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異世界に穴があったら入りたい 作者:大野水城

第一章

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幕間 剣聖の遺産

 ゼフィランサス南の花弁の正しく南北に伸びる大通りの中央を阻む形で、一件の荘厳な建築物がそびえていた。その周りをぐるりとロータリーが囲み、人の往来はこそから放射状に伸びている。
 その建物こそ、自由都市ゼフィランサスの政庁である。
 老剣聖シュナイデル・ファルカは『アマルダの旅籠』の女将、アマルダ・ロックウェルに案内され、そこを訪れていた。
 馬車は兵士たちに守られながら、北口から緩やかな弧を描く下り坂の通路を進み、地下に入っていく。この地下道はお忍びの客を招き入れるための通路、一般客の立ち入りは禁止されている。

 地下でありながら水晶づくりの豪奢な門をくぐると出迎えたのは、やや面長で細身の初老の男性だった。彼がこの都市の市長にして、冒険者ギルドの副会長アラード・ジェファーソンである。自由都市同盟の兵士たちが周りを固めていた。

「お待ちしておりました。シュナイデル・ファルカ老師」
「おまたせして、申し訳ぇない……」

 老ファルカの第一声は詫びだった。
 本来であれば、市長との会合は昨夜の筈だったのだ。

「いえいえ、とんでもない! 老師にお会いできるなど歓喜の極みでございます」
「申し訳ありません。私が引き止めたばかりに……」

 アマルダも謝罪する。
 彼女がファルカ老師の予定も聞かず、大々的に歓迎会などやってしまったためである。

「いえいえ、謝罪には及びませんよ。マダム・ロックウェル。救国の英雄たる老師が、市民の歓待を無碍に断ることなどできますまい。そんなことに細かく難癖をつけるぐらいなら、われわれがお迎えに参上しておりますよ」
「そういってもらえると、たすかるのぉ…」

 市長は在野の人である老ファルカが約束通りの時間に到着することなど期待してはいない。相手は都市の賓客(ゲスト)であり、商人ではない。そもそも、主な交通手段が帆船や馬車というこの世界において、重要な物資が予定の日時に届かぬことだって日常茶飯事なのだ。
 齢97の老人。まして、伴が齢8歳の幼い少年一人のみとあっては、無事に到着できただけでも幸いといえる。
 昨日の次第を、詫びの手紙を寄越して報告したのはその少年であった。ジェファーソンは、その少年タクミ・ファルカに素直に歓迎を受けるように指示を返し、アマルダの旅籠に引き出物の美酒を送っていた。
 よって、この謝罪は単なる社交辞令であることは、お互いに承知の上である。

「しっかりしたお子様のようですな」
「ほっほっほっ……良くしてくれるんでぇすよ」

 市長は救国の英雄に対し、王侯クラスの客を饗すための応接間に通し、玉露と呼ばれる最上の緑茶を振る舞った。すべてシュナイデル・ファルカの嗜好を調査した上での選択である。
 その茶で喉を潤しながら、老ファルカは告げた。

「聞いてぇくれるかねぇ…」
「はっ」

 市長は部下に合図を出す。示し合わせた通り、女性書記官がファルカ老の言葉を聞き取り、筆記を始める。

「我がぁ、遺産をぉ……アレに譲りたい…儂もぉ…長くはぁないでなぁ…」

 『アレ』というのは老師の養子。タクミ・ファルカのことだろう。
 しばらくの沈黙の後、市長は答えた。

「老師の遺産すべてとなりますと、わずか8歳の少年には、背負うに重すぎるかもしれませんが?」
「すべてとはぁ…いわんのぉ…まずじゃ。ここのアマぁルダぁをぉ…後見とぉ…す」

 アマルダは何も言わず、真剣な面持ちでそれを聞いていた。

 剣聖ファルカ。彼が冒険者時代に溜め込んだ資産は相当な額になる。 魔獣シュトラを倒した時に得た魔石『深淵の紫紺水晶』など、それだけでアヴェー金貨にして、ざっと20万枚には下るまい。
 その莫大な資産は国家戦略規模といっていいだろう。もちろんファルカ宅の箪笥に入れてあるわけではない。それらは、この冒険者ギルドに預けられ運用されているのだ。ゼフィランサス政庁は、彼名義の伝説級のアイテムを担保に、カルヴァラ帝国のような大国と経済・外交の鉾を交えることすらあるという。
 故に、剣聖ファルカの遺産相続はシュナイデルの一存では決められない。
 シュナイデル・ファルカに縁者はいない。当然、評議会も彼の財産はいずれ、全額都市に納められるものと期待して政治的会合をすすめていた。それは剣聖も既知であり、ゆえに彼は貴族や商人たちに掣肘されることなく悠々自適な老後を続けていたのである。

 だが、8年前転機が訪れる。剣聖ファルカはどこの馬の骨かもわからぬ乳飲み子を養子にとったのだ。
 当然法律上、彼には遺産が相続されることになる。
 一体、いかほどになるだろうか?
 たとえ、財産の1割だとしても、富豪を名乗って恥ずかしくない。それほどまでにファルカ翁は、養子にした少年を溺愛していた。
 そのことでこの都市の議員たちと剣聖ファルカの間に摩擦がなかったわけではない。

「本人は金などいらん、とぉ…いうじゃろうのぉ。
 あれは聡い。富ぃを得る危険をよぉわかっておる。
 貧乏を嫌がったこともない……一人がぁたくさん持っていても仕方ない、
 皆にパンとぉ仕事を与えるために使うべきと言い切るような子じゃ」

 ジェファーソンは何も言わず、静かに頷いた。
 タクミ・ファルカの聡明さが伺える。

「だが…ささやかな財産は継がせたいのじゃ…
 あれは良くしてくれるでな…せめて、『聖剣』だけは必ず」
「『聖剣』を、ですと?」
「さよう……」

 ジェファーソンは一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたが、それを悟られまいとすぐに平静に戻した。

「老師のお気持ちは分かりました。では、その方向で尽力をさせていただきましょう」
「よろしくぅ…頼みます……」

 老ファルカはジェファーソンの手を取り、深々と頭を下げた。



   *   *   *


「よろしいのですか?」

 老ファルカを見送った後、その遺言を書き留めた女性書記官ロゼッタ・エヴァンスが市長に確認した。

「それはどういう意味で聞いているのだね?」
「この老師の遺言を次の評議会の議題に載せられますか、ということですが」

 ロゼッタ・エヴァンスは彼女は平民でありながら、大志を抱き、寝食を忘れて勉学に励み、100倍もの淘汰を勝ち抜いて、この都市の行政の中枢へと上り詰めた人材である。
 もちろん生涯を一書記官で終わるつもりはない。
 エリートとして、都市の中枢で働くようになっても、政策の進め方、交渉術、人の使い方や、政治家たちの機微を学習することに余念がなかった。それを察して、ジェファーソンは嘆息してその問に答えた。

「載せられるわけがなかろう?」
「むろん、老師は尊敬できる方だ。何らかの思慮あってのことだろう。あれだけご高齢でありながら、しっかりした後継者を育てられた。大した方だ。その意思は最大限尊重したい」
「はい」
「タクミ・ファルカに相続させる財産については、金銭面では、老師自身と交渉すればよかろう。落とし所はあるはずだ。……だが、問題は『聖剣』だ」

 聖剣・三日月はこの都市の守護者の象徴だ。
 その聖剣は、この冒険者ギルド本部の地下金庫で厳重に安置されてはいるものの、所有権はほかならぬ剣聖シュナイデル・ファルカにあり、第七天子から直々に賜った彼にしか、抜刀不可能な代物であった。
 そして彼亡き後は、彼が認めた後継者しか抜けぬようになるだろう。
 かつて第七天子がその聖骸の一部をもって鍛えたという最強の剣。剣聖の前に立ちはだかった強敵をことごとく屠った武装。それは強者を倒す度に莫大な魔力を内包するという魔性を宿していた。
 黒豹グライツェル、魔獣シュトラ、竜王ランカスター。
 強者の血を吸うほどに『三日月』は強力な霊格を帯び、その伝説を纏って進化していくと言われている。
 そんな伝説級の武装を、利発とはいえ8歳の少年に継がせようとするなど、こればかりは老師の人格を深く敬愛するジェファーソンも、その正気を疑わざるを得なかった。
 いまこの地には『次代の剣聖』たらんと、血の滲むような修練に明け暮れる剣士・冒険者が数多く存在する。昨夜、剣聖の元に参じた冒険者たちの中にはそういう者もすくなくはなかったのだ。たとえ幾許かの才幹があろうと、彼らすべてを出し抜いて8歳の少年に背負わせることなどできようか。

 ジェファーソンは、信用のおける部下だからこそ彼女を書記官に選んだが、それでも敢えて念を押さずにはいられなかった。

「こちらの説得に応じてくださるようならばそれでよい。…いいか? まだ他言無用だぞ? 根回しをせず下手に吹聴されては、返って老師や少年の身に危害が及ぶかもしれんからな」

 若くして次代の都市の担い手を志す才媛は、決意を持って静かに頷いた。
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