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或る魔王軍の遍歴 作者:饗庭淵

八章〈魔女〉ミナ・ハーカー

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 エアク・ラナリットは、魔王軍のなかでも一際目立った異形をしている。人型がモデルになってはいるが、まず両腕がごっそりない。装束に隠されて見えないが、両脚も失われている。とはいえ、義手のようなものは持っている。両腕の代わりに関節球体を思わせる球体が肩のあたりに浮いており、腕の代わりに細長い布きれがひらひらと舞っている。彼女は、日常生活を送るにあたりこの布きれを操り、腕の代わりとする。巻き付けて物をとったり、本をめくったり、あるいは武器として敵を斬りつけることもできる。ただし、刺繍などの細かい作業はできない。
 また、顔面は仮面で隠され、その仮面には視界を確保するだけの穴しか空いてない。にもかかわらず、彼女は食事中においても決してその仮面を取ることがない。彼女は食事をとるのに仮面を脱ぐ必要がないからだ。というよりむしろ、仮面を取ったところで食事などできない。彼女が食事をとるための口は、側頭部、頬と首の中間くらいの位置に、人工的に魔術によってつくられている。彼女の本来の口は重度の変質でその機能を失い、顔面もまた皮膚どころか表情筋がごっそりと爛れ落ちているのだ。彼女にとって、もはや顔面はなんの用もなさない。
 彼女のその姿は魔界の悲劇を象徴したものである。魔界のおそるべき環境は、なにも〈瘴気〉や〈黒触病〉ばかりではない。〈噴煌〉と呼ばれる魔界特有の現象がある。それは、ときとして巨大な災害となる。その名の通り、青白い光を放つ物質――〈ラグトル〉が、魔界の大地のどこからともなく噴き上げる現象だ。
 現在、〈噴煌〉の衝撃に耐えうる建造物は魔界には存在しない。巨大な災害だが、いつどこで発生するかはまったくの予測不能であり、一度起これば誘発して何度も起きる。魔界に住む魔族たちを絶望に追いやる天変地異だが、しかし皮肉にも、一方でこれは彼らに希望を与えるものでもある。魔界と地上を繋ぐ穴は、この〈噴煌〉現象によって形成されるのだ。彼らはこの路に最後の希望を見いだす。しかし逆に言えば、そもそもこのような穴が開いていなければ、魔族は魔界に捨てられるようなこともなかった。
 エアク・ラナリットは、その〈噴煌〉災害の典型的な被害者例だ。
 彼女はその事故を受け、四肢を失った。さらに、身体中の皮膚や大部分の筋肉が爛れ落ちた。瀕死だった彼女は、元来の魔力量によってかろうじて生き延びながら、〈魔石施術〉によって奇跡的に一命を取り留めた。これは、彼女がもともと十分な魔力量の持ち主だったからこそ可能だったことでもある。
 彼女を救い出し、施術を執り行ったのは魔王軍ネガデス一派だ。このこともまた、奇跡を可能にした要因だった。ネガデスが優秀な施術者だったこと、そして、彼らが惜しげもなく大魔石を使用したこと。魔王復活のために大魔石を求めていた彼らだったが、その過程で復活を成功させるに至らないできそこないもいくらか入手していた。しかし曲がりなりにも大魔石、十分な力を持っている。いつどこで使えるともわからない。温存しておくことも可能だったが、今こそ使うべきときだとネガデスは考えた。道義に基づくものというよりは、エアクの才能に気づいた上での打算的な判断である。
 一命は取り留めた。高性能の義手と義足も授かった。だが、これまでの生活を送ることは、もはやできない。茫然自失、現実否認、やり場のない敵意と憤怒、諦めと受容。彼女もまた典型的な喪の作業のプロセスを経て、立ち直る。
 彼女は考える。ネガデスは、魔王軍は、私の才能を期待し、貴重な大魔石を使ってまで助けてくれた。それが打算であれ、情けによるものであれ、関係はない。ならばこそ、九死に得た一生の使い道は決まっている。
 エアクの才能とは幻影魔術だ。幻影魔術のレベルは、虚実見紛う再現度、干渉できる感覚の種類、一度にどれだけ多くの対象を巻き込めるか、などによって決定される。エアクの幻影は最高レベルであり、現実と虚構の区別は失せ、五感すべてを惑わし、一度に五〇人でも一〇〇人でも対象にできる。幻影魔術は使い方次第では情報戦において最高のパフォーマンスを発揮するとされ、「幻影こそが最強」と謳う術者も多い。むろん、それだけに扱いは非常に難しく、習得には多大な困難を要する。エアクの才能は、幻影魔術を志したものであればそれ自体が夢か幻かと疑うレベルの高度なものだった。
 そして、ネガデス一派は彼女を魔王軍に加え、魔王軍再編を視野に入れ六魔将を独自に再編成、彼女もそこに名を連ねる。魔王復活に向け、さらなる躍進をはじめた――。

 ***

 王宮に潜み、皇国を内側から支配しようとする七魔将エアク・ラナリットを斃すために、ラルフ一行は皇都へ向かっていた。その途上で、彼らは予期せぬ襲撃を受ける。
 エアク・ラナリットの部下、准将影使い。
 彼の罠にはまり、勇者一行は危うく全滅しかねた。なんとか撃退することはできたものの、彼はその命と引き替えに、勇者に治療不能の猛毒を残した。
「こ、この毒は……」
 王宮まで訪れ、大臣レミ・オルヴェークとの面会中、勇者は倒れた。国内最高峰の医療レベルを誇る王宮専属医がその場で診断に当たったが、彼らですら打つ手を見いだせなかった。
「ラルフは……ラルフはもうダメなんですか?!」
「ほとんど絶望的といっていいでしょう。しかし、ほんのわずかな可能性ではありますが、治療する方法がたった一つだけございます」
「それは、なんですか」
「あるいは、運がよかった、といえるかも知れません。霊峰アッタンの山頂にて、一年に一度だけ光り輝く伝説の薬草〈神菜草〉が、今なら入手できます。ただし、これはあくまで伝説であり、信頼できる文献資料はほとんど残されていません。というのも、その時期には同時に神獣〈レギオス〉が姿を見せ、神菜草を守護しているからです。こちらから手を出さないかぎり害はありませんが、ひとたび怒り狂えば災害にすら発展しかねないおそるべき獣です。過去に多くの冒険屋が挑戦し、多くの屍を積み上げながらも数度入手に成功したと伝えられていますが、実際のところはわかりません。触らぬ神に祟りなし、魔族ですらが避けて通るほどの存在です」
「……たしかに、夢みたいな話ね。でも、やらなくちゃいけない。そこに一%でも可能性があるなら、やる価値はあるわ」
 ミナは、かつてのラルフと同じ台詞を吐いていた。
 そうして、仲間たちはわずかな可能性を信じて霊峰アッタンを登った。高く険しい道のりだった。酸素が薄くなり、昂揚感と頭痛を覚える。高山病の初期症状だ。順応のためにはペースを落とす必要があるが、そうもいってはいられない。一刻の猶予もないのだ。
 その頂上にて彼らはラルフ抜きで神獣レギオスと相対した。実力差は明白だった。だが、ラルフのためには負けられない。彼がいなければ世界を救うことはできない。その想いが、勝利の道を切り拓く。
 激闘の果て、彼らはついにレギオスをねじ伏せた。だが、レギオスはいう。
「たしかに、神菜草にはある種の解毒作用がある。しかし、その毒に対して効果があるかは不明だ」
「ど、どういうことですか」
「話を聞くに、その毒には覚えがある。かつて同様の症状を訴えた人間が神菜草を求めてやって来た。その毒は遅効性で、症状が出始めた頃にはもう手遅れなのだ。毒を受けた直後なら解毒は可能かも知れないが、そこまで深刻な症状が出たあとでは絶望的だ」
「そんな……」
「だが、そこに一%でも可能性があるなら、やる価値はある」
 こうしてレギオスは心を開いて〈神菜草〉を譲り渡し、その正確な調合法まで教えてくれた。彼が神菜草を守っていたのは、それが消化能力の未発達な我が子のための貴重な食料だったためだ。彼は勇者のために子が餓死する危険まで冒して分け与えてくれた。尊ぶべき自己犠牲精神に感謝は尽きない。
「魔王軍め、毒にまで手を出すとは……いよいよ手段を選ばなくなってきたな」
 毒から目覚めるなり、ラルフはいった。
 勇者の帰還に仲間たちは、王宮の人々は感動にむせび泣いた。さらに、勇者の回復祝いにある人物が病室を訪れた。
「あなたは……?」
「新皇王ヴェヒター・ブランケイストだ。よろしく」
「なっ、皇王陛下でいらっしゃいましたか……!」
 ラルフは立ち上がり頭を下げようとしたが、病み上がりで身体が言うことを聞かなかった。
「よいよい。君は勇者だ。誰も止められなかった魔王軍に大きな打撃を与えた英雄だ。頭を下げるのはむしろ私の方だ」
 そういい、皇王は頭を下げる。その地位にふさわしいだけの寛大で謙虚な態度からは、神々しい風格すら感じられた。
「先の皇王は七魔将の傀儡だった。皇王だけでない、王宮そのものが支配されていた。だが、君たちが王宮へ向かっているのを察知すると、七魔将は逃げ帰ったよ。そのことで王族や貴族の洗脳は解けたが、前皇王は責任を感じ引退。その弟である私が新皇王に即位したというわけだ」
「そうでしたか……」
 さらには、病室に似つかわしくない慌ただしい客人も現れた。皇女アデライドである。
「あなたが勇者ねっ! 今夜は私と共に食事することを許可してあげるわっ! 感謝しなさいっ!」
 いかにもおてんば娘といった調子で、彼女は勇者を見るなり捲し立てた。
「ありがとう」ラルフは微笑み、短い返事をする。
「ななな、なに感謝してんのよっ! ばかっ!」
 それだけ言い残すと、すぐに彼女は病室を出て行った。
「……なんなの、あの子。妙に慣れ慣れしかったけど」とミナが漏らす。
「彼女は僕の幼なじみでね」
「え」
「彼女の父が、彼女を連れてよく師匠のもとに遊びに来てたんだ。河原で水遊びなんて、いい思い出だよ。彼女が皇女だと知ったのは、だいぶあとになってからだ」
「へ、へぇぇ……」
 ミナは、どこかで嫉妬を覚えている自分に気づいた。

 それから数日。
 すっかり身体の癒えた勇者は、その目覚めに妙な違和感を覚えた。外の様子がおかしい。王宮のメイド長より黙って案内され、階段を上り、王宮の最上階まで率いられると、バルコニーに出るよう指示される。外は太陽が眩しく、勇者は目を覆ったが、なにやら騒がしいのだけはわかった。そして、おそるおそるバルコニーに足を踏み出すと、そこには――。
「勇者様!」「勇者様!」「勇者様!」「勇者様!」
 大歓声が勇者を迎える。眼下にて、人々が皇都中を所狭しと埋め尽くしていた。国中から人々が集まり、声援に駆けつけたのだ。これまで勇者が助けてきた人々、勇者に期待をかけるもの。それだけではない。ローレリアやレンシュタインをはじめとした近隣諸国の最高指導者が一堂に会し、長い間アイゼルと犬猿の仲だったシャピアロンの帝王さえも姿を見せた。〈覇王〉ナザレ・ヴィノグラードもまた、帝王に同行していた。破落戸国家とされるゾルティアからも有力者の列席が許され、それからジェイクの姿があった。海を隔てた国々からも、アリネリス共和国の大統領、またはハイペリアまで、各国の首領が惜しげもなく顔を見せる。各界の著名人もそこにはいた。星振教聖王アルラヤ・ユーベリオス、魔鉱山業で大成功を収め世界一の富豪となったフラン・J・アクセルローター、エクリプス総合大学学長であり大魔導師として名高いアルク・デスパレ教授。そして、音楽家、造形家、画家、劇作家、あらゆる分野の有名文化人も見受けられた。さらには、世界を股にかける多くの冒険屋が彼の姿を一目見ようと現れた。〈伝説の冒険屋〉マジカル・ロジャー、〈瞑狩り〉ビアス・キール、〈盲目死師〉キャップ・モヨル。いずれも錚々たる面々だ。
「こ、こんなに……!」
 多種多様でいて二〇〇万人は軽く超える激励に圧倒されながらも、勇者は立っていた。集まった人々だけではない。世界中の人々が、遠くから勇者のために祈っていた。そして、志半ばに倒れた人々の想い――父さん、竜族のみんな、涅槃、剣友騎士団、そして師匠。一人ではとても抱えられない重みだ。しかし、彼には仲間がいた。ミナ、リヒト、クロエ。そして、身を呈してラルフを守ってくれたカレンフェルト。だからこそ、彼は押し潰されることなく立っていられる。勇者はたしかに地を踏みしめ、顔を上げた。
「僕は、必ず魔王を斃します」
 勇者は、深呼吸をして、ただ一言だけ宣言した。
「がんばれ勇者!」「負けるな勇者!」「うおおおお!」
 歓声は鳴り止まない。誰もが勇者に望みを託している。誰もが敵うはずがないと諦めていた、魔王を斃しうる存在に、希望を託していた。
「世界が、一つになっている……!」
 ミナは歓喜に満ちた声でつぶやいた。
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