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異世界召喚編
第1章第1話【早朝】其の1
 5月8日

「早く打ち込んでこんか!」

 閑静な住宅地の早朝に似合わない怒声が響いた。
 怒声の主は、白髪を後ろで纏めた老人。
 身長は170cm半ば程か。胸は厚く剣道着の間から見える腹筋は見事なまでに6分割されている。二の腕は太く筋肉質で、其の右手には白刃の2尺8寸近い刀が握られていた。
 顔に刻まれた皺と白髪が無ければ誰も老人とは思わないであろう程に見事なまでの肉体だ。
 その老人の前には、一人の青年が同じように刀を手に持ち対峙している。

「爺さん。刃引きしてない刀を打ち込んだら死ぬだろうが! 別に爺さんが死ぬのはかまわないけど、警察の厄介にはなりたくないなぁ」

 憎まれ口を叩いた青年の身長は180cmを明らかに超えていた。ひょっとしたら190に届くかもしれない。
 其の身長と、岩のごとき筋肉の鎧を考えれば体重は100Kgを軽く超えていた。
 これで悪鬼のような面構えなら彼に近寄る人間はまず居ないだろう。だが幸いなことに育ちが良いのだろうか、温厚さと人の良さがにじみ出る其の顔は見る者を安心させる何かを纏っている。

「ふん。貴様にワシが殺せるのか?」

 老人が鼻で笑う。
 もっとも侮蔑は言葉だけで、青年の力を信じているのだろう。老人の眼は慈愛に満ちていた。

「さあね? 俺もそれなりに稽古しているし、そろそろ俺の剣を受け損ねて死ぬこともありえるんじゃねえか?」

「ほぉ? 貴様の剣がワシを超えるというのか? よかろう! 其の時は毎朝の稽古は免除の上、ワシの遺産を貴様にくれてやるわ」

 青年の言葉を老人は鼻で笑うと刀を正眼に構える。

「爺さんが死んだら朝稽古の免除も糞もないだろよ?」

 ニヤつきながらも青年は同じように3尺近い刀を正眼に構えた。

「だが遺産が入るのは悪くないな!」

 二人の目が虚空を睨み付ける。相手を視界に入れながらどこを見ているか焦点が定まらない状態。
 剣術の勝負において、防御=受け太刀はありえない。防御を考えるのは剣道の試合の中だけだ。実戦では如何に相手より早く、的確に急所を掻き切るかが勝負の分かれ目だ。先手必殺の心構えこそ、剣術の極意と言える。
 だからこそ、視線から狙っている場所を悟られないためには焦点を定めない必要があるのだ。

「ふぉぉぉ!」

「かぁぁぁ!」

 二人の口から呼吸が漏れた。

 ジャリン!

 鉄の擦れる音が響き、二人の人影が交差した瞬間、赤い火花が散った。
 2メートルは離れていた両者の位置が一瞬で入れ替わり、二人は刀を再び正眼の構えへと戻す。

「この糞ガキが! 中段から本気で喉を突きおったな!?」

 老人が青年へと詰め寄る。
 殺せたら遺産をやると言った事など、既に忘却の彼方へと飛び去ったらしい。
 老人の目は、青年の繰り出した刀が纏った殺気を見抜いていた。

「刀を交えたら親でも殺せって教えた師匠が居るんでね……つうか、刀が擦れたってことは爺も喉狙ったんだろうが!」

 老人の逆切れの所為か、青年の口調がかなり刺々しくなったのは致し方ないだろう。
 何しろ青年の技は全て老人が幼少より叩き込んだ物。
 刀を抜くときは相手を切り殺すときのみと言う、実戦的な心構えを叩き込んできたのは老人自身であった。
 それなのに、老人の教えを忠実に実行した青年に対して怒るというのだから、その理不尽さに青年が怒りを感じるのも当然と言える。
 だがそんな当然の指摘も、血が頭に上った老人にとってはただの戯言に過ぎない。

「当たり前じゃ! ワシの技は一技必殺よ! 刃を交える時は殺す覚悟した時だけじゃ!」

「だからよぉ。使えないだろうが! そんな危ないもん。この日本のどこで使うんだよ? その技。大体、稽古の時に弟子にそんな技かけてどうすんだ?」

 青年の至極当然な意見も耳に入らないのか、老人の額に青筋が浮かぶ。

「あ〜うるさい! お前は黙って稽古すればええんじゃ!」

 叫びと同時に老人の刀が青年へと振り下ろされる。
 それは万が一にも青年が受け損なえば、彼の頭部を確実に断ち割るだけの力が込められた斬撃。

「だから! 稽古なのに命のやり取りしてどうすんだってんだよ!」

 ガツッ!

 両者の刀が撃ち合わさる鈍い音が閑静な住宅街に響いた。500坪を越える敷地のいまどき珍しい竹林の中で行われている稽古である。周りの住宅に迷惑を掛ける事は無いが、早朝から元気な二人であった。

 ギギギギギ……

 両者の鎬を削る音が竹林に響く。
 老人と青年。勝敗は徐々に若い青年へと傾いてきた。
 如何に鍛えようと純粋な力勝負では老人に勝ち目は無い。いや、今まで拮抗するほどの力を老人が持っていることのほうが驚きと言える。
 少しずつ青年の力に押し込まれ、老人の首筋へ刃が近づいて行く。

 シュ!

 力での勝負が不利と判断したのだろう。
 老人は両手で握り締めていた柄から左手を離すと、青年の瞳に指を差し込もうとした。さすがにこの不意打ちで青年は体を引く。

「糞ったれが! 稽古で汚いまねすんじゃねえよ! いい歳こいて!」

 そろそろ青年の我慢も限界に近いのだろう。老人に対する口調が汚くなってきた。

「フン。実戦を想定しない稽古に意味など無いわ! 汚いも糞もあるか!」

 老人にとっての実戦とは余程汚いものなのだろう。
 剣術の稽古中に素手の攻撃をしてもまったく悪びれる様子が無い。尤も其の不意打ちを回避することが出来る青年もまた、普通とは言えないのかもしれない。
 
 彼らの稽古は昔からこのような実戦形式だったのだろう。老人は後ろへ飛び下がると刀を納め近くの竹に立てかけた。
 そして全身の力を抜き、自然体で立つ。

「素手でこい! 其の馬鹿力が何の役にも立たないことを教えてやろう!」

「いいぜ? 相手してやるよ! だが刀で勝てない俺に格闘戦を仕掛けて勝てるのかね?」

 青年の口に嘲笑が浮かぶ。だが老人は何も言わず顎で刀を納めろと合図をした。
 青年は言われるまま刀を納め木に立て掛けると、老人の方を向く。
 左手の拳を顎の近くに沿え、右手は正中線を隠すように下へ下げる。左足に重心をかけ、右足は内側につま先を向ける。蹴りも拳も使用できる構えでありながら、人体の急所を隠す攻防一体の構え。

 ぐぅぅぅぅ。

 突然、青年の腹が豪快に鳴った。
 朝5時に起き出し、稽古を始めて既に1時間が過ぎようとしている。空腹で腹が鳴るのも当然だ。だが彼の祖父は孫が空腹だからと稽古を中断してくれるほど甘くない。
(クソ! 腹減ったなぁ……爺め、いい加減終わりにしねぇかな?)
 だが青年の祈りもむなしく老人の構えに隙は無い。やる気満々のようだ。もし青年が緊張を解けば其の瞬間に襲い掛かってくることが目に見えていた。


「いいかげんにしなさ〜〜〜い! せっかく作った朝ご飯冷めるでしょうが!」

 その時、幸薄い青年にようやく救いの天使が舞い降りた。

「まったく。二人とも朝から何じゃれついてるのよ?」

 青年の視線の先には、黒髪を後ろでポニーテールにしたエプロン姿の少女がいた。
 背は175cmにやや足りない位だろうか。意思の強そうな黒い瞳が魅力的な少女。
 桐生飛鳥。それが彼女の名前だった。

「じゃれる? この爺とか? やめてくれよ……」

「じゃあ? 何をやってたのよ?」

「殺し合い??」

 ゴツ!

「痛っ……」

 パシッ!

「何を馬鹿な事言ってるのよ!」

 少女はそう言うと手にしたオタマを振り上げて威嚇した。
 どこから取り出してきたのか?青年の頭に一撃を加えるたのは、今、彼女が握り上げているオタマであろう。
 それはまさに電光石火の早業と言えた。
 青年の身体能力は非常に優れているはずのなのに、彼の頭へ一撃を加えたのだから。
 その証拠に、お玉で殴られ蹲りかけた瞬間に繰り出された老人の拳を、彼は手のひらで受け止めている。
(本当に汚いよな……この爺……俺の隙をまだ狙ってやがった)
 ところが少女の攻撃だけは避けられない。尤もそれはまだマシといえる。
 昔の漫画で同じような物がある。主人公が他の女へ手を出すたびにハンマーで殴られると言う漫画が。
 その作品もまた、普段は銃弾すらも避けられる主人公がヒロインのハンマーだけは避けられないと言う不思議な現象が書かれていた。それに比べればまだましと言えるだろう。如何に青年の肉体が頑強であろうとも、ハンマーの直撃を頭に喰らえば死ぬだろうから……

「ふぉふぉふぉ。飛鳥ちゃんよ。夫婦漫才楽しいか?」

 青年がオタマで殴られる事になった元凶が、したり顔で飛鳥に話しかける。
 既に稽古時に纏っている気迫や威圧感はかけらも残っては居ない。どこにでも居る好々爺な爺さんである。
(だから嫌いなんだよ……この爺。)
 正直に言って、青年は自分の祖父でありながら、このギャップにはついて行けなかった。

「お爺ちゃん!何言ってるのよ!私には彼氏いるし。大体、亮真じゃねぇ?」

 飛鳥が意味ありげな視線を彼へ向ける。
 彼は大きくため息をつくと、心の中で呟いた。
(冗談じゃない。俺だってゴメンだ)
 尤も其の心を言葉として出す勇気は無い。従兄妹の性格を、彼はイヤと言うほど理解している。

「そういうが飛鳥ちゃんよ。こうやって毎朝食事の準備をしてくれるではないか。ただの幼馴染ならせんだろ?」

 老人がしつこく飛鳥に絡む。

「タダじゃないから来てるんだよ? 正確にはお小遣い2万円アップのために!」

 飛鳥のことだから、善意だけで毎朝の朝飯を作ってくれるとは思って居なかったが、どうやら叔母と交渉をしているらしい。
 (さすが飛鳥……我が従兄妹ながらしっかりした女だ……)

「う〜む。我が血族は金の亡者じゃな……」

 老人の呆れの篭った呟きを聞き、青年の脳裏にあることが過ぎる。
(そういや、叔母も株取引で財をなした人だったな……)
 まさに納得と言った感じである。

 桐生飛鳥は容姿端麗で頭脳明晰。親しみやすく、美人にありがちな気取ったところも無い。
 料理は美味いし掃除洗濯から繕い物まで家事に関してはまさに完璧、金の管理には厳しいが、それも金銭感覚があると考えるならばマイナス要素にはならない。
 万人は彼女のような女性を理想と言うのだが、青年にとっては冗談にしか聞こえない。たとえ血の繋がりが無くても正直に言って無理だった。子供の頃を知りすぎると、相手を恋愛対象とは見れなくなると言うのは本当のことらしい。

「あ〜〜〜!」

 突然飛鳥は右手に嵌めた腕時計に目をやると大声を上げた。

「私は弓道部の朝練あるからもう行くね。良いわね、亮真! 食器はきちんと洗っておくこと!」

 そう言い残すと、素早くエプロンを脱いで母屋へと走って行く。

「フォフォフォ……慌しいことじゃな」

 老人がしたり顔でそんなことを言った。

「爺がからかわなければ、時間喰うこともなかったんじゃねぇの?」

「お前が年寄りを敬わないからじゃ」

 どうやら老人の辞書に反省の二文字は無いらしい。
 彼の正論にも堪える様子が無い。
 (全く! 時々絞め殺したくなるぜ……)
 本当に困ったものである。

「は〜〜〜……」

 青年は大きくため息をついた。

「何じゃ?」

 彼はその問いを無視して母屋へ歩き出した。
 爺の相手をすると飛鳥じゃないが時間が無くなってしまう。
 彼も高校へ行く身支度をしなくてはならないのだから。

 そんな朝のお約束が執り行われた関係で、当然彼が食卓ついた時には用意された朝食がすっかり冷え切っていた……


 彼の名前は御子柴亮真。
 見てのとおり幸の薄い16歳である。
 彼は毎朝、祖父よりに稽古の名前を借りた虐待を受けてる。
 彼が物心ついた頃からの日課なので、ざっと12~3年は続けていることになる。

 両親は彼が子供の頃に死んだらしい。らしいと言うのは死因を、祖父が彼にはっきりと言わないからだ。
 病死なのか事故死なのかもわからなければ、墓すら無い。
 本当は何処かに有るのかも知れないが彼は墓参りをしたことが無いので知らない。
 案外何処かで生きているのかも知れないが、正直に言って今ここにいない親に彼は興味が無かった。
 生きてるにしろ死んでるにしろ、彼を養ってくれないなら意味がないと考えているからだ。だから当然興味も無い。
 そんな訳で彼は祖父と二人、この杉並区の閑静な住宅街に暮らしてるのだ。

 彼の顔は並ってところだ。
 人に因ってその評価は変わる。
 男らしい顔つきと言えば良く聞こえるし、濃い顔立ちと言えば悪くなる。まぁ日本人らしい顔つきだろうか。
 体型ははっきりいえば太い。しかし脂肪太りでは無い。徹底的に鍛え上げ絞り込まれた鋼の筋肉。
 丸太の様な太い腕と足をしていて、今流行りの細マッチョとは対照的と言える。
 高校での彼のあだ名は”眠れるクマ”。温厚さと人の良さがにじみ出る顔&熊のような体型からつけられた渾名だ。
 彼のコンプレックスは老け顔。それが彼の最大の悩みだった。何しろ16歳の彼をつかまえて、周囲の人間達は25〜30に見えると言う。ショックのあまりに寝込んでしまいそうな評価だろう。
 彼の顔が老けている事で受けられる数少ない利点は、秋葉原でエロゲーをすんなり買える事と酒を好きに飲めることぐらいだろうか。
 祖父もその辺に関しては彼に対してうるさく注意する事は無い。逆に晩酌を付き合ってやれば喜ぶくらいだ。

 そんな彼であるから、当然のごとく彼女なんか居るはずも無い。
 家では祖父に稽古という名の虐待をされ、高校では苛められないにしろ格別何か楽しいことがあるわけでもない。
 まぁクラスメイト達とはそれなりに話すが、格別に親しい人間は居ない。
 幸の薄い高校生。
 それが御子柴亮真という人間だった。
 それでも何時か可愛い彼女を見つけ結婚!などと言う平凡な夢を見ていた彼は、この日の昼休みに地獄へ突き落とされることになる。
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