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或る魔王軍の遍歴 作者:饗庭淵

八章〈魔女〉ミナ・ハーカー

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(8-2)

「エアク、お前も今すぐ王宮から引き上げるんだ」
 クラウスの覗き穴を通し、魔王はエアクに話しかける。
「ですが計画は半ば、それに勇者は必ず王宮に現れます。彼を迎え撃つためにも……」
「ならん。絶対に勝てない」
「すでに部下が敗れ、このまま引き下がるわけには……」
「お前まで命を落とすことはない、といってるんだ」
 魔王は気に病んでいた。彼女もまた、忠誠心と仇怨のために独走のおそれがある。セリアのゾルティア調査の件を思い返す。あのときも、彼女の意を汲み、無理に止めることはしなかったが、結果としてネルを失い、セリアもかなり危ういところまで追い詰められた。あのときでさえ、見込みの甘さを悔いた。今回はそれどころではない。望みは一つもなく、楽観など一片も許されない。
 だが、エアクは勇者のことを知らない。知識としては知っているだろうし、教えもしたが、実際に目にしなければ信じられるはずもない。彼女の幻影魔術のような搦め手なら、あるいは勇者に通じるかも知れない。そんな望みが魔王にもあった。しかし、駄目なのだ。そのような戦術は彼に「卑怯」と断ぜられ、容易く突破されてしまうだろう。だが、そんな説明を尽くしても彼女を納得させるのは難しいだろうし、不安が残る。
「……あれから、私は何度も『勇者物語』を精読した。勇者は怖ろしい相手だが、どこかに抜け道があってもいいはずだ。そう思い、過去を思い返し、これまでの戦いを振り返り、あらゆる思考実験を繰り返した。そして、一つの仮説を得た。私が生き残るためのわずかな可能性だ。すなわち、私の部下が生きているかぎり私は死なないのではないか、というものだ。勇者は部下から順番に斃す。七魔将という象徴的な集団、斃さずにはいられないはずだ。彼らを斃さずにして、魔王である私を斃そうとするだろうか?」
 説得力があるとは言い難い説明、しかし魔王の身を案じるならば、断るわけにはいかなかった。
「……わかりました。ご命令通り、王宮からは撤退し、身を隠すとします」
 ようやくエアクは折れてくれたようだった。だが、魔王にとっての懸念材料はそれだけではない。
「クラウス。お前もだ。エアクについてやってくれ」
「私だけは残りますよ。なあに、危なくなったら逃げればよいのです。それに、陛下の仮説を信じるにしても、エアク一人で事足りるわけですし」
「ダメだ。今すぐ逃げろ」
 有無をいわさぬ魔王の言葉に、クラウスもまた渋々従った。

 『勇者物語』は、二〇〇年前の史実について、現在に残る最も正確な文献だ。しかし、唯一つ決定的な誤りがある。魔王を封印したのは勇者ではなく、当時の魔王の片腕ともいえる側近の部下であったということだ。敗北の確定した戦いで、残された二人は議論の末、最後の手段としてその結論に至ったのだ。願わくは、勇者のいない時代に目覚めますように。封印してしまえば、たとえ勇者でも手が出せない。もう一度封印を解いてから斃すしかない。だが、封印を解くことは非常に困難であり、その困難をなしてまで魔王を復活させるメリットがなかった。復活した魔王を万が一抑えることができなければ、世界は再び危機に陥ることになる。勇者はそう考え、封印された魔王を海に沈めることで対処した。そして、魔王に関する文献を可能なかぎり焚書とし、後世に情報が残らないようにすることで、今後永遠に魔王が復活することがないようにした。
 そして、そのなかで唯一残った文献である『勇者物語』の著者――魔王を封印した、その部下の名だ。彼は、生き延びることができたのだ。この書物はおそらく勇者の寿命を待って出版されたもの。いつか必ず復活する魔王のために残した、彼の最期の意思。他に資料が残っていなかったがために、ある意味で幸運にも虚構と断ぜられ、生き延びることに成功したのだ。
 この事実からわかること。つまり、部下が生き残っていても、魔王が斃されることはある。しかし、魔王が先に斃された場合は、その部下が生き残る可能性はある、ということだ。
「よいのですか、陛下」声をかけたのはネガデスだ。
「勇者を相手に常識は通用しない。圧倒的戦力差、数の力などなんの役にも立たない。彼らに残ってもらっても、無駄に命を落とすだけだ」
「ですが、嘘をつかれてまで……」
「嘘じゃないさ。必ずしも、嘘とはかぎらない」
 事例は一件しかないのだから、もちろん可能性はある。だが、望みは薄い。魔王が生き残るための望みは、かぎりなく薄い。
 再び封印されればいいか? 今度こそ勇者のいない時代を目指して?
 それができればどんなにいいか。〈封印〉は彼の固有能力だった。魔術とは、基本的に誰でも勉強し訓練すれば会得できるものだ。むろん、得手不得手というものはあるし、才能のためにいくら努力しても使いこなせないということもある。だが、固有能力と呼ばれるものはそういったレベルの個人差とは決定的に違う。それは極めて高い魔力を持つものに、ごく稀に現れる突然変異だ。固有能力は強力なものもあれば、まるで使えないものもある。現在、魔族で固有能力を持つものは魔王、三魔元帥、七魔将のネグロ、それから魔王軍の他には数人程度しか魔王は知らない。そして、固有能力はその名の通り術者の個性に依存しており、他の誰にも真似はできない。似た性質の固有能力が現れたケースは歴史上数件にも満たない。〈封印〉とはいわば対象の時間を停止させる能力。魔王の〈時間堰止〉に匹敵する、あるまじき特性を持った能力なのだ。
「しかし、陛下のご命令でもこれは……どうしても、と仰るのならば私もお供いたします」
「ネガデス、お前にも家庭があるだろう。たしか子供もいたな?」
「はい。息子と娘が」
「ならば、お前は生きろ」
 魔王のその言葉には、逆の意味も含まれていた。
「……わかりました。陛下決死のご判断、最後の作戦に協力し、命令に従います」
「ネガデス、お前ならわかってくれると思っていた」
「私も止めたいのはやまやまなのですが……代案がありませぬゆえ」
 大魔石の扱いについては、ネガデスに一日の長がある。魔王は、魔界と地上を繋ぐ大移住路の建設に使うはずだった大魔石を二つを使い、切り札を召還することにした。大移住路建設に必要なのは、四つの波長の合う大魔石だ。多くの大魔石を入手しているが、その条件に適うものは三つ集まっている。その貴重な二つを使う。思い切った決断だが、今や最優先は勇者を斃すこと。手段は選んでいられない。
 召還したものは建造物――〈万魔殿〉である。生きた迷宮は魔王城を飲み込み、その構造を丸ごと造り替えた。いわば、万魔殿が魔王城に取って代わった形となる。完成したのは、侵入者を防ぐというたった一つの目的のために機能特化した特殊城塞だ。空間魔術に対する妨害がデフォルトで設定されているため、クラウスがここに戻ることはもうできない。その対策のためでもある。
 そして、惜しげもなくさらに大魔石を一つ使い、侵入者を排除する狂暴な魔獣を四体召還する。これで勇者を斃せるとは到底思えないが、時間稼ぎにはなるだろう。そして、それで十分だ。
「さらばです、陛下」
 ネガデスは最後の仕事を終え、魔王城もとい万魔殿をあとにした。
「ボトム、お前はいいのか」
「あ? 要は、俺があいつらを皆殺しにすりゃいいってだけだろ。やってやるさ。納得がいかねえ。このまま逃げるなんざ、死んでもありえねえよ」
「わかった。ならばお前には彼らの迎撃を頼もう」
「おいおい、俺には逃げろって言ってくれねえのかよ」
「逃げろといえば逃げるのか?」
「……逃げねえけど」
「ならあきらめるさ。お前を力ずくで追い出すなど骨が折れる」
「そうかい。まあいいや。俺は死なねえし、勇者は俺が殺すからな」
「期待しておこう」
 そして、すっかりがらんどうになってしまった旧魔王城・万魔殿に残るのは――。
「ラプンツェリカ」魔王は、一人状況の飲み込めないでいる幼女に話しかける。「いくら勇者でも、お前まで殺すことはないはずだ」
「?」
「そして、私が死んでも、お前は勇者の手厚い保護を受けるだろう」
「はんぺん、なにをいってるのかわからないぞ」
 と、いってから考え直す。
 いや、ダメだ。あんな人間にラプを預けることなどできない。彼の魔の手からだけは、なんとしても守りたい。優秀な部下が次々と死んでいくなか、ラプは魔王にとって最後の望み、心の支えだった。
 ならばどうする。私と共に死んでくれ?
「馬鹿な」
 なにを悩む必要がある。なすべきことは一つだ。
「ネガデス、待ってくれ」魔王は、死霊の山を下りるネガデスを呼び止めた。「この子を、頼む」
 ラプは、なにがなんだかわからない様子で魔王を見上げた。
「行け、ラプ」半ば強引に引き離そうとするが、ラプはいうことを聞かない。「すぐまた会えるようになる。少しの間だけ、ネガデスと共にいてくれ」
 嘘をついた。それは明確な嘘だった。
「ホントか、はんぺん」
「本当だ」
 一度は素直にネガデスのもとへ向かったラプだが、すぐ立ち止まり、振り返った。ラプは魔王の言葉を信じていない。名残惜しそうに、じっと魔王を見ていた。
「そうだな、この際だから話しておこう」魔王は一度顔を伏せ、それにふさわしい表情をつくった。「ガイゼルたちは、私が殺した」
 その言葉には、ラプも表情を変えた。
「いまさら言うまでもないことだが、私は魔族だ。そして、魔王。ガイゼルの望みも私を斃すことだったのだろう? 私は今までお前を騙していたんだよ。私は、お前の敵だ。ガイゼルを殺したのは私だ」
 ラプは、魔王に向けるべき表情の選択に戸惑っているように見えた。にらめっこが続き、魔王が勝つ。ラプは背を向け、なにも言わずにネガデスのもとへ向かった。
 胸の奥底が、ズキズキと痛んだ。

「これで残る私の仲間は、ボトム……? あれで仲間といえるのかな」
 最後の仕上げだ。ここにきて、魔王城に残っているものは三名。
 〈魔王〉ロリセックス・ハンペローゼ。〈戦躁〉フラッグ・ボトム。そして、最後の一人は――。
「頼んだぞ。〈無愛の衆〉ネスター・グ・アキル」

 ***

 残る最後の七魔将、〈空間歪師〉クラウスと〈潜むもの〉エアク・ラナリットは、魔王軍最高司令官である魔王より、あろうことか「逃亡」を指示された。そして、それは事実上、魔王軍の解散を意味していた。
 勇者に対しなにか打つ手はないか、彼らもまた四六時中考えてきた。魔王のように過去の記憶はないが、『勇者物語』を隅々まで読み込み、これまでの戦いを反省した。勇者の旅の足跡についても辿ってみた。星見ヶ丘での修行が契機になっていることはわかったが、それ以上はなにもわからなかった。
 二人の間には、長く重い沈黙だけがあった。
「エアク、一つ聞きたいことが」いよいよ退屈してきたクラウスは、意を決してエアクに世間話をするように話しかけた。「幻影魔術と空間魔術、どっちが強いと思います?」
その質問を受け、エアクは鼻で笑うような挙動を見せた。
「またそれか。この前に結論は出ただろう。もちろん、幻影だ」
「あれれ~? そうでしたっけ~?」
 両魔術は共通点が多い。極めれば最強といわれていること、習得が非常に困難であること、同じく妨害によって防ぐことができるという弱点を持つこと。ゆえに、両魔術を得意とする二人が対抗意識を燃やし、逆説的に交友に至るのは自然なことだった。
「私がどれだけ魔王陛下のお役に立てたか。あれほどまでに部下を思いやるお方が、私にかぎっては休みなし。優秀すぎるがためになかなか休みを与える暇がないのです」
「それをいえば私も同じだ。まったく、たまには休暇が欲しいものだよ。セリアなどは一ヶ月近く休んだそうじゃないか」
 毎度のことながら、いくら議論しても決着はつかない。よって、たまに互いの魔術でいたずらを仕掛けることがある。それが成功するたびに、自分の魔術の最強を主張する。そんな子供のようなやりとりを彼らは何度か繰り返していた。今回のやりとりもまた、互いに宣戦布告がなされた暗黙の合図だった。
「!」談話の最中、クラウスは表情を変えた。
「どうした、クラウス」
「やられました。一時的に追い出されても、適当なタイミングで空間を裂いて戻ればいいと考えていましたが、甘かったようです。陛下は、万魔殿を召還しました」
「なんだと……!」
「まずいですね。今すぐ徒歩で戻りましょう。陛下の他には、おそらくボトムが残っているくらいでしょう。不安が残ります」
「いや」エアクはクラウスを止めた。「陛下の、意を汲むんだ」
「…………」
 二人は再び沈黙した。
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