獅子の心・5
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目を見張るような夕焼けだった。
蕩けて焼け落ちそうな太陽は、その残り香とも言える赤光を教室の中に光線として差し込んでいた。
眼に痛いほどのそれを受けて、兎月は机に突っ伏していた。結局、あの後はレオンの説教と仕様説明を足して二で割ったような演説を夜通し聴かされる羽目となった。つまりはまともに睡眠など出来ていない。千歌からの通話さえなければ、学校をサボりたいくらいだった。瞼は両端が生き別れの恋人ででもあるかのように引っ付きたがっているし、頭脳はストライキを起こしている。しかし、兎月の疲れの原因はそれだけではなかった。
――本当に、それでいいのか?
自分に問いかける声が聞こえるような気がする。その声音は、兎月自身のものだ。
――自分には関係のない話だと。そう割り切って。見ない振りをしていいのか?
五月蝿しい。あの時はそうする他に無かっただけだ。誰が好き好んで鉄火場に足など踏み入れるものか。自分はただの高校生だ、それ以上でもそれ以下でもない。断じて。
――そうして、また誰かが死ぬんだな。お前の所為で。お前にはそれを止めることが出来るというのに。
糞。
イライラする。まるで神経が落雷を受けた竹のように割れている。足が自分の意思とは無関係に揺すれていた。
だからどうした。俺には関係のない話だ。そうだ、自分にはなんの関係もない話だ。だから気にする必要はない。コンビニで買い物した後レシートを捨てるように、なんということはないこととして忘れてしまえばいい。ただそれだけだ。
それだけの話なのに、何故。
何故――自分はこうも苛立っているのだろうか。
感情は理性と同じ場所に在るが、仲良くしているわけではない。だから、理で想いを完全に説明することは出来ない。そんなことは分かりきっているが、説明のつかない苛立ちは結局のところ自分をよけいささくれ立たせる。
「よぅ! サボりの次は居眠りか、大将!」
「ただでさえ凶暴な面相が三割り増しで危なくなっているな。指名手配犯も裸足で逃げ出すだろう」
そんな兎月に声がかかった。一人目はメロンパンを齧りながら陽気に兎月の肩を叩き、もう一人は眼鏡の位置を中指で直しながら無感情にその隣に立つ。
「圭一に華介か……俺は疲れてんだよ」心底から疲れ果てている兎月。机に突っ伏したまま答える。
「そう言うなって、ラーメンでも食いに行こうぜ」意にも介さず呵呵大笑しながら言うメロンパン=福山 圭一。
「べ、別にあんたのためじゃないんだからね。……とでも言ってほしかったか」無表情な上に棒読みでそう言う眼鏡=高遠 華介。
「ねぇよ」
「何時までもそこで伸びてるわけにもいかねーんだから、観念してラーメン屋に行くんだ。なんなら奢ってやってもいいぞ――っと」
そう言うと、圭一は無理に兎月を立たせた。こうなってしまっては、もう机の上にぶっ倒れているわけにも行かない。
「いいよ、お前に借りは作らねぇ」
圭一の手を振り払い、自分の足で立つ。視界の片隅に、千歌の姿が入る。こちらを見てため息を吐いていた。色々あって疲れているんだ、そんな目で見るな。
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書斎。薄暗いその中で、仮面の男=修正者は一冊の本を開いていた。分厚く、重いその本のタイトルは『金枝篇』。英国の人類学者、J・G・フレイザーが刊行した、呪術/宗教の発生と変遷を膨大な資料をもって描いた大著である。
その前には、四つの影が跪いている。小柄なものが一つ、長身の物が二つ、そしてもう一つが周防 命のものだ。
雪降る山中の如く張り詰めた静寂を、命の張り上げる声が破る。
「理由を聞かせていただけますか? 修正者。確かにモルフィングは仮面を吹き飛ばされはしましたが、敵を叩き潰すに十全な戦闘力を保っていました。私は――勝てました。ええ勝てましたとも」
命はその右手を血管が浮き出るまでに強く握り締めた。
「それはどうだかな」
くつ、と笑いながら揺れる一つの影。声は男性のものだ。
その声に向かって、怒りと面を命は向ける。
「私とモルフィングを侮辱するつもりなのかしら。修正者から頂いたモルフィングを馬鹿にしているのだとしたら、幾ら貴方でも覚悟してもらう必要がありますわ」
「その辺りで止めておきなさい、周防、エルネスト。私は同志が争うのを快く見守るような趣味は無い」
「申し訳ありません、我等が修正者」
仮面の男が本を閉じ静かに言うと、命は途端に恐縮した。
「私が君を戻したのは、君が失われるのを防ぐためだ。確かに、あのまま戦えば君は勝てただろう。だが、あのまま戦闘が進む事などは有り得ないのだ。何せ我等の敵は切札を温存しているのだからね」
「ですが私は――!」
「落ち着きたまえ、周防」
面を上げ、意地となって反論しようとする命を、修正者はなだめすかした。
「我等は我等の敵のことを、無論知ってはいる。しかし、相対したことは無い。ならばこそ、まず大事なのは敵の切札を見ることだ。その為には敵の切札を出させて、更にそれに殺されないだけの準備が必要なのだ」
「やはり私とモルフィングでは不足だというのですか!? 修正者!」
切々とした訴えを、命は続ける。
「私は貴方のためなら、命すらも捨てる所存だというのに。何故分かってくれないのです。私は、私は――」
「それが困るのだよ。君には生きていてもらわなければならないのだからな」
ふぅ、と修正者は溜息を吐いた。変わって、もう一つの長身の影が口を開く。
「俺が行ってもいい。そいつなら、きっと俺を連れて行ってくれるのだろうしな。俺の望む場所へ」
「いや、君の出番はもう少し先だ、ハチェット。次に出てもらうのは、もう一度周防とモルフィングだ。但し、工作用装備では無く戦闘用装備で、な。それで、我等の敵に切札を出させて欲しい。但し、倒すのが目的ではない――ということだけは忘れないでいてくれたまえ」
そう言われて、命は納得したようだった。今までのヒステリックとも言える行動は鳴りを潜め、子供のような笑顔と熱を浮かべて、修正者の次の言葉を待っている。
「今回の目的は『遺産』の奪取ではない。故に、遺跡に行く必要も無い。重要なのは我等の敵を誘き出すことだ。ならば、君が行くのは我等の敵が出てこずにはいられないような場所。そう、例えば――」
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有限亭。奇妙な名前のこの店は、結ヶ原第一高校のすぐ近くに在るラーメン屋だ。カウンター席とテーブル席が三つあるだけの小さな店だが、人の入りはそれなりにいい。特に放課後などは、結ヶ原第一高校の生徒で一杯になっていることも多い。もっとも、今日は幾つかの席が空いているが。
高校生に人気があるのは、単純に高校から近いからというだけの理由ではない。店主が結ヶ原第一高校のOBであり、生徒には特別割引が利くのだ。
そのカウンター席に、兎月、圭一、華介は三人並んでラーメンを啜っていた。三人の前にあるのは、有限亭一番人気の豚骨醤油ラーメン。元から相当に量が多いのだが、圭一はそれを更に大盛りにしている。兎月からすれば、一食に取る量としては健康を害す量に見えるのだが、圭一にとっては間食程度なのだろう。
そうは言っても、兎月も麺を啜るペースは速い。こってりとしたスープが細面によくからみ、するすると胃の内に吸い込まれていく。スープは熱く、額を汗が伝う。眠気が吹き飛ぶには十分と言えた。
「そろそろ教えろよ、昨日何しにいったんだ? 高槻が心当たりに当たった途端急に叫んだりするし、気になるぞ」
麺を啜り、噛みながら圭一は問う。
「千歌が?」
「ああ、飯時にいきなり『あのバカー!』って。教室に居た連中全員びくっとなって――なぁ?」
「おーいえーす」
圭一に華介は感情の入っていない声音で同意する。
教室で大声上げて、一体どっちが馬鹿なのか。思わず兎月は溜息を吐いた。
「あいつは……ったく」
「心配なんだろーさ。お前、結構無茶する性質だしな」
「される必要の無い心配されても、困るんだよ」
「で、何処に行ってたんだ?」
華介が問う。既にラーメンを食べ終わり、店置きの野球漫画を捲っていた。
「あぁ、発掘現場までちょっとな」
「またか、お前も好きだねぇ」
「仕方ねぇよ。こればっかりはな」
自分でも、少しばかり度が過ぎているとは思わないでもない。しかし、口から出た言葉と思いは同じだ。これは仕方がない、どうしようもない領域のものだ。
「人に迷惑かけなきゃいいだろう」と、漫画を捲りながら言う華介。
「かかってる、かかってるから。主に俺に。今回は良かったけどさ、その前なんか誤魔化すの大変だったんだぜ」と、圭一。
「除く圭一」
「ひでぇ」
華介の辛辣な言葉に、圭一が唸るように返した。いつも概ねこんな風になる。
「次も頼むわ」
「マジか! また、やる気か!」
「無いとは言えねぇからな」
そんなことを言いながら、兎月がラーメンを食べ終わったときだった。
――緊急事態です。
急に、脳内にレオンの声が響いた。授業中や睡眠中に話しかけてこなかったのは良かったが、人が居るときに話しかけてくることも無いだろうに。
「わりぃ、ちょっとトイレ」
「おう、行ってこい」
「いてらー」
大のほうしかないトイレに駆け込んで、戸を閉める。これならさして会話の声がもれる事も無いだろうし、聞こえたとしても端末での会話だと思うだけだろう。
「一体何があった?」
――前回戦った敵が、再び現れました。どうやら転移してきたようです。
一瞬、まるで首筋に冷やりとした指が触れたように、身体が反応した。脳裏に、巨大なその姿と仮面、そして獣のように唸るドリルが浮かぶ。いや、今はあれに心をとらわれているわけにはいかない。首を振って、印象を脳から追い払う。
「……場所は何処だ」
――茨城県の海沿いを南下中です。進行ルートの先には、東海村が在ります。
「まさか――」
考えるまでも無い。東海村といえば、あれが在るところだ。
――はい、原子力発電所がある、あの東海村です。
東海村で現在運転している原子力発電所――東海第二発電所は、日本初の一〇〇万kW級軽水炉である。現在は解体された日本初の商用原子力発電所、東海発電所とかつては一体化しており、大きな発電量を誇る。そしてその近くの核燃料加工施設では、かつて日本最悪の原子力事故とよばれた、東海村JCO臨界事故が起こっている。
血の気が引くのが分かった。敵の目的は分からないが、巨大ロボットが原子力発電所で暴れたりしたら、東海村臨界事故とは比べ物にならないことになるだろう。スリーマイル、チェルノブイリ、いや、場所の都合上更に酷いことになるかもしれない。
その場合犠牲者は一万を下らないだろう。
一万はただの数字だ。ただ、その一つ一つは外でラーメンを啜っている圭一や、漫画を捲っているだろう華介と同じ、人間だ。一万は数字だが、分散した一は数字ではない。
一つの光景が浮かぶ。いや、それは光景というにはあまりに朧な、印象とでもいうべきものだ。道路に立っていた幼い自分が誰かに突き飛ばされ、その結果自分は助かって、誰かは死んだ。それだけだ。一体何に由来する印象なのかは分からない。しかし、ぼんやりとした印象にも関わらず、それはかえしの付いた棘のように抜けないものとなっている。
――唯一幸いなことは、恐らく敵の戦略目標が原子力発電所ではないことです。
「どういうことだ」
――人質と同じことです。人質を取るのは、それを盾に何か要求したいことがあるから。人質を殺傷するのが目的ではなく。
成程。身代金か。なら、この場合の身代金はなんだ?
「つーことは、要求があるわけだろう。一体それは何だ? 誰に要求してやがる?」
――要求の相手は私。目的も恐らくは私です。
回りくどい表現だ。しかし、理解に時間を要するほどではない。要するに、レオンを誘っているのだ。
「誘き出すのが、目的だ。そうお前は判断するわけか」
――そうです。仮に原子力発電所の破壊、及び周囲の汚染が目的なら東海第二発電所に直接転移すれば良いわけですから。
「確かに……そうだな」
人質一万人のタイマン要求とは、剛毅なことだ。糞ったれが。
――私は誘いに乗ります。貴方はどうしますか?
「俺は――」
言葉に詰まる。どうしたらいい? 喉の奥に壁が出来たかのように、答えが即座に出てこない。
――先日貴方が言ったことは事実です。貴方に、戦う義務は存在しません。しかし、現状で当機がフルに実力を発揮するためには貴方が必要です。故に、これはただのお願いです。見ず知らずの人達のために、死んでください。
言葉が喉から出てこない。代わりに奇妙な熱と軽い吐き気を覚えるばかりだ。出したい言葉は決まっているような気がするのに。
――決めるのは貴方です。問います――貴方はどうしたいのですか?
その言葉を聴いた瞬間、喉の仕えがするりと消えるのを感じた。
「連れて行け」
そうだ。理屈などどうでもいい。確かに自分には何の関係もない話だ。しかし、自分が行けば、万という人間が火の粉をかぶらずに済む。
ならば行けば良い。
ああ、良い気分だ。風吹く平原に一人立っているかのように、自由であると感じられる。初めからこうしていればよかったのだ。自分には関係ないなどと割り切ったつもりになって、賢しらぶっているよりも、自分のやりたいようにやったほうが良い。例えその結果傷ついたとしても、そっちのほうが性に合っている。
つまりは遺跡やら何やらが好きなのと同じだ。どうしようもなく愚かだが、それも含めて自分であり、そのことを嫌ってはいない。
――協力感謝します。
「お前のためじゃねぇよ」
そうだ、自分がやりたいからやる。それ以上でもそれ以下でもない。行為が滅私的に見えても、動機は限りなくエゴイスティックである。構うものか、と兎月は思う。
「で、お前は何処に居るんだ?」
――正確な位置としては、貴方の頭上数メートルの壁越しに。理解しやすく言い換えるならば、このラーメン屋の上です。
「少しは隠れろよ!」
――エーテルコート……機体表面にマテリアル・サイを塗膜し、更にマテリアル・サイにモニタとしての機能を持たせ、光学迷彩として起動させています。誰かに見つかる心配はないでしょう。
「……便利だな、マテリアル・サイ」
半ば、呆れる。BMI、剣の刀身、レオンバスターの弾、果ては装甲表面塗膜ときた。演算能力と運動能力を備えた流体金属、いや、ナノマシン。便利などという領域ではない。
――特異点炉と並ぶ、当機の要です。
「だろうさ――じゃあ、俺が外に出たら拾え。その足で、敵んところまで行くぞ。可能な限り早くだ」
――了解しました。七瀬 兎月、貴方が当機のプレイヤーであることを誇りに思います。
「兎月でかまわねぇ」
――認識しました。行きましょう、兎月。
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