SF小説だった
数十年前に他界してしまったある大物SF作家の未発表のSF作品が見つかったという話を聞いたのは、少し前の事だった。僕はある小さな出版社の編集者の一人。その未発表作品をどうやらウチから出版できるらしいと聞いた時は、小躍りして喜んだ。出版すれば、ほぼ間違いなくかなり売れるはずだ。この不況下でのありがたい臨時収入だろう。もしかしたら、久しぶりにボーナスが出るかもしれない。なんでも、そのSF作家の遺族の一人と、ウチの社の誰かが知り合いで、そのコネを利用したのだとか。
ところが、それから何日経ってもその話は進まなかった。一体、どうしたのだろう? やはりデマだったのだろうか? そんな疑問を思っていると、ある知り合いが、その事情を教えてくれた。
「いや、デマじゃないよ。少なくとも、その大物が書いただろう原稿と思われるものを受け取って、ウチの社員の何人かが読んだところまでは、話が進んでいる」
そいつは、実際にその未発表作品の原稿を読んでいるし、コピーを預かってもいるらしい。僕はそれを聞いて、不思議になった。
「なら、どうして、出版しないんだよ?」
それを聞くと、そいつは少し困った表情を浮かべ、「いや、それが、その内容が問題でさ」と、そんな事を言う。そして、少しの間の後で、こう続けた。
「仮に売れたとしても、社の印象が大幅に悪くなるかもしれないんだ、これ。だから、出版に踏み切れないでいる」
「とんでもない駄作だったとか?」
僕がそう尋ねると、そいつはこう返す。
「いや、内容はそれなりに良い。と言うか、駄作くらいだったら、別に出版してるよ。話題性があるから、どうせ売れる」
「なら、どうして…」
「問題は、その作品がある意味で、とても素晴らし過ぎたって点にあるんだ… いや、まぁ、口で説明するより、実際に読んでもらった方が早いかな」
僕はそれに驚いた。
「え、読んでも良いのか?」
「別に極秘って訳じゃないよ」
それからそいつは、僕にその未発表作品の原稿を手渡して来た。
「まぁ、ザッと読んでみろよ。多分、直ぐに分かるから」
そう言われて、僕はその場でそれを読み始めた。そして、数枚ほど読んだところで、思わずこう訊いてしまった。
「これは、SF小説なんだよな?」
そいつは頷く。その僕の質問を予想していたのかもしれない。
「そのつもりの作品だよ。その道の大物が書いている訳だし。いや、正確には、“SF小説だった”と言うべきか」
僕はそれからこう尋ねた。
「この作品が書かれたのは、いったい、いつ頃なんだ?」
それを聞くと、そいつは肩を竦めた。
「遺族の言葉を信じるのなら、二十年ほど前だな。まだ、パソコン通信の時代のはずだよ。まぁ、連想できない訳じゃないが、それでも凄い先見の明だと思うよ」
その“SF小説だった”作品の世界設定は、電子ネットで社会が結ばれ、個々人が色々なコミュニティを構成しているというものだった。そして意見や情報を互いに交換し合っている。この作品は、そんな世界での、日常の物語だ。
そう。
つまりは、インターネットが普及した現代社会の今日と同じ。
「二十年前だったら、それでも充分にSF小説で通じていたよ。でも、今じゃ、その小説は単なる日常小説だ。とてもじゃないが、空想科学とは呼べない」
それから、そいつは続けた。
「それでも、大物作家が書いたとなれば、売れはするだろうけど、困った事に、遺族の証言以外には、それを裏付ける証拠がまったくないんだよ。
これ、世間がその大物作家の作品だと認めてくれると思うか? このまま出版したら、面倒な事になるのは簡単に予想がつく」
確かに、世間は納得しそうにない。これが、普通にSF小説だったなら、大きな問題はなかっただろうが、こうまで現代と同じ世界設定を描いてるとなれば、最近になって誰かが書いたものだと疑われるだろう。恐らくは、ネットで叩かれてしまう。
「どうして、二十年前にこれを発表しなかったのだろうな? もし、発表していたら、本人の評価も上がっただろうに」
そいつはまた肩を竦める。
「まぁ、本人も、SFの世界が、現実になるなんて、考えもしなかったのじゃないか。自分が書いた作品が、“SF小説だった”作品になるなんて、普通は思わないさ」
そして、そう言って軽く溜息を漏らした。
子供の頃は、こんな社会になっているなんて、少しも想像できませんでした。