ザルーダ王国激闘編
第4章第5話【隣国よりの使者】其の3
西方大陸暦2813年11月3日深夜
王都ピレウスの城に与えられたミハイルの私室で、深夜にも関わらず、二人の男が卓の上に置かれたランプの明りを挟んで対峙していた。
一人はこの部屋の主。
そしてもう一人は、この部屋にいるはずのない人間だった。
「予定どおり出兵が決まったようですねぇ」
思いがけない須藤の言葉に、対面のソファーに深く腰掛けていたミハイルは思わず顔を顰めた。
「何故それを貴様が知っている。まだ公にはしていない話だぞ?」
昼間の会議で決められたザールダ王国への援軍。
公職に就いている人間へは既に通達済みだが、目の前の男は公職に就いてはいない。
何れは伝わるにせよ、決定したその日の夜に洩れているとなれば顔を顰めて当然だった。
「幾ら隠そうとしても、こういった話は直ぐに洩れるものですよ」
人を食ったような須藤の言葉にミハイルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「相変わらず大した耳の良さだな。須藤」
いっけん褒め言葉のようにも聞こえるが、ミハイルの目は明らかに須藤を侮蔑していた。
卑しい平民が城の中でこそこそとまるでネズミの様に嗅ぎ回りおって。
言葉には出さなくても、ミハイルの目がそう須藤に告げていた。
「私には他に能がありませんからねぇ」
「フン。貴様のような奴を何故ラディーネ様が側近にしているのか分からんな」
「ミハイル様と同じく、裏表の無い王家への忠誠心を評価して頂いているのでしょう」
「貴様などにローゼリア王国への忠誠心など有るとは思えんがな」
不機嫌そうにミハイルは言い捨てる。
それを見て、須藤は心の中で嘲笑った。
(全く愚かな男だ。そんな虚勢を張らなくては心を保てないとは)
昨年の内乱以降、ミハイルの評価は下降線を辿っていた。
いやはっきり言えば、最低どころかマイナスにまで落ち込んでいたのだ。
(この馬鹿も大分追い詰められてきたようですね……後は仕上げを残すのみ。さて、どう転ぶか見ものですなぁ)
かつてはルピスの側近として、また、ローゼリア一の剣士として、ミハイル・バナーシュの名は栄光と賞賛に包まれていた。
ローゼリア一の剣の使い手にして、ルピスの信頼篤き側近。
その忠誠心はまさにローゼリア王国の宝とすら言える。
それが今では、功を焦って捕虜になって生き恥を晒し、処罰されるどころか数カ月の謹慎を命じられた後は、ルピスの命令で編成中の親衛騎士団長に取り立てられた結果、部下にも同僚にも白い目を向けられる始末。
無論、ルピスにすれば身近に信頼できる側近を配するのは当然の事だが、周囲の人間にはそれが分からない。
周りから見れば、ミハイルはルピスに取り入る卑怯者でしかなかった。
そして、須藤の手によって真実と嘘を絶妙な配分で混ぜ合わされた噂が、王城の内外に広められたことにより、ミハイルの評判は地に落ちた。
同僚や部下からの蔑み。貴族からの嘲笑。
誇り高いミハイルにとってまさに生き地獄に等しかった。
彼が本当に卑劣な人間ならばそんな周りの評価など気にはしない。
真に誇り高き人間だからこそ、今の現実が耐えられない。
だから他人を貶め、自らを高めようとする。
それが自分の首を絞めることになると理解していながら……
他に縋るものが無く、縋るがゆえに周囲から孤立していく。そして、孤立するから更に縋る。
そして、ミハイルに自縄自縛の連鎖から逃れる手立ては残されていなかった。
「無論、私などミハイル様の足元にも及びません。ただ、ラディーネ様は庶子。王族として認められたとはいえ、今だに心から忠節を奉げている臣下は少ないですから。私のような卑しい人間でも評価してくださるのですよ」
「なるほどな」
須藤の答えにミハイルは満足そうな笑みを浮かべた。
彼の言葉に含まれた毒が、ミハイルの小さな自尊心を満足させる。
目の前でにやけた笑みを浮かべる男の言葉が、見え透いたお世辞である事を彼は十分に理解している。
だが、その毒は甘く芳しい香りを放ち、部下や同僚達から浴び得られてきた嘲笑と侮蔑にさらされ、すっかり弱くなってしまったミハイルの心を侵していく。
嘘だと分かっていても縋りたくなるほどに……
「ところで……貴様の言うとおりに会議で提案はしてみたが。本当にこれで良かったのか?」
「無論です。失礼ではありますが、ミハイル様には他に手がございましたか?」
ミハイルの問いに須藤は問い返した。
「それは……だが、素直に従うとは思えんぞ? 最悪内乱の可能性すら……」
流石に、御子柴亮真憎しの念に凝り固まっていても、そのくらいの判断力は未だに残っていたらしい。
(まさに矛盾ですねぇ。そこまで分かっていながら会議の場で提案すると言うのだから、この男の頭のつくりはどうなって居ると言うのか……まぁ、操り人形には丁度いいですがねぇ)
沸き上る侮蔑と嘲笑を押し隠し、須藤は柔らかな笑みをミハイルへ向けた。
自分がそうなるように仕向けたとはいえ、ミハイルの思考に一貫性はない。
あるのは、自分の置かれた立場への嘆きと、その元凶となった御子柴亮真への恨みだけ。
焦り、憎しみ、嫉妬、憎悪。
ざわめく心がミハイルの心を縛りつけ、正常な判断を失わせていく。
「それならそれでよいではないですか。陛下の傍から奸臣が除かれミハイル様のような忠臣が再び日の目を見ることになりましょう」
「だが!」
「正義を行うのに血を流す事を恐れてはなりません」
「だが……本当に上手くいくのか?」
ミハイルの顔が不安で歪んでいた。
「ミハイル様。恐れてはなりません。周囲の者も何れはミハイル様が正しいと気がつきます。つまらぬ罪悪感にとらわれていては国家の運用など不可能なのです。時には不条理な事を行ってでも国を守らなければならないのです。そして、今それが出来るのはミハイル様のみ。どうかローゼリア王国を、ルピス殿下をお救いください!」
須藤の強い言葉にミハイルは黙り込んだ。
一分、二分。両者の視線が卓上の上で交差する。
「分かった……貴様を信じよう」
「結構でございます。では、後は計画どおりに」
そう言い放つと、須藤はミハイルに頭を下げ部屋を出て行く。
ミハイルは無言のままその背中を見送った。
ミハイルの部屋を退室した須藤は、人目を避けるように自室へと足早に向かった。
(まぁ良く踊ってくれたと褒めてやるべきでしょうかねぇ)
先ほどの会談を思い出し、須藤の顔に暗い笑みが浮かぶ。
人は信じたいものを信じる生き物。
内乱終結後、ミハイルは能力と人格を否定され続けてきた。
だからこそ、須藤の口から出た肯定の言葉はミハイルの心を侵していく。
彼の心の奥底にあった御子柴亮真への恨み。
それは逆恨みでしかない。
だが、一年近い時間を費やし、須藤はミハイルの根拠無き恨みを正義とすり替えた。
ローゼリア王国を守るという正義とだ。
(しかし、国を想い、王家に忠節を尽くせば尽くすほど国を蝕むとはねぇ。クックッまさに喜劇というやつですか)
ルピスの信頼も裏目に出ている。
彼女が庇えば庇うほど、ミハイルは周囲の視線に追い込まれ暴発する。
それをまたルピスが庇う。悪循環も良い所。
まぁ、そうなるように王城内に噂を流したのは須藤自身なのだから当然のことだ。
(君臣の絆も度が過ぎれば害になるということですかねぇ)
皮肉な話だ。
忠節に篤いミハイルにはその力は無く、忠誠の欠片も持たない御子柴亮真がこの国の行く末を担うのだから。
(後は、御子柴亮真がどう動くかですか……彼は予測しにくいですからねぇ。ですが今度で三度目……流石にそろそろ消えてもらいたい所ですが。さてさて、どうなりますかねぇ)
御子柴亮真がこの世界に召喚され、既に二年近くが経とうとしている。
オルトメア帝国の宮廷法術師であったガイエスを殺し、ローゼリア王国の内乱に絡み、御子柴亮真と係わり合いになるのは今度で三度目だ。
(参加しないでくれたほうが我々にはありがたいのですが、恐らく彼はザルーダへの援軍に参加するでしょう……問題は条件を付けるかどうかですが……まぁ、タダでは動かないでしょうねぇ)
ザルーダへの援軍に赴きたいか否かで答えるならば否だろうが、情勢がそれを許さない。
援軍への参加を断った場合、援軍の勝敗に関わらず御子柴亮真は危険な立場におかれる。
戦争終結までに独立の準備が整うのならば話は別だが、常識的に考えればまず不可能だろう。
となれば、後の問題はタダで参加するか、交渉によって何かを得ようとするかの二択になるが、御子柴亮真の性格とルピスの今までの行いから考えてまず条件を付けてくるはずだ。
(金か、領地か……意表をついて爵位の可能性もありますが……まぁ、無難な所で金ですかねぇ)
ウォルテニア半島の開発が終わっていない今の段階で、新たに領地を追加されても管理仕切れなくなるのが目に見えている。
半島に隣接する領地ならまだしも、飛び地になれば目も当てられない。
(たしか、半島に最も近いのはザルツベルグ伯爵のイピロスだったはず……あそこはザルーダとの国境が近く、まず、新参の男爵等には与えられないでしょうから、まず無理ですねぇ。となれば、爵位か金ですが、彼の性格を考えると爵位はまずないでしょうねぇ。彼は何れローゼリアを捨てるつもりのはずですから、そんな国の爵位をわざわざ求めはしないでしょう)
ローゼリア王国に骨を埋める覚悟ならともかく、自分の国を興すにせよ、他国の庇護下に入るにせよ、ローゼリア王家の与えた爵位など何の価値も持たない事になる。
それに、ウォルテニア半島の開発には莫大な金が掛かるはず。
(そうすると金ですか……さて、どれくらい求める気ですかねぇ)
その金額によって、御子柴亮真の今後の動きが予測できる筈だ。
(求める金額が数千万なら十年以上と言うところですが、もし億を超える金額を求めるとなると……こちらの予定も少し繰り上げないといけませんねぇ)
須藤は楽しくて仕方が無かった。
この世界に召喚されたとき、生活環境の落差に嘆くしかなかったが、どうやら彼はこの世界の方が向いていたらしい。
人を操り、謀をめぐらす。
日本でのぬるま湯に浸った人生からは考えられないほどの充実感。
特に、今回のように自分の策略によって戦争の勝ち負けとは別のところで、既に勝利が確定しているとなれば尚更だ。
(さてさて、どうなりますかねぇ)
須藤の顔に浮かんだそれは、勝利を確信した人間の笑みだった。
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