ザルーダ王国激闘編
第4章第17話【力の証明】其の6
沈黙が演習場を支配していた。
周囲のかすかな息遣いだけがケビンの耳へと聞こえてくる。
百メートルほどの空間。その周りをぐるりと貴族や上級騎士達が取り囲む。
古代ローマの闘技場の様な観客席など何もない。有るのはむき出しの地面と小石のみだ。
(でかいな……まともにやり合ったらこっちが不利か……)
五十メートルほど離れた場所で開始の合図を待つ騎士達の姿に視線を向けたケビンの心に、そんな思いが浮かんだ。
勝負は彼我の戦力を冷静に見極めるところから始まる。
孫子の兵法書にある最も有名な『彼を知り己を知れば百戦危うからず』の一文は決して誇張でも嘘でもない。
戦いに赴く者にとって当然の準備に過ぎない。
それは集められた奴隷の子供達が訓練を始めた一番最初に教わった心構え。
ケビンは普段と同じ様に、目の前に立ち並ぶ五人の騎士達を観察する。
未だ成長期である十代半ばのケビンと比べれば、百七十前半を誇る身長はさておき、体の厚みと言う点に関しては明確な差が存在している。
単純な筋力という視点から見れば勝敗は目に見えていた。
身につけている武器にしてもそうだ。
騎士達が身につけているのは重厚な鋼の板鎧に顔をすっぽりと覆った兜。手にしているのは三メートルほどの槍だった。
それに比べ、ケビン達の体を守るのは亮真から支給された革の鎧に金属で補強した木製の盾。
無論、幾重にも重ねられた怪物の革を丁寧に処理したこの鎧は、決して鋼の鎧と比べて大きく劣ると言う訳ではないのだが、機動性を重視した結果、関節部分まで金属で覆われた板鎧と比べれば防御力においてはどうしても見劣りしてしまう。
無論、山岳国家であるザルーダ王国なので、機動性を重視した軽装備は決して間違った選択という訳ではないのだが、真正面からの力勝負と言う視点でみれば明らかに不利。
緊張で唇が乾いていくのが自覚出来た。
鼓動は早鐘の様にケビンの耳に大きく響き渡り、腰骨のあたりがムズムズとむず痒くなってくる。
それは恐怖という名の虫が這いずる感触。
戦いが始まる前に必ず忍び寄ってくる、最も慣れ親しんだ感情。
乾いた唇を舌で湿らせると、ケビンは愛用の鉄剣を握りしめながら、傍らで同じように顔を強張らせている仲間達の姿へチラリと視線を向けた。
(皆同じ……か。無理もない。まだ二度目だからな)
命を賭けた実戦への恐怖。
自分の命を奪われるかもしれないと言う恐怖と、敵の命を奪ってしまうかもしれないと言う恐怖がケビンの心を侵していく。
復讐と言う強固な目的があった海賊討伐の時でさえも感じた恐怖だ。
しかし、ケビンはその湧き上がってくる恐怖を否定する事なく、自分の力へと変えていく。
恐怖は決して弱さではないという事、そして、恐怖は力であるという事を理解しているのだ。
あれから数ヶ月。
ウォルテニア半島に生息する怪物達との戦いをケビン達は生き抜いてきた。
恐怖こそが最も身近な友であり、生き延びる為の武器。
(考えるな。こっちの方が弱いんだ……下手に躊躇なんかすれば容赦なく殺されるぞ)
形式上は試合であっても、これから行われるのは命を賭けた真剣勝負。
勝敗は死亡するか、意識を失うか、戦意を喪失したと判断された時。
ラウンド制もポイント制もない。有るのは倒すか倒されるかの二択だけだ。
戦力を数値で表すならば騎士達を百とした場合、ケビン達は精々七十から良くて八十と言ったところだろう。
強弱で言うのならば、ケビン達は間違いなく弱者だ。
しかし、勝敗は力の強弱だけでは決まらない。
(いつもと同じだ。ただ、教官達から教わった通りに……戦えば良い。俺と仲間が生き残る為に)
過酷なウォルテニア半島での生活は、既にケビンの体を人の姿をした獣へと変貌させている。
後は、その体を己の意志で操るだけだ。
そして、恐怖がケビンの心から理性と倫理を塗りつぶしていった。
「いつも通りだ……」
ケビンの唇から洩れた小さな呟きに、傍らの仲間達が無言のまま頷いた。
恐怖は殺意へと昇華され、ケビン達の体を駆け巡る。
ウォルテニア半島を徘徊する怪物共を屠る事によって培われた生気が、激流の様に会陰のチャクラ・ムーラダーラへと流れ込み、彼らの体に人ならぬ力を齎す。
戦意が弓の様に静かに引き絞られていく……
「始め!」
審判役の老貴族の声が沈黙を破った。
「レオンとリナは右から。アネットは俺と左へ。メリッサ! タイミングを合わせろ!」
正式に兵士として認められた後に編成された五人一組の小隊。
あれから数ヶ月。既に幾度となく繰り返し、彼ら五人の体に染みついた戦法だ。
ケビンの合図と同時に、引き絞られた矢が射られたかの様に四人が一斉に飛び出した。
もっとも、その速度は人の持つ能力の範疇でしかない。
左右に大きく弧を描くかのように回り込んでいく四人。
騎士達の真正面に立ち尽くしているのはメリッサ唯一人だ。
「なんだ? 所詮、餓鬼どもがやる事か……馬鹿め、わざわざ分散するとは勝負を捨てたな」
騎士の一人が馬鹿にした様に鼻を鳴らして呟いた。
開始直後に飛び出して来た事は驚きを感じたが、法術の使えない子供達など何人束になろうと所詮敵ではないのだ。
その上、彼らが身に付けているのは革製の鎧。
勝敗は初めから見えていた。
少なくとも、それが騎士達が持つ共通の認識。
彼らに残された数少ない勝機は五人一固まりに塊、防御に徹して隙をつくくらいしかないはずだった。
「おい、団長から手加減はするなと言われているからな……あまり気は進まんがサッサと始末するぞ」
小隊長の言葉に無言のまま頷くと、騎士達は手にした槍を握る手に力がこもる。
命令ならば、人殺しを厭う事などない。
それでも、人殺しを楽しいと思う事はなかった。
(せめて苦しまずに……)
他人から見ればつまらない偽善だが、それが彼らの本音だ。
騎士達は自分達へ向かって駆けよってくる子供達の姿を見つめながら槍を構える。
彼らに武法術を使うつもりなどさらさらなかった。
しかし、その代償は高くつく……
「やれ、メリッサ!」
「猛々しき風 精霊の息吹よ 今こそ我が祈りに応えて 大地を覆え」
ケビンの叫びが演習場に響いた瞬間、彼らの走る速度が爆発的に速まり、両者の間に残されていた二十メートル程の間合いが一瞬のうちに詰められる。
続いて後方で待機していたメリッサの口から詠唱が響いた。
「なっ! 文法術だと!」
「まずい、防御だ!」
メリッサの動作を見て、騎士達は慌てて生気をチャクラへと流し込むが間に合わない。
彼等は一斉に手にした槍の柄を盾の様にかざして身構える。
通常ならば、盾に付与された防御術式を起動させるのだが、相手をなめきっていた彼らはその準備をしていなかった。
それでも、武法術による身体強化で十分に防御可能なはずだった。
普通ならば……
詠唱を終えたメリッサは体を弓のように引き絞る。
「疾風衝波陣」
次の瞬間、メリッサの手がまるでアンダースローの様に地面ぎりぎりを通り天高く振り上げられた。
初級の文法術の中でも下位に属する術。
決して殺傷能力に優れているとは言えないただ風の波を広範囲に放つだけの術だ、
風を圧縮するという工程を省いて放つため、習得難易度が低く扱いやすい反面、戦いに使用出来るような威力はない。
体感的には精々「今日は風が強いな」と服を少し厚着したくなると感じさせる程度の風。
騎士達もメリッサの放った術がなんであるか知り、侮蔑の笑みを浮かべる。
しかし、彼らは知らなかった。
メリッサの狙いが他にあると言う事に。
疾風が地面すれすれを這うように騎士達の方へ向って突き進む。大地の土を大気へと巻き上げてながら。
土砂で作られたカーテンを引連れて……
「クソ! 目が!」
騎士達の視界が風に巻き上げられた大量の土砂と土煙りによって奪われる。
元々視界の悪いフルフェイスと呼ばれる顔面まで覆う形の兜を身に付けていた彼等に抗う術はない。
そして、視界を奪われ動揺する彼らをケビン達の剣が襲いかかる。
先ほどまでの擬態を捨て、彼等は武法術による身体強化を露わにした
「馬鹿な! この餓鬼共も、法術を!」
「こいつら一体!」
驚きの声とともに繰り出される槍。
しかし、意表を突かれた騎士の槍には普段の練習時に見られる鋭さなど欠片もない。
殺意の抜けた攻撃など、怪物達との戦いを経験してきたケビンにしてみれば静止しているのと同じ。
ケビンは突き出された槍の穂先を体を逸らして避けると、槍を握る騎士の指へ目がけて剣を振るった。
いくら防御力の高い鉄製の鎧とはいえ、人体の構造上、関節の可動部分は比較的装甲が薄い。 分厚い鉄の板で指を覆ってしまえば、物を握る事も出来なくなってしまう。
「ギャァァァ! クソっ! 指が、俺の指がぁ!」
槍の柄に沿う様に襲いかかるケビンの剣が騎士の指を切り飛ばす。
普段ならこれほど無様な悲鳴を上げる事などないのだが、なんの覚悟もない今の状態では仕方ない。
「どうなっている? こいつらただの餓鬼じゃないのか!?」
苦痛に喘ぎその場で蹲った仲間の姿を見降ろしながら、騎士の一人が茫然と呟く。 それは戦闘中でありながらあまりにも無防備な姿だ。
そして、その隙を見逃すほど騎士達の前に居る敵は愚かではなかった。
ケビンはそのまま棒立ちの騎士の足へ渾身の一撃を加える。狙うのは膝の関節部分。
枯れ木をへし折ったような感触がケビンの手に響く。
しかし、それで終わりではない。
苦痛を押し殺しながらその場に蹲る騎士の無防備な頭部を、背後から追走してきたアネットの剣が襲い掛かった。
兜の上から加えられた横殴りの一閃。
亮真から事前になるべく殺さずに済ますようにと命じられていなければ、このアネットの一撃は確実に騎士の頭部を切り飛ばしていたはずだ。
それでも、武法術によって身体強化を行ったアネットの一撃は騎士の意識を途切れさせるには十分な威力を誇る。
事実、アネットの一撃を受けた騎士はその場に糸の切れた操り人形の様に崩れ落ちた。
「そう、そう言う事なのね。あの子が何であれほど自信に充ち溢れていたのか分かったわ……」
ユリアヌス一世やエルンストと共に試合を見ていたエレナの口から感嘆のため息が漏れる。
目の前で繰り広げられた攻防を見れば、御子柴亮真の育てた兵士達の質は一目瞭然だった。
「まさか……あんな子供が法術を? ありえぬ、平民の子供が、そんな」
「エルンスト、事実は事実として認めなさい。近衛騎士団団長としての器が問われるわよ」
エレナの鋭い指摘に、茫然とした表情を浮かべていたエルンストの顔が羞恥で赤く染まる。
目の前の事実が認められない人間に指揮官の資格などないのだ。
「し、失礼しました。お見苦しいところを……申し訳ありません」
エルンストは慌てて頭を下げた。
「なるほど、あの者が率いて来た兵士全てが目の前の兵士と同等だとすると……大した戦力だな」
ユリアヌス一世は白い顎鬚を撫でながら小さく呟く。
「陛下……まさか、三百人全てがですか?」
到底信じられないと首を振るエルンスト。
そして、その認識は正しい。
大地世界の常識からいって亮真の持つ程度の所領から維持できる戦力は限られている。
エルンスト自身、シュバルツハイム伯爵の発言は正しいと思っていた。
ウォルテニア半島の噂は隣国まで鳴り響いている。
あんな未開の地を領地としても収益など上がるはずもない。
そして、税収がなければ軍は維持出来ないのだ。
「だが、あの者たちだけがごく限られた一握りの者であると仮定する根拠もあるまい。平民に法術をどのように会得させたか方法はさておき、五人に会得させる事が出来たのならば、他の者に会得させていないはずはあるまい。自然に考えれば御子柴殿が率いてきた三百の兵全てが法術を使うと見るべきではないかな? 無論、我々にそう思い込ませる為のハッタリと言う可能性もあるがのぉ」
そう言って愉快そうに笑みを浮かべるユリアヌス一世の目は、今までの好々爺といった雰囲気が消え獲物を見つけた鷹の様な鋭さを纏っていた。
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