解決
わたしが意識を取り戻したとき、その脇には洋樹がいた。
「皐月さん、終わったよ……」
彼は、事件が決着したことを告げる。
彼の報告によると、捜査は洋樹とその部下に当たる高橋刑事に引き継がれて行われたらしい。つまり、単独行動で大怪我を賜ったわたしと、潰し魔誕生の取っ掛かりとなってしまったと目されている早百合は、わたしの意識が飛んだ時点で捜査から外されてしまったことになる。どうやら早百合に対する除外の建前は、わたしに協力したことに対する連帯責任ということになっているようだ。
「……、……、……」
そこまで報告してくれたあと押し黙られてしまった。我が夫ながら、どうしてもこの独特のもどかしさが癪に障って仕方がない。
「一緒になるときさぁ、どんな事でも隠さずに打ち明けることって約束せんかったっけ!?」
わたしだって事件を掻き回した者としての責任を感じているし、自分が携わった事件の結末は気になっているのだ。
「立証出来た訳? 知秋ちゃんの分裂症」
あれだけ証拠が揃っているのだ。出来ない筈は無いのだが。そんな筈は無いのだが、なぜだか嫌な予感が胸の奥に大きく蟠っていた。
決してゼロという訳ではないのだ。知秋がもう、この世には亡いという可能性は。その最悪な結末を迎えている可能性を完全に打ち消すためにも、早く洋樹の口から、二の句を継いでもらいたい、早く。
「あんたが捜査引き継いだんでしょ!? 早く教えなさいよ!」
自然と言葉も荒くなってくる。洋樹が黙るとき。それは、都合が悪いことを言いあぐねているときなのだ。ただし、自分にとってではなく、相手にとって。
「……、……、……」
恐ろしく永い沈黙だ。どうやらこの事件が迎えた結末は、とんでもなくショッキングなものであるらしい。
わたしにとって……。
「……、俺は……、ずっと主張してたんだ。ずっと……」
突然始まった脈絡の無い話。わたしを傷つけないように、じっくりと言葉を選んだ上で選択されたストーリーなのだろうか。残念ながら、今の所は潰し魔事件との繋がりが何も見えて来ない。
「皐月さんも知ってるだろ、俺が前から留置所の寝具と便所は敷布団と和式にしろって主張してたの……。解ってたからなんだ。いずれこういうことが起こり得るって! 解ってたからなんだよ!」
漸く話が読めてきた。やはり、知秋ちゃんはもう、この世に生きていないらしい。トイレなら便器と蓋の繋ぎ目に、ベッドなら手摺りに、自分の着ている衣服を結んで輪を作り、そこに頭を通して……絞首。彼女は、おそらくそれをやったのだろう。
そうなると、必然的に一つの疑問が立ち上がる。【なぜ知秋ちゃんはそんなことをやったのか】という、あまりにも妥当な疑問が。
それは、最悪な結末へと導く道標なのだろうか。それとも、彼女が最期の最期に見せた正義と勇気と、意地の証なのだろうか。出来れば後者であってほしい。あってほしいと願ってはいるのだが、おそらく九割方前者であろうことも、残念ながら予測は付いていた。
「早百合は……、生きてるの?」
これがこの事件における最悪の結末。【潰し魔出現の元凶が自分であることにショックを受けた早百合が自殺し、それに責任を感じた知秋ちゃんまで自殺】という、全くもって救い様の無い可能性を、わたしはついに、声に出して問うてしまった。どうしても問わずにはいられなかったのだ。
白という色は、気持ちを落ち着けてくれる効果があった筈だ。それなのに、純白寝に色彩が統一されている病室という空間に打ち捨てられているわたしは、どうしてもその色から薄ら寒さしか感じ取ることが出来ない。
「答えてくれる? さ・ゆ・り・は!?」
最近病院でも取り入れられ始めたという、場違いな程にフカフカな低反発マットレスを尻に敷きながら、洋樹の目を瞬きもせず見詰める。早く答えが欲しい。早く早く。
雲一つ無い空から降り注ぐ六角型の可視光線ですら、わたしを蒸し殺すために放たれた熱線であるかのように思えてならない。どうかしている。自分でもはっきり判るほど、今のわたしには冷静な思考、判断力が欠落していた。
「加藤は……、死んだよ」
……、……、……。
予想はしていた。そうなっていることは、予測できていたのに、あまりのことに言葉を失ってしまった。そして、今まで生きてきた中で一番といっていいほど、思考が混乱してしまう。
明らかに、わたしのせいなのだ。
あの時の一言。【あんたがそんなだから、知秋ちゃんが分裂しちゃったんじゃないの?】
この言葉で早百合が【自分のせいなのだ】という可能性に行き着いたのは火を見るより明らかなのである。取り返しのつかない失態。後悔先に立たずとはよく云ったものだが、今回の後悔は、役にも立ってくれなそうだ。いくらここで後悔したところで、早百合や知秋ちゃんが還ってくる訳ではないのだから。
荒居知秋容疑者の起訴状を検察庁へと送付し、結局事件は【容疑者死亡による書類送検】という極めて曖昧な解決を迎えることになってしまった。
洋樹から聞いた経過報告によると、わたしが意識を飛ばしたあと、その時の映像を根拠に知秋ちゃんに対して本格的なポリグラフ検査を実施。それにともなって潰し魔誕生の原因は仕事上のストレスであるということが確定したらしい。
ここまではあの時わたしが実行した作戦の通りに事が運んでいる。何の問題も無い。
「なんでこの検査結果が早百合の知るところになっちゃった訳?」
早百合も自宅謹慎にでもなっていたに違い無いのだから、誰か教えない限り、知る術が無いような気がするのだが。
「人の口を完全に塞ぐには殺すしか無いんだぞ? 検査結果知ってる連中、片っ端から殺して回れってのかよ」
どういう事なのだろうか。違法取り調べを行った悪徳刑事に加担した刑事が、厳重注意だけで済んだとでもいうのだろうか。そんな事は絶対に有り得ない。有り得ない筈だ。その疑問を口に出して聞いてみる。
それに対する解答は、
「違法扱いになってないんだよ、皐月さんのポリグラフ持ち出しは。持ってっただけで使った訳じゃないからって」
というものだった。昔から身内のミスには甘いと思っていたが、まさかわたしの暴走に対し、ここまで寛大な処置が施されていようとは。
「あのウジ虫野郎、要らんところでわたしの人権なんぞ尊重せんでもいいっつの……」
わたしに違法性が無いと判断されたがために、早百合が出勤してしまったのである。あの早百合の事だ、関係者から捜査の経過を聞いて回る事は想像に難くない。
よしんばそれで皆が黙っていたとしても、捜査資料の閲覧という手が有る。彼女が謹慎になっていなかった以上、遅かれ早かれ知れることにはなっていただろう。
今、私たち夫婦は、早百合と知秋ちゃんの墓参りに来ている。二人の墓が同じ墓地に有ったのは意外だったが、どうやらどちらも江戸っ子だったらしい。わたしは早百合の、洋樹は知秋ちゃんの、それぞれの墓標を二手に分かれて掃除に入る。
「早百合……、ごめんね。本当に、ただ、ごめんなさい……」
気づいたときには、わたしは只々平謝りに謝っていた。
はじめは、取っ掛かりを作ったのはわたしだが、早百合が死んだのは早百合自身が弱かったからだと思っていた。だが、自分が同じ立場に立ったらどうしていたか、それを考えてみた結果、おそらくわたしも死ぬだろうという結論に至ってしまったのだ。
それほど自分が放ったあの一言が持つ意味は大きかったのだという事を知り、それに気付いた後からはもう、謝ることしか出来なくなってしまったのである。
「ごめんね早百合。わたし、絶対に逃げないから。ずっと、背負ってくからね、あんた達を……、……、……、殺しちゃったこと」
わたしは逃げない。そのためには、まずは認めなければ。二人の死は殺人であり、その犯人はわたしなのだということを。
「わたし、警察辞めることにしたから。勿論逃げるためじゃなくて、償うために」
身の振り方はもう決めてある。妹が開業し、今や全国展開するまでに至った調査会社。警察と同じ捜査権、犯人逮捕権を与えられている【警視庁公式依頼調査機関】全日本ディテクティブカンパニーへの入社。
前々からスカウトを受けていたことも有り、すんなり入社できることだろう。わたし自身何度か世話になったことも有り、面識という点でも問題はない。後は、宇治警視に辞表を提出するだけだ。
「ごめんね」
最後に墓標の前にひざまづき、深々と頭を下げてその場を辞す。
知秋ちゃんへのお参りを済ませた洋樹と入れ代わり、彼女の墓標の前でも同じことを繰り返す。こうしてわたしの、贖罪の一日は暮れていった。
空の色が、深い青から薄い青に変わって、出勤したわたしは計画を実行に移す。犯した罪を償うために。
〈結〉 |