「くたばりおったか!」
老人は必殺の呪文を放ち、肩で息をする。
荒れた息とは裏腹に老人の顔には必勝の笑みが浮かんでいた。
自らの使用できる法術の中でも、特に殺傷能力に優れて詠唱の短い術を選んで放ったのだ。
あれを喰らって生き残れるものなど居ない。そう断言できるほどの法術。
だから老人は気を緩めてしまった。亮真が本当に死んだかを確かめず。
それが致命的なミスとなる。
地面に伏せていた亮真は、老人の気の緩みを察して飛び起きた。
100Kgを超える巨体とは思えないほどの身のこなし。彼と老人との間合いが瞬く間に詰められる。
老人はそれに気がつくと、法術の詠唱を開始したが間に合わない。
「な! 馬鹿な! 全能なる……」
ドグン
老人の右わき腹から低くこもった音が響く。
「グホォ」
容赦なく打ち込まれた亮真の拳が、老人の右の肺から強制的に空気を叩き出し、詠唱を中止させる。
タネを明かせば簡単なことだ。
兵士の背を蹴り飛ばした後、亮真は床に伏せた。
ただ、それだけの事。
もし、老人の放った術が炎だったら、亮真の肉体はその高熱で直撃をしなくても、大ダメージを負っただろう。
もし、老人の放った術が大地から石の槍を無数に突き立たせる術だったら、亮真はその身を貫かれたに違いない。
だが、老人の放った術は雷電と暴風の術だった。
どちらも老人にとって殺傷能力の高い一撃必殺の術だ。
しかし、雷電は金属の鎧を来た男を前面に蹴り飛ばした結果、避雷針の代わりになり避けることが出来たし、暴風も床に伏せることで亮真の頭上を通り過ぎたのである。
人間は確信したときに最も油断をする。
自らの法術が絶対に当たるという過信。そして当たれば、必ず相手を殺せるという過信。
この二つの過信が、亮真へ勝利をもたらした。
「な〜爺さん。ここ何処よ?」
肋骨の何本かが砕けたのだろう。右のわき腹を両手で押さえながら蹲る老人に近寄り、亮真は穏やかな声で問いかけた。
「ぐうううう……」
「な〜?」
ベキ
嫌な音が神殿に響く。枯れ枝をへし折ったような乾いた音。
亮真の右の蹴りが老人の左の肘を砕いた音だ。
続けて、躊躇無く繰り出された亮真のつま先が、老人の左の脇腹へ突き刺さる。
「な〜爺さん。質問に答えてくれよ? あんたらはさっき「死ね!」だの「くたばりおったか!」なんて叫んでいたんだから、言葉が判らないことないだろ?」
亮真の顔には邪気の無い笑みが浮かぶ。
だが、其の笑みこそが老人にとって、最も恐ろしい表情だった。
「ぐうううう……」
だが老人は言葉を発することが出来なかった。老人はひたすら痛みに耐え蹲るのみだった。
亮真の蹴りを喰らい、肋骨を数本砕かれた所為だ。
「な〜爺さん。俺はあんまり好きじゃないんだぜ? こういうことはさ!」
亮真は蹲る老人の左耳を掴むと、其のまま上にねじり上げた。
老人の体重が左耳にかかり千切れ始めたのか、少しずつ血が滴ってきた。
「や。やめろ。手を離せ!」
「あ〜ん。離せだ? テメェ人に物を頼む人間の態度じゃね〜な。まったく。いい歳こいて口の聞き方もわからねえ様だな」
相変わらず薄ら笑いを浮かべてはいたが、その目は糸の如く細まり、その眼光は氷の如く冷え切っていた。
先ほど、クラスメイトに見せたごく普通の高校生と同じ人物とはとても思えないほどに、彼の表情は変わっている。
眼は鋭く、顔は能面のように無表情である。
それは普段押さえつけられていた彼の本性なのかもしれない。
獣の本性。老人は、その亮真の本性を知る事になった最初の犠牲者となった。
ゴグン
老人の右わき腹から再び鈍い音が響いた。
「ギャ〜〜〜〜!」
老人の口から獣のごとき悲鳴が放たれる。
容赦の無い左拳が、身長160cm体重60kg前後の老人の体を2m程も吹き飛ばした。
右手で掴んでいた老人の左耳を放さずに殴ったため、亮真の右手には老人の耳が残っていた。
「な〜爺さん。素直になろうぜ?幾つか質問を答えてくれれば済むんだからよ」
うつ伏せに倒れる老人へ、ゆったりとした歩調で亮真が歩み寄る。
「や……やめ……ゴフゥ……てくれ。話す、何でも……話す……」
砕けた肋骨が肺を傷つけたのだろう喋る度に老人の口から血の泡が飛ぶ。
千切れた耳から滴った血の所為で彼の顔は真っ赤に染まった。
さすがにこれ以上の苦痛には耐え切れなかったのだろう。老人は痛みに耐えながら、必死で言葉を繰り出した。
「ふぅ、良かった良かった。それじゃ質問その1な。ここ何処?」
「ここは……オルトメア……帝国の……王宮じゃ。」
「オルトメア帝国?」
老人の言葉を聞いて、亮真の顔に疑問の色が浮かんだ。
社会科が好きな亮真は地理も得意である。
彼は地球上のほとんど全ての国名を言う事が出来た。だが老人の言うオルトメア帝国なる国名に聞き覚えは無い。
「そう……じゃ。西方……大……陸中央……部の覇者じゃ。」
そういうと、老人は再び血の混じった泡を吹いた。
亮真の顔色の変化には気が付かなかったようだ。
「じゃぁ、次の質問な。なんで俺はここに居る?」
「……ワ……ワシが……召喚したからじゃ……」
「ふぅん。まぁそうだろうな」
亮真は老人の言葉に気のない返事を返した。
しかし、表面に出ない心の奥底で、彼がどう思っているのか、それは誰も判らなかった。彼の心の中を窺い知る術は無いのだが。
「さて3つ目の質問だ。コイツが一番大事だからちゃんと答えてくれよ? あんたの今後に大きく関係するからな!」
そう言うと、亮真は老人の顔を覗き込み尋ねた。
「俺は元の世界に帰れるんだろうな?」
声色は穏やかだ。言葉は荒っぽいが他人を威圧するような感じは無い。まるで親しい知人に話しかけるような気安い態度。だがそれが余計に恐ろしい。
老人の心臓の鼓動が破裂寸前まで脈動する。今、老人が一番聞かれたくない質問だ。
老人は、必死でこの場をやり過ごすための嘘を考える。
(戻れると言うべきか?いや、戻れるなどと言えば間違い無く、コイツは早く戻せというだろう。なら、なんと言う?準備に時間がかかるというべきか……?)
オルトメアの頭脳と謡われたオルトメア帝国主席宮廷法術師であるガイエス・ウォークランドが、このような下賤の者に殺されるわけには行かないのだ。
老人の双肩には、帝国の未来が掛かっているのだから。
(やはり、このまま時間を稼ぐしかない……異変を察すれば、警備の兵士達が飛び込んでくるだろう)
骨折の苦痛と戦いながら必死で頭を働かせるガイエスは、ふと自分の首に亮真の指が添えられていることに気がついた。
「な〜爺さん。嘘はいけないぜ? 嘘は」
亮真はガイエスの髪の毛を掴み、顔を覗き込んで言った。
「な……嘘な……ど……」
「考えてたろ?」
ガイエスの心中をズバリと言い当て、亮真は続けて言った。
「あんたの血さ。あんた。嘘を俺に見破られかもって恐怖したろ? その所為で脈が速くなったのさ」
実のところ、亮真の言葉はタダのハッタリだった。
彼は確かに脈の速さを測りはしたが、それが嘘をつくなのか、骨折のためなのか、単純に亮真に対して抱いた恐怖心なのかを判別は出来ない。
だが亮真には確信があった。それは3つ目の質問を行った後のガイエスの顔に浮かんだ恐怖だ。
つまり亮真に殺されかねない程に悪い内容だという事。それを老人が口にしないと言う事は、この場を切り抜けるための嘘を考えていると見るべきだ。
「き……貴……様そんな能力……が」
「さ〜はっきり言いな。俺は帰れるのか?帰れないのか?」
散々悩んだ挙句、ガイエスは遂に口を開いた。
其の表情には諦めの色が浮かんでいる。
「無理……だ。少なく……てもワシでは……」
「ふむ。まぁ爺さんの態度を見れば予想はついてたけどな。なら帰る技術は有るのか?」
亮真の顔には相変わらず怒りが浮かんでいなかった。絶望的な老人の言葉を聞いても、彼の口調は穏やかといってよい。
(なんだ……? こやつなぜ怒らない? なぜ動揺しないのだ?)
ガイエスの心の中で、恐怖が一段と大きくなる。
彼が過去に召喚した、100人以上の異世界人の中には居なかったタイプだ。
今まで召喚した異世界人の殆どはパニックを起こし喚き散らすだけだ。当然、何も出来ずに兵士達に拘束され、ガイエスが服従の呪印を施す。
召喚した異世界人の中には、危険を察知したのか、ガイエス達へ殴りかかる者も居た。だが、武装した兵士達の相手ではない。
兵士達に取り押さえられ、結局、ガイエスの前にひれ伏すことになった。
だが目の前に立つ青年は違った。
たった一人で召喚直後の異世界人が、4人もの兵士を殺せるなどありえるはずも無かったのに。
「ワ……シの知る限……りではどの国にも……無いはずじゃ」
様々な疑問がわきあがる中、ガイエスは問いに答える。
「召喚できるが帰還は出来ないってことか。なんでだ?」
「そ……それは」
いよいよガイエスの脈動は早くなる。
(不味い……どういえばいい? どういえばワシは生き延びられる?)
ガイエスには、亮真の問いをどのように答えれば自分が生き残れるのか判らなかった。
今までの亮真の行動を見ていれば、敵に微塵も容赦をしない、酷薄無情な男である事がガイエスは十分に理解出来ていた。
そして今の問いに対して真実を答えたならば、この冷酷な男が自分を生かしておくはずが無い事も。
答えるのを躊躇するガイエスを見て亮真の口に笑みが浮かぶ。
「ふむ。よほど答え難いらしいな……良いだろう。なら俺が答えてやるよ」
亮真の言葉を聞き、ガイエスの表情が恐怖と驚きで強張る。
彼の心臓が張り裂けんばかりに脈打った。
(まさか……いや、判るはずない。異世界に来た直後の人間などに……)
だが、ガイエスの願いは叶えられなかった。亮真の口から放たれた言葉は、彼を地獄へと誘う。
「異世界人を送り返す技術が無いって事は、おそらく最初から召喚した者を生かして帰す気が無いからだろ? 死体を帰す意味が無いから帰還の技術を研究していない。だからどの国にも帰る術が無い。そういうことだろ? どうだ! 違うか?」
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