俺が生まれたとき、肉を食べるって意味がわからなかった。
肉? それって何? 食べ物なの?
へぇ〜、変なの。
食卓に並ぶのは野菜が当たり前のことだったし、それが普通のことだと思っていた。
どうも100年位前は残酷にも動物の肉を主食として食べていたらしい。
これは学校の授業で習ったので知っている。
なんでも、牧場やらにたくさんの牛や豚を飼って、それを出荷して食べていたとか。
肉を食べるって事は、寿命で死んだ肉を食べるって訳ではない。
わざわざ元気な奴を殺して食べるのだ。
全く昔の人間は本当に野蛮なものだと俺は思った。
今よりも未来。
人類は肉を食べることが出来なくなった。
それは食料となる動物が絶滅した訳ではない。
人類は様々な伝染病に対する抗体を完成させた。
このすばらしい発明に全人類は喚起した。
喜び勇み、全人類はその抗体を摂取した。
これにより人類は新たな進化を遂げた・・・・・・はずだった。
後にこのワクチンにとんでもない副作用が発見されることとなる。
動物を食した場合、その動物のDNA、すなわち遺伝子が人類の遺伝子と融合してしまうのである。
その結果、細胞の暴走により99、9999パーセントの確立で死に至る。
人類は強制的に菜食主義へと変化せねばならない時代を迎えていた。
俺は肉を食べたいとは思わない。
けれど人間って奴は肉を食べたがる生き物らしい。
これは生まれもった本能って奴がそう思わせるらしい。
まぁ俺はその本能ってやつが薄いのかもしれない。
実際学校でも、お前はボーッとばかりしてるなぁなどと言われる。
俺には双子の弟が居た。
『居た』そう過去形だ。
今弟は居ない。
弟と俺はいつも一緒だった。
好きな遊びも、服の趣味も、好きな色も。
タダひとつだけ違っていたことがある。
弟は『肉を食べる』という本能が強かった。
俺が高校に入学した日に弟は書置き一つ残さず家を去った。
警察の捜索も甲斐なく、俺が高校三年になった今も弟は見つかっていない。
連続失踪事件。
弟の失踪はその事件のひとつとして片付けられた。
国内で多発している連続失踪事件。
この真相はまだわかっていない。
ただ失踪するのは決まって若者ばかりだ。
これが意味することもわかっていない。
『いい子にしてないと、怖いおじさんがさらいに来るわよ』
その事件にちなんで小さい子供をしかる時の母親はよくこう言うらしい。
自分の子供が本当にさらわれたら冗談でもこんな言葉は言えないはずだろうに。
「おはよう、幸太」
「おっす、雪花」
登校途中、いつもの待ち合わせ。
雪花は恥ずかしながらも俺の彼女だ。
のんびり屋の俺に似合っているというか何ていうか、雪花も相当ののんびり屋だ。
せかせかとした世の中も俺たち二人にかかれば、亀の歩みほどのんびりまったりになる。
「今日ね、幸太の為にお弁当作ってきたんだよ」
雪花は嬉しそうに、鞄の中から可愛らしい熊のつつみの弁当箱を取り出す。
「へぇ、ありがとな。どれどれ中身は何だろかな」
俺は弁当箱を手に取るとさっそく蓋を開けようとした。
「だめっ。お昼休みまでのお楽しみなんだからぁ」
「はいはい。楽しみにしとく事にするよ」
「うん」
今日も平和だった。
昼休み、弁当箱を開くとそこには大量のキャベツのみじん切りが詰まっていた。
そうそう、言い忘れていた。
雪花は天才的なまでに料理が下手だ。
「ああ、やっぱりキャベツはみじん切りに限るよなぁ」
俺は棒読み気味にそう言うとキャベツを胃袋にかっ込んだ。
口の中がシャキシャキと小気味良い音を立てる。
雪花はそんな俺の姿を幸せそうに眺めていた。
ともかく平和だった。
放課後になり、俺と雪花はこれまたごく当たり前のように二人で下校する。
夕焼け空が俺たちの影を長く伸ばす。
真っ赤に染まった街路樹がとても綺麗だった。
「きれいだなぁ」
俺がポツリとつぶやく。
「そうだねぇ」
雪花も同じように答えた。
「雪花は綺麗って言うよりは可愛いだよな」
「そうだねぇ。――って突然なに言うのよぉ」
夕日で赤いのか、それとも照れて赤いのか、ともかく雪花はぽっぺを真っ赤にした。
ふと周りを見回すと、辺りには俺たちしかいない。
これはチャンスなのかもしれない。
付き合いだして約一年。
恋人同士の関係だというのに『キス』すらした事が無いのだ。
恋愛の進展速度も、俺たちの性格と同様にのんびりなのかもしれない。
「どしたの?」
「うんにゃ、どうもしない・・・・・・いや、どうかするかな」
「言ってる意味がわからないよ?」
雪花は頭をひねっている
「俺たち付き合って一年たつだろ?」
「そうだねぇ。一年くらいだねぇ」
「な、なぁ! そ、そろそろキスしないか!」
「えっ・・・・・・」
そのまま二人の言葉が止まる。
俺は相手の返事を待たずに、不器用に顔を近づけようとした。
「だめっ!」
俺の顔は雪花のビンタによって弾き飛ばされる結果に終わった。
「だ、ダメだよ。だって人が見てるもん・・・・・・」
雪花の言葉に後ろを振り返ってみると、そこには数人の男たちが立っていた。
いつの間に・・・・・・さっきまでは誰も居なかったのに。
しかしあれだよな。二人っきりだったらキスしてもオッケーって意味にも取れるよな。
俺がそんな都合のいい解釈に浸っていると、その男達の中の一人がこちらに向かって近づいてきた。
「おひさしぶり、兄さん」
その声には聞き覚えがある。
その顔には見覚えがある。
「幸治! お、お前ほんとに幸治だよな!」
幸治、それが行方不明になった双子の弟の名前だ。
「あはははは、僕は僕だよ。それとも僕の事を忘れたって言うのかなぁ?」
「そ、そんなわけ無いだろ! いつもお前の事を心配していたんだぞ!」
「へぇ、そうなんだ。その割にはかわいらしい彼女といちゃついていたようだけどね」
幸治は薄っすらと笑いながらも睨む様な目つきを雪花を向ける。
「幸太・・・・・・」
雪花は逃げるように俺の背中に隠れた。
「おやおや、そんなに怖がらなくてもいいのに。怖がってもらうのはこれからなんだからね」
その言葉に呼応して周りに居た男達が詰め寄ってくる。
あっという間に、俺と雪花は囲まれる形になる。
「幸治! お前、一体何しようって言うんだよ!」
「それはディナーの後に教えてあげるよ、美味しいディナーの後にね」
ペロリと舌を出し下唇をなめる幸治の動きに、まるで爬虫類でも見ているような嫌悪感を感じ、背筋に寒いものが走る。。
「幸治!」
俺が叫ぶよりも速く、俺の口は布ようなものでふさがれ、意識は深い海の底に落ちていった。
揺れる、揺れる、頭が揺れる。
重い頭が遠心力でぐらぐらと揺れる。
首が痛い。
いや、首だけじゃない。手首と足首も痛い。
俺が目を開くとそこはどこか倉庫のような場所だった。
出口はシャッターで覆われている。
俺は椅子に縛り付けられ足を縛られ、手首を後ろで固定されていた。
そうだ! 雪花は! 雪花はどこにいるんだ!
「雪花!」
必死で身体を動かそうとして、手首の縄がキリキリと食い込む。
「幸太・・・・・・・」
弱々しいけれど、それは確かに雪花の声だ。
「ほら、兄さんのお姫様だよ」
昨日までどうしても会いたかったはずの弟の声。
それが今ではどれほど憎憎しく聞こえる事か。
雪花は俺と同じように椅子に縛り付けられていた。
「幸治・・・・・・お前一体何がしたいんだよ。何の為にこんなことしてるんだよ」
「あははは、教えてあげようか兄さん?」
「ああ、教えてくれよ! そして俺と雪花を家に帰してくれよ!」
「そう、何から話せばいいかなぁ」
幸治は俺たちの縛られている椅子の前をゆっくりと歩き回り語り始めた。
「僕が家を出た理由。それは兄さんも少しは感ずいてると思うんだ。そう、僕は肉が食べたかったんだよ。食べたくて、食べたくて、食べたくてどうしようもなかったんだ。それは心の奥底からあふれ出る渇望。抑えることなど出来ない餓え! そして僕が家を出たのは、ある噂を聞いたからなんだ」
「噂?」
「そう、肉を食べさせてくれる人達が居るって噂」
「馬鹿な! そんな奴が居る訳無いだろ! それ以前に肉なんか食べたら死んじまうんだぞ!」
人間が肉を食べれば遺伝子が融合して死ぬ。それは子供でも知っている事だ。
「馬鹿だなぁ。それは別の動物の遺伝子が混ざっておかしくなるって事だろ。だからさ、別の動物じゃないものを食べればいいんだよ」
幸治は笑った。まるで悪魔のように笑った。
「そ、それって・・・・・・まさか!」
「そう、そのまさかだよ。人間の肉を食べれば問題ないんだよ」
幸治はけたたましく笑った、そして俺の縛られている椅子の前に来る。
「連続失踪事件だっけ。あれには二つのパターンがあるんだよ。一つは肉を求めて生活を捨てた人、僕のようにね。そしてもう一つは肉になって食べられた人。あははははははは」
「いやああああああ」
雪花が叫んだ。身体を左右にゆすりながら、こんな非現実的な場所から逃げたいと。
「おいおい、あんまりうるさくすると食べちゃうぞ」
幸治は雪花の椅子の前まで来ると、ニッコリと笑いながら腕に舌を這わせた。
「若い女の子の肉ってのは柔らかくて美味しいんだよねぇ」
「や、やめろお。頼む、たのむからやめてくれよ、お願いだから・・・・・・」
俺はいつの間にか泣いていた。涙をボロボロ流しながら弟に哀願していた。
「でもね、僕が食べなくてもね。僕の仲間が食べちゃうかもなんだよねぇ」
周りに居た数人の男達が雪花の周りに集まりだす。
「いや、いやあ。いやああああああ」
雪花は逃げ出そうと必死に身体を動かす。
けれどそれはかなわぬ事だった。
「あはははは。でもね。一つ助かるチャンスをあげるよ。僕らの仲間になるなら助けてあげてもいいよ。例のものを雪花ちゃんに出してあげて」
幸治の言葉を聞いて、一人の男が隣の部屋に下がる。
そして数分後、その男は小さな包みを持って現れた。
「ほら、この肉。この人間のお肉を食べて僕らの仲間になれば、食べないでおいてあげるよ。ゆ き か ちゃん」
男が包みを開けると、そこには真っ赤な肉があった。
「いや、いや、そんなの食べたくなんか無い」
男が口に運んだ肉を雪花は拒絶した。
「あらら、兄さん。このまま肉を食べないと、兄さんの可愛い彼女は僕らの晩御飯になっちゃうよ」
「雪花! 食べるんだ! その肉を食べるんだ!」
「無理だよ。だってだって、これ人間の、人間の肉なんだよ! そんなの食べられる訳無いじゃない」
「無理でも食べるんだ。そうしなきゃ雪花お前が・・・・・・お前が。頼む、頼むよ・・・・・・俺はどんな事をしてもお前に生きていてほしいんだよ。お願いだ、馬鹿なこと言ってるのはわかってる。でも、生きていてほしいんだよ・・・・・・」
俺は叫んだ、自分でも何を言っているのかわからなかった。
ただ雪花を死なせたくなかった。それだけだった。
俺の言葉に雪花は震えながら小さく頷いた。
そして目の前に差し出された、肉片を口に、口に入れた。
「吐き出しちゃダメだよ。ちゃ〜んと胃の中に入れなきゃ認めないからね」
雪花は噛もうともせずそのまま飲み込んだ。
せめて歯ざわりくらいは味わいたくなかったのだろう。
「おめでとう。コングラッチュレーショーン」
幸治が気の無い拍手を雪花にむける。
「さぁ、これでいいだろ。雪花を放してやってくれよ。返してやってくれよ。俺はどうなってもいい、だから雪花を・・・・・・」
「いいよ。返してあげるよ。その前に一つ問題です! いま雪花ちゃんが食べたのは本当に人間の肉だったでしょうか?」
えっ? 何を言ってるんだ?
「おい、ちょっと待てよ。おまえ何言ってるんだよ。人間の肉以外を食べたら・・・・・・」
「そう、遺伝子の融合により細胞が暴走して死んじゃいます」
「まさか、雪花が食べた肉は・・・・・・」
「さぁて、何の肉なんだようねぇ。わかっているのは人間の肉以外だってことかな。ふふふふふふ」
「うわああああああああああああああ」
殺してやりたい、そう思った。
こいつをこの世から消してやりたい。そう思った。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あああああああ」
その異様な声は雪花からだった。
もはやそれは声と呼んでいいものなのかしらわからない。
雪花の全身に血管が浮かび上がる。
まるでそれ自体が生き物かのように膨れ上がった血管が、血管が・・・・・・
その数秒後、目と耳から出血をはじる。
いやだ、いやだよお。もう見たく無い。見たくなんて無い。
全身血まみれになった雪花はビクッビクッと痙攣を繰り返し、その後動きを止めた。
雪花は俺の目の前で死んだ。
俺は縛られたまま、助けることも出来ないで、ただ雪花が死んでいくのを眺めるだけしか出来ないで。
ああ、ああああああああああああ。
「殺してやる! 幸治! お前を殺してやる!」
「兄さん、そんなに僕を憎まないでおくれよ。僕は兄さんのことがずっと大好きだった。いつも一緒でいたいと思っていた。そしてずっと一緒にいれる方法を思いついたんだよ」
幸治は俺の肩に優しく手を置いた。
「それはね、兄さんを食べればいいんだよ。そうすれば僕と兄さんの遺伝子はずっと一緒に僕の身体の中で生き続ける。僕らは一つになれるんだよ。素晴らしいじゃないか!」
「狂ってる・・・・・・お前ら狂っていやがる」
「狂っているのかなぁ。まぁどっちでもいいよ。僕は兄さんを食べられればそれでいいんだよ。さぁ生きたまま美味しく食べてあげるね。兄さんの絶叫が最高のスパイスだよ」
幸治は懐からナイフを取り出した。
きっとそのナイフで俺の肉を切り分けるのだろう。
そして胃袋に流し込むだろう。
俺は何も出来ない。
ただもがいて数秒食べられるのを遅らせることしか出来ない。
「ウガアアアアアアアアアアアアアアアア」
俺が死を決した瞬間、聞いた事も無いような獣の雄叫びが倉庫を走る。
「ちょっとまてよ。そんな馬鹿な」
「あ、ありえない」
「こいつ死んでなかった」
「まさか、ゾアントロピー現象?」
「あれは噂だけだったはずなんじゃないのかよ!」
雪花の周りに居た男達が口々に意味のわからない事を叫び始める。
その刹那、一人の男の首が飛び宙を舞った。まるでドッチボールのように。
「ひ、ひいいいいいい」
横にいた男はもんどりうって倒れこむ。
その男の目の前に立っているもの。
それは
「雪・・・・・・花?」
そんなはずはない。
けれど、そこに。そこの椅子に居たのは雪花だ。
しかし今そこに仁王立ちしているのは見たことも無い獣。
「はははは、数十万人に一人現れるって噂は聞いた事があったけれど、まさか兄さんの彼女がそうだったとはね」
獣は二本の足で立ち上がり、こちらを見据えている。
その獣の顔は、確かに雪花の面影を残している。
だからといって、そんな、そんな事があるのか?
「人間以外の肉を食べたものは99.9999パーセントの確立で死に至る。けれどまれに他の動物の遺伝子を取り込んだまま生き延びるものが現れる。ほら兄さん、見てごらんよ。あれは雪花ちゃんだよ」
幸治はその獣を指差した。
獣は激しい咆哮を揚げた。
その数秒後には幸治と俺以外の人間が肉片へと化していた。
あの重い荷物一つもてなかった雪花の手は、長い爪が生え、筋肉で大きく隆起している。
その手が、その爪が瞬時に人間を肉片へと変えたのだ。
「ははは、もうちょっとで兄さんを食べることが出来たのに、残念だよ。そうだ! 兄さんあのね――」
その言葉を聞き終わる事は永遠に無かった。
幸治は上半身と下半身に引き裂かれたのだから。
獣となった雪花は俺の方に歩み寄る。
「コ、コ・・・・・・コウタ・・・・・・」
うなり声にかき消されそうになりながら、雪花は俺の名前を確かに呼んだ。
「ゆ、雪花、お前俺の事がわかるのか!」
「コ、コウタ。ワタシ、コワイヨ。コワイヨ」
雪花の頬に涙が伝う。
雪花は俺の前の前までやってくると、その爪で俺を縛り付けている縄を切ってくれた。
「雪花、雪花ぁぁ」
俺は雪花を抱きしめた。
あのやわらかかった雪花の身体はもうどこにも無い。
それでも、それでも、雪花なんだ。
俺の大好きな彼女なんだ。
雪花が俺の顔の前に顔をゆっくりと近づける。
俺もそれに合わせるように、そして唇を近づける。
「コウタ、ワタシ、オニクタベタイ」
そして、俺の意識は消えた。
なぜなら、俺の頭は雪花の牙によって噛み砕かれたからだ。
ワタシはダレ?
わたしはゆきか
ドウシテココニイルロ?
わからない
わたしのめのまえには、まっかなゆかがひろがっていた。
めのまえにはいすがおいてある。
そこにはだれかがきっとすわっていたんだ。
なぜだろう。
なぜだか、なみだがでてくる。
わからない。
なにもわからない。
いかなくちゃ。
わたしはおにくをたべにいかなければいけない。
「兄さんあのね、知ってる? ゾアントロピーを抑え人間の姿を保つ方法はただ一つ。人間を食べ続け、人間の遺伝子を取り込み続ける。ただそれだけなんだよ」
それが幸治が最後に伝えようとした言葉だった。
おしまい。
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