ウォルテニア半島編
第3章第29話【無情の業火】其の3
西方大陸暦2813年4月18日夜
「交渉の余地……か」
ヘンリーの言葉に、アンドレは顎鬚を撫でながら呟く。
元商人としての感覚からすれば、ヘンリーの言葉は十分に実現が可能な様に思えた。
海軍として軍事力を担う事も、自衛出来る貿易船として交易に携わる事も不可能な事ではない。
其の一方で、問題は御子柴亮真と言う男がそういった利害に聡い男かどうかだ。
海賊と言う、世間一般からは嫌悪される職業である自分達を使うだけの度量の大きさ。
善悪に拘るような人間では恐らく交渉は無理だろう。
清濁併せ呑む事の出来る器量を持つかどうか……
そんな思いがアンドレの脳裏に浮かんだ。
「何か手土産が要るねぇ……それに、いきなり行っても話を聞いてくれるかは賭けになるよ?」
それまで黙って話を聞いていたルイーダが口を挟んだ。彼女の問いにヘンリーは当然だと言うように深く頷く。
確かに彼女の懸念は当然の事。本来なら然るべき仲介役を立てるべき話だ。
勿論、海賊である彼らに其れは不可能であるが、せめて心象を良くする為にも手土産は必要だった。
「手土産か……何を出す気だ。金か?」
アンドレの問いに二人は押し黙った。
選択肢としては悪くない。
何のひねりも無い直球であると言う点を除けば、万人が必要とするものだし、現金を貰って喜ばない人間は居ないだろう。
使い道も無限に考えられる以上、持て余す事も無い。
だが、其の一方で現金は送った人間を印象付ける事が無い。
提案したアンドレ自身、幾度と無く賄賂という手段を使ってきたからこそ理解できる。
現金は即効性がある反面、持続力が無い。
定期的に賄賂を贈り続けるというのならともかく、初対面の人間への手土産としては余り相応しくないのだ。
「出来れば俺達の利点を印象付けられるようなものが良い。それもなるべく物珍しい奴が」
それなりに見栄えがし、金銭的な価値が高い物。
滅多に手に入らない稀少価値の高い物が特に良いだろう。
更に言えば、消耗品ではダメだ。なるべく形が残るものが良い。
そんな思いがヘンリーの言葉に滲んでいた。
「珍しくて俺達の利点を印象付けられる物……か」
「どうだ、何か無いか?」
ヘンリーの問いに、アンドレは考え込んだ。
倉庫には交易船を収奪した際に得た珍品も無い訳ではない。
物流が発展していない大地世界では、他の大陸から輸入されてくる品はどんな物でも高値がつく。
だが、其の一方で、今倉庫に眠っている物の多くは実用的ではない上に、本当の意味での珍品だった。
香辛料、装飾品、衣類、武具。こう言った物は使い道がはっきりしており、なおかつ需要が多い。
逆に、書物や絵画、骨董品と言った類の物は、欲しい人間にとっては垂涎の品だが、興味の無い人間にとってはゴミにしかならない。つまり、需要が他の品に比べて少ないのだ。
今倉庫に残っているものと言えば、そういった所謂金に換えにくい品物ばかりだった。
「半島を開拓中である今の状態では、美術品などを送っても持て余すだけだろう……」
ウォルテニア半島での開拓が終わった後でなら良いが、途中である今の状況で美術品などを送っても邪魔にしかならない事が目に見えている。
折角贈り物をするのに、相手に喜んでもらえないのでは意味が無い。
沈黙が部屋を支配した。
御子柴亮真との交渉に自分達の運命が掛かっている事を、ヘンリーもアンドレも十分に理解していたから。
「しかし、あんた達の頭は肝心な時に働かないねぇ……」
馬鹿にしたような声が、沈黙を破った。
ヘンリーの鋭い視線が、卓に頬杖をつきながらニヤつくルイーダへと突き刺さる。
「どういう意味だ?」
低く押し殺した声。其処に含まれているのは明確な敵意。
彼ら三人に共通するのは、強靭な意志と、強固な肉体。そして、他者を圧倒する覇気だ。他人に侮られて黙っている事など無い。
「待てヘンリー……どういう意味だ? ルイーダ」
敵意の篭った視線でルイーダを睨み付け、今にも飛び掛らんとするヘンリーの顔の前に、アンドレは手を突き出して押し止めた。
其の眼は、ルイーダの真意を推し量ろうとしている。
「丁度良いのが有るじゃないのさ。あたし達の利用価値を示し、尚且つ半島でしか手に入らない貴重品がさぁ」
アンドレとヘンリーは顔を見合わせ、ルイーダの言葉を考える。
「半島でしか手に入らないだと?」
ヘンリーが確かめるかのように呟いた言葉を聞き、アンドレの脳裏に有るモノが浮かんだ。
「そうか……アレか」
「そうさ。男なら誰だってアレを送られて喜ばない人間は居やしないよ」
アンドレの言葉を聞き、何処か卑しさの混じった笑みをルイーダは浮かべる。
其の笑みを見たヘンリーの脳裏に、ようやく彼女の言う貴重品が思い浮かんだ。
「テメェ……アレは俺たちが散々苦労して……」
ヘンリーはルイーダへ食って掛かる。
それもある意味当然の事だ。アレはそう簡単に手に入るような物ではない。
多大な労力と、運。どちらを欠いても手に入れる事が困難な品物。
「そんなことは分かっているわ。だからこそ贈る価値があるんじゃないの? アレならどんな男だって喜ぶもの」
元々ルイーダは、娼婦としてこの町に連れてこられた奴隷だった。
しかし、彼女の容姿では客を取れないと判断され、娼婦達の管理という仕事を任されたのだが、これが彼女の才能を開花させた。
人を管理し、人を操る。
この才能にルイーダは長けていたのだ。
娼婦達を介して次第に彼女は勢力を拡大していった。
何しろ娯楽等ほとんど無いと言って良い世界の事だ。
女達を支配するということは、女の肌に触れずには居られない多くの海賊達も支配すると言う事。
そうやって彼女は昇り詰めたのだ。首領の地位まで。
「良いだろう。お前を信じよう……どちらにしろ直ぐに買い手を見つけられるような様な品物じゃない。なら、此処で贈り物にするのも悪くないからな」
「チッ……仕方ねぇか」
アンドレの言葉に、ヘンリーも舌打ちしながらも頷く。
金に換えられないほどの貴重なアレ。
それほどの物を贈れば、海賊である自分達の話を聞いてくれるかもしれない。
そんな思いが三人の中に浮かんでいた。
コーン、コーン
朝日の差し込む窓から、木槌を打ち込む音が響いて来た。
それに、大勢の怒鳴り声や、人の蠢く雑多な音が彩を添える。
人口と言う意味では、辺鄙な村程度でしかないはずなのに、外から聞こえてくるのはまるで都会の様に活気に満ち溢れた光景だ。
強固な目的意識を持った人々が、何かを作り上げる途中とはこういうものなのだろう。
亮真の眼に写る人々の顔には希望が漲っていた。
(町はだいぶ形になってきた……石畳の道路に大型船も受け入れられる港湾。城壁の方も実用に耐えられるレベルまで出来ている……問題は例の件か……シモーヌからの積荷は既に届いている。後は咲夜からの連絡待ちだな)
既に街は移民を受け入れる為の住宅の建築が始まっている。
最後の問題さえ片がつけば、ウォルテニア半島は新たな姿へと生まれ変わる事が出来るのだ。
そして準備は既に整っている。後は時期を待つだけ……
「亮真様。よろしいですか?」
「あぁ。ローラか。何かあったのか?」
窓から見える街の風景をぼんやりと眺めながら物思いに耽っていた亮真は、扉を叩くノックの音を聞くと扉へと視線を向けた。
「ご報告が」
そう言うローラの顔には、戸惑いと驚きが入り混じったなんともいえない表情が浮かんでいる。
余程、予想外な事が起こったのだろう。
(何か起こったな……)
亮真は無言のまま眼で先を促した。
そして彼女の報告を聞いた亮真の顔に、驚きの表情が浮かんだ。
其の部屋は粗末だった。
木で作られた柱と壁。
それらは強固に造られてはいたが、むき出しのままであり、とても貴族の執務室とは思えない。
部屋は爵位持ちの人間が使う部屋である為、それなりに広く造られている。
だが、それも部屋に設えられた家具が木目の粗い執務用の机と椅子だけとなれば、逆に粗末さを際立たせてしまう。
それもある意味当然なのかもしれない。
亮真がこの部屋を使うのは日に2回。朝と夜の報告を受ける時だけなのだから。
勿論、シモーヌから購入する品物の一覧や明細の確認など、書類仕事もあることはあるが、其の件数は圧倒的に少ない上に、そういった細かい仕事の大部分はボルツやマルフィスト姉妹に任せてしまっている。
亮真が確認するのは、彼らだけでは決済出来ないごく一部の書類だけだ。
では、亮真は何をしているのかと言えば、毎朝、現場監督として周りに喝を入れつつ、率先して街造りに参加していた。
自らが率先して体を動かす。
あざとい手段だが、階級社会である大地世界ではこれが事の外、大きな効果を齎した。
何しろ、多くの兵士達にとって貴族とは、支配する者であり、搾取する者なのだ。
貴族とは、自らは何も産み出さず領民から奪うだけの存在。
実際には大きな責任と代償を払っているのだが、支配される人間から見れば、そういった負の部分は眼に入らない物だ。
其の支配階級の一人である亮真が、自分達の中に混じって体を使う。
其の試みは亮真と兵士達との距離を確実に縮めたのだ。
共に汗を流し、言葉を交わす。
同じ食事をし、粗末な木のベットで眠る。
亮真のそう言った態度は、確実に兵士達の信頼を得ていた。
全ては順調に進んでいたのだ。そう、ローラからあの報告が齎されるまでは……
(クソッ。どうする……)
机の上に置かれた羊皮紙を睨み付けながら、亮真は心の中で舌打ちをした。
幾度と無く繰り返した問いかけだ。
既に夜の帳が辺りを支配している。
ローラの報告を聞いた亮真は、一日中部屋の中に篭り続けた。
昼食もとらず、亮真はひたすら自問自答を繰り返している。
いや、実のところ結論は既に出ているのだ。
問題は、結論を実現する為にどうするかと言う事……
(亜人……か)
海賊から届けられた交渉を求める手紙。其の中に書かれた贈り物こそ、亮真を半日の間苦しめる事になった原因だった。
亜人。
其れは、ウォルテニア半島に存在すると噂される、一般的には絶滅したはずの種族。
今朝、湾に入り込んできたいっそうの小船が齎したのは、亮真との交渉を求める手紙と、一人の亜人だった。
彼女の肌は紫水晶を思わせる艶のある黒。髪は透き通るような銀髪で、耳は人間より尖っている。
一般的に黒エルフと呼ばれる種族だ。
生きた宝石。
そういう形容詞が相応しいほど、彼女は美しい。
男なら誰でも彼女の放つ魅力の虜となるだろう。
いや、女ですら例外ではない。
ローラやサーラはもとより、ボルツやリオネと言った人生経験豊富な人間も、彼女を目にした瞬間から其の美貌に眼を見張ったのだ。
確かに、彼女はウォルテニア半島という特殊な土地ならではの贈り物と言えた。
亮真も男である以上、美しい黒エルフなどを贈られて喜ばないはずが無かった。
そういう意味で言うなら、海賊達の選択は正しかったと言える。
だが、彼らは思い違いをしていた。
そして其の勘違いが、全ての歯車を狂わせる事になる……
今回より、副題の付け方を変更いたします。
投稿済みのものに関しては、順次修正していく予定です。
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