掌編――羊羹
この場所に来たのは訳がある。
まずひとつは、ババアに会うため。もちろん会いたくて会うわけじゃない。どうしても――どーーーしても合わなきゃならん理由があるためだ。まあ、それは後で説明するかもしれないが、とりあえずここでは横においておく。
ふたつめは腹が減ったため。まあ、これは別にどこでもよかったっちゃーよかったんだけどさ。ついでだ、ついで。
で、みっつめ。最後の理由は羊羹。ヨーカン。
もちろん食い物の羊羹のこと。とらやのは美味いよな。歯ごたえといい、かおりといい、お値段以上ってやつだ。
「あなた、最近顔色が悪いわねえ。はい、これ」
ババアが出してきたのは俺の大嫌いなセロリだ。しかも生で一本。体調心配してくれんならもちっとまともなモンくれよな。顔色が悪いのはここしばらく食えてねえだけだ。
「いらねえよ。誰が食うか。それより、アレはどこだよ」
「あら、つれないわねえ。せっかく心配してあげたっていうのに。アレならいつもどおり、キッチンに準備してあるわよ。羊羹もね。それから――ちょっとお待ちなさいってば」
とっとと席を立ってキッチンに向かおうとした俺は腕を掴まれた。
「離せよ」
「いーえ、今日はうんと言うまで離さないわよ。あんた、一度ぐらい自分の家に顔出しなさい。うちに来るんじゃなくて」
「あんたに関係ないだろ。離せよ」
乱暴に振り解き、キッチンに通じる扉をくぐり、後ろ手に閉める。向こうのほうで金切り声を上げてるのが聞こえるけど、ムシムシ。
テーブルの上には目当てのものが置いてある。
一つは皿に盛られたサンドイッチ。三つに小分けにラップしてあるのも嬉しい。ポケットに二つ放り込み、一つをひらいてぱくつく。うあー、久しぶりのメシ。美味すぎて味わう余裕もねえ。置いてあった麦茶で喉を潤す。
それからもう一つ、茶封筒を取り上げ、封を開ける。
中からは紙幣の束が出てきた。今月の生活費だ。これでようやく普通の生活ができる。残り千円で一週間とか死ぬっての。滞納してる家賃と光熱費と専門学校の学費と携帯代を差し引いて、いくら残るだろう。
全部千円札で入れてある。とりあえず足りるかどうか枚数を数えようと引っ張りだして――何かがはらりと落ちたのに気がついた。
レシートみたいな縦長の紙。
ひっくり返して、動きを止めた。
「あんた、電話にも出なかったんだって? 電報送ってもアパートにいないし、連絡取れないって泣いてたよ、義姉さん」
気がついたら扉からババアが覗いてた。
電話に出なかったんじゃねえ。出られなかっただけだ。バッテリー切れで電気も止められたし。一度学校で充電してたら怒られた。
「帰りな。交通費ぐらい出したげるから。――喧嘩別れしたまま相手が死んだら、悔やんでも悔やみきれないよ」
白い封筒を置いて、ババア――叔母さんは出ていった。
三つ目――羊羹は、いつもの一口サイズじゃなくて、化粧箱に入った贈答用のだった。
手紙を握りしめて立ち尽くす。
「今更……帰れるかよ」
そう絞りだすのが精一杯だった。
「これ」
紙袋を二つ渡す。一方は重たく、もう一方は軽い。
「あらまあ、お土産なんてよかったのに。で?」
「中に手紙、入ってるから」
玄関でくるりと回れ右して帰ろうとするとまたもがっしり腕を掴まれた。
「いつもの、用意してるから。とらやの羊羹、あんたの口に入らなかったんだって?」
渋々振り向く。
「――美味いお茶、出してくれるんだろうな」
「任せなさい。飛び切り美味しいの、入れるわ。あんたをもてなすのもこれが最後かもしれないからね」
「あ、それはないから」
「え?」
「来月もいつもどおりだから」
ババアの顔が般若になった。
「はぁ? あんた、仲直りしてこなかったわけ?」
「だから中に手紙入ってるから。てかおふくろから電話なかったのかよ」
「どういうことよ。ちゃんと説明しなさい」
玄関口で正座させられる。まさかまたやらされるとは思っても見なかった。
「親父、来月から海外赴任なんだってよ。その前に痔の手術しただけだと。おふくろはついていくってさ。だからよろしくって。家は留守にする間、兄貴が住むらしいけど」
「あンの馬鹿兄貴はぁっ……ちょっと電話してくる。あんた、そこで待ってなさいっ」
「あ……」
叔母の長電話はよく知ってる。羊羹にありつけるのはだいぶ先になりそうだ……。