えんむすびちゃん
冬休みが終わってしまった。ちょっとだけあった宿題は去年のうちにかたづけておいたし、学校が始まればよそでお正月を過ごしていた友だちにも会える。だから休みが終わるのは嫌ではなかった。
でも、一つだけがっかりしたことがある。休み明け最初の席替えで、弘樹君と席が離れてしまったことだった。私の席は廊下側の列の一番前、弘樹君の席は窓側の一番後ろだ。弘樹君は今、私から一番離れたところに座っている。しかもここからじゃ、弘樹君がどんな顔をしているのかとか、何をしているのかとか、ほとんど見ることができない。
こんなのってないよ。神様はとっても意地悪だ。初詣のとき、あんなにお願いしたのに。
今年は大好きな弘樹君と、もっともっと一緒にいられますようにって。
私は、ずっと後ろのほうで男の子たちと楽しそうにおしゃべりをしている弘樹君の声を聴きながら、「神様のばか」なんて言葉を心の中で繰り返し唱えていたのだった。
たぶん、そんなことをしていたからばちが当たったのだと思う。私はその日の帰り道、凍った道を歩いていて、盛大に滑って転んだ。
教科書やノートがたくさん詰まったリュックサックが重くのしかかってきて、私にさらなるダメージを与える。ジッパーを閉め忘れていたのか、中身がどざーっと後ろ頭に降ってきた。ちょうど図書室から借りてきていた分厚い本の角が、頭を直撃する。ものすごく痛い。
道路は冷たいし、コートとジーンズ、そして飛び出してきたリュックサックの中身は雪にぬれてびしょびしょ。風が吹くとさらに寒い。最悪だ。この世の終わりかってくらい最悪だ。きっと今年の私は、幸運というものに縁がないのだ。
そう思ったら、なんだか泣きたくなってきた。もう転んで泣くような年じゃないのに。もうすぐ五年生になるのに。五年生は六年生よりは小さいけれど、立派なお姉さん学年だ。だから、こんなことで泣いてはいけない。でも、寒いし、痛いし、みじめだし。そのうえ周りには誰もいない。誰からも声をかけてもらえない。助けてなんかもらえない。
もういっそ、うわーんって泣いちゃいたい。どうせ誰にも聞こえないよ。そう思って、私が口をひん曲げたときだった。
「あの、あの、大丈夫ですか?」
誰もいなかったはずなのに、声が聞こえた。しかも、耳のすぐそばで。倒れている私の耳元で話すには、ものすごく近くに来なければならない。せめて靴くらいは、視界に入っていなくっちゃ。
でも、目の前には何もなかった。私は不思議に思って、声のしたほう、左側を見た。するとそこには、声の主と思われるものがちょこんとしゃがんでいた。
まあるい目をぱちくりさせて。こちらをじっと見つめている。紅色の着物みたいな服を着て、おだんごを頭に二つくっつけたみたいな髪型をした、女の子だった。ただし、雪の上にうつぶせている私でも全身が見えるくらい、とてもとても小さかった。
「……あんた、何」
私は起きるのも忘れて、その子に尋ねた。するとその子はぱあっと、そう、まるでお日様が輝くみたいに笑って答えてくれたのだった。
「はい! わたしは縁結びの神様、『えんむすびちゃん』です!」
ぴゅう、と冷たい風が吹いた。私は起き上がって、散らばった教科書や本を拾うと、リュックサックに詰め込んだ。そして立ち上がり、何も見なかったことにして、その場を離れようとした。そうそう、こんなの幻だ。夢だ。起こるはずのないできごとだ。
「ひ、ひどいのです! わたしを無視しないでください! わたしは神様なのですよ!」
歩こうとした私の足に、その幻はしがみついた。靴下とジーンズを間に挟んでも、その感触は肌に伝わってくる。ペンケースに入ってしまいそうな大きさのその子は、たしかにここに存在しているようだった。
でも、見れば見るほど存在を信じられない。まるでいとこのお兄ちゃんの部屋に飾ってあった、アニメキャラクターのフィギュアみたい。
「神様なんているわけないじゃない! 私のお願い、きいてくれなかったくせに!」
「お願いですか? お願いを叶えたら、神様だって信じてくれますか?」
動くフィギュアはどこか必死に聞こえる調子でそう言った。私を見るその目がうるうるきらきらしていて、これ以上強く言ったら泣いてしまいそうだった。さっきまでの私みたいに。
「……うん、まあ、お願いを叶えてくれたら信じてあげてもいいけど」
「本当ですか? 本当に本当の、本当ですね?」
何回も確かめるように言うので、私もうなずきながら返してあげる。
「本当に本当の、本当。叶えてくれたらね」
「わかりました、叶えましょう! まかせてください!」
私の足にしがみついていた動くフィギュアは、雪の地面に降り立ち、自分の胸を自信ありげに叩いた。どんとこい、って感じだ。
それにしても、本当にこんなのがお願いを叶えてくれるのだろうか。この子は自分のことを神様だなんて言っていたけれど、それだって本当かどうかわからない。こんなに小さいのだから、人間でないことはたしかなのだけれども。
私はびしょびしょになった自分のコートとジーンズを見た。このままじゃうちに帰るまでに、風邪をひいてしまうかもしれない。もう寒くてたまらなかった。
「じゃあ、まずはこのぬれたコートをどうにかしてよ」
私はそうお願いをしようと思って、口を開きかけた。
でも、待てよ。もしも叶えてもらえるお願いが一つだけだとしたら、こんなことに使ってしまうのはもったいない。それなら、もっと有意義に使うべきだ。うちのお母さんも、冬休み中ごろごろしていた私に、ずっと言っていた。「もっと有意義に過ごしなさいよ」って。
「ねえ、お願いって一つしか叶えてもらえないの?」
寒くて声が震えた。こんな得体のしれない動くフィギュアと話しているよりも、さっさとうちに帰ったほうがいいかもしれない。
でも動くフィギュアのほうは、寒さなんか全然感じていないというふうに、元気に言った。
「一人につき三つまで叶えられます! 本当はもっと叶えてあげたいんですけど、わたしの力ではそれが限界なのです!」
つまりそれって、「わたしはたいして力を持っていません」ってことなんじゃないの。私は呆れながら、でもやっぱり寒くてしかたなかったので、ためしに一つ目のお願いごとをしてみることにした。貴重な一つを減らしてしまうけれど、残り二つを「有意義に」使えばいいのだ。
「じゃあ、コートをどうにかして。ぬれて寒くて、困ってるの」
「お着物ですか……うーん……」
動くフィギュアは、さっきまで自信満々だったくせに、なぜか考え込んでしまった。
寒いんだから早くしてよ。私がそう文句を言いかけたときだった。動くフィギュアは何かいいことを思いついたとでもいうように手をたたき、その手をばっと上にあげた。なんだか幼稚園でやった手遊びみたいだ。
それから、歌うようにこう唱えた。
「あなたとご縁を結びましょう。あなたの幸せ結びましょう。縁を結べば幸せ笑顔!」
すると、動くフィギュアの手が光り始めた。その光はだんだん集まって、ピンポン玉くらいの丸い塊になったかと思うと、ふわりと浮かび上がった。そして、あろうことか私の左手にまとわりつき始めた。
「ちょっと、何これ! 何が起こってるの?」
振り払おうとしても、光は外れない。それどころか左手の小指に集まると、糸のようなものをするすると伸ばしていった。わけのわからないまま糸の伸びる方向を見ていると、その先はさっき私が通って来た曲がり角のほうへ行ってしまった。
私は説明がほしくて、動くフィギュアを見下ろした。けれども何を勘違いしたのか、動くフィギュアはにっこり笑って親指を立てた。そうじゃなくて、今何がどうなっているのか教えてほしいんだけど。そう言おうとしたところで、曲がり角のほうから人がやってきた。
この近所で何度か見たことのある、おばあちゃんだった。いつも私が帰る時間と同じ頃に散歩をしているのだ。今日は何か大きな荷物を抱えていて、運ぶのが大変そうだった。
でもそれよりもおどろいたのは、さっき私の左手の小指から伸びていった光の糸が、おばあちゃんの左手の小指につながっていたことだった。おばあちゃんのほうはというと、その糸には気づいていないらしく、一所懸命に荷物を運んでいる。きれいな薄青色をした風呂敷に包まれた、丸くて平べったいものだ。何が入っているのだろう。
私が気になって見ていると、おばあちゃんと目が合った。ときどき会ったときにそうするように、私は笑顔を作って「こんにちは」と言う。いつもならおばあちゃんは、嬉しそうに笑って「こんにちは」と返してくれるのだけれど、今日は目をまんまるにして「あらまあ!」と言った。
「どうしたの、そのかっこう! こんなにぬれちゃって……転んじゃったの?」
どうやら、私の着ているものがびしょびしょになっていることが気になったらしい。荷物が重いだろうに、心配そうに駆け寄ってきてくれた。
「こんなかっこうじゃ寒いでしょう。そうだ、私の家がこの近くなのよ。乾かしていったらどうかしら?」
「え、でも……」
そんなの、きっと迷惑になる。そう思って断ろうとしたのだけれど、おばあちゃんはもうその気になっていた。「それがいいわ、それがいいわ」と言いながら、片手で荷物を持って、もう片方の手で私の左手を掴んだ。小指が光っているのには、なぜか気づいていないようだった。
「あ、あの、ありがとうございます。せめてその荷物を私が持ちますから」
私はあわててそう言った。おばあちゃんは「大丈夫よ」と言うけれど、やっぱりそれは、片手で持つには大変そうだった。見ていられないので、私はもう一度言う。
「服、乾かしてくれるんですよね。なので、そのお礼に荷物を持ちます。それでどうでしょうか」
「……あらまあ、あなた、小さいのにとてもしっかりしているのね。それじゃあ、お願いしようかしら。そのかわり、服はきちんと乾かしてあげますからね」
私が風呂敷包みを受け取ると、おばあちゃんはほんの少しだけホッとしたようだった。私が持ってもちょっと重いなと思うものを、ずっと抱えていたのだから、それがなくなって楽になるのは当たり前だろう。
おばあちゃんの家は、本当にすぐ近くだった。玄関を開けると猫が丸まっていて、こちらを見ると「にゃあ」と鳴いた。
「たまや、ただいま。……さあおじょうさん、あがってちょうだいな。どうせ年寄りと猫のふたり暮らしですから、遠慮しなくていいんですよ」
「はい、おじゃまします」
私は上がり框にそっと風呂敷包みを置いて、靴を脱いだ。そこでようやく、動くフィギュアもちゃっかりついてきていることに気が付いた。
「あんた、見つかったらおばあちゃんをおどろかせちゃうんじゃないの?」
こっそり言うと、動くフィギュアは胸を張って答えた。
「大丈夫です。今のわたしは、あなた以外には見えていない状態ですから!」
なるほど、神様を自称するだけあって、そこはぬかりないらしい。それならきっと、この小指から出ている糸も、おばあちゃんには見えていないのだろう。
私は靴をきちんと揃えてから風呂敷包みを持ちなおすと、おばあちゃんのあとをついていった。そこはどうやら居間のようだった。真ん中にふかふかの布団を備えたこたつがあって、その上にはかごに入ったみかんが鎮座していた。みかんのかごを少しだけずらして風呂敷包みを置くと、おばあちゃんがドライヤーを持ってこちらへやってきた。
「ここまで荷物を持ってくれてありがとうね。さあ、コートを脱いで。これで乾かしてあげますから。ズボンはこたつの中に入っていれば乾くと思うわ」
「はい、お願いします」
コートを脱いで、おばあちゃんに渡す。おばあちゃんは丁寧にコートをハンガーにかけると、ドアノブにひっかけて、ドライヤーを離して風をあてた。私はこたつに入らせてもらって、冷たくなったジーンズと足を温めた。こたつ布団からはなんだか懐かしいにおいがして、気持ちが落ち着く。
落ち着いたところで、そういえば教科書や本もぬらしてしまっていたことに気づいて、それもこたつの中に入れさせてもらうことにした。でも本だけはラミネートのカバーがかけてあったので無事だった。これは借り物だから、ひどくぬれずに済んでホッとした。
「あとはオイルヒーターにあてておけば、コートは大丈夫ね。ズボンのほうは乾きそう?」
おばあちゃんがこちらに振り向いて尋ねる。私が「乾いてきました」と答えると、おばあちゃんは満足そうにうなずいた。
「そのみかん、食べてもいいのよ。遠くのお友だちが送ってくれたの。私が若い頃からのご縁でね、毎年箱で送ってくれるのよ。甘くて美味しいから、どうぞ」
居間の隅に置いてあったオイルヒーターを引っ張り出しながら、おばあちゃんは言った。コートを乾かしてくれた上にみかんまで勧めてくれるなんて、荷物を代わりに持っただけではお礼に足りないんじゃないだろうか。そう思いながらも、こたつにみかんという黄金の組み合わせには勝てなかったので、素直にいただくことにした。みかんはたしかに、とても甘くて、ちょうどよくすっぱくて、いくらでも食べられそうだった。動くフィギュアもみかんを見てよだれを垂らしていたので、一房とってあげてみたら、美味しそうに食べていた。自称神様も、人間の食べるものを召し上がるらしい。
オイルヒーターのスイッチをいれてから、台所でお茶を淹れて、おばあちゃんも猫と一緒にこたつに入ってきた。そして、ふう、と一息ついてから、風呂敷包みをそっと開いた。風呂敷の中身は、大きな丸い寿司桶だった。
「これもね、昔からのお友だちにもらったのよ。小豆を煮るのがとっても上手なお友だちなの。……ほら、美味しそう」
おばあちゃんが寿司桶のふたを開けると、そこにはおはぎがぎっしり詰まっていた。粒の残るあんこは、思わずつばを飲み込んでしまうほど美味しそうだ。そんな私の様子をちゃんと見ていたのか、おばあちゃんはにっこり笑って言った。
「おじょうさんも、一緒に食べましょう。こんなにたくさん、一人じゃ食べきれないわ」
やっぱり、荷物を運んだだけではお礼にならない。私がおばあちゃんにしてあげられることが、他にあればいいのだけれど。私は嬉しさと申し訳なさに揺れながら「いただきます」とおはぎに手を伸ばした。
一緒におはぎを食べている間に、おばあちゃんは色々なお話をしてくれた。みかんを送ってくれた友だちのこと、おはぎをくれた友だちのこと、それから、もう亡くなってしまったというおじいちゃんのこと。居間に飾ってある写真を見たところ、りりしくてかっこいいおじいちゃんだったようだ。
「私は良縁に恵まれてきたわ。おじいさんも良い人だったし、お友だちもみんな長く付き合ってくれている。今日だって素敵なことがあったもの」
おばあちゃんは心底幸せそうな笑顔で言った。私は二個目のおはぎを頬張りながら尋ねた。
「今日もですか? あ、お友だちにおはぎをもらったことですね」
「それもそうだけど。私が言っているのはあなたのことよ、おじょうさん」
「私?」
「ええ。いつもあいさつをしてくれるし、今日は荷物も持ってくれた。こうしてお茶の時間もご一緒できるなんて、とっても嬉しいわ」
びっくりした。私までその「良縁」とやらに組み込んでくれるなんて、なんて優しくて気のいいおばあちゃんなんだろう。頬が赤くなるのを感じながら、私はおはぎを飲み込んだ。そのとき、ふと、動くフィギュアが言っていたことが思い出された。
「縁結びの神様」。この子はたしかにそう言っていた。そして歌うように、こうも言ったのだ。「縁を結べば幸せ笑顔」と。
光る糸でつながった私とおばあちゃんは、こうして笑顔でお茶を飲んでいる。もしかしてこの小さな子は本当に、縁結びの神様なのだろうか。そういえば、私の願いどおりに、ちゃんとコートとジーンズも乾いている。
そんな私の考えをわかっているかのように、動くフィギュアもとい神様は、にっこりしてピースサインをした。これで願いは叶えたでしょう、ということだろうか。
願いが叶ったどころじゃない。もっと素敵なことが起こっている。この子は小さいのに、本物の神様だったのだ。私はそう確信した。
おばあちゃんとつい話し込んでしまったら、家に帰るのが遅くなってしまった。お母さんに心配されたので正直に今日のできごとを話した。もちろん、神様のことは内緒だ。言っても信じてもらえないだろう。
私の話を聞いたお母さんは、すぐに納得してくれたようだった。
「ああ、あそこのおばあちゃんね。ご近所付き合いもマメで、よく野菜や果物をおすそわけしてるそうよ。とってもいい人なんだけど、おじいちゃんが亡くなってからは前ほど元気じゃなくなっちゃったみたいね。もしかしたら、ゆっくりお話できる相手ができて、嬉しかったんじゃないかしら」
おばあちゃんとは、また時間があるときにお話をしようと約束した。私はこれからもおばあちゃんの家に遊びに行くつもりだった。
「ご迷惑にならないようにするのよ。そうだ、今度はお菓子を作って持って行ったら? たくさんごちそうになったんだから、こっちからもお礼をしなくちゃ」
「そうだね。お休みの日に、バナナのパウンドケーキを作ろうかな」
バナナのパウンドケーキは、私が唯一レシピを丸暗記しているお菓子だ。これだけは間違えずに、美味しく作れる自信がある。おばあちゃんは、気に入ってくれるだろうか。ちょっとわくわくしながら、私は自分の部屋へ入った。
お母さんの前では、神様とお話ができない。動くフィギュアのような神様は、ずっと私のコートのポケットから顔をのぞかせていたのだけれど、お母さんには見えなかったようだ。
神様を机の上にのせると、ぺたりと座り込んだ。ずっとポケットの中で揺られていて、目を回したらしい。神様でも、目を回すみたい。
「大丈夫?」
「まだちょっとゆらゆらするです……」
小さな神様はしばらくくらくらと頭を振っていたけれど、なんとか持ち直したようで、私にふにゃっとした笑顔を向けた。
「お願い、叶えました。これでわたしのこと、神様ってわかりましたか?」
「うん、わかった。すごくよくわかったよ。コートを乾かすだけじゃなくて、あんなに楽しい時間をくれるなんて!」
私が抑えきれない感動を、でもお母さんには聞こえないように小声で伝えると、神様は首を横に振った。
「わたしは、あの人と縁結びをしただけです。そのあとのことは、あなたがあの人の荷物を持ってあげるような優しい子だったから起こったことですよ。わたしには、縁結びをすることしかできないのです」
「そっか、縁結びの神様だもんね。あの光の糸で、縁結びをするの?」
神様が歌うように言葉を唱えたとたんに現れて、私の左手の小指にともった光。そこから伸びた光の糸は、おばあちゃんの左手の小指につながっていた。あれが神様の「縁結び」の方法なのだろうか。私が尋ねると、神様はうなずいた。
「はい。人と人とを結ぶのが、わたしにできることなのです。だから、本当はあなたのお願いごとをどうやって叶えたらいいのか、ちょっとだけ悩んだのです。そこへちょうどたくさんの縁を持っている人が来る気配がしたので、もしかしたら助けてもらえるかもしれないと思って、縁結びをしたのです」
思ったとおりになってよかったです、と神様は顔を赤くして笑った。つまり、今日のできごとのほとんどは、神様の力だけで起こされたことではないらしい。
「ねえ、神様。神様は、縁結びならできるんだよね」
「はい。……あ、神様って呼ばなくてもいいですよ。わたしは『えんむすびちゃん』です」
自分で「ちゃん」をつけるだなんておかしな神様だな、と思いながら、私はあらためて尋ねた。
「えんむすびちゃんは、どんな縁結びもできるの? たとえば、その……好きな人との縁結びとか」
ちょっとだけもじもじしてしまった私に、えんむすびちゃんは胸を張って返した。
「もちろんなのです! わたしの仕事は縁結びですから!」
私は今日のできごとを思い返す。おばあちゃんと過ごした時間は、本当に楽しかった。あんな時間を、たとえば、弘樹君と過ごせたら。私はどんなに幸せだろう。
えんむすびちゃんに叶えてもらえるお願いは、あと二つ。私の二つめのお願いごとは、もう決まっていた。
「ねえ、えんむすびちゃん。二つめの……」
「あ、でも苦手なのもあるんです」
私がそれを言おうとしたとき、えんむすびちゃんは困った顔をしてさえぎった。たぶん、タイミングが悪かっただけで、私の言葉をさえぎるつもりはなかったと思うのだけど。その証拠に、「あっ」という顔をして、黙ってしまった。
「先にしゃべってもいいよ。苦手なのって何?」
「……たとえば、お仕事の縁とかは苦手なのです」
申し訳なさそうに、えんむすびちゃんは言った。
「前に、お仕事になかなか就けない人に、お仕事との縁を結んでほしいとお願いされたことがあるのです。わたしはその人と、お仕事の縁を結びました。でも、どうやらそのお仕事が合わなかったようで、その人はすぐにそこをやめることになってしまいました。縁を結んだからといって、それがその人にとって良縁になるかどうかはわからないのです」
その言葉を聞いて、私は二つめのお願いをためらってしまった。えんむすびちゃんに縁を結んでもらったからといって、それが良縁になるとはかぎらない。もしも私のお願いが、えんむすびちゃんのいう「良縁」にならなかったら。
私の不安が顔に出ていたせいか、えんむすびちゃんはあわてた。
「で、でも、あなたはお仕事とはまだ縁がなくていいんですよね。お勉強をする人ですもんね。だから大丈夫だと思います! ……たぶん」
小さな体をいっぱいに使って、えんむすびちゃんは私に訴えた。どうぞお願いを言ってください、叶えますから、と一所懸命に言うこの小さな神様を、私は疑えなくなってしまった。
「……それじゃ、二つめのお願い、叶えてくれる?」
私が祈りながら尋ねると、えんむすびちゃんはぱあっと明るい笑顔になって、自分の胸を叩いた。
「はい! 頑張って叶えます!」
あまりに強く叩きすぎたのか、このあとちょっと咳き込んでいたけれど。
えんむすびちゃんへの二つめのお願いは、もちろん「弘樹君ともっと仲良くなりたい」だ。おばあちゃんと過ごしたような楽しい時間を、弘樹君とも持てるようになりたい。私がそう言うと、えんむすびちゃんは「わかりました!」と元気に返事をしてくれた。
「わたしを、ひろき君って子の近くまで連れて行ってください。そうすれば、また縁結びをしてあげますよ!」
「近くまで行かないとだめなの?」
「特定の方と縁結びをするときは、その人のことがわかったほうがいいのです」
それなら、今すぐにというわけにはいかない。チャンスは、学校にいるときだ。そうなると、えんむすびちゃんを学校に連れて行かなくちゃならないのだけれど、はたして大丈夫なんだろうか。動くフィギュアのようなこの子が、もし先生にでも見つかったら、おもちゃだと思われて取り上げられてしまう。
本当に私以外には見えないのか、えんむすびちゃんにもう一度確認すると、えっへんと胸を張って答えた。
「わたしはあなた以外には見えません。そういうふうにしているのです。一度にたった一人にしか見えない神様なのです」
どういう仕組みなのかはわからないけれど、えんむすびちゃんはそういうものなのだろう。なにしろ、神様だ。不思議な力をいろいろと持っているに違いない。叶えられるお願いは、なぜか三つだけだけれど。一つだけよりはずっといい。
「三つのお願いを叶えてくれるまでは、えんむすびちゃんは私だけの神様ってことなのかな」
「そうですね。見えなければ、お願いを教えてもらうこともできませんので、三つ叶えるまではあなただけの神様です。もしもあなたが私を必要としてくれるなら、ですけど」
「お願いを叶えてくれるのに、必要としないわけないじゃない。全部叶えてくれるまで、どうぞよろしくね、えんむすびちゃん」
私が右手の人差し指を差し出すと、えんむすびちゃんは小さな手で握手をしてくれた。
「はい、どうかよろしくです。わたしもあなたのお願いを、三つ全部叶えてあげたいですから」
えんむすびちゃんはにっこり笑ってそう言ってから、あっ、と何かに気づいたような声をあげた。それからもじもじしながら、「あの」と遠慮がちに切り出した。
「わたし、あなたのお名前を聞いていなかったのです。なんていいますか?」
そういえば、一日一緒に過ごしたのに、私はえんむすびちゃんに自分の名前を言っていなかった。そうか、だからずっと「あなた」って呼ばれていたんだ。どうりで落ち着かないわけだ。
「わたしはひかり。戸田ひかりっていうの」
「ひかりちゃんですね。とってもいいお名前なのです!」
どこにでもある、普通の名前だと思うのだけれど、えんむすびちゃんはなぜかものすごく褒めてくれた。ひかりちゃん、ひかりちゃん、と何度も言うものだから、私のほうは恥ずかしくなってきた。やっとのことでなだめたと思ったら、何の用もないのに「ひかりちゃん」と私を呼ぶ。とても嬉しそうにしているから、こちらからやめてとも言えない。
私としても悪い気分ではなかったので、我慢して放っておいたら、そのうち声はすうすうという寝息に変わっていた。自由な神様だなあと思いながら、私はえんむすびちゃんにそっとタオル地のハンカチをかけてあげた。
次の日の学校は、いつも通っているはずなのに、ちょっとだけ緊張した。
ポケットにはえんむすびちゃんが入っている。私と弘樹君の縁を結ぶのだと、はりきりながら。私以外の誰にも見えないとはいえ、友だちに会ったときはついポケットを隠してしまう。そのたびにえんむすびちゃんが小さく悲鳴をあげるので、私は心の中で何度も「ごめんね」と謝った。
教室に入ると、窓際の一番後ろの席には、もうその姿があった。弘樹君は、男の子たちとゲームの話で盛り上がっていた。私は廊下側の一番前の机にリュックサックを置くついでに、えんむすびちゃんもそこにのせた。そしてこっそりとささやいた。
「あれが弘樹君。クラスで一番かっこいいんだ」
弘樹君は勉強も運動も得意で、クラスの人気者だ。男の子も女の子も、弘樹君と一緒に遊びたがる。そんな彼の近くの席にいることは、たくさん話ができるということでもあったので、みんながそうなれるようにと願っていた。
席替えをする前まで、私は弘樹君の隣の席だった。そのとき、いつも本を読んでばかりで目立たない私にも、弘樹君は気さくに話しかけてくれた。私が読んでいた本が有名なファンタジーだったときに、「おれもそれ読んだことあるよ」と声をかけてくれて、そのまま二人で物語の話題で盛り上がったこともある。あれは本当に楽しかった。夢のような時間だった。
そんな時間をいつまでも続けたくて、私は初詣のときにお願いをしたのだった。弘樹君ともっともっと一緒にいられますように。面白い物語の話をたくさんできますように、と。でも、その願いは休み明けの席替えで、あっけなく砕かれてしまった。
席が離れてしまっては、話しかけることも難しい。他の元気な子たちがあっという間に弘樹君を取り囲んでしまうので、本の話をしに近づくだなんてことはできなかった。
「どうかな、えんむすびちゃん。弘樹君との縁結び、やってくれる?」
本を開いて、えんむすびちゃんを隠すようにしながら尋ねる。するとえんむすびちゃんは、にっこり笑ってうなずいた。
「ひかりちゃんが縁結びを望むなら、わたしが結んであげましょう。それでは、二つめのお願い、叶えます!」
えんむすびちゃんは両手を上にあげて、あの歌を歌い始めた。
「あなたとご縁を結びましょう。あなたの幸せ結びましょう。縁を結べば幸せ笑顔!」
その手に光が集まって、ピンポン玉のように丸くなる。それはふわりと浮かび上がると、私の左手にやってきた。そうして小指にとまると、昨日おばあちゃんにそうしたように、光る糸を弘樹君の席まで伸ばしていった。私はどきどきしながら、その糸の行方を見守っていた。
糸はちゃんと弘樹君の左手の小指に着地し、きゅっと結ばれた。私はもう嬉しくなって叫びたい気持ちだったのだけれど、ここは学校だし、この糸はやっぱり誰にも見えていないみたいだ。だから必死で、声が出そうになるのを抑えていた。にやける顔も、誰にも見られないように本で隠す。でも、本のかげにいたえんむすびちゃんにだけは、ばっちり見られてしまった。
「これで縁結びができました。ひかりちゃんがとっても嬉しそうなので、わたしも嬉しいです」
にこにこしながら言うえんむすびちゃんは、その言葉どおり、私と同じくらい幸せそうだった。
ところが、えんむすびちゃんが縁を結んでくれたはずなのに、私と弘樹君の距離は一向に近づく気配がなかった。私は自分の席でずっと本を読んでいて、弘樹君は男の子たちとおしゃべりをしている。自動的に席がくっつくなんてことはもちろんありえないし、弘樹君がこちらへやってくることもなかった。
時間が経つにつれて、私はだんだん不安になってきた。たしかに糸がつながっているのは見えるのに、縁結びができたという実感がない。こっそりと弘樹君を見ていても、彼はこちらに気づいていなさそうだった。
「えんむすびちゃん、これ、本当に大丈夫? 縁結び、できてるの?」
私がひそひそと話しかけると、えんむすびちゃんはこくりとうなずいた。
「できましたよ。ひかりちゃんとひろき君、ちゃんとわたしが結んだのです」
それなのに、全く変化がないのはどうしてだろう。おばあちゃんのときは、あんなに早く効果が出たのに。これってもしかして失敗じゃないの? と思ったけれど、えんむすびちゃんが「できた」というからには疑うのも悪い気がして、私は黙っていた。
そのまま午前の授業が終わり、給食を食べて、午後の授業も終わってしまった。とうとう弘樹君と目を合わせることすらなく、一日が終わろうとしていた。
私は深く溜息をつきながら、リュックサックに教科書やノートを詰め込んだ。昨日ぬらしてしまったせいか、少しごわごわしている。手触りがあまり良くないなと思うと、もう一つおまけに溜息が出た。
「ひかりちゃん、どうしたのですか? 元気がないですよ」
えんむすびちゃんが心配そうに私を見上げる。縁結びをしたのはこの子なのに、「どうしたのですか」だなんて。私はちょっといらっとしながら、えんむすびちゃんに言った。
「本当に弘樹君と縁結びできたんだよね? 今日、なんにもなかったよ?」
「できてますよ。糸も切れずにつながってます」
私のいらいらを察したのか、えんむすびちゃんは一所懸命に訴えていた。私の左手の小指から伸びる糸をさして、「ほら、ほら」と言っている。でも、私のお願いはそうじゃなかったはずだ。「弘樹君ともっと仲良くなりたい」とお願いしたのに、その気配すらないだなんて。
昨日はおばあちゃんのことがあったから信じたけれど、本当にえんむすびちゃんは、お願いを叶えてくれるのだろうか。
私が疑いを持ったまま、教室を出て、昇降口まで来たときだった。もう一度大きな溜息をつきかけたところへ、明るい声が聞こえてきた。
「戸田さん、今日はもう帰るの?」
私はびっくりして、勢いよく振り向いた。たぶん、そんな私に向こうもびっくりしたと思う。そこには大きな目をさらにまんまるにした弘樹君が立っていた。その左手の小指には、私とつながる光の糸がある。
「あ、えっと、……そう、帰るの」
突然のことに言葉がうまく出てこなくて、私はやっとそれだけを口にした。すると弘樹君は、みんなに向けるのと同じ素敵な笑顔でこう言った。
「そっか。戸田さんっていつも図書室に寄ってから帰るのかなって思ってたけど、毎日ではないんだ。また今度、おれに本のこと教えてよ」
じゃあ、さよなら。そう言って手を振る弘樹君に、私も小さく手を振り返す。そして彼が体育館のほうへ行ってしまってから、急いで靴を履いて、校舎を飛び出した。そんなに足が速いほうではないけれど、できるかぎり全力で走った。地面が凍っていることも、すっかり忘れて。
つるり、と足を滑らせて、けれどもなんとか転ばないように踏ん張ったところで、私の足はようやく止まった。
心臓がどきどきと大きく鳴っていた。それが走ったからなのか、それとも弘樹君が話しかけてきてくれたからなのかはわからない。わからないけれど、弘樹君はたしかに私に話しかけてくれた。「戸田さん」と声をかけてくれた。
「やったあ――!」
私は思い切り叫んだ。周りに人がいないかどうかを確かめ忘れたけれど、今はそんなことどうでもよかった。あの弘樹君が、「本のこと教えてよ」って言ってくれた。大好きな本のことなら、いくらでも教えてあげられる。たくさん話せる。これからもっと、弘樹君と仲良くできるかもしれないんだ。そう思うと、嬉しくてしかたなかった。
「やっと元気になってくれたのです」
えんむすびちゃんが、コートのポケットからひょっこりと顔を出す。私はポケットに手を突っ込んでえんむすびちゃんを掴み、自分の手にのせた。顔が近くなると、えんむすびちゃんが安心しているのがわかった。私に元気がないことを、ずっと気にしていたのかもしれない。
「えんむすびちゃん、ありがとう。えんむすびちゃんのおかげで、弘樹君と話せたよ。これからも話せるかもしれないよ!」
「わたしは縁結びをしただけなのです。わたしにはそれしかできません」
ふにゃりと笑って、えんむすびちゃんは言った。そういえば、昨日もそう言っていた。えんむすびちゃんは縁結びの神様だから、縁結びしかできないと。おばあちゃんとあんなに楽しい時間を過ごせたのは、私が荷物を運んであげたからだと。
それを思い出したとたんに、私は自分がとても恥ずかしくなった。
私は今日、弘樹君に何もしていなかった。ただ自分の席で本を読みながら、彼をちらちらと見ていただけだった。もし昇降口で弘樹君が話しかけてくれなかったら、今日の私には本当に何もなかっただろう。そうして、えんむすびちゃんを責めただろう。「どうして縁結びをしたのに何もなかったのか」って。何もしなかったのは、私のほうなのに。
「……ごめんね、えんむすびちゃん」
「はい? ひかりちゃんが、どうして謝るのですか?」
首をかしげるえんむすびちゃんを手でそっと包みながら、私はもう一度「ごめんね」と言った。自分で何もしないで、えんむすびちゃんに一方的に頼っておいて、いらいらをぶつけてしまったこと。弘樹君が話しかけてくれなかったらもっとひどいことを言っていたかもしれないこと。全部に対しての「ごめんね」だった。
「明日は勇気を出して、私から弘樹君に話しかけてみることにする。……今読んでる本、すごく面白いんだ。弘樹君に教えてあげたいくらい」
もしかしたら、それはとても難しいことかもしれない。たくさんの友だちに囲まれていて、女の子にも人気の弘樹君に、席の遠い私が話しかけるんだもの。きっとものすごい勇気が必要なことだ。
でも、私には縁がある。えんむすびちゃんが結んでくれた縁が、私に「きっと大丈夫」と思える力をくれる。それにあの本だって、あんなに面白いんだもの、絶対に弘樹君は気に入ってくれるはずだ。
「ひかりちゃんがそう思ってくれたなら、わたしは嬉しいのです。縁は結ぼうと思えばたくさん結べますけれど、それが良縁なのか、続けていけるかどうか、それは神様のわたしでもわかりません。ひかりちゃんにとってひろき君との縁が、良く永いものであることを、わたしもお祈りします」
えんむすびちゃんが目を閉じて、そっと手を合わせる。その姿はとても小さいのに、とても神様らしく見えた。もっとも、私はえんむすびちゃん以外の神様を見たことはないのだけれど。なんとなく、そう思ったのだった。
次の日は本当に楽しかった。
朝、学校に着いた私が最初にしたことは、弘樹君にあいさつをしに行くことだった。読み終えた本を抱えて、肩にはお守りと思ってえんむすびちゃんをのせて、窓側の一番後ろの席へ行った。
「お、おはよう!」
男の子たちに囲まれている弘樹君に、裏返った声で言うと、彼はにっこり笑って「おはよう」と返してくれた。私はその勢いで本を差し出して、練習しておいたとおりに話した。
「昨日、本のこと教えてって言ってたでしょう。これ、とても面白かったよ。私、あとで図書室に返してくるから、そしたら借りてきたらいいよ」
とてもぎこちなかったことは、自分でもわかった。でも弘樹君はそれを気にしないで、「ちょっと待って」と言ってノートと鉛筆を取り出すと、本のタイトルをメモした。
「ありがとう、あとで借りる。戸田さんが面白いっていうなら、間違いないだろうし」
隣の席だったときに、私たちが好んで読む本の傾向が似ていることはわかっていた。弘樹君もそれを憶えていてくれたのかもしれない。
昼休みに図書室へ本を返しに行くと、もうそこに弘樹君は待っていた。私がカウンターで返却手続きを終えてすぐに、すうっと隣にやってきて、「これ借ります」とその本を借りていった。
私が弘樹君に話しかけたときも、図書室にいたときも、えんむすびちゃんは私の肩の上でぱちぱちと拍手をしてくれた。そのたびに、私と弘樹君をつなぐ光の糸が、いっそう輝きを放った気がした。
放課後はまた別の本を借りに図書室に行った。大好きなシリーズの新刊が並んでいたのでそれを借りて、家で読むのを楽しみにしながら帰り道を歩いた。
その途中、おばあちゃんに会った。おばあちゃんともまだ光の糸がつながっていた。私が「こんにちは」とあいさつをすると、ふんわりとした優しい笑顔で「こんにちは」と返してくれた。さらには私をまた家に誘ってくれて、一緒にこたつでみかんを食べた。おばあちゃんのお友だちのことや、私の学校の話を、二人でたくさんしながら。
えんむすびちゃんは、それをにこにこしながら見ていた。でもときどきみかんを見てよだれを垂らしていたので、おばあちゃんが見ていない隙に一房ずつあげた。
「ねえ、ひかりちゃん。もし良かったら、明日もうちに遊びに来ないかしら?」
そろそろ帰らないとという頃、おばあちゃんが猫のたまを抱きながら言った。
明日は土曜日で、学校はお休みだ。特に予定がなかった私は、図書室で借りてきた本を読んで過ごそうかなと思っていたところだった。
「明日の午後、また一緒にお茶を飲みながら過ごせたらいいなと思ったの。本を読みながらのんびりするのもいいわね。読んだら、感想を言い合うの」
「それ、すっごく楽しそうです! 私、バナナのパウンドケーキ作ってきますね。得意なんです」
「まあ、素敵! 楽しみにしているわ」
おばあちゃんは私の答えを聞くと、ぱあっと笑った。たまもまるで喜んでいるかのように「にゃあ」といった。
明日はおばあちゃんに、楽しい時間のお礼ができるかもしれない。私はそれが嬉しくて、家に着いてもにやけが止まらなかった。
お母さんに明日はおばあちゃんと過ごすことを伝えると、すぐにパウンドケーキの材料をそろえてくれた。パウンドケーキは夜のうちに作ってしまって、一晩おいてしっとりさせたものを持って行くことにした。
バナナのパウンドケーキなら、材料さえあれば、お母さんがついていなくても私一人でできる。だから台所には私とえんむすびちゃんの二人だけだ。私が材料を量ったり混ぜたりする間、えんむすびちゃんはそれを興味深げに眺めていたり、バナナを少しつまみ食いしたりしていた。潰したバナナを入れた生地を型に流し込むときなんか、目をきらきらさせてそれを見ていた。
「えんむすびちゃん、お菓子作り見るの初めてなの?」
パウンドケーキが焼けるのを待ちながら訊いてみると、えんむすびちゃんはこくりとうなずいた。
「初めてです。お菓子って、作るのも、それを見るのも楽しいのですね。いろんな材料の縁結びを見てるみたいでした。ひかりちゃんは縁結びが上手です」
えんむすびちゃんは不思議な表現をする。私にも、縁結びができるなんて。縁結び専門の神様にそんなことを言われると、なんだかすごいことをしてしまったような気分になる。作り慣れたお菓子を、いつも通りに作っただけなのに。パウンドケーキが焼ける良いにおいの中で、私とえんむすびちゃんは顔を見合わせて笑った。
作るのも見るのもいいけれど、お菓子はやっぱり、食べるのが楽しい。おばあちゃん、美味しいって言ってくれるかな。今の私とえんむすびちゃんみたいに、にこにこしながら食べてくれるかな。そんなことを考えながら、焼きあがったパウンドケーキをオーブンから出した。うん、とっても美味しそう。
「明日食べるのが楽しみですね」
えんむすびちゃんはもう食べたそうにしていたけれど、これは明日のお楽しみ。おばあちゃんの家のこたつで、お茶と一緒に食べるんだ。それは想像するだけで幸せな光景で、明日の午後が待ち遠しかった。
甘いにおいの中で一晩ぐっすり眠って、土曜日がやってきた。お昼過ぎ、お母さんがセロファンとリボンを使ってきれいにラッピングしてくれたパウンドケーキを持って、私はえんむすびちゃんと一緒におばあちゃんの家へ出掛けた。
えんむすびちゃんはパウンドケーキを入れた紙袋の中に入って、とろんとした目で「早く食べたいです」なんて言っている。このパウンドケーキを一番楽しみにしているのは、えんむすびちゃんかもしれない。
さくさくと雪を踏んで、転ばないように気をつけながら、私たちはおばあちゃんの家に到着した。これまでは散歩帰りのおばあちゃんと一緒に家に入っていたので、チャイムを鳴らすのは初めてだ。私は少しだけどきどきしながら、チャイムのボタンを押した。私の家とおそろいの、どこか間の抜けたような音がする。
けれども、いつまでたってもおばあちゃんは家から出てこなかった。返事も聞こえない。買い物にでも出てしまったのだろうか。私が首をかしげた、そのときだった。
突然、左手の小指にピリリとした痛みが走った。静電気が走ったのかなと思って指を見て、私はぎょっとした。
私の左手の小指には、おばあちゃんとつながっているはずの光の糸が見える。それが、まるでいばらのようにトゲトゲしたものになっていた。昨日までは、そんなことなかったのに。
「えんむすびちゃん。このトゲトゲ、何?」
私が尋ねると、紙袋の中にいたえんむすびちゃんはあわてたように飛び出してきた。そしてトゲトゲを見ると、泣き出しそうな顔になった。
「えんむすびちゃん?」
「おばあちゃん、危ないです」
震える声で、えんむすびちゃんは言った。
「この糸はちゃんとおばあちゃんとつながっています。糸はおうちの中に続いていますから、おばあちゃんはここにいるはずなのです。ひかりちゃん、おうちの中に入りましょう!」
えんむすびちゃんが急かすので、私はわけがわからないままドアの取っ手を引いた。鍵は開いていた。家の中に入ると、指の痛みはだんだん強くなった。糸は二階のほうに続いている。おばあちゃんはたぶん、二階にいるのだ。
私はおばあちゃんを呼びながら、二階にあがった。人の家を勝手に歩き回るのは、本当はいけないことなのだろうけれど、今はとにかくおばあちゃんを見つけなければならない気がした。指につながる光の糸を頼りに、私はどんどん進んでいった。二階の、ドアが開いた部屋に、トゲトゲした糸は続いている。急いでそこに入ると、にゃあにゃあと鳴くたまと、床に倒れているおばあちゃんがいた。
「おばあちゃん! おばあちゃん、しっかり!」
私は急いでおばあちゃんに駆け寄り、声をかけた。おばあちゃんは苦しそうな顔をしていたけれど、私を見ると無理に笑顔を作ろうとした。
「ひかりちゃん、ごめんね。びっくりさせたね。ちょっと、本をとろうとして、踏み台から落ちちゃったのよ」
どこか打ったのだろうか、おばあちゃんは「痛たた」と声をあげた。痛くて動けないようだった。
どうしよう。こういうときは、どうしたらいいんだっけ。私はすっかりパニックになってしまった。痛がるおばあちゃんを、ただ見ていることしかできない。助けてあげることができない。おろおろしていると、涙がこぼれそうになった。
「ひかりちゃん」
そこに、飛び込んできた声。小さいけれど、震えているけれど、二度も私のお願いを叶えてくれた頼れる声の主が、私のそばにいてくれた。
「えんむすびちゃん……」
うるうるした、けれども今の私よりはきっとしっかりしている目。もう頼れるのは、この子しかいないと思った。私はおばあちゃんに聞こえているのも気にしないで、えんむすびちゃんに言った。
「えんむすびちゃん、三つめのお願い。おばあちゃんを助けたいの。助けなくちゃいけないの!」
えんむすびちゃんは私の手にそっと触れた。とてもとても小さいけれど、私を助けてくれた手が、私の手に重なった。
「ひかりちゃんのお願い、叶えます。だから、泣かないでほしいのです」
そう言って、えんむすびちゃんはその両手を上にあげた。そして、歌い始めた。
「あなたとご縁を結びましょう」
一節歌うと、えんむすびちゃんの手が光を放ち始める。
「あなたの幸せ結びましょう」
一節歌うと、手の上に光がピンポン玉のように丸く浮かぶ。
「縁を結べば幸せ笑顔!」
そして最後の一節で、光は見たこともないくらいに大きくなった。まぶしくて思わず目をつぶった私に、えんむすびちゃんの声が聞こえた。
「ひかりちゃん。今、わたしはあなたとこの付近の人全てとの縁を結びました。走って、ご近所のおうちに行ってください。必ず誰かが助けてくれます。さあ、早く!」
私は声に導かれるまま、光の中を走った。いつのまにその部屋を出たのか、いつのまに階段を下りたのか、いつのまに玄関を出たのか、よく憶えていない。気がついたら、おばあちゃんの家のお向かいさんのチャイムを鳴らしていた。はーい、と出てきたおばさんが、私を見ておどろいた顔をした。
「まあ、どうしたの? どこか痛くした?」
「違う……違うんです。私じゃないんです」
涙でぬれた頬に、風があたって冷たかった。けれども私は必死になって、光る糸で私とつながった、このおばさんに訴えた。
「おばあちゃんが! お向かいのおばあちゃんが、踏み台から落ちて、体が痛くて動けないんです! お願いです、助けてください!」
私の言葉を聞くと、おばさんはさらにおどろいたようだった。でも、すぐに靴を履いて、一緒におばあちゃんの家に向かってくれた。家の二階に行くと、おばあちゃんはやっぱり体が痛むようで、さっきと変わらない姿勢で床に倒れていた。たまが、おばあちゃんの顔を心配そうになめている。
「ちょっとばあちゃん、大丈夫? どこが痛いの?」
おばさんがおばあちゃんのそばにしゃがみこんで尋ねた。おばあちゃんはつらそうな声で答える。
「腰をね、打ってしまったみたいなの。あいたた……」
「腰ね。救急車呼んであげるから、ちょっと我慢してて」
おばさんはてきぱきとおばあちゃんの様子を確認して、ポケットの携帯電話で救急車を呼んだ。ぽんぽんとおばあちゃんの容体と住所を伝えると、それから私に向かって言った。
「おじょうちゃん。このあたりは雪で道が狭くなってるから、救急車が入ってこられないの。救急隊の人が担架を持ってきてくれるはずだから、ここまで連れてこられるかい? 難しそうなら、このあたりの家をまわって大人を呼んでおいで。みんなばあちゃんの知り合いだから、絶対に助けてくれるからね」
「はい!」
それは間違いなかった。おばあちゃんはご近所の人たちと仲が良かったし、なにより今の私には、たくさんの人との縁があった。左手の小指から伸びるたくさんの糸は、このあたりの家につながっている。どこに行っても、必ず助けが得られるはずだ。
私はまた走って、ご近所の家を手当たり次第にまわった。おばあちゃんのことを話すと、誰もが「よしきた」と助けをかってでてくれた。私と一緒に救急車を待ってくれて、到着した救急隊の人たちをおばあちゃんの家まで誘導してくれた。みんな「ばあちゃんのためなら」と言って行動してくれた。
おばあちゃんと、付き添いでお向かいのおばさんが救急車に乗っていくのを、みんな心配そうに見ていた。私もおばあちゃんのことが心配で、救急車の音が遠ざかって聞こえなくなるまで、ずっとそっちのほうを見つめていた。
「いやあ、あのばあちゃんが腰を打つとはね」
誰かがぽつりと言ったのをきっかけに、集まった人たちはがやがやと話を始めた。みんな急いでいたから、上着もちゃんと着ていない。寒がりながら、おばあちゃんのことを話していた。「早く良くなるといいね」とか「またばあちゃんの漬物が食べたいもんな」とか、口々に言い合っている。
「しかしばあちゃんも運が良かったね。おじょうちゃんが来なかったら、動けないままだったかもしれんよ」
おじさんたちのうちの一人が、私を見て言った。
「運というか、ばあちゃんの場合は人脈だね。小さいけど頑張り屋のおじょうちゃんと縁を結んでたから、助かったんだ」
「そうだね。おじょうちゃん、よく頑張った」
「ばあちゃんの具合を知らせてくれて、ありがとうな。偉かったぞ」
みんながうなずきながら言うので、私は顔が熱くなった。私はおばあちゃんに対して、何もできなかった。ただおばさんを呼びに行って、おばさんの指示どおりに近所を走りまわった。それだけだ。
そもそも、えんむすびちゃんがいなかったら、私もあそこから動けなかったかもしれない。全ては、ここにいる人たちと私の縁結びをしてくれた、えんむすびちゃんのおかげだった。
「私、おばあちゃんの家に忘れ物したので、取ってきます」
私はおばあちゃんの家に戻り、玄関に座っていたたまを通り過ぎて、二階にあがり、おばあちゃんが倒れていた部屋に向かった。
そこにはパウンドケーキの入った紙袋と、えんむすびちゃんが残されていた。初めて会ったときと同じ、紅色の着物におだんご頭という格好で、ちょこんと座っていた。でも、もうその姿をはっきりと見ることはできなかった。
「お別れのときが来たようなのです。お願い、三つ叶えられましたから」
えんむすびちゃんはにっこり笑っていた。もう大丈夫、というように。私はえんむすびちゃんに、そっと右手の人差し指をのばした。
「えんむすびちゃん、もうちょっとここにいない? おばあちゃんが病院から戻ってくるまで、一緒にいようよ。ほら、パウンドケーキも食べそこねちゃった。おばあちゃんが帰ってきたら、また焼くから。そしたら、お茶と本を楽しみながら、一緒に食べようよ。あのこたつで、一緒に……」
私がどんなに言っても、えんむすびちゃんは首を横に振るばかりだった。姿もだんだん消えていく。透明になっていくその小さな手で、えんむすびちゃんはそっと私の指に触れた。小さいのに、温かかった。
「ひかりちゃんは立派なのです。わたしを頼らなくても、ひかりちゃん自身の力で、たくさんの縁を結ぶことができます。お茶も、ケーキも、本も、ひかりちゃんが縁を結んだ人と一緒に楽しんでください」
「立派なんかじゃないよ。さっきは、えんむすびちゃんがいなかったら、きっと何もできなかった。えんむすびちゃんが縁を結んでくれたから、私はみんなに助けを求めることができたんだよ」
「いいえ、ひかりちゃんは自分で頑張ったのです。ひかりちゃんにできることをせいいっぱいやったから、おばあちゃんと仲良くなれました。ひろき君に話しかけられるようになりました。ご近所のみなさんに声をかけて、おばあちゃんを助けることができました。わたしには縁結びしかできません。それをたしかなものにしたのは、間違いなくひかりちゃんなのですよ」
えんむすびちゃんは、小さいのに、まるで大人みたいに微笑んだ。そして、もうほとんど消えてしまったその体をふわりと浮かび上がらせると、私をまっすぐに見て言った。
「ひかりちゃん、あなたにはこれからも、たくさんのご縁があるでしょう。わたしがそれを約束します。もう会えなくなるけれど、わたしはいつだって、ひかりちゃんのことを思っています」
そうしてえんむすびちゃんがいなくなってしまう間際、私の中に一つの言葉が浮かんだ。これだけは、絶対に言わなくちゃいけないこと。私がえんむすびちゃんに伝えられる、最後の言葉。
「ありがとう! 私のところに来てくれて、本当にありがとう!」
最後まで聞こえたかどうかは、わからない。ううん、たぶん、聞こえていたと思う。だってえんむすびちゃんは、とても嬉しそうに笑っていたんだもの。
おばあちゃんが家に戻ってきてすぐに、私はバナナパウンドケーキを作って遊びに行った。今度こそ、お茶を飲みながら本を読んで、感想を言い合うのだ。それだけではない。しばらく教えることができなかった学校でのできごとや、あの小さな神様のことも話そうと思った。
凍った道を、転ばないように気をつけて歩く。肩のあたりを、冷たい風が吹き抜けていく。けれども、もうすぐこの道には、福寿草のかわいい花が咲くはずだ。やがて雪が融けて、春になったら、私は五年生になる。お姉さんの学年なのだ、泣いてなんかいられない。
五年生になっても同じクラスだといいね、と弘樹君と話した。薦めた本の感想を聞いて、やっぱり私たちは読書の好みが合うということがわかったのだ。また縁があって、席が隣にでもなったら、思い切りファンタジー小説の話をしようと思っている。
そんなことを考えながらおばあちゃんの家の近くまで来ると、ご近所の人たちがみんな声をかけてくれる。私も笑顔で「こんにちは」を返す。みんなでおばあちゃんを助けたあの日以来、私はこのあたりの有名人になっていた。今でもたまに、あの日のことを話しては「偉かったね」と褒めてくれる人がいる。
えんむすびちゃんが結んでくれた縁は、まだまだ続きそうだった。私が大事にしていれば、きっとおばあちゃんとたくさんの友だちのように、永い付き合いができることだろう。
「おばあちゃん、こんにちは! 腰は大丈夫?」
「いらっしゃい、ひかりちゃん。もう大丈夫よ。心配かけたわね」
さあ、何から始めようか。読書を先にしても、お話を先にしても、きっと今日一日じゃ終わらない。終わらなかったらまた今度。縁があるかぎり、ずっと続けるつもりだ。
お茶の準備をして、たまを抱いてこたつにもぐりこんで、……やっぱり、あの子のことから話そう。私たちの縁を結んでくれた、あの小さくて立派な神様のことから。