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或る魔王軍の遍歴 作者:饗庭淵

二章〈勇者〉ラルフ・ウェルベプス

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(2-1)

 少年は追い詰められていた。
 対するは、黒い翼に黒い槍を携えた、典型的な悪魔そのものの姿。
 魔族だ。
 相手が悪い。端から見てもわかる体格差、見るものが見ればわかる魔力差。特に後者は絶望的だ。奇跡が起こらなければ殺されるだろう。絶対に勝てない相手だ。じりじりと後退するその先は、崖。魔族は、一歩一歩、重く確実な足取りで、少年に迫る。
「どうした。もう終わりか?」
 魔族は笑う。少年は果敢に剣を構えていたが、表情は汗に滲み、余裕がない。ポタポタと大粒の汗が足下に垂れ落ちるばかり。完全に遊ばれていた。
「うらぁ!」
 それでも、向かう。蛮勇、魔族には届くはずもない。二本指で剣を取られ、身体ごと投げ飛ばされる。
「……くっ!」
 少年はギリギリで踏みとどまる。崖の下は川。あと一歩で落ちかねない。
「なかなかしぶといな。だが、もう終わりだ。最期に教えてやろう。私は魔王軍准将セネガル。お前はよく粘ったよ」
 セネガルは槍を構える。黒き魔力を帯びた禍々しい槍。
 受ければ即死。しかし逃げ場はない。少年は意を決し、退いた。
 遙か下方の河に向かって、崖より勢いよく飛び降りた。

 ***

 川沿いの森に建てられた木造の掘っ立て小屋。
 その中で少女は一人、机に向かって椅子に座り、読書をしていた。
 アムド・セレペス著『或る騎士団の遍歴』第三巻。アイゼルで今流行っている人気小説だ。森で一人修行中の彼女の本棚には、このシリーズ以外には魔術書があるだけだ。できるだけ荷物を減らすよう心がけていても、これだけは手放すことができなかった。暇さえあれば読みたくなる、希有な小説だ。
 簡易な作りのベッドには一人の少年。適当な手当を施し、寝かしている。
「あ、お目覚め?」そういうと少女は本を閉じ、少年の方を向いた。「川から流れてきたのを助けてやったのよ」
 少年は辺りを見回し、答える。
「ああ。そのようだね。すまない」
「いえいえ。ああそう、服は濡れてたから脱がして外で干してるわ」
「ぬ、脱がして……?」少年は少し顔を赤くする。
「別になにもないから安心なさいて。さて、自己紹介しておいた方がいいかしら? 私は〈魔女〉ミナ・ハーカー。よろしく。あなたは身なりからして……冒険屋?」
「勇者だ」
「へ?」
「僕は〈勇者〉ラルフ・ウェルベプスだ。よろしく」
「へ、へえ……」
 妙な拾いものをした、とミナは思った。
 勇者とは人から与えられる称号であり、自ら名乗るものではない。それが常識だ。
 また、勇者といえば、二〇〇年前の史実を元にした『勇者伝説』が有名だ。ふと思うと、この小説でも主人公は自ら勇者を名乗っていたように思う。まあ、作劇上の都合だろう。勇者が魔王を封印したというのは事実だが、この小説については、それ以外の記述はほとんどデタラメと見るとが通説だ。作中における勇者の活躍はあまりに荒唐無稽で、ご都合主義の塊にしか思えないからだ。いわば子供だまし、思春期の卒業と同時期に卒業すべき類のおとぎ話だ。
「で、なにがあったの? なんで川をどんぶらこ流れてたわけ? どっかで足を踏み外した?」
「ああ、崖で」
「崖?」
「敵に崖っぷちまで追い詰められてしまって」
「ふーん……って、崖? えっと、崖といえば……まさかあそこ? いやまさか。あの高さ、いくら下が川だからって死ぬわよ、ふつー」
「なにをいってるんだ。崖の下が川なら、助かるに決まってるじゃないか」
「は、はあ……よくわかんないけど、あなたは生きてるみたいだしね……」
 ミナはまたしても『勇者伝説』を連想する。たしか、そんなエピソードがあったはずだ。強敵に崖まで追い詰められ、川に飛び込むことで一命を取り留める。崖の上から川に飛び込めば助かるなどそれこそ子供の発想だ。速度が出れば風でさえ痛むのだ。ましてや液体、少なくとも骨折・失神は免れず、溺れ死ぬのがオチだ。というか、そもそもあそこは自殺の名所だ。しかし彼はそれを免れ、助かったらしい。
「まったく、どうせ分不相応な魔物にでも挑んだんでしょ」
「いや、相手は魔物じゃない」
「え?」
「魔族だ」
「ええー!?」
「それから、魔王軍准将と名乗っていた……と思う」
 言葉を失う。嘘をついているようには見えない。こんなピュアな目をした少年が真顔で嘘をつくなら、もう世界が信じられない。すべては真実。だとしたら、今度は彼の正気を疑うほかない。
 動揺を紛らわすため、ミナは紅茶を淹れることにした。魔術で火を熾し、ケトルで湯を沸かす。ティーポットに葉とお湯を入れ、二つの陶製コップに注ぐ。
「ほら、お茶」
「どうも」
 ごくごく。ぷはー。
 ミナは一人で飲み終えてしまう。次の紅茶を注ぐ。これもまた飲み干してしまうつもりか。ミナは手を止め、意を決して話しかける。
「で、魔王軍准将って……どれだけのやつかわかってんの?」
「さあ。ともかくも強いのは確かだね。まるで歯が立たなかった」
 真性の常識知らず。目前にしているのはそういう相手だ。
「そもそも生きてるのが奇跡よ。なんか、なにも知らないようだから教えてあげるけど」こほん、と咳をして彼女は続けた。「まず前提として、人間は魔族には勝てない。一対一ではね。魔族は強さの個体差が大きく、個体の魔力によって階級社会を形成している。ただ、その一番下っ端が相手でも人間は敵わない。これが前提。魔王軍の階級はだいたい人間の軍隊と同じみたいね。佐官以下はまったく同じ。兵、下士官、准士官、尉官ときて、そして佐官。ただ、将官以上が違う。力のスケールもね。佐官以下では下克上があり得ても、佐官以下が将官に対して同じことをするのは天地がひっくり返っても無理だとされている。将官以上の構成としては、魔王を総司令官とし、その下に七魔将。そして七魔将それぞれが三人の部下――准将を従えている」
 ラルフはぽかんとして話を聞いていた。
「わかる? あなたが対峙したのは、魔王軍でも上から数えた方が早い階級に位置してるのよ。軍隊でも率いなければとてもじゃないけど敵わない、率いたところで敵わない、そんな相手なの」
「……納得した。確かに彼は強かったよ。村に駐屯していた衛兵が十数人でも太刀打ちできなかった魔物を、彼は片手で斃してのけた」
「え? 魔族が魔物を?」
「そうだ。でも、僕は見たんだよ。あの魔物は、他ならぬその魔族によって生み出されたものだ。村人は彼に感謝していたが、はじめから自作自演だったんだ……!」
「よくわからない話ね……魔王軍が人間に恩を売っている?」
「僕にはそう見えた。自作自演で村人の感謝を得る魔族を見て、僕は憤りを覚えたんだ」
「それで喧嘩を売って、崖から落ちたと」
「そうだ」
「はあ……気持ちはわからないでもないけど、無茶がすぎるわよ。その魔物を斃した時点でその魔族の力量はわかっていた、勝てないことはわかっていたはずでしょ?」
「それでも僕は負けるわけにはいかなかった。あの程度の魔族から逃げているようでは、魔王には決して勝てないから……」
「ぶっ」
 吹き出す。「ごめん」布巾を持ってラルフの顔を拭く。
「えっと、さっきなんて?」
「あの程度の魔族から逃げて」
「じゃなくて」
「それでも僕は負けるわけには」
「違う違う」
「魔王には決して勝てないから」
「それそれ」
「なにかおかしなこと言ったかな?」
「魔王には勝てない……って、なに、魔王に挑むつもり?」
「ああ、そうだ。魔王を斃すこと。それが、僕の目的だ」
「……悪いことはいわないわ。目を覚まして。現実は『勇者物語』のようにうまくはいかないのよ」
「『勇者物語』は現実じゃないのか?」
 一点の曇りのない瞳でラルフはいう。これは、まずい。
「馬鹿いってんじゃないの、あれは作り話。あんな風に都合よく物語が転んで、奇跡が起きて人間が魔王を斃す。そんなのはあり得ないおとぎ話なのよ」
「だが、勇者は魔王に勝った」
「う……」
「勇者は運命に愛されていたんだ。正義は勝たなければならない。だから勝った」
 ミナは再び言葉を失う。
 たしかに、史実として二〇〇年前魔王は現れ、世界中を恐怖に陥れた。が、最終的には勇者によって封印された。それ自体は間違いない。だが、勇者の足跡や魔王との戦いなどの具体的な史実はわかっていない。ただ『勇者物語』という一冊の小説が残っているだけだ。しかし、その内容はあまりにファンタスティック。誰もが歴史資料としての価値を認めていない。
 だが、この書以外に勇者の活躍を記したものはない。一説によれば、勇者が魔王を斃し得たのはまさに『勇者物語』に記されているような奇跡が連続して起こったからに他ならず、『勇者物語』はフィクションどころか完全なノンフィクションだと主張する歴史学者もいる。奇説を唱えて注目を浴びようとする学者はいつでもどこでもいるものだ。
 しかし、そんなものを本気で信じている人間が目の前にいる。
 危険だ。いや、危なっかしい。ミナはそう思った。まるで子を持った母の心境。弟を案ずる姉の心境。どちらも持ったことはないけれど。
「世話になった。そろそろ服も乾いているだろうし、失礼させてもらうよ」
「あ、ちょっ、えっと……」
「なに?」
「いや、その、一人で旅をしてるの……?」
「ああ。今はある人を訪ねる道中だ」
「そ、そう」
 たまたま、こうして出会っただけだ。ここでこうして別れれば、彼の存在などその他大勢として記憶の片隅に残るだけ。人生とはそういうものだ。
 もやもやとしたものを胸に抱えながらも、ミナはラルフを見送った。
「待って」
 気づけば、彼女は小屋を飛び出し、ラルフを呼び止めていた。
「ん? えっと、ミナだったっけ。なにか忘れ物でもしたかな」
「私もかつて、魔族に挑んだことがある……」
「……!」
 ミナは息を吸い、一気に語りはじめた。
「そのとき、私たちは五人でパーティを組んで冒険屋として活動していた。魔術学校の面子で、バイト感覚でね。多くの魔物を蹴散らし、このへんではそこそこには名を馳せていたと思う。仕事はうまくいっていた。調子づいていたのよ。自惚れていた。魔族なんていっても、魔物と大して変わらないだろうと、高をくくっていた。あるとき、私たちは魔族に出会った。発見はこっちが先。逃げようと思えば逃げることもできたし、奇襲を仕掛けることもできた。私たちは後者を選んだ。勝てると思っていたのよ。だけど結果は……わかるわね。私を残して四人は惨殺された。彼は中尉を名乗っていた。私たちは昨日まで、佐官くらいならなんとかなるだろうなんて談笑していた。それがこのざま。甘く見すぎていた。そして彼は、私たちの命に興味もなかった。本気ですらなかった。羽虫を払った程度にしか考えていなかったんでしょうね。私は運良く即死を免れた。それだけの話」
「……そうか、だからあんな必死に僕を止めようとしたのか」
「魔族には勝てない。ましてや魔王と戦おうなど無謀どころの騒ぎじゃない。それをわかって」
「わかっている。でも、それでも僕は魔王を斃さなければならないんだ」
「なんで!」
「僕が勇者だからだ」
 理解を超えている。だが、その声には、その表情には強い決意があった。有無を言わせぬ迫力があった。実力のほどは、おそらくミナと大して変わらぬはずなのに。
「……わかった。あの日を境に、森にこもって魔女の修行してたんだけど、いいわ。私もついてってあげる」
「本当か!」
 ラルフの顔がパーッと明るくなる。ミナは思わず赤面し、顔を背けてしまう。
「あ、あなた一人だと、なにをしでかすかわかったもんじゃないからね。せっかく助けた命がすぐ死ぬようじゃ、なんのために助けたかわからないじゃない」
「助かるよ。正直、一人旅は心細いと思っていたんだ」
 純心の塊のような男。年齢もおそらくそう違わないだろう。背も大して変わらない。だというのに、このいいようのない隔絶感。
 彼はいったい、なにものなのか。
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