第05話 適合率-1
「10戦3勝7敗……」
日の暮れた後の訓練場。アタカは疲労と敗北感に、がっくりと膝を突いた。
「10戦2勝8敗……」
その隣で、カクテもまた同じような格好で、アタカと頭を突き合せる様に膝をついた。
「10戦10勝0敗っ」
そんな彼らを見下ろしながら、ルルはぶい、と指を二本たてて見せた。それぞれ1対1で5戦ずつ。アタカは何とかカクテには勝ち越したものの、ルルに対しては手も足も出なかった。
「適合率95%は伊達じゃないなあ、やっぱ」
カクテはため息をついてぼやき、アタカはそれに頷いた。とにかく、反応速度がアタカやカクテとは段違いなのだ。凄まじい勢いで繰り出される無数の魔術の嵐の前には、いかなる策も攻撃も無意味だった。
ルルの愛竜ディーナは、言葉を交わすどころか視線すら交わさずにルルの意思を正確に読み取り、即座に実行する。それはアタカが自分の手足を動かすのとほぼ同等の反応速度だ。つまり、ディーナを連れたルルは竜の魔力を持った魔術師と同等と言っていい。
人とは比較にならない程の膨大な魔力を無詠唱無動作で縦横無尽に振るうのだから、これはもう勝ち目が有るとか無いとか言う話ではなかった。
「ちなみに適合率が90%を越えると、五感や思考の共有も出来ます」
「ちょ、それ反則じゃない!?」
えへへ、と可愛らしく笑いながら言うルルに、カクテは叫んだ。
「あー、道理で濃霧の中でも正確に当ててくると思った」
カクテとの最初の戦いで使った手をルルに対しても行ったのだが、白く視界を埋め尽くす蒸気の中でもルルの攻撃は違わずクロに命中した。視界を共有出来るなら当たり前の話だ。雨龍は水を司る精霊種、蒸気なんてむしろ微細に相手の位置を感じる助けにさえなりかねない。
「でも、カクテだって全然本気出してないじゃない」
少し不満げにルルは唇を尖らせた。
「いや、アレでもルルには勝てないって」
つかれきった表情でカクテはパタパタ手を振った。彼女はずっとタツノオトシゴで戦っていたが、メインになる竜種は別にあるらしい。少なくとも最初の4種のうちどれかは扱えるはずだから、当然と言えば当然だ。
「でも、嬉しいな。今度は一緒に行けるね、アタカ」
心底嬉しそうに笑みを浮かべながら、ルルはそう言った。
「……うん」
あまりにも嬉しそうにルルが言うので、アタカは思わず頷いた。一瞬ムベの顔が脳裏を過ぎるが、彼はどちらにせよ次回の開門には参加しないはずだ。
それよりも、問題は。
アタカが足手纏いになるのではないかと言うことだ。ルルとはこれほどの差がある。カクテには何とか勝てたといっても、彼女は本気ではない。それに今後強い竜の魔力結晶を手に入れれば、差はどんどん開いていくばかりだ。
結局はまた、ルルを悲しませてしまうのではないか。そんな懸念がアタカの頭の中を渦巻いた。
「アタカ、聞いてる!?」
気付くと、ルルの端整な顔がアタカの目の前にあった。彼女はアタカの両頬をぐいっと引っ張りながら柳眉を逆立てている。
「ひ、ひいてる、ひいてるよ」
「よろしい」
アタカが慌てて頷くと、ルルは手を離してにっこり笑った。
「じゃ、三日後西門の前に10時集合だからね!」
「……わかった」
それでも幼い頃から互いに励ましあい、共に竜使いを目指した幼馴染の誘いには抗えず、アタカは頷いた。
「ラプシヌプルクル?」
それから三日後。アタカはカンカンと打ち鳴らされる鐘の音を聞きながら、ルル達と合流していた。
「やっぱり、この前話聞いてなかったんだ……」
反芻するアタカを、ルルはじとっと恨みがましく見つめる。
「えっと、あー……ごめん」
「許したげる」
ルルはすぐににこっと微笑むと、腰に手を当てて芝居がかった口調でそう言った。
「で、何でカクテまで一緒にきょとんとしてるのよ」
「え、いや、ラプ……なんだって?」
ルルはため息をついてアタカに視線を移し、「説明してあげて」と促した。
「ラプシヌプルクル。ホヤウカムイとも呼ばれる精霊種の竜で、
精霊種としては珍しく炎に属する竜。
名前には『翅の生えている魔力のある神』って意味があって、
その名の通り虫みたいな羽を持ってる。
雨龍よりは一、二段上位に当たる力を持ってはいるけど
炎に属してるだけあって冷気に弱いから相性はいい相手だね。
能力の特徴としては、尖った鼻先での切り裂きと体臭に含まれる毒。
特に毒は注意が必要で、傍に近付くだけで草木は枯れ、
皮膚が爛れるくらいの威力を持ってる」
「……詳しすぎじゃない、君。何? ドラゴン博士?」
すらすらと空で答えるアタカに、驚き半分、呆れ半分でカクテは言った。
「アタカは昔っから竜が大好きだからね」
まるで我が事を誇るかのようにルルは胸を張る。
「実際に戦ったわけじゃないから、そこまで役に立つ訳ではないけど……」
「だよね! ほら、あたしって感覚派って言うか?
実際戦ってみないとわからない事を大事にしたいタイプなんだよね!」
「それで、無防備にラプシヌプルクルに近付いて肌を爛れさせたいのね?」
アタカの謙遜に乗るカクテを、ルルはにっこり笑いながらもたしなめた。
「で、でもさあ、そんなに竜が好きなら、竜相手に戦うのって抵抗あるんじゃないの?」
ルルの正論に言い返せず、カクテは慌てて話題の方向性を変えた。
「え……っと、竜はこの大地の力の根源。
別に死んでもいなくなるわけじゃなくて、土に還るだけだから……
しばらくしたらまた復活するから大丈夫なんだよ」
「ふぅん」
曖昧な相槌を打つカクテに、アタカは内心で自分自身に疑問を抱いた。例えば、ルルの相棒ディーナや、ムベのエリザベス、カクテのウミを殺せと言われれば酷く抵抗がある。それは単に知り合いの相棒であるからという理由ではなく、もっと根源的な……
「アーターカッ!」
気付くと、目の前にルルの顔があった。見慣れた顔ではあるものの、息が触れそうなほど近くにある顔にどきりとしてアタカは思わず後ずさる。
「またなんか考え事してたんでしょ……早くとって」
彼女が突き出したのは、奇妙な円盤だった。薄い金属で出来たそれには、4つほど宝石の様な玉が埋め込まれている。どうやらその玉を取れ、という事らしい。
「ええと……何これ?」
玉を取り外し、アタカはしげしげとそれを眺めた。直径1cmほどのその玉は透明で、ビー玉に良く似ているが触った感触はガラスよりも柔らかい感じだ。
「リターンディスク。そういえばアタカはサハルラータに来たばっかりなんだっけ」
フィルシーダには売ってなかったからね、と前置きしてルルは自身も玉を取ると、カクテにも同様に玉を取らせた。そして玉が残り一つになったその円盤を胸の辺りの高さに持ち上げると、独楽かフリスビーの様な動作でくるりと回転させる。
すると、円盤は空中で回転しながら浮かび上がり、周りに半透明のドームを作り上げた。ドームの表面には複雑な魔術文字が描かれ、円盤の動きに合わせてゆっくりと回転する。
「これは立体魔法陣……形式からして転移系? そうか、帰還用の魔導具なんだね」
ドームに描かれた文字を読み取ってアタカは納得した。その言葉に、カクテは目を丸くする。
「解析早っ! アタカって専門魔術師の方が向いてるんじゃないの……あだっ」
すかさず、ルルがカクテの後頭部にチョップを叩き込む。アタカは気にしていない風を装い、曖昧に笑みを浮かべた。事実その通りなんだろうな、と思いつつ。
人間は魔力の量も制御の上手さも竜には絶対敵わないが、一つだけ優れている部分がある。それは創造性だ。既存の魔術を発展させ、組み合わせ、開発し新しい物を作り出す。物に付与して魔導具を創造する。それは、人だけが為せる技だった。
「アタカなら大体使い方の見当はついてると思うけど、宝玉を砕くと、同じ宝玉を持ってる人が全員魔法陣に転送されるの。戦闘中危なくなった時や、帰り道も一瞬で帰還できるわけ」
ルルの説明にアタカはなるほどと頷く。
「これなら門が閉まってても帰ってこれるしね」
開門は週に2回、3日ごとに行われる。それ以外の日は防衛の為にどの街も門を閉めてしまう。そのため、街から街へと移動している時は勿論の事、その日のうちに帰れなかったときは門の外で開門を待っていなければならなかった。
動作原理が気になってアタカが魔力を分析してみると、宝玉からは細い魔力糸が円盤へと伸びていた。戻る時はこれを辿って転移するのだろう。
「転移系の魔術は、特に絶対指定だと座標の指定が難しいんだけど、これは
相対指定を上手く使って擬似的に絶対指定みたいにしてるんだね。自動でログを取りながらそこから逆算するんだ。しかも、万が一にも誤動作しないように崩壊時の魔力放射を利用してると……これ、凄い発想だ」
しげしげと円盤を見つめながら、アタカは半ば無意識に呟く。
「……やっぱり専門魔術師の方が向いてると思う」
アタカの解説に途中から理解を諦め、若干げんなりとしてカクテはそう呟く。ルルのチョップも、今度は炸裂しなかった。