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或る魔王軍の遍歴 作者:饗庭淵

一章〈魔王〉ロリセックス・ハンペローゼ

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「……一つ質問をさせていただきたい。君は本当に人間なのか? ゾンビかなにかでなければその不死身、説明がつかん」
(三条陸 稲田浩司『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』より)
 早朝四時。皇都を覆う、高く厚い外壁の上で、兵士たちは見張りの業務をこなしていた。
「いまごろ、エルシャリオンとの国境ではおっ始まってんのかな」
「さあな。そこで食い止められればいいが、それができなければやつらはここまで来るだろう。気を引き締めないとな」
 緊張と怠慢の間を、衛兵の士気は揺れ動いていた。いつものようになにもない夜、だが、近いうちにそうはいってられない日が来ることを、彼らは知っている。だが、まさにこの日この時に、平穏の破壊者が眼前に現れるとは思っていなかった。
 彼らは目を疑った。そして、自らが生きていることを疑った。
 死が、大挙して押し寄せてきた。黒く重い膨大な魔力の渦が、兵士たちを押し潰していた。背骨を引き抜かれるような寒気。立つことすらままならぬ。目の前に、皇都の門の前に、忌むべき敵が大軍を率いて現れたというのに、彼らは動けなかった。
 魔王軍。全人類の不倶戴天。魔王を先頭に、その後ろには七魔将。総勢約二〇〇〇。
 対し、皇都の常備軍は総勢約一七〇〇〇。だが、数の上での有利などなんの意味もない。魔王軍の奇襲は完全に成功し、皇国軍は臨戦態勢にすらないのだから。早朝だというのに、いち早く危機を察した鳩らは一斉に都市の外へと飛び立った。
「な、なぜ橋が降りている?!」
 堀に橋が降りていた。外敵の進入を拒むはずだった堀はその機能を失い、魔王の侵入を許す。彼は一人堂々と歩いて門に近づき、そっと触れる。まるでそれが当然の現象だといわんばかりに、固く閉ざされていた門は跡形もなく破砕、その破片は皇都内部に散った。
「敵襲! 敵襲だ! 魔王軍、魔王軍が攻めてきたぞ!」
 勇敢なものはいるものだ。彼らも竦むばかりではない。門の破壊とその音で、ようやく目が覚めたのだろう。そして、脅威は伝播する。
 煉瓦造りの民家では、すでに火の消えて久しい暖炉の前で猫が寝そべっていた。一〇分遅れの振り子時計が四時を示そうというころ、まず目を覚ましたのは彼、幼い子供と夫婦の眠る寝室を訪れ、喉を鳴らした。
 パン職人の朝は早い。仕込みのために目覚めた彼は、今日も城壁の向こう側に控える暁を迎えようと簡単なストレッチに励む。その傍ら、異変に気づいた。城壁の衛兵が騒がしい。そして、門が破壊される轟音を聞いた。
 皇都中に警鐘が鳴らされる。避難勧告、そして戦闘態勢準備。各兵舎で眠っていた兵士たちは飛び起き、即座に剣と鎧を武装した。それは訓練通りの最速の動きであったが、大きな遅れを取り戻せるものではなかった。

「くそ! やつらいったいどこから……よりによって〈剣友騎士団〉の不在時に!」
 敵の侵入を許してしまった以上、衛兵の次なる仕事は敵戦力の把握と報告だ。しかし哀れなことに、彼らにはその仕事の遂行すら許されない。衛兵の首は次々に刎ねられていく。兵士の背後から背後へと、影が現れては消えていく。
 〈空間歪師〉クラウス。魔王軍の突如の奇襲は狐の面構えをした彼の仕業だ。彼は空間に穴を開け、二点間を繋げることができる。空間魔術は高度な魔術だ。ましてや二〇〇〇もの軍勢を一度に移送するなど、彼の業でなければあり得ない。

「なんだあれは……! 炎……あれが、炎だというのか?!」
 魔王軍は挨拶もなしに土足で皇都に雪崩れ込む。薄暗い朝焼けの中、その巨大な炎は兵士たちの目には眩しく、炎でありながらまるで津波のように、それ自体が生き物であるかのように兵士たちを飲み込んでいく。鉄製の鎧さえも融かして、建造物もお構いなしに、まるでまさしく悪食の権化だ。
 〈獄炎〉ホムラ。彼の姿は猛々しき赤い魔人。その炎は皇都さえも飲み込む勢いだ。燃え広がる炎のなか彼は踊る。彼の表情は、自らの炎に照らされ、殺戮の歓喜に震えている。

「や、やめろ! 来るな! 近寄るな!」
 一方で、文字通り兵士たちを飲み込む巨大な黒い塊があった。比喩ではない真性の悪食。鎧も、剣も、お構いなしに頭から兵士にかぶりつく。人間一人など平気で丸飲みにしていく。一人の勇敢な兵士が大きく振りかぶり、その背後に斬りかかった。結果は悲惨なものだ。刃はまるで通らず、彼の両手を痺れさせるだけだった。だが安心して欲しい。無力感に苛まれるより先に、胃袋の中にご案内だ。
 〈大喰らい〉ネグロ。丸まると太った黒い怪物。見上げなければ壁と見紛う。好きな食べ物は人族。嫌いな食べ物はない。

「まだいたのか! なにをしてるんです早く! 早く避難してください!」
 兵士は一人の女性に声をかけた。他人を思いやる心遣い、その正義感が命取りだ。女性は振り返ると、美しい髪をなびかせながら舞った。鎧に守られた兵士の肉体、そのすき間を縫うように、細身の剣が切り裂いていく。彼女の美しさに跪くように、兵士たちは膝をつき、崩れ落ちていった。
 〈恋する乙女〉セリア・ベラングェ。元の姿が人に近いため、ノーリスクで人族に化けることができる希有な魔族。その他にも多彩な魔術を操る。衝撃魔術、爆発系、肉体強化、雷撃――流れるように兵士の死体を積み上げていく。

「冗談はもう大概にしてくれ! こんなのあるかよ……!」
 魔王軍二〇〇〇。皇国軍一七〇〇〇。数の上では桁違い。交戦の火花が散る中、皇国軍は勢いよくその数を減らし、魔王軍はじょじょにその数を増していた。原型を留めた死体はすべて彼の手駒だ。かつての皇国軍兵士が、辛くも仕留めた魔王軍の魔族が、彼の下僕として埋葬されることを拒むのだ。
 〈不死王〉フェザード・アルバス。その姿はまさに痩身の死神。敵・味方関わらず、死体となってしまえば彼の使役の対象だ。アンデッドの兵を殺す術はなく、動けなくなるまで破壊するしかない。対峙したものが命を落とす方が普通は先だ。そうしてネズミ算的に死者は仲間を増やしていく。

「おいおい! なんだこりゃあ? 弱いじゃねえか! 楽勝じゃねえか! こんなもんかよ魔王軍ってのはよぉ?!」
 快勝が続いていた。人間が魔族を圧倒する非現実的な光景。彼らはまさにそれを演じていた。血肉躍れ。愉快極まる。気づいた頃にはもう遅い。すべて幻。すべて夢。彼らは味方で同士討ちをしていたに過ぎない。それが現実。
 〈潜むもの〉エアク・ラナリット。橋を降ろさせたのもこの業による。幻影魔術はお手の物。淫夢も悪夢も自由自在だ。もっとも敵として出会ってしまったが最後、悪い現実が待っている。

「目標魔王! 撃て! 撃ち尽くせ!」
 戦火の最中、王宮に続く中央街路を悠然と歩み進む魔王に、無数の王宮砲台は照準を定めた。距離は遠いが知ったことではない。一刻も早く元凶を討たねばならぬのだ。魔王に向かって一直線に放たれたはずの砲弾は、しかし空中で斬り落とされる。狙いを外した砲弾だけが着弾を許された。もはやそれは、魔王を歓迎する祝砲のようだった。
 〈剣王〉エルオント。七魔将最強を誇る男。魔王に向かう砲弾を斬り落とすなどわけのないことだ。全身を黒く重い鎧に包みながらもその動きは軽く、魔王の眼前に着地し、即座に跪いた。
「さて……できることなら今のうちに、敗北を認めていただきたいものだ」
 魔王は空に右手を掲げた。数十の兵士たちが魔王を取り囲んだが、近づくことができない。エルオントは魔王に跪いたまま、彼らを気に留めることもなく。
 魔王の右手に魔力が集中する。上りはじめた朝日は、立ちこめる暗雲に覆い隠される。天候までもが魔王に従属する。雷雲、空気が震えている。取り返しのつかない、甚大な魔術が放たれることは予想できた。だが兵士たちは動けない。それを止めることなど、もはや不可能だと知っていたからだ。
「〈神鳴り〉」
 七箇所。皇都に雷が落ちた。戦闘を鎮めるほどの轟音。教会が、宿舎が、鍛造所が、訓練所が、民家が、時計塔が、市場が、つい先ほどまでそこにあったはずの建造物が、音を立てて崩れ落ちた。まるで時が止まったように、人間は驚き戦き、魔族はその偉業に心から打ち震える。ぱちぱちと炎が燃え広がる音だけが残り、魔王の声はよく通った。
「聞け、人族よ! すでに力の差は十分に思い知ったはずだ! これ以上戦いを続けても双方無駄な犠牲と労力があるだけだ。いま敗北を認めるならこれ以上の殺戮はなさない。白旗を揚げよ!」
 〈魔王〉ロリセックス・ハンペローゼ。
 七魔将全員を率い、わずか二時間で皇都デグランティの制圧は完了。アイゼル皇国はその日、魔王軍の手に落ちた。
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