結(計画発動)
知秋ちゃんは、おそらくわたしの顔を見るなり潰し魔に豹変するだろう。あれだけあからさまなストレスを与えたのである。変わってもらわなければ、意味がない。
そんなことは無いとは思うが、潰し魔が出てこなかったときのことも考慮に入れて、保険をかけておくことにした。もしもの時に頼りになるのは、やはり保険の力なのである。
保険をかけるには、手続きが必要だ。その鍵を握る人物に携帯電話で連絡をとる。
「あっ、宇治くん?
皐月だけどさぁ……、……、申し訳ありません、宇治警視。荒居容疑者の取り調べにポリグラフを使用したいので、許可を頂きたいのですが」
それにしてもいちいち小煩い男だ。同期なのだから、呼び方などどうだっていいだろうに。運悪く身内から犯罪者が出てしまったために、降格させられた上に昇進のペースが少し遅くなっただけで、本来ならばわたしとウジ虫野郎の立場は逆だったのである。
ポリグラフの使用許可も無事におりて、科学捜査研究所のスタッフと取り調べ室で合流することとなる。
取り調べ室前で待機すること20分、漸くポリグラフと科学捜査研究所のスタッフである、小宮山竜也がやってきた。
「お待たせしました。使い方はお解りですか?」
知っている。心電図のような電極と、脳波計の二方向からアプローチをかけ、脈動と脳波の乱れを感知するというものだった筈だ。だとすれば、それらと同じ位置に電極をセットすればよい筈である。それならば、問題無く解る。
それ以前に使うつもりが毛頭無い。ただ、その存在をほのめかすだけでよい。そうすることで知秋ちゃんの鬱積したストレスが爆発することを期待してのポリグラフなのである。
「では僕は隣に待機してますね」
マジックミラーで隔離された隣室に小宮山がポリグラフ本体と共に隣室に移動していく。
続いてわたしが知秋ちゃんの待つ取り調べ室へと入っていく。天井には、違法取り調べや容疑者の逆ギレ対策のための監視カメラ。モニターの向こうでは、有事のために、早百合が待機している筈だ。
対策は万全。後は、潰し魔をカメラの前に引っ張り出すだけだった。
「こんばんはー」
取り調べ室に入るなり、努めて陽気に声をかける。
「今度こそは、ポリグラフ受けてもらうからね」
若くして電撃的な恋愛結婚に踏み切り、とっとと芸能界を引退してしまった大女優であるとされている母親の血は、いったいどの程度発揮されたのだろう。もし狙い通りなら、今のわたしの顔付きはとんでもなく不快感を与える顔付きになっている筈だ。顔によるダメージを与えた後は、いよいよ真打ちポリグラフの登場である。隣室の小窓から小宮山によって電極と、脳波計が手渡される。
潰し魔出現へのカウントダウンは、既に【1】を数えていた。
残るカウントは、それらのセット。知秋ちゃんは、机を挟んだ向こう側で無言のまま打ち震えている。まるでこれから死を向かえようとしている者の断末魔のように、激しく、小刻に震えている。そして、その瞳は、もはやわたしが知る【荒居知秋】のものとは、全く異質のものとなっていた。
《来る!》
そう直感した。間違い無く、荒居知秋は別な誰か、否、何かに豹変する兆候を見せている。
「ふっ……、ふふふ、ふははは、あはははははぁ!」
突然の高笑い。それは、荒居知秋という名の肉の器に悪魔が収まった瞬間だった。
「あははははっ! なぁにぃ、知秋ちゃん、捕まっちゃったのぉ。ほんとトロいわねぇ」
潰し魔は、逮捕されてしまった知秋ちゃんをまるで夏世ちゃんのような間延び調でゲラゲラと嘲り笑う。
「えっとぉ、岩国ィ、皐月警部でしたよねぇ。自供しますから、ここ座ってくださぁい」
明らかに食らわす気だ。わたしが席についた瞬間に、潰し魔からの拳が飛んで来るのだろう。監守室には、今だれがいるのだろうか。監守、早百合、それ以外に、誰か存在していてくれれば心強いのだが。
動く。今動きをとらないと、出てきてもらった意味がない。そして、喰らう。わざと攻撃をもらわないと、知秋ちゃんが豹変した証明にならない。今の高笑いが録音出来ていたなら良いが、監視カメラには音声を拾う機能が無いのだ。
一応この場には記録官がいて、隣室には、小宮山もいる。証人は多いが、万全を期すなら、やはり喰らっておくのが一番確実だ。モロに喰らわず、だがかわしきらず。簡単なようでなかなか絶妙なタイミングが必要とされる妙技だ。
失敗は許されない。空手のメダリストを叩きのめした使い手を叩きのめした化け物だ。直撃は卒倒に直結してしまう。そしてそれは、顔の形を叩き崩されることを意味しているのだ。
細心の注意を払い、対決の席へと向かう。そして……、パイプ椅子に尻が触れた瞬間、とれは飛んで来た。
シュッ!
風を切って高速で迫る拳はすぐ側まで迫っている。
《二本かなぁ、三本かなぁ……》
いったい何本の歯が失われるのだろう。いよいよわたしも部分入れ歯か。そんなことを考えながら避けの体勢に入る。
身を引いて避けるわたしの顎を拳が捉える。
ガタガタン!
殴り倒されたわたしの顎は、割れてしまっていた。有事を察した小宮山や記録官が駆け付けてくる。
顎から込みあげる熱い激痛に情け無くも涙を流してのたうつわたしをこの場から回収してくれた。
続いて早百合、監守に、ウジ虫野郎と夏世ちゃんまで加えた監守室軍団が駆け付けてくる。
《早百合……、よりによってウジ虫野郎まで呼んでくれたか……》
容疑者の許可無くポリグラフを持ち出し、しかも容疑者に殴り倒されて労災扱いだ。状況によっては懲戒免職さえも覚悟しなければならない。
回収されたわたしを素通りして早百合と宇治警視が取り調べ室へと突入、残った四人が介抱してくれる。
「顎、真っ二つですねぇ。でもよかったぁ。こういう折れ方は、綺麗に元に戻りますよぉ」
情け容赦無くへし折れた顎をいじり回す夏世ちゃんが、顔の形が変わる可能性は薄いと教えてくれる。
「「よかったぁ!」」
小宮山も監守も、どちらも我が事のように夏世ちゃんの報告を、取り合った手を振り回して喜んでいる。
「あなたってほんとにファンが多いですね、羨ましい……」
それを見た記録官がしきりに羨んでいる。個人的には、そんなに羨ましいなら分けてやろうかと言いたくなる。こういう追っかけ連中は、鬱陶しくて仕方が無いのだ。
取り調べ室前では、いつもと変わらない日常的なやりとりが、繰り広げられていた。
かく言うわたしは、あまりの痛みにもう視界が霞み、意識も朦朧としてしまっていた。そして、その意識が潰えてしまうまで、然程の時間は必要としなかったのである。 |