。
「アタカ、肩出して」
ぐいと腕を引かれ、ルルはアタカの肩口にディーナの鼻先を近づけた。淡い光が灯り、アタカの肩が暖かい感覚に包まれる。数秒経ち、光が消えるとアタカの傷は跡形もなく消え去っていた。
「ありがとう、ルル」
「無茶しすぎ」
礼を言うアタカの胸を、ルルはとんと拳で軽く突く。
「いちゃつくのは後にして。来るよ」
どこかからかうような響きを含んだ声で、カクテは警告を発した。その視線の先にはマフートの魔力結晶から逃れ、再び宙に浮いたラプシヌプルクルの姿があった。
グアアアアアア!
大きく口をひらき、咆哮を上げるとラプシヌプルクルは今までとは打って変わって素早い速度でアタカ達に突進する。ラプシヌプルクルを中心として、球形の範囲に地面に生える草が萎び、枯れていく。
それを迎撃しようと、ディーナが氷の矢を作り上げ、ウミが大きく口をあけた、その瞬間。
唐突に、ラプシヌプルクルの首が、落ちた。
「……え?」
目を見開き、言葉を失うアタカ達。状況が全く理解できない彼らの前で、ラプシヌプルクルは空中で光の粒子となって消え去り、魔力結晶が地面へと落下する。
それを、黒い影が走り、受け止めた。
竜の血の民であることを示す黒い髪に、茶の瞳は鷹の様に鋭く険しい。美形、と言っていい顔立ちではあるが、その人を寄せ付けない雰囲気と殺気を纏った表情が台無しにしていた。背は高く、大きな斧槍を持ち鎧に身を包むその姿は戦士そのもの。
連れているのは、彼よりさらに頭一つ分背が高いリザードマンだ。トカゲが直立したかのような姿を持つこの竜は、彼によく似た鎧を身に着け、曲刀を構えていた。
手にした魔力結晶を一瞥した後、男はアタカ達にちらりと目をやる。ラプシヌプルクルを一瞬にして屠った彼に、アタカ達は見覚えがあった。
「……ソルラク」
ぽつりと、ルルが彼の名を呼ぶ。
彼は上級竜使い試験、総合2位。適合率98%の男、ソルラクだった。