ザルーダ王国激闘編
第4章第15話【力の証明】其の4
西方大陸暦2814年1月3日 午後
「何かな? シュバルツハイム伯爵」
ユリアヌス一世はどこか愉快そうに視線を玉座の前に跪く男へ向けると、頬杖をついて発言を促す。
シュバルツハイム伯爵と呼ばれた男は金糸をふんだんに使った絹製の服を着込み、ちりばめられた宝石の数や凝った意匠を見たところ、宮廷でもかなりの有力者らしい。
何より、衛兵を押しのけて国王の前へ進み出ていながら、そのまま発言を許された事自体が彼の権力の大きさを物語っている。
金髪を後ろへ撫でつけた四十前後の男で、まるで布袋様のように腹が前へとせり出していた。
しかし、百七十あまりの背丈に似合わぬ肩幅と丸太を思わせる二の腕が、彼がただの権力者ではない事を示している。
「恐れながら、陛下のご不興を被る事を覚悟の上で申し上げたき事がございます」
顔を伏せたまま言い放つと、貴族は隣にいる亮真へ向かって鋭い視線を向けた。
憎しみ、怒り、嫉妬、侮蔑。
初対面の人間に向けるにはあまりにも生生しい陰の感情がそこに宿っている。
(おいおい、なんだコイツ……)
誰でも、顔も知らない人間からいきなり憎しみの視線を向けられて平静を保てるはずがなかった。
亮真は湧き上がる動揺を必死で押し殺す。
敵と味方が入り乱れるこの謁見の間で弱みを見せる訳にはいかない。
もちろん、わざと相手を油断させるために舐められるというのも策の一つではあるが、今、亮真が必要としているのはザルーダ貴族達に絶対的な畏怖を植え付ける事。
その為にも、自らの表情には細心の注意が必要になる。
「何か存念があるのなら申してみよ」
「臣が思いますにこの御子柴なる者、とても陛下のご期待に沿う力を持つとは考えられませぬ。直ちに兵を国元に引き揚げさせるべきかと存じます」
他国の派遣した援軍に対して、あまりにも挑発的かつ礼儀を弁えない態度に、謁見の間をどよめきが包んだ。
「ほぅ、伯は遠路はるばる援軍に赴いた御子柴殿をこのまま国元へ返せと申すか?」
「御意」
ユリアヌス一世の問いに、シュバルツハイム伯爵は悪びれた様子もなく頷く。
「伯は自分が何を主張しているのか分かっているのだろうな? 伯はローゼリア王国と我が国との間に亀裂を生じさせるつもりかな?」
「確かにその懸念はございますが、陛下はこの者が率いてきた援軍と称する一団を直接ご覧にはなられていらっしゃらないので、そのようなことをおっしゃられるのです」
シュバルツハイム伯爵の言葉に謁見の間を包んでいたどよめきが消えた。
「エレナ殿よりは、選りすぐりの精鋭とお聞きしているが?」
「もし、本当に陛下へエレナ・シュタイナー将軍がそのように伝えられたのでしたら、それは大きな誤りだと申すしかございません。臣が確認しましたところ、兵数はわずかに三百。その上、兵の大多数が年端も行かない平民の女子供では、戦場に出したところで物の役には立ちません。下手に戦場へ連れて行き敵の餌食にでもなれば、我が軍の士気は低下し、無用の動揺を全軍に齎しかねないと考えます。また、一年近くの防衛戦で我が軍には物資に余裕がございません。戦力として使い物にならない以上、速やかにローゼリア王国へ引き返させることが上策かと存じます」
謁見の間にシュバルツハイム伯爵の声だけが響き渡った。
ローゼリア王国の援軍はエレナの率いる二千五百と亮真の率いる三百の合計二千八百。
名高きエレナを主将にしているとは言え、ミスト王国が派遣した精鋭一万の援軍に対してあまりにも少ないのは周知の事実だ。
隣国より遠路はるばる援軍に来た人間に対して、あまりにも無礼な態度ではあるが、シュバルツハイム伯爵の意見自体が間違っているとは言えない。
弱い味方は強い敵よりもはるかに厄介な存在なのだ。
戦は人の心を如何にして圧し折るかということに懸かっている。
確かに、軍を指揮する将を打ち取っても戦は終わるし、最後の一兵まで皆殺しにするまで勝敗がもつれることもある。
しかし突き詰めていくと、将軍が討ち取られて戦の勝敗がつく理由も、結局は兵の心が将軍の死という現実の前にへし折られてしまう事によるのだ。
戦の勝敗の多くは兵の心とそれを率いる将の心が、死に怯え負けを意識して圧し折れた時に着く。
(へぇ……戦と兵の心理を分かってやがる。こいつ馬鹿じゃねぇな)
理路整然とした明確な理由。
亮真は隣のシュバルツハイム伯爵を正直に言って見直した。
見かけは傲慢で愚鈍な貴族という印象を受けるのだが、人の真価は容姿とは無関係なのだという事に改めて気付かされる。
そして、偏見が消えれば、亮真にはシュバルツハイム伯爵の真意が見えて来る。
(可能性は二つ。本気か誘いか……本気ならこいつは信頼できる人間だ。逆に、もし誘いなら大した悪党だな)
亮真は静かに、声高に叫ぶシュバルツハイム伯爵の横顔を見つめた。
伯爵の心を見透かそうとするかの様に……
シュバルツハイム伯爵の指摘と懸念は、ある意味当然の物と言っていい。
表面だけを見れば、亮真の率いてきた三百の兵などゴミ以下の価値しかないのだ。
兵数は僅かの上、軍を構成する兵の多くは平民の女子供。
これがもし、壮健な男性のみで構成されていれば、シュバルツハイム伯爵もここまで言葉を荒らげはしなかっただろう。
通常、援軍に徴兵した農民兵を差し向ける事はないのだが、ローゼリア王国の内情はある程度伝え聞いている。
内乱からの復興に力を尽くしている今、隣国に出せる兵が少ないのはある意味いたしかたないのだから……
だから、ローゼリア王国が最善を尽くした結果とし、二千五百の騎士を経験豊富なエレナに率いさせて来た事は素直に感謝しているし、評価も出来た。
しかし、御子柴亮真が率いてきた兵は違う。
実績のない新興貴族に率いられた、戦力とはとても思えないような兵士達。
(このような兵を援軍に差し向けるなど、我が国を愚弄するか!)
その怒りが心を苛立たせる。
シュバルツハイム伯爵から見れば、軍の体裁を整えるために平民を兵士に仕立て上げたようにしか見えなくて当然だった。
「遠路、援軍に来ていただいた事は感謝するが、我等には余裕がないのだ。貴公が何を目的にこのような軍を起こしたかは存ぜぬが、はっきり言って甚だ迷惑! 僅か三百とはいえ、戦力と数えられぬ者に回す食糧物資など我等には残されていないのだ!」
怒号が謁見の間に響き渡った。
確かに、使い物にならない兵へ貴重な物資を分け与える事は決してプラスにはならない。
「シュバルツハイム伯爵、少し言葉が過ぎませんか?」
「何を言う、ヘンシェル団長。そもそも貴殿は一体何を考えているのだ? 王都郊外まで迎えに行ったと聞いたが、事前に知っていたのなら何故陛下へお知らせしていない。本来なら謁見などする前に貴殿が追い返して当然ではないか!」
それは抗弁の余地を残さない正論。
ザルーダ王国は欲しているのは援軍であってお荷物ではない。
その意思がエルンストの援護を無情に切り捨てる。
他の貴族達はいざ知らず、シュバルツハイム伯爵は心の底からザルーダ王国と王家の存続に全てを賭けようと考えている。
周辺諸国からは凡庸と侮られてきたユリアヌス一世だが、シュバルツハイム伯爵の目から見れば、十分に仕える価値のある主君だったのだ。
(陛下は凡庸ではない。この戦乱の世において、たび重なる戦乱を潜り抜けて国を保ってきたではないか!)
その思いが、シュバルツハイム伯爵を突き動かした。
「ふむ、伯の懸念は分った……だが、余は御子柴殿を帰国させるつもりはない」
ユリアヌス一世は穏やかにほほ笑むと、白鬚を撫でつける。
そして、そのブレのない言葉が謁見の間に響き渡ると、再びどよめきが起こった。
「何故! 何故でございますか!」
予想外の言葉に、シュバルツハイム伯爵は血相を変えて玉座へ詰め寄る。
「陛下に対して無礼ですぞ!」
エルネストの巨体が、シュバルツハイム伯爵の体を抑え込んだ。
「クソ! 放せ! 陛下、何故なのです!」
顔を赤く染め、シュバルツハイム伯爵はエルンストの手を払いのけようともがき続ける。
「ヘンシェル。良いから放してやれ」
その落ち着いたユリアヌス一世の声に、シュバルツハイム伯爵は自らの行動の意味を悟る。
感情のままに玉座に詰め寄るなど、謀反と取られても仕方がない行動だ。
「失礼いたしました……陛下、私は……」
身を縮めるようにその場にひれ伏すシュバルツハイム伯爵に、ユリアヌス一世は手で立つように促す。
「良い。伯の懸念はもっともだ……」
そう言うと、さも愉快そうに黙り込んだまま跪いていた亮真へと視線を向けた。
「どうかな? 今、この場にいる皆もシュバルツハイム伯爵と同じ懸念を持っているかも知れぬ。貴公には煩わしい事だと思うが、一度貴公と貴公の兵の力を皆に見せてやってはくれんかな?」
「どなたかと戦えと言う事でしょうか?」
「その通りじゃ。それとも、シュバルツハイム伯爵の懸念は事実なのかな?」
亮真の問いに、ユリアヌス一世は人の悪い笑みを受かべ挑発した。
(なるほど……な。良いように話を進められるのはムカつくが、まぁ良い。どうせどこかでやらなきゃいけないことだからな。予定が繰り上がっただけと思えば良いか……)
元々、ザルーダ王国の防衛だけが目的で援軍に来たのではない。
ウォルテニア半島の主権を掌握した今、次なる飛躍をするために必要なのは名声。
その名声を得る事こそが、最大の目的といっても過言ではない。
そして、その名声を得るために必要なのは生贄。
流れる血が多ければ多いほど御子柴亮真の名は西方大陸の大地に広まる。
「いいえ、我が軍の兵士の力を陛下と皆様の前で証明して見せましょう」
その言葉と共に、亮真の顔が歪む。
それは、愚かな獲物を目の前にして舌舐めずりをする肉食獣の笑み。
しかし玉座の前に跪き、伏せられたままの亮真の顔を見る事が出来た者は誰一人としていなかった。
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