「ふぅ……やっと飯か」
午前中の授業が終わり亮真は大きく息を吐き出すと、彼はかばんの中から弁当を取り出した。
飛鳥が朝に作って置いていった弁当だ。
亮真が通っているの高校は12時から13時までの1時間が昼休みとなっている。
彼は弁当箱とペットボトルのお茶を持つと、教室の扉を開けた。
「亮真君……また屋上で食べるの? 偶には私達と一緒にどう?」
机を合わせて昼飯を食べる準備をしているクラスメイトが、亮真に声を掛けて来る。
髪の長い目の大きな、中々に可愛い女の子だ。
亮真はその声を聞き、教室の入り口で止まった。
その顔に一瞬躊躇するような表情が生まれたが、直ぐに彼女の方へ向き直ると笑顔で言い返す。
「ああ。悪い、また今度な!」
別にクラスメイトと食事をしたくないと言う訳ではない。
亮真が昼食をクラスメイトと一緒に食べない理由、それは単純に弁当を人に見せたくないのだ。
なにしろ飛鳥の作る弁当は可愛すぎて彼のイメージに合わない。少なくとも彼自身はそう思っていた。
世の中にはキャラ弁という物がある。
さまざまなキャラクターを弁当の具材で表現するという物で、世のお母さん達はこれの出来栄えに心血を注ぐらしいのだが、飛鳥もまたこれの達人だった。
彼女のバリエーションは広く、ピカチューに始まり実に様々なキャラを弁当の具材で表現するのだが、正直に言って亮真は、自分の弁当でキャラ弁を作ることを、止めて欲しくて仕方が無かった。
高校生にもなって弁当にピカチューの顔が書いてあるなんて……
女の子に受けは良いだろうが、男の面子は丸潰れだ。
ところが製作者である飛鳥は、そんな亮真の男心をまったく考慮なんかしない。
中学校までは給食だったので、特に問題はなかったのだ。
ところが高校に入ってから弁当に持参となった。
両親がおらず、祖父も亮真の為に弁当を作ってやろうという様な人間ではない為、購買部でパンを買って済ませるのが習慣だった彼に、飛鳥が弁当を作ってやると言い出したのは4月の後半頃の話である。
せっかくの好意と有難く受け、昼休みに弁当を広げた時の彼の驚愕。
(今でも寒気がする……)
未だに亮真はこの時の事を思い出すと、体が震えるくらいである。
周りに見られないよう必死で食べたおかげで彼のメンツは何とか守られたが、帰宅後に飛鳥へ抗議の電話をしたところ、次の日の弁当は日の丸弁当(白米の真ん中に梅干1個)にされる事になった。
(朝飯も酷かった……コーンフレークと牛乳のみって……)
結局として、亮真は内心の不満を押し隠し、飛鳥に謝罪をする羽目になった。こうして彼の弁当は俗に言うキャラ弁となってしまったと言う訳だ。
「今度今度って、いつもジャン! もぅ……良いわ。でも次は絶対に付き合ってもらうからね!」
彼女はそう言い頬を膨らませた。中々愛らしい表情だ。
だが、亮真が右手を挙げて拝むと、彼女は笑いながら椅子に座った。
別にそこまで固執している訳でもないらしい。まぁ一般的な高校生の社交辞令と言ったところか。
「悪い悪い。あぁ今度は付き合うからさ!」
天気の良い日はいつも屋上で食事をし、予鈴のチャイムが鳴るまで昼寝するのが亮真の日課だ。
「ほんじゃぁ後でな」
亮真はクラスメイトに声を掛け、教室を後にした。
それは、亮真が屋上へ続く階段を上って居る時に突然起こった。
そう、彼の地獄はここから始まることになる。
フッ!
「あ?」
亮真の足元から床の感触が消えた。
突然、彼の体が垂直に落下し始める。
彼が階段を踏み外したと言う訳じゃない。確かに踏んでいたはずの階段の板が突然消失し、そのまま下に落ちたのだ。
彼は左手を前に突き出しと、階段の縁に手を掛け体勢を立て直そうとしたが、板の消失はほぼ階段全体に及び、彼の手は何も掴む事が出来なかった。
上を見上げれば、校舎の蛍光灯の光が少しずつ細くなっていく。
そして遂に光は消えた。
漆黒の闇の中を、彼はただ落ち続ける。
「あれ?」
亮真は突然異変に気が付いた。
いつの間にか彼の体が、落下ではなく浮上している事に。
「やべ〜。夢か幻覚か。俺どうかしたのかな?」
亮真は一人呟く。
それはそうだろう。
落下は物理的に言ってありえない事では無い。可能性は低いが、校舎倒壊とかで床が抜ける事もあり得るからだ。
だが浮遊は絶対にありえない。人は空を自力だけでは飛べないのだから。例えどれほど体を鍛えたとしても。
亮真は上を見上げた。
いつの間にか光が彼の頭上から降り注いでくる事に気が付いたのだ。
体が浮遊する光が太く強くなる。
そして、亮真の体は遂に光の中へと飛び出した。
「何処だ? ここは……学校にこんな場所があるはず……無いよな?」
亮真にとってここは校舎の中か、少なくとも高校の敷地内のはずだった。
だから目の前に広がる神殿のような空間を前にしても、それが学校の中の施設の一つだと思った。
だが彼のその認識は、目の前の人物を見た瞬間に崩れ去る。
亮真の目の前には五人の男が居た。
一人はゴテゴテと金糸銀糸で刺繍された真っ白なローブに身を包んだ老人。
だがこれはさほど問題じゃない。
問題なのは、残りの四人の格好である。
彼らの身長と体格は亮真とさほど変わらない。かなり鍛えられて居るのだろう。
二の腕の太さや太腿の発達具合を見れば、彼らが素人では無い事が一目瞭然だ。
全身を金属を繋ぎ合わせた甲冑で覆い、古代ギリシャで使われたコリュス式(頭に鶏冠がついた兜でT字型の鼻あてがついている)の兜を被り、手には斧槍を持ち持っていた。
鎧兜が本物であるかどうかは判らない。しかし、祖父との稽古で真剣を扱ってきた亮真の眼は、彼らの持つ斧槍が紛れもない人殺しの道具である事を見抜いた。
となれば、彼らが腰に帯びている剣もまた本物であると推察できる。
鎧だけなら、亮真は彼らの格好を仮装衣装だと思っただろう。
金を掛ければ日本でも購入が出来ないわけではない。買うやつは居ないだろうし、買って着込むやつはもっと居ないだろうが、少なくとも現実にそれを着込む人間が居ると言う事実は、現実に起こる事実として、理解できる範囲ではあった。
だが亮真はここを異世界とは思わなくても、自分が生きてきた日常とはかけ離れた場所だと言う事だけは強く認識しない訳には行かなかった。
彼に向けられた斧槍の全てが研ぎ澄まされた真剣だったからだ。冗談で本物の斧槍なんてものをそろえるとは思えない。
第一、日本でこんな物を向けられる状況など想像ができない。
仮に強盗や通り魔だったとしても、わざわざ斧槍なんてものを用意する奇特な人間など居るはずもないのだ。ナイフや包丁が精々だろう。
そして彼らから亮真へ向けられる殺気は本物だった。
祖父から叩きつけられるのと同じ種類の気配。肌をピリピリと刺すような感触。
(オイオイ、マジかよ……いや……こいつはマジだ……こいつらの眼……)
亮真の心の中で、何かが切り替わる。日常から非日常へと。
彼の平凡な日々が壊れた瞬間であった。
「ほぉ? 今回の召喚は当たりだったようじゃな?」
ローブの老人が亮真へ視線を向けながら、隣に立つ男へ声を掛けた。
話しかけられた男の被っている兜に飾りが赤い房飾りが付いていた。
一人だけやや豪華なところを見ると、彼らの隊長格なのだろう。
「いえ、ガイエス様。その判断はまだ早いと思われます。確かに大した体格ですが、見掛け倒しということも考えられますから……なにせ、今までの100人以上召喚しモノになった人間は10数名足らずですので……」
二人の視線が亮真を射抜く。まるで商店に並ぶ品物を値踏みするような目だ。
「ふむ。それもそうか……まあ良い。使えるかどうかは育ててみなければ判らんしな」
そう呟くと老人は顎で亮真を指し示す。
その合図に従い、3人の兵士は斧槍を突きつけながら亮真にゆっくりと歩み寄って来る。
連中の目的が何なのか、それは亮真には判らない事である。
何しろ、さっきまで学校に居たはずなのだ。それが突然、刃物を突き付けられているこの状況。
理解出来るはずもなかった。しかし、彼にとって碌な事にならない事だけはハッキリしていた。
他人へ刃物を向ける時、それは悪意が有る証拠。
彼は素早く四方を見回すが、逃げ道になるような窓などはどこにも無い。唯一の脱出路は老人の後ろにある鉄製の扉だけだ。
亮真は、生きるために選択しなければならなかった。
彼の脳裏に祖父の教えが浮かぶ。
(自分の身を守る為……か)
碌でもない何かを受け入れるか、ここの連中を殺して逃げるかを。
そして状況が判らない以上、それを説明させるには誰かを問い詰めなければならない。となれば選択肢はただ一つ。
一番弱いであろうローブの老人のみを生かして、残りの四人を殺すのだ。
(こっちは素手、それに対して相手は長柄の武器に鎧を着込んでいるか……真っ向から飛び掛かるのは不利だな……虚を突いて確実に殺さないとこっちが危ない……)
勿論、それは許されざる決断だ。
現代人として、それは決してしてはいけない選択。
だが亮真に迷いは無かった。彼は自らが生き残る道を選んだのだ。例えそれが、血塗られた修羅の道であろうとも。
彼の頭脳が、現状から最も生存の確率が高い答えを導き出す。
彼は心の中の殺意を消した。そして手に持っていた弁当箱を床に落とすと、満面の笑みを歩み寄ってくる兵士達へと向ける。
兵士達は自分達へ向けられた亮真の笑みに、一瞬戸惑ってしまう。
彼らも、まさか召還された人間が自分達へ笑いかけるとは思いもしなかったのだろう。
それはそうだろう。誘拐された人間が、誘拐犯に笑いかけるような物なのだから。
兵士達は戸惑い、歩みを止めてしまう。そしてそれは、亮真の狙い通りの行動だった。
次の瞬間、亮真は背を屈めながら3人の中で一番左端に立っていた男に走り寄るとその男の左目に人差し指を根元まで突っ込んだ。
彼の指が、眼球と眼窩の間にある隙間に深々と突き刺さる。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
兵士の口から獣のような絶叫が迸った。
眼は人体の急所の中でも特に危険で即効性のある急所の一つだ。
小さな埃が一粒入っただけでも激痛を感じさせるこの急所を、亮真は容赦なく抉った。
亮真はそのまま指を抜かずに眼窩に引っかけ、一気に腕を下へと押し下げる。
兵士達の不運は鎧などを着込んでいたことだ。
いくら亮真でも、鎧の上から素手で殴って四人を殺すことなど出来ない。
となれば、どこか隙間から急所を狙う必要があるという訳だ。そして尤も手っ取り早く効果が高いのが眼である。
指を眼に突っ込まれたままの兵士は、獣の如き叫びを上げて倒れこむ。亮真の目の前に、兜と鎧の間から彼の頚椎が曝け出された。
流れるような動作。無防備な男の首へ、亮真は手加減の無い肘を落とす。100kgを超える亮真の全体重を掛けて。
グシャ
水気を含んだ何かが叩き潰されるたような、鈍い音が広間に響いた。
亮真の体重を完全に掛けられた肘が、兵士の首の骨を砕いた音だ。
床に叩きつけられた兵士の口から血の泡を吹き出し、彼は床に横たわった。
亮真は横たわる兵士の腰より剣を抜くと残りの三人へと向かっていった。
「オラ!」
ブォ
亮真は走りながら手にした剣を、目の前に立ち竦む兵士の顔を目がけて力一杯投げつける。
兵士の顔に驚きの色が浮かんだ。まさか唯一の武器を投げつけるとは思わなかったのだろう。
慌てて彼は亮真に向けていた斧槍を縦ると、柄の部分で飛んできた剣を弾く。
だがそれは亮真の狙い通りの行動だった。
兵士は剣を避けようと体をのけぞらせるた結果、彼は鎧と兜に守られて居た喉を曝け出してしまう。
どれほど全身を鎧で固めようと、どこかに必ずスキが出来る。そして隙が無いなら作れば良いだけの事。
亮真はがら空きになった男の喉に、右の貫手を叩き込んだ。
グシュリ
亮真の手に男の気道が潰された感触が伝わる。
即死はしないが、気道を潰された男に待つのは窒息死しかない。
亮真は素早く兵士から貫手を抜くと、身構える。残りは老人を入れて3人。
「死ね!」
突然、亮真の背後より斧槍が突き出される。
亮真は喉を潰され倒れこんだ男の肩を掴むとそのままその体を飛び越える。男の体を盾にしたのだ。
ガシュ
鈍い金属のぶつかるような音が響く。力一杯突き出された斧槍の刃が、喉を潰され倒れ込んだ兵士の鎧を突き破り、体に刺さった音だ。
(馬鹿が)
亮真は男の後ろより転がり出ると、そのまま必死で斧槍を抜こうと必死でもがく兵士の無防備な喉へ再び貫手を叩き込んだ。
人間の体という物は意外と丈夫で、あまり深く胴体部分を刺すと刃は抜けなくなることがある。
筋肉の収縮は一般人が思っているよりも強靭なのだ。しかも、今回は鎧の上から突き通しているため、なおさら刃を抜けなかったのだ。
(残り2人)
亮真の視線が立ちつくす2人を睨みつける。
残っているのは、他の連中とは違う飾りの付いた兜を被った隊長らしき兵士と、ローブを着込んだ老人の二人だけ。
隊長は手に持っていた斧槍を床に投げ捨てると、腰の剣を抜いた。
亮真の攻撃を見て、小回りの利く剣の方が有利と判断したらしい。
4人目は今までのやつらとは出来が違うようだ。やはり兵士達の隊長格なのだろう。
彼は最低限の状況判断が出来ていた。隊長は剣の刃先を下に向け、剣が身体に隠れるように右脇に構える。
(脇構え……剣の長さを見せないつもりか……一撃でこっちを斬るつもりだな)
亮真は隊長の構えを見て、彼の狙いを正確に把握した。
この構えから放てる斬撃は2種類だけ。
右から左へ薙ぐ胴斬りと、右足から左肩に切り上げる2つだけだ。
それ以外の斬撃を繰り出すには、いったん剣を構え直す必要が生じる。
それは、致命的な遅れとなる。
目の前の敵をどうしたものかと考え込む亮真の耳に、突然老人の呟きが飛び込んで来た。
「雷の神よ! 嵐の神よ!」
後ろを振り向くと、いつの間にかローブの老人がこちらに手をかざして何やら呟いている。
(まずい!)
亮真はこの時まで法術という物を知らなかった。
だが彼の生存本能が叫ぶ。
(避けろ!)
亮真は、とっさの決断で剣を構える隊長へと走り寄る。
一か八かの賭け。
亮真の胴を狙って隊長が放った右の脇構えからの斬撃を、彼は其のまま隊長の左側へすり抜けるように体を回して避ける。
隊長の体の後ろへ回り込むように。
ドガッ
亮真はがら空きになった隊長の無防備な背に蹴りを入れた。
そして、そのままその場に伏せる。
「我が求めに応じ我が敵を砕け! 双神乱舞!」
亮真が地面へ倒れこむのと同時に、老人の手より放たれた暴風が彼へと襲い掛かった。
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